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登録リスト(該当:1974件)

写真タイトル説明登録日
1旅客列車旅客列車D51旅客列車 手前の電柱は国鉄の通信線の「はえたたき」 *「はえたたき」日本国有鉄道収容感染の線路沿いに立ち並んだ電柱(鉄道電信柱)の通称名。2024-02-12
2準急列車リゾートふるさと準急列車リゾートふるさと「リゾートビューふるさと」JR東日本が開発した次世代型ハイブリット気動車【エネルギーを貯蔵する鉄道車輌】。2014(平成26)年5月17・18日、6月14・15日の4日間長野エリアのハイブリット観光気動車・HB-E300系「リゾートビューふるさと」による臨時快速列車『リゾートビュー八ヶ岳』が、松本~中込間で運行されたのに伴い下諏訪通過。 小海線を走った。2024-02-17
3準急列車準急列車キハ58準急列車リゾートビューふるさと 線路を挟み右側は現在の中部電力の社屋、左側は金作木材貯木所(現在は住宅地)になっている。2024-02-17
4砥川鉄橋砥川鉄橋砥川鉄橋を走る電車。2024-02-17
5旧あずさ色「特急あずさ」旧あずさ色「特急あずさ」183系旧あずさ色による「特急あずさ」 1992(平成4)年に高原とアルプスをイメージしたものへ塗装変更し、特急のシンボルマークが撤去されている。 諏訪湖上花火大会の臨時列車。2024-02-17
6はまかいじ号はまかいじ号「はまかいじ号」が中央東線に登場したのは1994(平成6)年春の臨時列車から、横浜駅から横浜線・中央本線・篠ノ井線~松本駅を結ぶ週末の臨時特急となっていたが2019(平成31)年春運行終了・廃止が決定した。2024-02-15
7普通列車普通列車飯田線豊橋行き普通列車、砥川鉄橋を行く。2024-02-15
8183系特急電車183系特急電車183系特急電車 181系の次に配置された特急電車で国鉄色最後の特急だった。 その後クリームと赤い線の入ったグレードアップ車、長野色などに変化したが2005(平成17)年の今年も千葉の車両が時々乗り入れてくる。2024-02-15
9D51蒸気機関車D51蒸気機関車D51473が牽く長野行き普通列車。2024-02-12
10砥川鉄橋砥川鉄橋下諏訪砥川鉄橋を走るEF13(国鉄EF13型電気機関車)2024-02-15
1180系電車80系電車砥川鉄橋を渡る80系電車。 後方が下諏訪町。2024-02-15
12D51蒸気機関車D51蒸気機関車電化前のD51、中央東線下諏訪砥川鉄橋にかかるところ。2024-02-15
13承知川鉄橋承知川鉄橋下諏訪町承知側の氾濫により不通になっている中央東線承知川鉄橋へ「マルチプルタイタンパー」略してマルタイが出動。開通へ向けての作業中。 いつもは夜間の作業が多いこの車輌、日中に動くことは大変珍しい。2023-11-23
14清水橋清水橋清水橋より見た、平成18(2006)年7月豪雨災害時の砥川の様子。2024-02-15
15社東町付近社東町付近社東町付近の砥川の様子 砥川の水面(川の流れ)が住宅地より高い(天井川)ということがよくわかる。2024-02-15
16回送列車回送列車赤砂を回送するC122024-02-14
17準急列車準急列車松本行き準急列車キハ582024-02-14
18回送列車回送列車下諏訪‐岡谷間の533回送列車C12牽引。2024-02-14
1980系電車80系電車80系電車2024-02-12
20C12 回送列車C12 回送列車冬の赤砂を回送するC12。2024-02-14
21回送列車回送列車先頭車両はC12、岡谷へ向かう回送列車、EF13は最後尾2024-02-14
22E233列車E233列車普段はここを走ることのない列車だが諏訪湖上花火大会、新作花火大会では首都圏の列車が臨時で花火客を乗せせて茅野-松本間を走る。 背後に見える「日本電産サンキョー」の看板も2023(令和5)年3月をもって消えた。2024-02-08
23横河川横河川右側が横河川の桜並木。 「ナショナル」の看板と電車。2024-02-12
24看板と電車看板と電車「ナショナル」の松下電器の看板だけが目立つ。 田園風景の中を走る電車。桜並木は横河川。2024-02-12
25旧型電車旧型電車飯田線から来た旧型電車。2024-02-12
26腕木信号機腕木信号機下諏訪駅遠方信号。 腕木信号機。2024-02-12
2780系電車80系電車砥川鉄橋脇から岡谷方面を見る。 80系電車がはるかに望まれる。2024-02-12
28蒸気機関車最後の日蒸気機関車最後の日中央線下諏訪赤砂付近  蒸気機関車最後のころ D5129混合列車 辰野から上諏訪まで部分電化した年で、架線が張られている。 上諏訪からD51が消える1年8か月前で、この「カマ(蒸気機関車)」にはその後、函館本線で行き合っている。 40年後この場所はそのころの面影は全くない。2024-02-12
29D51蒸気機関車D51蒸気機関車下諏訪へ向かうD51旅客列車。 10系客車5両を含む客車9両はこの辺りでは長い列車であった。2024-02-12
30旧型電車旧型電車飯田線からの旧型電車4両編成  80系とこの列車だけが4両であとは2両編成だった。2024-02-12
31C12 回送列車C12 回送列車先頭はC12、岡谷へ向かう回送列車、EF13は最後尾。2024-02-11
32赤砂踏切赤砂踏切「赤砂踏切」と呼ばれていたが通れるのはバイクまで、 車が少ない時代の姿。2024-02-11
33D51 蒸気機関車D51 蒸気機関車1963(昭和38)年~1967(昭和42)年ごろの岡谷市長地地区に隣接しの赤砂の中央線の風景。下諏訪町の砥川から横河川の間で撮影したもので飯田線から旧型電車とキハ58の準急、D51客車列車、80系電車などが見られた。また西大路通りの開通は1950(昭和55)年   写真は中央線岡谷~下諏訪間 上り列車 辰野~神手話間が部分電化され中央線に乗り入れて来た頃の写真でD51が客車を牽いていた この場所も住宅、工場のためよく見えるところではなくなった。2024-02-11
34フォーク夢列車フォーク夢列車乗車記念パネル。2024-02-11
35115系列車115系列車飯田線 普通列車豊橋行き115系列車。 これはJR東海の115系で湘南職と呼ばれていた。2024-02-11
36電気機関車電気機関車国鉄EF64形電気機関車では通常は貨物列車牽引の機関車。 20系客車 20系寝台車がブルトレ運用(ブルートレイン)から離脱後中央線にもその姿を見せるようになり修学旅行・スキー団体臨時列車などで運用されていた。 列車は一世を風靡したブルートレイン。2024-02-08
37しなの鉄道しなの鉄道2015(平成27)年3月14日北陸新幹線金沢延伸に伴って、 信越本線長野~直江津が経営分離され、このうち長野~妙高高原が「しなの鉄道北しなの線」として再スタートを切った。 2010(平成22)年7月4日長野総合車両センターの115系団体臨時列車「フォーク夢列車」が下諏訪-神城間で運行されたが、これはその時と同じ列車である。 この時すでに運用が終わっていたのでやはり臨時団体列車だったかもしれない。2024-02-08
