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登録リスト(該当:149件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
令和5年の秋宮リンク
秋宮リンクに子供たちの声が響く。写真は下諏訪北小学校の一年生のスケート教室の様子。近年は暖冬で毎年利用できないことも多いが、この年は年初の冷え込みがあって、三学期に入りスケート教室ができるようになった。下諏訪南小学校と北小学校の子供たちがスケートを楽しんでいる。昔と違いフィギュアスケート用の靴を履く子供の方が多いが、中にはスピード用の靴で見事に滑走する子供もいるの体制で。わずか一時間弱だが、子供たちの成長は早い。常時4人の体制で管理している。また、親の見守る風景も昔とあまり変わらない。ただ残念なことに氷の状況は長続きせず、この年も「氷上祭」は中止となった。
2023-01-21
2
高浜湾近景
令和の時代に入った高浜湾。かつてここが大きく入り込んだ入り江で、漁業や採氷やスケート、観光などで賑わっていた風景は古い時代の写真でしか見ることはできない。ただ、明治時代に開かれた国道20号線や中央東線の線路などは当時と同じ場所にあって人々の生活と深く結びついていいる。「高浜」で検索し、静かな入り江だった場所がやがて埋め立てられ大きく景観が代わってきた様子を見比べていただきたい。
2021-06-23
3
高林清高氏壮行会
オスロオリンピックに出場する高林清高氏壮行会の時の写真と思われる。高林清高氏(1928~没年不詳)は下諏訪町出のスケーター。岡工から明治大学に進み、昭和27(1952)年のオスロオリンピックに出場、500mで6位入賞。さらにコルチナ・ダンペッソオリンピックにも連続出場。一線を退いてからはインスブルックオリンピックコーチとして参加。のち長野県スケート連盟会長も務めた。
2022-06-09
4
岡谷中学スケート部
昭和22(1947)年から始まったスケートの県高校選手権では岡谷南高校が岡谷中学時代から9連覇を達成している。写真は岡谷市体育協会史には「第2回県下中学スケート大会に優勝した岡谷中学(現岡谷南高)」と紹介されている。長野県スケート連盟史には、後列左から2人目が中島信一、右隣が増沢政幸と紹介されていて当時の主力選手であった。
2021-12-18
5
製糸工場の面影
「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。
2021-04-21
6
オフシーズンの秋宮リンク
ふれあい広場、シーズンオフの秋宮スケートリンク。
2020-03-06
7
諏訪湖氷上会記念写真
スイス公使 ポール・リッテル夫妻が下諏訪町の諏訪湖氷上会主催のスケート大会に出席された時の記念写真。この年1月14日には英国代理大使ローザ夫妻も下諏訪に来ている。
2021-05-11
8
諏訪湖のスケート風景
諏訪湖のスケート 諏訪中(旧制)の生徒か? 古田明氏寄贈
2020-03-06
9
女性のスケート風景
芸者さんのスケート風景。 城取氏撮影。
2020-03-06
10
スケートを楽しむ人々
アイスホッケー、フィギュアスケート、氷上そり…など、それぞれ秋宮スケートリンクで冬のスポーツを楽しむ人々。
2020-03-06
11
下駄スケートをする少女たち
向かって右より 三井まさ 小口けん(小松屋) 小口すえ(湊屋) 溝口はる子 柳沢きよ 増沢みす(松仙堂)。
2021-05-11
12
下駄スケートをする子どもたち
下駄スケートで滑る小学生、先頭は改良されたスピードの三本刃、後方は最初の日本刃のスケート。この写真の説明は昭和初期としてあるが、「写真いまとむかし(下諏訪町)」には、「大正後期のスケート遊び(矢島式下駄スケート)」と説明されている。また、「下諏訪町町制施工125周年(下諏訪今昔絵巻)」には大正14(1925)年頃と注釈がされている。
2020-03-06
13
スケート
右端小口卓穣氏は諏訪湖一周氷滑大会で三連勝した。前列左端 高木幸雄氏 後列 左端 小口義信氏
2020-03-06
14
表彰式
氷上での表彰式。 トロフィーを受け取る選手。
2020-03-06
15
カーリング大会
カーリング大会表彰式の様子。昭和7年1月21日の秋宮スケートリンク。№34.1405.1424は同じ写真。
2020-03-06
16
フィギュアスケート風景
下諏訪町秋宮リンクで日本で初のフィギュアスケートの公式大会が開かれた。同リンクは「日本フィギュアスケートの発祥の地」となった。
2020-03-06
17
フィギュアスケート
秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。
2020-03-06
18
スケート
秋宮リンクで、フィギュアスケートを滑る男性。
2020-03-06
19
スケート大会で優勝した少年
諏訪郡下スケート大会に於いて小学生20周に優勝した清水順吉君。下駄スケートを履いている。
