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登録リスト(該当:12件)

写真タイトル説明登録日
1陸軍航空隊航空写真下諏訪学校陸軍航空隊航空写真下諏訪学校明治9年11月1日友之町字郷神殿に建築された下諏訪学校の全景、屋根は瓦ぶき硝子障子で三階の望楼の色硝子が夕日に美しく照り輝いた、左の校舎は明治30(1897)年建築の高等科校舎。2020-03-06
2下諏訪全景下諏訪全景中央の森が青塚、左の森が秋宮。砥川が諏訪湖に突き出たように中洲をつくっている。2020-03-06
3浮島発電所浮島発電所大正7(1918)年山十組で武居入に自家用発電所を設置し、次いで大正9(1920)年には入丸製糸で宮ノ上に、同10(1921)年には片倉組丸六製糸で、自家工場内に御手洗せぎを引き入れて自家用発電所を作っていた。 写真は入丸浮島発電所全景、発電所裏手に水圧管が見える。2020-03-06
4秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)松葉屋全景。写真下に「割烹松葉屋 電話 二十六番」とある。2020-03-06
5明治9年下諏訪集落図絵明治9年下諏訪集落図絵明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。2020-03-06
6鷹匠の家 岡村家鷹匠の家 岡村家鷹匠の家 岡村家。同屋敷の全景、左が住宅、右が土蔵。向山の左手が若宮神社。2020-03-06
7製糸工場風景製糸工場風景絵葉書「信陽諏訪下諏訪入一※組製糸会社全景」の文字。入一※組製糸は明治34(1901)年に創業した入丸※製糸が明治43(1910)年に分離し、入一として創業(小口松五郎・川村蓑吉・山田由蔵・河西寅吉の合名会社)した。入一※製糸は入丸より分離したメンバーに河西友吉・河西勝太郎・今井栄人(入一社長)が加盟し、最盛期の大正10(1921)年頃(1150釜)は茨城・静岡に支店を出し、大正12(1923)年には南四王(現ジャスコ跡)に分工場を建設した。昭和4・5(1929/1930)年の不況により今井栄人が入一通信工業に転換した。下の原方面からの写真、中央辺りに平沢小路~下の原への道路が見える。2021-04-01
8航空写真 第一区航空写真 第一区昭和57年10月。第一区全景。2020-03-06
9下諏訪全景下諏訪全景河西政常氏撮影。製糸工場の煙突の煙が見える。白い建物は ※丸六製糸(現在のムトー工業の位置)。2020-03-06
10総合運動場総合運動場ガスタンクの上から撮影した総合運動場全景。球場では大会が開催されていて、多くの観客が観戦している。当時庭球コートは6面、バレーボールコートは3面がとれたという。陸上競技場はまだできていない。2枚組み写真。町営総合運動場の完成は昭和24(1949)年8月。陸上競技場完成は昭和36(1961)年11月5日である。 ちなみにこの敷地は中央車輌株式会社所有地(旧鐘紡敷地)の整理にあたって町が買収したものである。2020-03-06
11萩倉の部落の全景萩倉の部落の全景製糸業が盛んだった頃の萩倉部落の全景。下諏訪の萩倉地区は、豊富な水・薪(動力)で明治11(1878)年座繰製糸が始まり明治中期までこの地方を代表する製糸の村だったが、明治38年岡谷まで中央線の開通以来、移転・廃業など次第に取り残されていった。2021-04-21
12秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク山側の高台から撮った秋宮スケートリンクの全景。明治42(1909)年に下諏訪氷辷会と有志が開設した特設リンクで、今日まで観光事業・町民のスケート技術・体育向上に貢献したリンクで、関係者の努力には敬意を払いたい。2020-03-06
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