38209系ナハ209系ナハ209系ナハ54編成が長野総合車両センターへ輸送されました。車両は狭小トンネル未対応のため、パンタグラフが外された状態で回送されました。 首都圏で引退した車両の廃車解体場所が長野総合車両センターで主に行われるようになったために、中央・篠ノ井線を自走出来ない車両の改装にこの電気機関車が使用されたため俗称「死神」というあだ名がついた。 車両 EF64-1030長岡+209系中原社・ナハ54編成6両  @明科2024-02-08
39213系213系飯田線の顔として多く使用されている2130系列車。 飯田線は豊橋駅(愛知県)と辰野(タツノ)駅を結ぶ全長195.7㎞のJR東海の路線。 上諏訪・茅野まで乗り入れていた。乗り換えなしで全線乗る事が出来る長大路線。約7時間の乗車。2024-02-08
40はまかいじはまかいじはまかいじ号が登場したのは1994(平成6)年は春の臨時列車から。 横浜線・中央本線・篠ノ井線~松本駅を結ぶ臨時特急となっていたが2019(令和元)春運行終了・廃止が決定された。使い勝手の良い列車であった。2024-02-08
41飯田線飯田線JR東海飯田線213系 豊橋行き 飯田線の列車はJR東日本の中央本線に乗り入れていた。2024-02-07
42普通列車普通列車国鉄211系電車 飯田線の普通列車 1985(昭和60)年に登場した直流近郊型電車である。 当時は日本国有鉄道(国鉄)が国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)により設計・製造された。中央本線を走行する211系はJR東海の運用。2024-02-07
43SL モノクロSL モノクロ100周年記念で西大路ガード上を行くD51498 モノクロ撮影2024-02-07
44SL 記念列車SL 記念列車100周年で西大路ガード上を行くD51498 試運転の日2024-02-07
4520系客車20系客車20系寝台車両が「ブルートレイン」運用から離脱後中央線にもその姿を見せるようになり修学旅行、スキー団体臨時列車などで運用された。初めの頃は10両以上の列車もあり、見通しの良い場所を見つけては撮っていたが編成も少しづつ短くなって客両車4両に電源車などもあった。(百瀬氏)2024-02-06
46「あさま」色の車両「あさま」色の車両1997(平成9)~1998(平成10)年 信越線から来た189系「あさま」色の車両が「あずさ」に使用された。 写真上 2005(平成17)年11月撮影 183系特急電車  181系の次に中央線に配置された特急車で国鉄色最後の特急だった。その後クリームと赤い線の入ったグレードアップ車、長野色に変化したが2005年現在も千葉の車両が時々乗り入れている。             写真下 2012(平成24)年 5月3日撮影 何かの臨時列車 エンブレムなし。 2024-02-06
47花火列車花火列車諏訪湖祭湖上花火大会開催時は、普段は都心で走行しているれっさyが応援に來る。こちらは中央線快速列車に使用されている201系。 ※ 諏訪湖湖上花火大会も他の花火大会と同様、多数の花火客に対応するため臨時列車が運転されます。 特に諏訪湖湖上花火大会開催時は、周辺に配置されている車両のみでは足りないため、都心で走行している車両も駆けつけます。普段その列車が走行しない地域で運転されるため、その珍しさから多くの鉄道ファンが撮影に訪れます。撮影者も花火打ち上げまで暇つぶしのためしばらくその様子を眺めていました。(百瀬氏)2024-01-28
48彩 いろどり彩 いろどり彩 いろどりのロゴマークと社内2024-01-28
49初詣列車初詣列車初詣列車「浪漫」とEF6442 「浪漫」は長野総合車両センター所属で同年3月老朽化のため廃車となった。2023-11-23
50検測専用電車検測専用電車下諏訪~岡谷間 クモヤ443系は日本国有鉄道が1975年に製造した。 線路や架線の状態などを測る「検測専用電車」で下諏訪へも時々姿を見せていた。 民営化後はJR東日本が所有していたが車両は2003(平成15)年に廃車となった。2024-01-28
51検測専用電車検測専用電車JR貨物EH200の量産1号機が4月下旬から中央東線入線。 901号と入れ替わりで運用されている。車体は901の運転台窓からセンターピーラーがなくなっているなど多少のへhh化がある。名前がついていて「ブルーサンダー」間もなく本格的に塗り替えられるようだ。(百瀬氏)2024-01-28
52あずさ2号あずさ2号中央東線史m諏訪西大路ガード付近、松本運転所M8編成。 2月2日の「あずさ2号」の運転用として新宿へ回送されたときの写真。 2002(平成14)年2月2日午前8時2分新宿発松本行き「あずさ2号」はJR東日本が新型車両の運行記念として国鉄時代と同じクリーム色の車体に赤いライン、当時と同じプレートを付けた。「183系」のイベント列車が20年振りに走った。 これは日付に「あずさ2号」という曲のタイトルである「2」が並んだこと、長年同列車に使用されてきた183・189系の「あずさ」での営業運転終了が迫ったことを記念した特別列車であった。2024-01-28
53新型あずさ新型あずさ新型あずさ E257系試運転。 JR東日本中央線 特急電車「あずさ」当時使用されていた183系・189系車両は2001(平成13)年にはすべてこの車両に置き換えられた。2024-01-28
54国鉄シキ800形国鉄シキ800形国鉄シキ800形貨車が変圧器を輸送してきた国内最大の貨車。機関車は「ブルーサンダー」。シキ800形は発電所や変電所に設置される特大の変圧器を輸送するための貨車である。2024-01-25
55中央線紀行号中央線紀行号停車する快速「中央線紀行号」と御柱の引き綱2024-01-25
56中央線紀行号中央線紀行号快速中央線紀行号として旧型客車3両が松本~富士見間を辰野経由で1往復した。2024-01-25
57新型お召列車新型お召列車「E655新型お召列車」 JR東日本の皇室・海外国賓向けハイグレード車両E655。「お召列車 なごみ」2024-01-25
58クモヤ145形クモヤ145形「クモヤ145形」は旧型車の改造により使用されていた牽引車・救援車の置き換えを目的として、国鉄時代の1980(昭和55)年代に101系電車を改造して誕生した直流区間用の牽引車です。民営化後はJR東日本・JR東海・JR東日本に継承された。2024-01-25
59パノラマエクスプレスアルプスパノラマエクスプレスアルプス165系「パノラマアルプス」国鉄最後の年に改造された、 「団臨車(団体専用臨時列車)」用の列車で、展望車のあるジョイフルトレイン。 何回か乗ったがとても良い列車であった。(百瀬氏)2024-01-25
60貨車貨車国鉄シキ800形貨車は1973(昭和48)年から1996(平成8)年にかけて計3両が製造された日本国有鉄道の大物車である。2024-01-25
61いろどりいろどり「いろどり」何かのイベント列車、雪があるから初詣列車か 東日本旅客鉄道(JR東日本)が2007(平成19)年~2017(平成29)年まで保有していた鉄道車両(電車)で、ジョイフルトレイン(団体専用列車など)と呼ばれる車両。JR東日本長野支社が1995(平成7)年から所蔵していたジョイフルトレイン「浪漫」の後継列車。2024-01-25