2020-03-06
20
フィギュアスケート
スカート姿でフィギュアスケートをする女性。
2020-03-06
21
スケート
2020-03-06
22
スケート
アイスホッケー。№1377と同じ時の撮影か。
2020-03-06
23
スケート
「信州諏訪湖上スケート」(絵葉書)、当時のスピードスケート選手。 中村龍雄氏出品。№1362と同じ。
2020-03-06
24
スケート
諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。写真下には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1367と同じ。
2020-03-06
25
フィギュアスケート
秋宮スケートリンクでフィギュアスケートを楽しむ男性たち。
2020-03-06
26
スケート
秋宮スケートリンク。
2020-03-06
27
スケート
たくさんの子どもたちが見守る中で回転したり、ジャンプをしたしフィギュアスケートを披露。子どもたちが履いているのは下駄スケートが多いように見える。
2020-03-06
28
スケート
2020-03-06
29
スケート
秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ人々。
2020-03-06
30
スケート
諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。 №4と同じ。
2020-03-06
31
スケート
カーリング大会表彰式の様子。昭和7年1月21日の秋宮スケートリンク。№34.1405.1424は同じ写真。
2020-03-06
32
スケート
日本髪、和装の女性が秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。
2020-03-06
33
スケート
椅子に刃をつけてソリのようにして遊ぶ様子。
2020-03-06
34
スケート
日本髪の女性が秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。
2020-03-06
35
スケート
馬が引く「氷上スキー」。背景の段々畑は一面桑畑、製糸業が盛んな頃の農閑期の諏訪の風景。場所は高浜湾付近。
2020-03-06
36
スケート
下駄スケート。椅子型のそりにもスケートの刃がつけられている。
2020-03-06
37
スケート
なかよく並んで下駄スケートをする子どもたち。後ろにはアイスホッケーのゴールが見える。
2020-03-06
38
スケート
スケートに興ずる人々。
2020-03-06
39
スケート
氷上の整頓(絵葉書)。当時結氷した諏訪湖は軍事訓練の場として使われることもあった。写真後方山肌が見事な段々畑(?)になっている。
2020-03-06
40
スケート
諏訪湖氷上スケート大会(絵葉書)。
2020-03-06
41
下駄スケート
下駄スケートの刃。 フィギュア型からスピード型に改良されたスケート。
2020-03-06
42
フィギュア型のスケートの刃
大正から昭和初期に輸入された、フィギュア型スケート で革靴の厚底の編み上げ靴に取り付けて滑走した。
2020-03-06
43
漫画すごろく
「スケーチング漫畫諏語録」。
2020-03-06
44
スケート
冬の蓼の海。スケート大会の様子の絵葉書。左下の写真はアイスホッケーのリンク。
2020-03-06
45
スケート
冬の諏訪湖。選手のユニホーム・滑るフォーム・よく整備されたスケートリンクなどから大会風景に見えるが。
2020-03-06
46
スケート
冬の諏訪湖。軽装でのスケート風景。スケート靴はフィギュア用に見える。
2020-03-06
47
スケート
冬の諏訪湖。競い合って滑る様子。
2020-03-06
48
スケート
絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。
2020-03-06
49
スケート
2020-03-06
50
スケート
絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。
2020-03-06
51
スケート
(冬の諏訪湖)スケートで賑わう諏訪湖氷上。写真の範囲には下駄スケートは見られない。
2020-03-06
52
高林選手
高林清高選手の昭和27(1952)年オスロ冬季オリンピック500m、6位入賞。
2020-03-06
53
高林選手
高林清高選手。岡谷工業学校時代は戦争中で活躍の場はなかったが明治大学に進んでから日本を代表するスプリンターとなる。日本選手権では500mに3連覇。オリンピックで6位入賞を果たした。昭和29(1954)年日本初世界選手権札幌大会では銅メダルを獲得した。
2020-03-06
54
アイスホッケー
アイスホッケー。
2020-03-06
