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写真タイトル説明登録日
1スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。写真下には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1367と同じ。2020-03-06
2スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。資料には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1413、1861と同じ。1961の写真には「箒をもてるはグラウンドの掃除人夫なり」と書きもまれている。2020-03-06
3南信日日新聞諏訪支局南信日日新聞諏訪支局この町で創刊された地方新聞南信日日新聞諏訪支局のスタッフ支局長・記者3人・事務員一人が勤務。記事はワープロ打ち、電話回線で送稿。この新聞社の前身「南信評論」が明治30年下諏訪町で創刊、月刊誌を発行(後に週刊誌へ)その後明治34年(1901)年「月刊諏訪新報」、その後、「南信日日新聞」と名を変え、さらに「長野日報」となった。本社を諏訪市へ移したのは日露戦争勃発の明治37年(1904)年、この頃日刊紙となっている。2020-03-06
4諏訪湖一周スケート大会諏訪湖一周スケート大会明治38(1905)年中央線開通とともに在京中の各国大公使が盛んにスケートに来湖するようになった。第1回諏訪湖一周スケート大会の模様を記録した写真、背後に中央線を走る汽車も見える。 明治41(1908)年2月2日、下諏訪町諏訪湖氷辷会主催、南信日日新聞社後援「諏訪湖一周氷辷大会」が諏訪湖高浜湾氷辷場を基点に花岡・上諏訪の三角コースで行われれた。日本初の「スピード競技大会」で、大成功を収めた。この日は東京方面から団体客が乗り込み、東京大新聞記者が多数乗り込んできて、大変な賑わいであった。2020-03-06
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