62「浪漫」EF6442「浪漫」EF6442初詣列車「浪漫」2024-01-24
63蒸気機関車 C1266蒸気機関車 C1266現在真岡(モオカ)鉄道にいる「カマ(機関車)」の30年前の姿。 当時上諏訪機関区には3両のC12がいた。C1267は茅野市に保存展示されている。 C1266は木曽福島から会津若松、そして旧川俣線が廃止される前日の営業最終列車の後、自力で川俣駅へ回送されたと聞いている。 ここで保存された後真岡鉄道で復活、NHK4の朝ドラにも出演、地味な現役時代とはまたひと味違った姿になっている。 復活後はまだ見ていないがそのうち会いに行こうと思う。 【百瀬氏文】 C12形式SL 文化財として27両が全国的に保存されている。C1266とC12777号が動態保存に復元されて、それぞれ真岡(モオカ)鉄道と大井川鉄道で運転されている。2024-01-24
64蒸気機関車C56蒸気機関車C56下諏訪駅での533列車。 上諏訪機関区 入換専用機C56 102 C56は「国鉄C56形蒸気機関車」国鉄の前身鉄道省が製造した小型軽量テンダー式。 愛称は「シゴロク」「シーコロ」2024-01-18
65石投げ場石投げ場明治38(1905)年の山崩れ(写真上の山崩れの現場に地図)の現場をゆくEF64。2024-01-13
66流鏑馬流鏑馬諏訪大社下社春宮通り(大門通り)にて流鏑馬。 後ろに見えるのは春宮大門の大鳥居。2024-01-13
67奉納演武奉納演武奉納演武 下諏訪 諏訪大社下社 春宮にて 下諏訪町にある澄心館(チョウシンカン)林憲一氏による奉納演武(全剣連制定居合、夢想神伝琉、関口琉抜刀流)2024-01-13
68彩(いろどり)彩(いろどり)イベント列車 (雪があるから初詣列車か) 東日本旅客鉄道(JR東日本)が2007(平成19)年から20017(平成29)年まで保有していた鉄道車両(電車)で「ジョイフルトレイン」と呼ばれた車両。 JR東日本長野支社が1995(平成6)年から所蔵していたジョイフルトレイン「浪漫」の後継列車。2024-01-28
69記念切手記念切手下諏訪観光協会発行の下諏訪駅100周年記念切手シート。 昭和40ー50年代撮影のSLの切手。2024-01-13
70記念ポスター記念ポスター鉄道100周年、下諏訪駅開業100周年記念ポスター。 下諏訪の飲食店とのタイアップで作ったと思われる。2024-01-11
71D51記念ヘッドマークD51記念ヘッドマーク100周年記念ヘッドマークに書かれた文字は上から 「中央本線開業100周年」 「1905-2005」 「富士見-茅野-上諏訪-下諏訪-岡谷」 「100th」 「茅野駅-岡谷駅 2005.10.28.29.30」 「100周年記念SL号」 と読める。          2024-01-11
72入場券入場券中央本線開通100周年記念として売り出された各駅の記念入場券の展示。2024-01-11
73D51ガード上を行くD51ガード上を行く下諏訪駅100周年記念で西大路ガード上を行くD51498、本運転の日。 記念のヘッドマークがSLの正面についている。2024-01-11
74記念切手シート記念切手シート下諏訪駅100周年記念事業、記念切手シート。2023-12-28
75テレホンカードテレホンカード国鉄(日本国有鉄道)最後の記念のテレホンカード。 このカードは昭和62年4月に国鉄分割民営化されたときに作られた。2023-12-28
76記念バッジ記念バッジ開業100周年記念バッジ。 各地で催されている記念事業の内下諏訪駅は10月15・16日に行われた。 町おこしのタイアップで多彩な行事が予定された。 「記念ピンバッチ」2023-12-27
77儀象堂記念腕時計儀象堂記念腕時計下諏訪駅開業100周年記念に作られた「儀象堂記念入場券腕時計」7月から始まった関連行事、「時の科学館・儀象堂」の記念入場券を兼ねた腕時計の絵柄。 ※「諏訪湖時の科学館儀象堂」(下諏訪町)にて11月30日まで写真展示(140枚)・鉄道グッズ(あずさのヘッドマーク・D51番号板・行き先表示板など)の展示販売。Nゲージ・アニメキャラクターなどの鉄道模型。 また、入場にはD51の写真を文字盤に利用した「腕時計フリーパスポート券」(1500円)で期間中、何度でも入場可能。その他、鉄道時計を展示。〔明治時代のウォルサム(米国)から2000(平成12)年復刻のセイコーまでの25点〕時計のフリーパスポート券は通常価格2500円の商品、かなりお値打ちで記念になりそう。2023-12-17
78D51 蒸気機関車D51 蒸気機関車中央本線開業100周年記念。 100周年記念SL号「D51824」 建設中の建物は中部電力の社屋。2023-12-26
79D51蒸気機関車D51蒸気機関車撮影者の自宅からの撮影。 社東町は現在は住宅が立ち並び以前ほどの見通しはなく、絵にはならないが一度はどうしても撮りたかった一枚。2023-12-19
80SL旅客列車走行SL旅客列車走行西大路ガード上を走る「D51498」。 記念のヘッドマークがついたD51+12系6両+EF6442が、茅野~岡谷間を運転した。 40年ぶりに諏訪地方にSL旅客列車院展で沿線には連日多くの人出があり、賑やかに「D51列車」に手を振っていた。 JRになり長野県内のSLの運転は8回目、約15㎞を1時間40分で運転。場所を移動しての運転も可能で各所、各列車の通過時間には大変な賑わいとなった。    ※ 12系・・・12系客車    EF6442・・64形電気機関車2023-12-14
81D51蒸気機関車D51蒸気機関車中央線開通100周年記念SL号のD5149。 下諏訪-岡谷間を40年ぶりに力走。 秋の諏訪平を走り抜けた。 中央線富士見-岡谷間開業100周年記念SL号(D51498) 1905(明治38)年中央線富士見-岡谷間が開通して100年。 鉄道によって産業が盛んになり大きな変化を地域にもたらした。 地域は駅を拠点として発展してきたが時代の変遷とともに社会構造も変化した。2023-12-14
82D51機関車長野行きD51機関車長野行き中央東線下諏訪赤砂付近。 現在この場所は住宅街になっているが当時は田園風景が広がっていた。 D51824は諏訪湖畔に静態保存され多くの市民に憩いの場として親しまれている。 ※「D51」(1D1型テンダ式 形式D51)貨物用機関車で国産化標準機の第一号として誕生し、1936(昭和11)年~1945(昭和20)年の間に1115両が製造された。 性能は1923(大正12)年、大型貨物用D50の改良形で幹線の貨物列車牽引(けいいん)、勾配(こうはい)線区では客貨兼用で1115両という1形式で最多数のが生産され、標準型・準戦時型・戦時型の3種類があった。 最多の新製両数、輸送の貢献度などから日本蒸気機関車の最高傑作の一つです。 現在文化財として全国各地に保存されている。2023-12-09
83蒸気機関車C12蒸気機関車C12回送列車を牽いて中央東線「下諏訪駅」を出発する。 入れ替え用のC12が空車の8両の客車を持って走るこの列車は諏訪で最後に見られた列車。 現在この汽車は下諏訪町に保存されている。2023-11-29
84あすなろ公園のSLあすなろ公園のSL下諏訪町のあすなろ公園に展示保存されているCC12171。 このSLは国鉄OBにより大切に管理されいます。2023-11-22