55
アイスホッケー
アイスホッケーに興じる人々。№1415と同じ時の撮影か。
2020-03-06
56
スケート
秋宮スケートリンク。
2020-03-06
57
スケート
スケート製作風景。
2020-03-06
58
下駄スケート
下駄スケートが何種類もテーブルの上に並んでいる。
2020-03-06
59
スケート
諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。資料には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1413、1861と同じ。1961の写真には「箒をもてるはグラウンドの掃除人夫なり」と書きもまれている。
2020-03-06
60
英国代理大使夫妻記念撮影
在京中の各国大使がスケートに来湖する。写真は英国代理大使ローザ夫妻が、下諏訪駅前で記念撮影したもの。
2020-03-06
61
アイスホッケー
秋宮スケートリンクでアイスホッケーを楽しむ人々。 後ろの建物は岩波製糸場の事務所。
2020-03-06
62
スケート
高浜沖の諏訪湖でスケートを楽しむ人々。
2020-03-06
63
スケート
颯爽とスケートを楽しむ人と椅子を使って遊ぶ人たち。秋宮リンクの一コマ。
2020-03-06
64
スケート
氷上をそりにのり楽しむ子ども、フィギュアスケートの練習をする女性、アイスホッケーのスティック持っている男性などそれぞれのスタイルでスケートを楽しむ様子。 小湯の上、秋宮スケートリンク。
2020-03-06
65
アイスホッケー
アイスホッケーのゴール前で記念撮影。 帽子や服装が似ている人がいて、当時のアイスホッケー愛好家の流行が感じられる。 リンクの周りには柵がなく見物人らしき人もいる。
2020-03-06
66
スピードスケートの刃
2020-03-06
67
スケートの刃
2020-03-06
68
スケートの刃
2020-03-06
69
スケートの刃
2020-03-06
70
スケートの刃
2020-03-06
71
下駄スケート
2020-03-06
72
スケートの刃
2020-03-06
73
スケートの刃
2020-03-06
74
スケートの刃
2020-03-06
75
スケートの刃
2020-03-06
76
スケートの刃
2020-03-06
77
スケートの刃
2020-03-06
78
スケートの刃
2020-03-06
79
スケートの刃
2020-03-06
80
スケートの刃
2020-03-06
81
スケートの刃
2020-03-06
82
下駄スケート
2020-03-06
83
スケート
フィギャー型からスピード型に改良された3本刀(3本足)の下駄スケート。
2020-03-06
84
スケートの刃
2020-03-06
85
スケートの刃
2020-03-06
86
スケート
2020-03-06
87
下駄スケート
2020-03-06
88
フィギュアスケートの刃
2020-03-06
89
スケート
2020-03-06
90
スケートの刃
2020-03-06
91
スケートの刃
2020-03-06
92
スケートの刃
2020-03-06
93
スケート
草履に竹を取り付けてある。
2020-03-06
94
スケートの刃
2020-03-06
95
スケートの刃
下駄スケートとして定着した一般的な形のもの。靴スケートに変わる頃の物。(昭和35・6年頃より下駄スケートは消えていった。)
2020-03-06
96
スケートの刃
2020-03-06
97
スケートの刃
明治40(1907)年頃の作。刃の形、厚さに多少の工夫がみられる。
2020-03-06
98
下駄スケート
明治39(1906)年諏訪地方最初のもの。 木下の河西氏作。 日本歯とも呼ばれていた。
2020-03-06
99
スケートの刃
2020-03-06
100
スケートの刃
2020-03-06
101
スケート部の陸上トレーニング
体協スケート部の陸上トレーニング。下諏訪町の保健センター駐車場を借用してのローラースケートの練習。向かいに小松工業の看板が見える。
2020-03-06
102
中村製作所
製糸時代からの鉄工所、今は精密メーカーなどからの注文仕事で忙しい。創業は明治40年頃、製糸工場のボイラーなどを手がけた。「諏訪湖の町の平成元年」には、昭和9(1934)年、室戸台風で倒れた製糸工場の煙突を、たった一昼夜で再建した思い出を、74歳の工場主が話してくれたと解説が書かれている。戦後の一時期スケートのエッジ「N、S、K ローレル クラウン」の製造元として鳴らしたこともある。中村製作所の鉄工所(プレス二次加工)。
2020-03-06
103
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。
2020-03-06
104
秋宮スケートリンク
