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写真タイトル説明登録日
1三協精機野球部三協精機野球部三協精機の野球チームは昭和36(1961)年から昭和50(1975)年まで都合9回「都市対抗野球」に信越代表で出場している。特に昭和46(1971)年の時は準決勝まで進出し、ベスト4に入っている。また、昭和49(1974)年の第一回全日本社会人野球選手権大会では優勝し、ダイヤモンド気を手中にしている。この時三協のエース大塚は9回2アウトまでノーヒットノーランを記録していた。惜しくも9回2アウトからヒットを許し大記録はならなかったが4-0の快勝であった。監督は光沢監督であった。写真は場所、年月も不明だが、応援の様子から後楽園球場の都市対抗の一場面と推察する。2022-02-24
2綱打ち綱打ち矢木八町綱打ち。旧金作木材の貯木場で綱打ちが行われた。後ろに見える建物は三協精機の社屋(弥生町)2022-05-08
3昭栄製糸昭栄製糸明治42(1909)年創業の昭栄製糸(小口竹吾)。昭和3(1928)年当時743釜。大正9(1920)年第一次大戦後の恐慌、大正12(1923)年関東大震災、昭和4・5年世界的大恐慌等が製糸業へ大打撃を与える。やがて山十組は破綻、営業の継続を依頼会社整理の抵当権者(安田銀行)がバックアップ、昭和6(1931)年山十※組下諏訪製糸が昭栄製糸となった。その後、昭和32(1957)年、下諏訪町の工場誘致により跡地に三協精機(現日本電産サンキョー)が上諏訪より誘致された。 煙突と煙突の間の森は下社秋宮。2021-04-01
4三協精機三協精機三協体育館で行われた、精密電子メーカー「技術交流プラザ・技術成果展」会場。一番人気は「絵描きロボット」だった。 三協精機は、昭和21(1946)年当時の北澤工業に勤めていた3人により下諏訪町に三協精機製作所として創立した。かつてはオルゴールのムーブメント製造が看板事業で、一時は世界のオルゴールムーブメントシェア80%を誇った。しかし、現在は、本体としては同事業からは撤退し、子会社の日本電産サンキョーオルゴール株式会社で取り扱っている。 平成15(2003)年に業績不振から日本電産株式会社傘下入りを発表し、社名も日本電産サンキョー株式会社となった。2020-03-06
5富士遠望(夕景)富士遠望(夕景)東山田から富士遠望(夕景)(信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。 それにしても、中部山岳地帯の盆地の底から、二百キロの彼方の富士山を望見できるというのは、フォッサマグナという大地溝帯(糸魚川静岡構造線)が作り出した特異な景観である。富士山も八ヶ岳も大地溝帯のまん中に噴出した火山で、、諏訪湖はその地溝帯の西縁に沿って走る断層などによって生まれた構造湖なのだという。2020-03-06
6六協新社屋六協新社屋スリムなビルが完成、地元建設会社(㈱六協新社屋)の事務所。狭い敷地を生かして建てられた。昭和43(1968)年三協精機の営繕関係の下請け会社として発足した建設土木の会社。2021-04-01
7平成最初の参院選ポスター平成最初の参院選ポスター参院選ポスター。町内100か所に設けられた公営ポスター掲示所の一つ。後ろに見える建物は三協精機社宅。 この年の選挙は、消費税導入の税制改革を中心に、リクルート事件にからむ政治倫理問題、農産物の輸入自由化問題などが争点となって与党自民党が苦戦、与野党逆転が話題となった選挙であった。2020-03-06
8世界最大のオルゴールメーカー三協精機世界最大のオルゴールメーカー三協精機三協精機旧社屋。現在下諏訪町内にはオルゴールの展示館(すわのね)やオルゴールの組み立て体験ができる「おいでや」などがある。また諏訪大社秋宮の鳥居前では20分ごとにオルゴールの音色で観光客を迎えている。2020-03-06
9世界最大のオルゴールメーカー世界最大のオルゴールメーカー世界最大のオルゴール会社・三協精機の工場風景(プリント基板製作自動機)。当時は多角化を図り、「オプトメカトロニを駆使する総合精密電子機器メーカー」を看板にしていた。 二枚目の写真は三協精機の工場のCADシステムによる回路設計風景。2021-04-01
10世界最大のオルゴールメーカー世界最大のオルゴールメーカー三協精機(現日本電産サンキョー)は終戦後桜町に工場建設し始まったが、昭和23(1849)年からオルゴールに着目し、輸出用を中心に量産を始めた。昭和32(1957)年に広瀬町にあった昭栄製糸工場跡に工場を移転し、オルゴールの大量生生産で世界最大のオルゴールメーカーに成長した。写真は三協精機の工場のオルゴールの検査の風景。 二枚目の写真はオルゴールの組み立て自動機。2021-04-01
11小路の奥にも製糸の名残小路の奥にも製糸の名残右手は昭和34・35年頃まで操業していた「ヤマカ河西製糸所」の再繰部の建物。三協精機の創業者が、昭和23(1948)年の暮れ、この工場の一部を借り受け、旋盤機などをすえつけて旗揚げを図ったが、操業開始の前夜工場を焼失、やむなく諏訪市へ工場を移して創業したというエピソードがある。2021-04-13
12河西製糸所河西製糸所小路の奥に製糸の名残り。昭和34(1959)・35年ころまで操業していた「ヤマカ社河西製糸所」の建物。三協精機の創業者が、昭和23(1958)年の暮れ、この工場の一部を借り受け、旋盤機などをすえつけて旗揚げを図ったが、操業開始の前夜工場を焼失、やむなく諏訪市へ工場を移して創業したというエピソードがあると「諏訪湖の町の平成元年」に紹介されている。2021-04-04
13三協精機オルゴール工場三協精機オルゴール工場自社製の自動専用工作機械の並んだ自動機工場(三協精機の自社製自動工作機械)。 一人で10台から20台の機械を受け持つ。ここでは、オルゴール、タイムスイッチ、8ミリカメラなどの部品が作られている。2021-04-01
14航空写真 花田上空航空写真 花田上空上空から見た東山田(下諏訪町第7区)左に三協精機社宅(現日本電産サンキョー)、下諏訪町第5保育所(現とがわ保育園)の赤い屋根が見える。2020-03-06
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