85石投げ場を行くC12石投げ場を行くC12雪の日の朝、諏訪湖畔(石投げ場)を行く533回送列車。上諏訪機関区最後のSL仕業、また石投げ場は明治38(1970)年に山崩れががあった。 ※「C12型式SL」(国鉄蒸気機関車C12)は簡易線用として1932年にC10・C11型が進出できない簡易線区で使用することを目的とした小型近代タンク式、線区の建設や完成後の使用を目的とした軽量小型の機関車。 画期的な製造技術を採用し、軸重軽減・製造コスト削減、メンテナンスコスト等も低減した強力な機関車で戦後までの16年間に293両が生産された。2023-11-26
86敬愛社の御柱2敬愛社の御柱27年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。2023-09-29
87敬愛社の御柱敬愛社の御柱7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。2023-09-29
88敬愛社の宝光院敬愛社の宝光院宝光院は敬愛社の道場として大正9年12月25日に造築された。棟梁は原田佐蔵。大正10年に本尊不動尊両童子付木像が奉祀された。武田苞信作。同年護摩壇が新調された。院内正面に不動尊像は安置されておりその手前に護摩壇がある。正面左手には仏像・祖霊壇(昭和8年築)が祀られている。ここに神仏習合の形態が見られる。2023-09-29
89敬愛社の心霊術講習敬愛社の心霊術講習写真には「昭和11年心霊術講習」との記載があるが、「敬愛社小誌」の年表によると、昭和10年の欄の続きに「真言秘密法、甲賀流兵法の講習会を開く」との記述がある。2023-09-24
90敬愛社の神変大菩薩と聖寶理源大師の碑敬愛社の神変大菩薩と聖寶理源大師の碑神変大菩薩の碑は昭和7年9月真言宗醍醐派修験道諏訪宗務支庁設置記念として建立された。書は真言宗醍醐派管長大僧正平之亮禅。高さ1.86m。神変大菩薩とは役の行者(役小角えんのおづぬ)のことで、1799年(寛政11)には,朝廷から役の行者に対して神変大菩薩という諡号(しごう)が贈られた。役の行者は奈良時代大和金峰山の修験僧として密教を修業したと伝えられている。 聖寶理源大師の碑は昭和7年9月信濃分教会設立記念として建立。高さ1.38m。聖寶は当山派修験の祖と仰がれる平安初期の真言僧で、理源大師はおくりなである。醍醐寺を創建し、金峯山で金剛蔵王菩薩を祀り、また大峰山の中興者ともされる。2023-09-24
91敬愛社の法光不動と泰力不動敬愛社の法光不動と泰力不動昭和13年9月、敬愛社に法光不動碑と泰力不動碑が建立された。法光不動碑は高さ0.95m、泰力不動碑は高さ0.97m。写真には唐木石工場の文字の入った法被を着た職人がみられる。2023-09-23
92宝光院の不動明王像宝光院の不動明王像この不動明王像は右手に剣、左手に羂索を持ち、姿は三尊形式で、不動明王の右(向かって左)に制吒迦童子(セイタカドウジ)、左(向かって右)に矜羯羅童子(コンガラドウジ)を配置している。大正9年宝光院の建物が造成されたときに作られたと思われる。写真左は不動明王の製作者 仏師武田包信。当時下諏訪町在住。2023-09-23
93宝光院落成宝光院落成大正9年、19坪(63㎡)の道場「宝光院」を造築した。 それまでは講頭や社長の家で修業や祭事を行っていたものである。2023-09-23
94宝光院の滝宝光院の滝慈雲寺石段改築に伴い宝光院前に大滝を作る。2023-09-23
95白鷺山白鷺山正平年間(1350年代)下の原村の北方にある千鳥の山の中央の岩が燦然と光るので苔を払ったところ不動の2文字が現れ、村人は不動明王が姿を現したとして崇めたと伝えられている。そののち宝暦のころ白鷺が巣をかける兆しがあったので以後白鷺山と呼ぶようになった。敬愛社は修験道の伝承を今日に伝え活動をしているが、白鷺山中央の岩に不動の2字を刻んで本尊とし、その岩上に石尊大権現の小祠を祭って崇敬していた。安永6(1777)年下の原村の旧堂に奉詞していた石尊大権現の御社を白鷺山に遷座した。2023-09-20
96山王台山王台 秋宮横山王台は「手塚太郎光盛(金刺盛澄の弟)」の居城跡。のちに比叡山王社を勧請(かんじょう)したので山王台とも呼ばれている。弓の名手として知られる兄金刺盛澄の像が建立されている。この場所は霞ケ城館(かすみがじょうやかた)・山王閣・青年図書館・公園・現在は駐車場になっている。 山王閣   開業 1965年  (昭和40)  閉館 2017年  (平成29)3月31日2023-07-29
97まつや呉服店まつや呉服店まつや呉服店は現在はまつや洋品店は下諏訪町矢木東に移転している。まつや呉服店があった場所は平成12(2000)年まで荒井書店が営業していた。 旗や看板等が見え、恵比寿講で多くの人々で賑わっている。2023-01-24
98えびす講売り出しえびす講売り出し御田劇場内で開かれたゑびす講大売り出し。 まつや呉服店による売り出し風景。 反物や洋傘、ブラウスなどが所狭しとと並べられている。御田劇場があった跡地には、諏訪信用金庫御田町支店の建物が建っている。2023-01-24
99ダイヤ豆腐ダイヤ豆腐JR菅野町踏切横(現大和電機附近)にあったダイヤ豆腐の工場内の作業風景。2023-02-22
100片倉製糸片倉製糸後ろの蔵に丸六の屋号、片倉製糸、記念写真。2023-02-23
101羽田家慰霊祭羽田家慰霊祭和田嶺東餅屋にある、羽田家祖先の墳墓の改修を行った。供養塔の開眼式・祖霊祭の参列者の記念撮影。2023-02-26
102長野県水産試験場長野県水産試験場昭和15(1940)年6月、下原小字蚊無川(春宮南西・浮島の南)に長野県水産試験場が建設された。この時本館と試験地が設置、同時に富部下の漁業組合の幼魚地を借用。翌16(1941)年高浜旅館の温泉プールを買収し、試験地とする。 写真は昭和17(1942)年侍従を迎えて撮影。2023-02-18
103ポンプ車ポンプ車ポンプ車2023-04-15
104床屋さん研修風景床屋さん研修風景御田町「イイジマ理髪店」研修風景。 カメラ(8mmカメラ?)で撮影している男性は先々代の飯島床屋の店主さん。 窓の向こう側に見えるのは「荒井書店」現在は「ちいとこ商店」になっている。2023-02-23
105方言館方言館下諏訪駅前オルゴール通り下諏訪商栄会が、地域の人などのふれあの休憩所として開設した「方言館 およりなんしょ」懐かしい言葉に会えるなど、好評の、広瀬町、方言館がテレビ出演した時の様子。2023-02-26
106方言館開所式方言館開所式下諏訪駅前オルゴール通り商栄会が作った「方言館」。 館内には備え付けのノートがあり、地元下諏訪、諏訪、岡谷をはじめ県外観光客の感想などがたくさん書かれていた。中には方言を交えた感想も書かれていた。2023-02-26
107広瀬町誌の編集会議中広瀬町誌の編集会議中方言館にて町誌の編集会議の様子。 皆さん真剣な顔。2023-02-26
108聖火リレー聖火リレー国体の聖火リレーが駅前通りを通過。2022-07-07
109子どもみこし子どもみこし子どもみこがお舟祭りの日に披露。 国道20号、友之町附近での撮影。2023-02-23
110広告祭コンクール広告祭コンクール「ありがたや時代」「駅通商工会」の文字2024-04-02