さみしい秋宮リンク「スケート離れ」現象。「秋宮スケートリンク」で検索し古い時代の写真も参考にしていただきたい。
2020-03-06
105
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。
2020-03-06
106
大和作内作品
昭和5~6(1930~1931)年頃、大和作内氏が営林委員に贈った作品。
2020-03-06
107
博物館
昭和46(1971)年4月1日高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての下諏訪町立博物館が開館。諏訪湖の漁具、先史時代から現代までの歴史資料が展示、二号館にはスケート及び民具を展示していた。
2020-03-06
108
英国大使スケート
絵葉書「(諏訪ノスケート)英国大使スケート」。白い煙をたなびかせて汽車が通り過ぎる。大使夫妻と思われる二人の前でフィギュアスケートに興じる男性、その向うに着物姿の人々がスケートを楽しんでいる。
2020-03-06
109
諏訪湖上のスケート
絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖上のスケート」。フィギュアスケートをしている。
2020-03-06
110
秋宮リンクでフィギュアスケートを楽しむ
平岡露子(大正2~平成23・1813~2012)選手。昭和8(1933)年全日本フィギュアスケートジュニア選手権で女子の初代チャンピオンとなった選手。
2020-03-06
111
氷上ファミリークリスマス風景
渡辺絵美(昭和40~50年代に8回全日本チャンピオンになった。)さんが下駄スケートをはいて滑っている。第5回氷上ファミリークリスマスと後ろの垂れ幕に書いてある。
2020-03-06
112
スケート
スケートをする男性、皮のスケート靴を履いて滑っている。
2020-03-06
113
スケート
大勢の子ども達がスケートを楽しんでいる。秋宮リンク。
2020-03-06
114
スケート
秋宮リンク、桑畑や万国旗が見える。
2020-03-06
115
諏訪市内蓼の海スケート場
諏訪市内蓼の海スケート場。
2020-03-06
116
諏訪市内蓼の海スケート場
アイスホッケーをしている、後ろはギャラリーか?その奥でもスケートを滑っている。
2020-03-06
117
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ男性。後ろは岩波製糸場。
2020-03-06
118
スケート
和装と洋装の男性が革のスケート靴、和装の男性は下駄スケートを履いている。
2020-03-06
119
スケート
スケートを楽しむ男性。
2020-03-06
120
スケート
諏訪湖でスケートを楽しむ男性。後ろに手持ち帆が見える。
2020-03-06
121
スケート
秋宮リンク。後ろに桑畑が見える。
2020-03-06
122
スケート
スケートを楽しむ男性。
2020-03-06
123
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ。後方の建物は岩波製糸場。
2020-03-06
124
スケート
スケートを楽しむ男性たち。
2020-03-06
125
スケート
皆革のスケート靴をはいている。
2020-03-06
126
スケート
秋宮の裏手には一面桑畑が広がっている。氷上には椅子のようなものにつかまって滑る人の姿が見える。
2020-03-06
127
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ子ども。靴スケートがいかにもほこらしげ。
2020-03-06
128
氷上セーリング
氷上セーリング(手持ち帆)。 革のスケート靴を履いている。
2021-03-27
129
スケート
諏訪湖でスケートを楽しむ男性・
2020-03-06
130
スケート
革のスケート靴をはいて滑る男性。
2021-03-27
131
スケート
№4400の男性たち、秋宮の森をバックに記念撮影、パイプをくわえている男性もいる。
2020-03-06
132
スケート
着物姿でスケートを滑る男性、革のスケート靴を履いている。
2020-03-06
133
スケート
洋装の男性たちが革のスケート靴で滑っている。中にはたばこをくわえている男性もいる。秋宮リンク。
2020-03-06
134
スケート
革のスケート靴を履いて秋宮リンクでスケートをする男性、万国旗も見える。
2020-03-06
135
スケート
革のスケート靴にマントを羽織った日本髷を結った女性。秋宮リンク。後の建物は岩波製糸場の事務所。
2020-03-06
136
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ氷上の女性たち、一人は革のスケート靴ともう一人は下駄スケートを履いている。日本髪や着物姿が時代を感じさせるが、当時としては先端を走る女性か?
