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写真タイトル説明登録日
1働くフィリピンの若者たち働くフィリピンの若者たち町内のナイトパブへ働きに来ているフィリピンの人たち。開店前夕涼みしているところへカメラを向けると、こんな風にポーズをとってくれた。。2020-03-06
2製糸時代のメインストリート、今は御田町通り製糸時代のメインストリート、今は御田町通り戦前はこの通りに片倉、入一など大手製糸工場が並び、月二回の定休日には通りにあふれるほどの工女たちで賑わったものという。工女たちを集めた御田町劇場はもうない。戦後も片倉跡が「ヤシカカメラ」の工場になって、従業員の往来で活気を見せていたが、同工場が岡谷へ去ってから、(現在は「武藤工業(株)諏訪工場」に代わって)静かな商店街にな様変わりしている。2020-03-06
3下請け工場で働く主婦下請け工場で働く主婦諏訪の精密工業を支える二次加工専門の下請工場春元精機製作所で働く主婦たち、皆さん結婚前は時計やカメラ工場で働いていた人たちばかりなので腕は確か、一人ひとりが徹底した品質管理をしているという。伝票にはソニー・オリンパスなどのスタンプが見られる。2021-04-01
4ヤシカ工場(旧片倉製糸)ヤシカ工場(旧片倉製糸)東洋のスイスといわれていた頃の精密工業(カメラ工場)の様子。ベルトコンベアー・システムによって次々に完成品が作られてゆく。 戦後のカメラブームの中、昭和24(1949)年諏訪市の八洲精機製作所を継承したヤシカカメラは、昭和30(1955)年下諏訪町の旧片倉製糸下諏訪製糸所に本社工場を移転し、新型カメラを登場させ市場にアピールした。新興メーカー・ヤシカは安さも売りの一つで成長し、昭和30年代には国内販売高も輸出も首位を占めていた。昭和47(1972)年本社を岡谷市長地に移転したが、昭和50(1975)年に経営破綻し、京セラに吸収合併された。 全てをベルトコンベアシステムにより最終時加工(1枚目の写真)。工場内は若い労働者によって占められている。  2021-03-27
5三協精機オルゴール工場三協精機オルゴール工場自社製の自動専用工作機械の並んだ自動機工場(三協精機の自社製自動工作機械)。 一人で10台から20台の機械を受け持つ。ここでは、オルゴール、タイムスイッチ、8ミリカメラなどの部品が作られている。2021-04-01
6大正年間の大門通り大正年間の大門通り大門の中ほどから下馬橋を望む、何かが通るので沿道の人が出てきていたところか?撮影者の河西氏宅は下馬本屋と呼ばれ暗箱(ガラス板)を使って写真を撮影していた。当時アマチュアカメラマンといえば下馬本屋さんといわれていた。尚下馬本屋(河西氏宅)は下の原の御洗川の水を利用して、精米水車を最後まで行っていた一軒であった。2020-03-06
7出征家族写真撮影関係者出征家族写真撮影関係者戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。2020-03-06
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