111歩行者天国歩行者天国駅前通り歩行者天国、商店主のチンドンON隊出演。2023-02-26
112歩行者天国歩行者天国広瀬町歩行者天国2023-02-26
113抽選会場抽選会場三角八丁駅通り会場。2023-02-26
114歩行者天国歩行者天国広瀬町、お舟祭り宵祭りの夜の歩行者天国風景。 こちらでは切り花を売っていた。2023-02-26
115歩行者天国歩行者天国広瀬町歩行者天国2023-02-26
116歩行者天国歩行者天国広瀬町の歩行者天国。 大森接骨院の駐車場で行われたウナギのつかみ取り風景。2023-02-26
117初詣初詣初詣で駅より降りた人・人2023-02-26
118初詣初詣初詣駅前商栄会の皆さんのふるまい風景。2023-02-26
119初売り初売り駅前商栄会の初売り風景。手前に見えるのは福袋。2023-02-26
120下諏訪駅通り下諏訪駅通り畠山菓子店、伊東時計店、ディスコナポリほか店が並ぶ駅前通り。2023-02-26
121駅前通り駅前通り広瀬町の店並み、スナックアトリエ、藤田クリーニング、ヘアーサロン勝野ほか2022-09-14
122歩行者天国歩行者天国広瀬町の歩行者天国の様子。2023-02-26
123歩行者天国歩行者天国オルゴール通りの歩行者天国。2022-08-09
124歩行者天国歩行者天国広瀬町歩行者天国のセレモニー風景。 写真中央に高木町長の姿も見える。2022-08-09
125御騎馬行列の豆人形御騎馬行列の豆人形この作品は御柱祭里曳の神賑わいのパレードで披露される騎馬行列を再現した豆人形です。人形は2013年に他界した故田中とくさん(下諏訪町富士見町)の作品です。旧制高等女学校で手芸などを学び、若かりし頃の恩師の教えを受けて製作。人形は15~20cmほどの大きさ、「騎馬大将」「曲傘」「草履取り」「先ほこ」「旗持ち」「長持ち」など38体が並んでいます。2022-04-20
126下諏訪町立図書館下諏訪町立図書館令和4年春の図書館。コロナ感染防止のためこども未来バスも利用をお休みしています。 その中でもあすなろ公園の桜は満開です。2022-04-20
127徳本上人の名号塔(赤砂崎)徳本上人の名号塔(赤砂崎)下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つです。 赤砂墓地の入口右手に「南無阿弥陀佛」と刻まれた念佛徳本直筆の碑(写真二枚目)念佛徳本は宝暦8(1758)年和歌山に生まれた名高い行者、関東地方一帯を行脚布教した。諏訪には、舟にて湖水の西岸から赤砂の地に至る。 土橋源蔵宅に立ち寄り宿泊した際に「南無阿弥陀佛」と二幅書かれそのうちの一枚を使い源蔵が碑を造ったという。2021-12-21
128徳本上人の名号塔(浪人塚)徳本上人の名号塔(浪人塚)下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つ。幕末の動乱期、尊王攘夷の熱意に燃えた武田耕雲斎(こうううんさい)率いる水戸の天狗党浪人隊が、尊攘の心情を京都にいる一橋慶喜に訴えるため上洛の途についた。中山道の要所でもある下諏訪宿は藩主忠誠が幕閣入りしていたこともあり激戦の場となり被害も大きかった。この戦いを和田合戦・砥沢口合戦・樋橋戦争と呼ぶ。戦いの後、千草山のふもとに亡くなった浪士を改葬し塚を作ったこれが浪人塚で当時は戦死塚といった。2022-03-19
129徳本上人の名号塔(来迎寺)徳本上人の名号塔(来迎寺)下諏訪町に4カ所ある徳本上人の名号塔の一つ。 来迎寺にある日は比較的新しい。2022-04-19
130徳本上人名号塔(髙木薬師堂跡)徳本上人名号塔(髙木薬師堂跡)下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つ。 「諏訪藩一村限村地図」にも記されている諏訪百番の西25番札所。明治6(1873)年に念仏堂は、高木学校になりその後下諏訪学校に合併。現在は取り壊されている。 薬師堂にあった石造物(庚申塔・三十三夜供養塔・地蔵尊)は道路わきに移し並べられている。2022-03-19
131ワダソウ解体図ワダソウ解体図ワダソウ(ナデシコ科)和田草 ※和田峠に多かったので命名。 和田峠に多くあるので「ワダソウ」。山の草原に生える多年草。地下に1個の塊根があり、茎は枝を分けず直立。葉は対生。花弁5枚で先がへこみ、雄しべ10、花柱3本。ワチガイソウ・ヒゲネワチガイソウなど、この属の特徴として、下方の節から閉鎖花を出し、球形の果実を結ぶ。 赤い雄しべは目立つが、花粉を出す前までで、葯の袋が破けると、中から花粉が出て黄色に。2022-01-16
132レンプクソウ解体図レンプクソウ解体図山地の林内に生える多年草。フクジュソウに長い地下茎が続いているように見た人が、連福草と言い出して名がついた。 花が5個付くのでゴリンバナとも。2022-03-15
133レンゲツツジ解体図レンゲツツジ解体図レンゲツツジ(ツツジ科)蓮華躑躅 「蓮華」:大きく鮮やかに、枝先に固まって咲く様が、美しい蓮(はす)を思わせる。 「躑躅」:昔、中国で「羊躑躅」(羊がつつじを食べて、足ずりし、酩酊する)との漢名が日本に伝わる中で、「羊」が取れてしまい、「躑躅(てきちょく)」のみ残った。  ※躑躅①足ぶみすること②ためらうこと③つつじ(広辞苑) 全木、花・葉も有毒、密もしかり。 草原・牧場にレンゲツツジが群生するのは、牛や馬が食べないため、有毒成分は嘔吐・痙攣を起こす。キレンゲツツジ(黄色)、コウレンゲ(濃朱色)、帯紅黄色(カバレンゲ)、ウラジロレンゲツツジ(葉裏が白)2022-03-15
134ヨツバヒヨドリ解体図ヨツバヒヨドリ解体図ヨツバヒヨドリ(キク科)四葉鵯 ヨツバヒヨドリの仲間 ・ヒヨドリバナ 葉は対生し、短い枝がある。茎は多く枝分かれし、花白色。 ・サワヒヨドリ 葉に柄がなく、対生。葉は大小4~6枚ある。 ・フジバカマ  葉は対生し、下方のものは普通深く3裂する。植栽が多い。 ヨツバヒヨドリは通常3~4枚が輪生し、葉柄は短い。中部以北の高原に普通の多年草。小花は一般に淡紅紫色。花期8~10月。 ※写真は八方尾根鎌池付近で、同じゾーンに3、4、5、6枚と輪生した4タイプが見られた。 ※この仲間をアサギマダラが好み、呼び寄せるためにたくさん植栽している場所もある。 ※ヨツバヒヨドリには、三葉も、四葉、五葉、そして六葉もあるよ。2022-03-15
135ヨツバヒヨドリ・ヒヨドリバナ・サワヒヨドリ解体図ヨツバヒヨドリ・ヒヨドリバナ・サワヒヨドリ解体図ヨツバヒヨドリ・ヒヨドリバナ・サワヒヨドリ 1.ヨツバヒヨドリ(四葉鵯)  葉が3~4枚輪生。茎は直立し、下部からほとんど枝を出さない。花は赤みを帯びるが、白っぽいものも時々見られる。 2.ヒヨドリバナ(鵯花)  葉は2枚ずつつく。茎は多く、枝分かれする。 3.サワヒヨドリ(沢鵯)  葉は細長く、2枚対生し、柄がないことが特徴。茎は多い。 4.キレハサワギク(切れ葉~)  葉2枚がさらに3裂する。2021-11-12