2020-03-06
137
スケート
下駄スケート・着物姿の人見える。下駄スケートは明治39年(1906)年頃初めて考案された。
2020-03-06
138
スケート
秋宮リンク。スケートを楽しむ男性と女性。立派な靴スケートや服装から衆目を集めたに違いない。
2020-03-06
139
スケート
秋宮リンク、後の山は小湯の上の桑畑。
2020-03-06
140
スケート
秋宮リンク、万国旗の飾り見える。
2020-03-06
141
スケート
秋宮スケートリンク。男性が革のスケート靴を履いて滑っている。
2020-03-06
142
スケート
秋宮スケートリンク。万国旗と桑畑の広がる様子が見える。
2020-03-06
143
女子フィギュアスケート選手
秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。
2020-03-06
144
諏訪湖一周スケート大会
明治38(1905)年中央線開通とともに在京中の各国大公使が盛んにスケートに来湖するようになった。第1回諏訪湖一周スケート大会の模様を記録した写真、背後に中央線を走る汽車も見える。 明治41(1908)年2月2日、下諏訪町諏訪湖氷辷会主催、南信日日新聞社後援「諏訪湖一周氷辷大会」が諏訪湖高浜湾氷辷場を基点に花岡・上諏訪の三角コースで行われれた。日本初の「スピード競技大会」で、大成功を収めた。この日は東京方面から団体客が乗り込み、東京大新聞記者が多数乗り込んできて、大変な賑わいであった。
2020-03-06
145
秋宮スケートリンク
右から桔梗屋の両角氏、ファイトマンの体協事務局の両角氏、女装の城取(写真館)氏、旦那に扮装したプリンスホテルの武居氏。冬の寒さも楽しんでいる諏訪人の様子が現れた一枚である。またスローガンと書かれた紙をよく読むとこのころの世相が読み取れて楽しい。
2020-03-06
146
カーリング大会表彰式
秋宮スケートリンクで開催されたカーリング大会表彰式。絵葉書にしたものを撮影して引き伸ばした写真。右下には「SHIMOSUWA H・SHIROTORI」の刻印が見える。左下には一銭五厘の切手と諏訪郵便局の印(昭和7年1月21日の日付印も)が見える。
2020-03-06
147
秋宮スケートリンク
秋宮リンクでアイスホッケーの試合が日本で初めて行われた。出場したのは早稲田大・慶応大・東京帝大(現東大)と地元の松本高等学校の4チームだった。 この写真が撮影されたころは石置き屋根の家屋が見られたり、北側の斜面には畑・桑畑・雪をかぶった稲わらを積み上げた稲積(にお・にょう)が見える。
2020-03-06
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秋宮スケートリンク
山側の高台から撮った秋宮スケートリンクの全景。明治42(1909)年に下諏訪氷辷会と有志が開設した特設リンクで、今日まで観光事業・町民のスケート技術・体育向上に貢献したリンクで、関係者の努力には敬意を払いたい。
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秋宮スケートリンク
諏訪湖の結氷期が1月上旬~2月下旬のため、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮し、明治40年(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。
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