136ヨウシュヤマゴボウ解体図ヨウシュヤマゴボウ解体図ヨウシュヤマゴボウ(ヤマゴボウ科)洋種山牛蒡 北アメリカ原産の帰化植物。多年草草本。 全体無毛で、茎や葉柄は通常赤紫色を帯びる。中部以上でよく分岐し、高さ2mになる。夏に15cmほどの花序を出し、淡紅色で、花弁のない花を穂状につける。 萼片5、雄しべ10~12、雌しべ1。 子房は若いうちは緑色で、心皮の数が10。 よく見えるが、熟すと黒色で外からは数が分からなくなる。 明治はじめに渡来し、現在は山野にどこでも見られる。 インクベリー:実は熟すと、濃い黒紫色になり、つぶす    と赤い汁が出るので、アメリカではインクベリーと   呼ぶ。有毒なので、テストの範囲で実際書いてみよう。 赤と黒で鳥を呼ぶ:実は熟すと黒紫色となり、その時、   実の柄部分は真っ赤に変化する。   こ2021-11-11
137ユモトマムシグサ解体図ユモトマムシグサ解体図ユモトマムシグサ(サトイモ科テンナンショウ属)湯元蝮草 全体に緑色な種、付属体も緑色。付属体は有柄で棍棒状。葉の枚数はマムシグサと同じく2枚で、小葉は5(7)枚。 4枚目:マムシグサ(参考)葉は2枚、小葉7~15.2021-11-11
138ユキワリソウ解体図ユキワリソウ解体図ユキワリソウ(サクラソウ科)雪割草 1枚目:ユキワリソウ  低山帯~亜高山帯の岩場や草地に生え、高さ10~15cm。名は雪が解ける直後に開花するから。白花品をシロバナユキワリソウという。 2枚目:オオミスミソウ(キンポウゲ科)  山地の木陰に生える。3~4月に開花し葉は越冬して花後に新葉に変わる。花色は変異が多い。  葉の形や大きさでスハマソウ、ミスミソウにわける。 3枚目:ユキワリソウ葉裏 新潟ユキワリソウ街道で有名な花は、実はミスミソウ・オオミスミソウをいう。下段左写真はオオミスミソウ。また、同右写真の葉裏はユキワリソウで、金色に輝く。ユキワリソウは八方尾根で、7月17日撮影分2021-11-11
139ヤマシャクヤク解体図ヤマシャクヤク解体図ヤマシャクヤク(キンポウゲ科)山芍薬 山陰の多年草。花は白色、茎頂に1個つき、萼片は緑色で3枚、花弁は白色5枚あって完全に開かない。雄しべ多数、雌しべ2~4個。同種に、花は淡紅色のベニバナヤマシャクヤクがある。2021-11-11
140ムラサキキスゲ解体図ムラサキキスゲ解体図ムラサキキスゲ(ニッコウキスゲ亜種)八島ケ原湿原 5,6枚目はニッコウキスゲ。2021-10-26
141マルバスミレ解体図マルバスミレ解体図マルバスミレ(スミレ科)丸葉菫 花も葉も丸みがあり、毛のあるものが多い。花は白色丸弁で重なり気味。 従来「ケマルバスミレ」と呼ばれたが、普通毛があるので、「ケ」を取った。2021-11-11
142ママコノシリヌグイ解体図ママコノシリヌグイ解体図ママコノシリヌグイ(タデ科)継子の尻拭い ママコノシリヌグイ:野原・水辺に多い1年草。葉はほぼ3角形。花弁はなく、ピンクの萼5裂、雄しべ8、雌しべ1。 アキノウナギツカミ:水辺に多い1年草。葉は丸く細長い。2021-11-11
143マツムシソウ解体図マツムシソウ解体図マツムシソウ(マツムシソウ科)松虫草 蕾~開花~果実  霧ヶ峰観察記録 2013.8.22 ※マツムシソウは周りの舌状花から開き、その内側の筒状花から、そして中心部分からも順次開花する。舌状花は上唇は小さく2裂、下唇は大きく3裂。筒状花も雄しべ4本 ※名前の由来は巡礼が家々を回り、鐘をたたいてお布施を乞うた。その鐘を昔から松虫と呼んで、果実の形が似ていることから。 もう1説は、マツムシが鳴く頃咲くので。 ※2年草で、当年の花の咲くものを移植しても、もう花は咲かない。2021-11-11
144マツムシソウ果実散布マツムシソウ果実散布マツムシソウ(マツムシソウ科)果実散布2021-11-11
145ホツツジ・ミヤマホツツジ解体図ホツツジ・ミヤマホツツジ解体図ホツツジ・ミヤマホツツジ ホツツジ 山地の林緑や岩場に生える落葉低木で高さ1~2m。枝先の長さ5~10cmのと円錐花序に多数の花をつける。名は花が穂になるから。 ミヤマホツツジ 亜高山帯~高山帯の湿原や林緑に生える落葉低木。高さ20~100cm。 葉の先端が丸いか凹状、花柱は長く上向きに大きく曲がる。2021-11-11
146フユノハナワラビ解体図フユノハナワラビ解体図フユノハナワラビ(ハナヤスリ科)冬の花蕨 夏場は休眠し、秋から地に低く、鳥の羽状の葉が出る。秋から写真のような「胞子葉」を出し、寒くなると、胞子嚢が破れ、胞子を飛ばす。この穂状のものが、陽に当たると黄金色に輝き、花と見立てて「フユノハナワラビ」という。 野辺の草地に生える人里植物で、草丈10~20cmの多年草。 春先、栄養葉だけの個体を教えてもらうが、胞子葉のない段階では・・・ワラビの和名がピンときませんでした。 ここにはあるのは、栄養葉のみです。2021-11-11
147フサザクラ解体図フサザクラ解体図フサザクラ(フサザクラ科)房桜  花の姿から、この名がある。山地沢沿いなど湿り気のある場所。普通5mほどの木が多い。花には花弁がなく、雄しべが目立つ。 葉の先端は極端に突出する。果実は扁平・倒卵形の翼果。 上から、 ・花模様 ・果実 ・花 サクラと縁遠く、プラタナス・カツラに近い仲間。 赤く目立つ雄しべの基部に雌しべが多数ある。3~4月に開花する。 果実は9~10月に熟す。フサザクラは諏訪地方にも結構ある。2021-11-09
148フキノトウ解体図フキノトウ解体図フキ(キク科) 蕗の董に、雄・雌があるので、この春は確かめて!!2021-11-09
149フイリシハイスミレ解体図フイリシハイスミレ解体図フイリシハイスミレ(スミレ科)斑入り紫背菫 葉の表面に白い斑が入る。西南日本に多いシハイスミレの仲間で長野県内に多い。2021-11-09
150ヒュウガミズキ・トサミズキ解体図ヒュウガミズキ・トサミズキ解体図ヒュウガミズキ(日向水木)・トサミズキ(土佐水木)マンサク科 ヒュウガミズキ:花序に花を2~3個つける。長さ1~2cm。九州に自生せず、本州日本海側。 トサミズキ:花序長さ4cm、7~8個の花をつける、軸に毛を密生。球形のさく果に星状毛密生。高知。 コウヤミズキ(ミヤマトサミズキ)には花序の軸やさく果に毛がない。(赤沢美林で見た)2021-11-09
151ヒゴスミレ・エイザンスミレ解体図ヒゴスミレ・エイザンスミレ解体図ヒゴスミレ(肥後菫) 葉は基部で五分裂し更に細かく分裂。白色・芳香。 エイザンスミレ(叡山菫) 葉は三分裂し更に分裂。淡紅紫色・芳香。2021-11-09
152ヒゲネワチガイソウ解体図ヒゲネワチガイソウ解体図ヒゲネワチガイソウ(ナデシコ科)髭根輪違草 ヒゲネワチガイソウ:花びらは細長く、茎の頂に白い花を1個だけつける。 ワチガイソウ:花びらは少し丸みを帯び、花は脇から出る。閉鎖花つける。2021-11-09
153ハネミギク(ハチミツソウ)解体図ハネミギク(ハチミツソウ)解体図ハネミギク(ハチミツソウ)キク科 町外れの道路沿いや里山に一歩入ると、8月には黄色い目立つ大型植物。 一般図鑑には一切掲載されていないので、なかなか同定できなかった。 帰化植物は古代から、特に明治以降には増大してきたが、こうした新顔にこれから付き合うことになる。 茎はあまり分岐せず、高さ1.8mほどになる。茎には翼がある。直径4cmほどの黄色い頭状花を多数つける。舌状花は3~8枚で、開花後下方に垂れる。2021-10-26
154ハナイカダ解体図ハナイカダ解体図ハナイカダ(ミズキ科)花筏  雌雄異株 山地の木陰や谷間などに生える落葉低木で、高さは1.5mぐらいになる。葉のほぼ中央に花をつける。これが、いかだに似ているので名付けられた。 新芽は食用、実のある枝は茶花として茶席に生ける。2021-11-09
155バイケイソウ・コバイケイソウ解体図バイケイソウ・コバイケイソウ解体図バイケイソウ・コバイケイソウ(ユリ科) バイケイソウ(1,2枚目)  深山の林の中。1~1.5m。花は径25mm、花被片6はやや淡緑色。  雄しべは花被片より短く、外側に反り返る。子房は有毛。花柱3本は  外に曲がる。花期6~8月。 コバイケイソウ群落(3枚目)  有毒:山菜と誤食が毎年発生! コバイケイソウ(4,5枚目)  高山の高原。高さ0.6~1.0m。花は径8mm。花被片6、雄しべ6雌しべ1。雄しべは花被片より長く、子房は無毛、花柱は直立。 花期7~9月。2021-11-09
156バアソブ解体図バアソブ解体図バアソブ(キキョウ科)婆雀斑 バアソブ:花の色をばあさんの雀斑(そばかす)に例えた。茎や葉に毛が多く、花紫かっ色。ジイソブ(ツルニンジン)はほとんど毛がない。ジイソブ低地、バアソブ高地。2021-11-09
157ノボロギク・サワギク解体図ノボロギク・サワギク解体図ノボロギク&ボロギク(サワギク)キク科 ノボロギク  ヨーロッパ原産の1年草で、明治初期に帰化した。  道端や畑に生え一年中花が咲いている。和名は野に  生えるボロギクという意味で、繁殖力が強い。 サワギク  サワギクは別名ボロギクという。沢筋や林縁など、湿  ったところに咲く多年草。花期6~8月。  葉は深く羽状に裂ける。頭花は舌状花を7~10個付  け、果実の冠毛の様子からボロギクと。 ※史前帰化植物ー有史以前日本に移住した人により、稲  などにまざって運ばれたもの。水田や畑の雑草が多  い。オナモミ・エノコログサ・カヤツリグサ・オヒシ  バ・アキノノゲシなど。 ※旧帰化植物ー大陸との国交が開始された江戸時代中  期。畑などで春開花し、夏までに実になる雑草が多い。 ※新帰2021-11-09
158ニリンソウ群落ニリンソウ群落ニリンソウ群落(キンポウゲ科)二輪草 新緑の中で、ひときわ白く輝くニリンソウの 群落。上高地で明神池から徳沢にかけて、山道の両脇に見事に咲き誇っている。地下茎が横に這い、その先から数枚の根生葉と、1~2本の花茎を立て、林の中に繁茂。 写真は徳沢園のハルニレの大樹の根元を覆い尽くしていた。足元にはヤマエンゴサクの青紫色や桃色のものが、またタカネザクラのさわやかな淡紅色の花が近くに咲き誇っていた。2021-11-09
159ニッコウネコノメ解体図ニッコウネコノメ解体図ニッコウネコノメ(ユキノシタ科)日光猫の目 ニッコウネコノメ  山の谷沿いに生える小さな多年草。根生葉は花時には  ない。花は茎頂に10個あまり付き、径5mmほど。  萼片は平らに近いまで開き、卵形で先は尖らない。雄  しべは8本、まれに4本、長さ4mm、葯は若い時は  暗紅色、後に黒色に変わる。花のすぐ下の包葉は円形  に近く、花時淡黄緑色、  この属イワボタンの仲間は、全体無毛、葉は対生、中  央脈以外もはっきり見える。東北南部から中部地方の  太平洋側。4~5月。 イワボタン  別名ミヤマネコノメソウ。葯は黄色、花時にも根生葉  があることが多い。  花の横につく葉は細い。ホクリクネコノメもイワボタ  ンも、雄しべの周りの萼が完全に開かず、直立するか  斜めに開く。関東以西の2021-11-09
160ニッコウキスゲ(ゼンテイカ)解体図ニッコウキスゲ(ゼンテイカ)解体図ニッコウキスゲ(ユリ)日光黄菅 本州中部以北の高原に生える多年草。夏の高原を大群落で埋め尽くす。鹿の食害で面影を残すだけの場所もあるが。 橙黄色(オレンジ色)の花は花茎に数個つくが、ひとつの花は朝に咲いて夕方にしぼむ「一日花」。しかし、順番にひとつずつ咲くので、長期に楽しめる。花期6~7月。 よく似たユウスゲ(夕菅)は明るい黄色で、夕方に開いて夜間咲く。他にノカンゾウ、ヤブカンゾウなどある。 写真は八方尾根の2011年7月のもの。2021-11-02
161ニガナの仲間ニガナの仲間ニガナ(キク科)苦菜の仲間 ニガナ:花弁5~6枚。 ハナニガナ(別名オオニガナ);7~12枚 シロニガナ(別名シロバナニガナ):花弁5~6枚。 シロバナハナニガナ:8~11枚2021-11-02
162トキワハゼ解体図トキワハゼ解体図サギゴケよりやや湿気の少ない所に生える1年草。サギゴケに似ているが、地をはう枝を出さないこと、花が小さいことなどで異なる。2021-11-02
163ツユクサ解体図ツユクサ解体図田畑のあぜや道ばたに生える1年草。朝露がさかんにおりるころ、花が咲くので、露を帯びた草という意味からこの名。 俗名トンボグサ。2021-11-02
164トウゴクミツバツツジ解体図トウゴクミツバツツジ解体図山地に普通に見られる落葉低木。ミツバツツジは雄しべを5本有するのに対し、この種は10本有す。 主に関東の山地に多いのでこの名。2021-11-02
165ドイツスズラン解体図ドイツスズラン解体図ドイツスズラン(ユリ科)独逸鈴蘭 スズランは別名「君影草」、多くのファンもいる。高原に生える多年草。葉は2枚で、花は葉のかげに隠れて咲く、白色で香りが高い。葯・花粉;鮮黄色。 自生のスズランとそっくりの種類がドイツスズランで、よく植栽される。スズランと対比すると、花は直径に比べ高さが低く、葯も花粉も淡緑色で、葉が厚めでやや色が濃い。どちらも有毒で、家畜は食べないので、牧場でも取り残され、繁殖している。2021-10-26
166ツルドクダミ・ヒヨドリジョウゴツルドクダミ・ヒヨドリジョウゴツルドクダミ(ガシュウ) タデ科 地中の大きな塊根を「何首烏」ガシュウという。何という老人が、これを服用し、髪の毛が常に烏のように黒かった伝説。根は滋養強壮剤、茎は失眠症によい。享保5年1770中国から吉宗の時代に小石川植物園で栽培した。今は野生品が多い。 ヒヨドリジョウゴ(ナス科) 鵯上戸 ヒヨドリが赤い実を喜んで食べることから名が付いた。道端や山にはえるつる性の多年草。 全草にやわらかい腺毛が密生する。葉は裂けないものと、3~5裂するものとある。 花はナスの花同様、白色で深く5裂する。 果実は球形で、赤く熟す。花期8~10月。小生は小諸で初見し、今回2回目に見た。 図鑑では、普通にあると記されているが、なかなか目にできない。(石川記)2021-11-02
167タンポポの仲間帰化植物タンポポの仲間帰化植物タンポポの仲間(帰化) 在来タンポポ:花の下の総苞が反り返らず。 セイヨウタンポポ:反り返る。 在来:シロバナタンポポ・エゾタンポポ・トウカイタンポポ・カントウタンポポ シナノタンポポ:総苞が卵型~広卵型で、角状突起はないか、あっても小さい。2021-11-18
168ダンコウバイ解体図ダンコウバイ解体図ダンコウバイ(クスノキ科)檀香梅 別名 ウコンバナ(欝金花) 俗名 ジシャ 上♂ 下♀;葉は異形葉。 早春、他の木が芽吹かないうちに、黄色の花をつける。雌雄異株。2021-11-02
169タラヨウ(ハガキの木)解体図タラヨウ(ハガキの木)解体図タラヨウ(モチノキ科)多羅葉 はがきの木 昔の人のメモ紙―「葉書」の木。 葉の裏の細かい棒で、文字や絵を書くと、その部分が黒く浮き出す。この特徴からインドで葉に経を書いた多羅樹になぞらえた。 仏教の聖木の多羅樹との兼ね合いから、お寺に植えられていることが多い。 暖地の川沿いや湿り気の多い谷間などに生える。高さが10mほどになる常緑 高木だが、個体数はあまり多くない。 葉は分厚い皮質で、縁に鋭い鋸歯があり、雌雄異株。開花5~6月。淡黄色の花を塊状に多数つける。 果実は球形の核果で、11~12月に赤く熟す。 分布は本州静岡県以西・四国・九州の丘陵帯。2021-11-02
170タムラソウ集約雄蕊タムラソウ集約雄蕊タムラソウ(キク科)田村草 (集葯雄ずい) 筒状花だけからなる頭状花。集葯雄ずい(雄しべの葯5本合生し、1本の筒となり、、花糸だけが離れている。 葯は熟すと、花粉が筒の中にたまり、雌しべの花柱はやがて筒の中で伸びて、花粉を押し出す。 花粉は花柱の表面に付くが、割れた柱頭は左右からぴったりついているので、自分の花粉が柱頭には付かず葯の外に高く伸びだすと、先が左右に分かれ、柱頭面が露出し、他の花粉を受ける。自家受粉を避ける。 その様子が左上から下、そして右側写真となる。 キク科の小花は同じ集葯雄ずいなので観察しよう。2021-11-02
171タニギキョウ解体図タニギキョウ解体図タニギキョウ(キキョウ科)谷桔梗 最初見つけるまで、時間がかかった1種でした。他のキキョウ科の仲間のイメージと様変わりで、木陰でひっそり生える小さな多年草。茎は細く柔らかく10cmほど。ハコベ類と見まがうが、葉を切れば白い乳液が出る。花は径8mmほどで、深く5裂し、白色に紫色の筋が入る。花期5~8月。2021-11-02
172センボンヤリ解体図センボンヤリ解体図センボンヤリ(キク科)千本槍 別名 ムラサキタンポポ。低山の草原・路傍に生える2年草。葉はすべて根生葉。 花に2型あり。 春:舌状花は白色で、下面は紫に染まり、ムラサキタンポポの所以。 秋:閉鎖花で自家受粉する。花茎は大きく伸びて、春にも残り、センボンヤリの所以。2021-11-02
173スミレの仲間スミレの仲間上から ・プリケアナ  北米産でパピリオナケアの仲間。白花の基部は紅紫色で紫条が入り、二色咲きとなる。繫殖力が旺盛で、庭先から逸出したものが野生化して各所で群生を見る。 ・パピリオナケア  北アメリカ原産で、スミレマニアなどの手によって、各地に広まっている。濃い紫色だが、側弁に毛が多く、花弁の基部は白く見える。 ・アカネスミレ  丘陵地~山地の路傍や林緑など向陽地から半陰地に自生する。花は中形の濃紫~紅紫色~紫青~薄色・白色と変異がある。全体的に多毛で、側弁、距、子房にまで毛がある。距は細長く花色にほぼ等しい。 ・タチツボスミレ  全土の海岸線から標高2000m前後までの草地~落葉樹林の向陽地~陰地・乾燥地~半湿地など生息範囲が広い。個体数も多いために花の色・葉の形態などに2022-06-12
174スギナ・ツクシ解体図スギナ・ツクシ解体図ツクシ(土筆・継く子) 胞子茎 ・生きている化石 スギナは仲間のトクサとともに、シダ植物の中でも原始的な一群で、「生きた化石」である。今こそ手のひらサイズだが、古生代石炭紀(3億年前)は高さ30mもある先祖から、今に生きながらえている。 胞子で増えるシダの仲間 ツクシの頭部は、六角形の「胞子嚢」がびっしり詰まり、成熟すると、隙間ができ、そこから1本のツクシで200万個の胞子を飛散させる。胞子は湿った地面で芽を出し、ゼニゴケに似た「雄の前葉体(造精器)と雌の前葉体(造卵器)」に育ち、受精すると「スギナ」に育つ。 ・育つ土壌 田畑など栄養分の多い所ではスギナばかり出てツクシはあまりない。栄養分のない荒地ではツクシが多い。ツクシはスギナの胞子茎で、茎には退化した葉(はかま)2021-11-02
175シラン解体図シラン解体図シラン(ラン科)紫蘭 ラン科の受粉 花粉を塊ごと虫の体にくっつけて運ばせる。その独特な仕掛けが「花粉塊」。ランは雌しべと雄しべが合体し、蕊柱をつくり、その裏側に花粉塊をしのばせ、 密を吸いにきた昆虫の頭にその粘着体とともに花粉塊がついて運ばれる。 花粉塊を運ばれた花は雌しべが残り、昆虫が他の花から運ぶ花粉塊を待ち受ける。 3番目の写真は爪楊枝で花粉塊をつけたもので、ネジバナなどラン科の花があったら、試してみよう。 ラン科の特徴を学ぶには格好のシラン。自然よりは 園芸で見られる。 ずい柱(蕊柱)は雌しべと雄しべが合成したもの。 その先に、花粉塊が付く。 花期5月。2021-11-02
176ショウキラン解体図ショウキラン解体図ショウキラン(ラン科)鐘旭蘭 ラン科ショウキラン属。腐生植物で、光合成を行わず、菌根を形成し、共生。通年地下茎の形で生育し、7~8月の花期に花茎を地上に伸ばす。花茎の高さは10~25cm、鱗片状の葉を持つが、目立たないので、地表から唐突に花序だけ出た姿に見える。 花は美しいピンク色で、1週間程度で黒くしおれる。 分布日本全国、山地の日当たりの悪い場所に生育する。 近縁種にキバナノショウキラン、シナノショウキランがあるが、固体数は少ない。 写真:平成26年6月30日、下諏訪町観音沢。下左は    蕾状態のもの。    和名は花の形を「烏帽子をかぶった鐘旭の姿」に見立てたもの。2021-11-02
177シュンラン解体図シュンラン解体図山地の明るい林内に生える。葉は幅1cm内外で常緑。唇片は白色で赤紫色の斑点がある。名は早春に開花するから。2021-11-02
178シャクヤクとアリシャクヤクとアリシャクヤク 芍薬 蕾にアリがゾロゾロ 蕾は昆虫に甘い蜜を提供し、食害を避けている。 植物は進化の過程で、さまざまな工夫やからくりを持ち合わせている。 庭先に花々もよく見ると、新しい発見がある。2021-11-02
179シナノタンポポ・セイヨウタンポポ解体図シナノタンポポ・セイヨウタンポポ解体図シナノタンポポとセイヨウタンポポの見分け方 萼のような部分(総苞片) シナノタンポポ:丸まる セイヨウタンポポ:反り返る。 自然度の高い所にシナノタンポポが多く見られます。2021-11-02
180シナノキ解体図シナノキ解体図シナノキ(シナノキ科)科の木 「信濃国」の名前の由来と言われるシナノキ「科の木」。長野県に多かった。 特徴は、5cmほどの長い葉柄で、鋸歯も目立つ。 シナとはアイヌ語で、縛る・結ぶ・くくるという意味。樹皮の繊維が強いので、布を織ったり,縄をなったりするのに使われた。約15年サイクルで伐採し、繊維などに使われた。 また、花にはよい香りがあり、蜂蜜源としても利用される。 シナノキ縄や糸づくり 1.伐採。・皮はぎ・煮沸   10~20年程度の木を伐採し、その場で皮を剥ぐ。             内皮のみ持ち帰り、大釜で一昼夜煮沸する。 2.仕上げ   翌日しごくと、師部の1年成長分(年輪に当たる部分)が1枚1枚剥がれそれを約1週間1枚1枚干す。 3.縄ない・糸づくり 乾燥した材料2021-11-02
181シオデ解体図シオデ解体図シオデ(ユリ科)牛尾菜 雌雄異株 アイヌ語「シュウオンデ」が転訛。秋田「秀子」シオデ⇒シオデコ⇒ショデコ⇒シデコ⇒ヒデコ。山のアスパラガス。 秋田民謡「秀子」  十七八ナ今朝ナ 若草何処刈ったナこのヒデコナ  何処で刈ったナ日干ナ 長根のその下でナこのヒデコナ  その下でナ葛のナ 若萌葉広草ナこのヒデコナ  葉広草ナ馬にナつければ ゆさゆさとナこのヒデコナ 1:シオデ詳細 *発芽は翌々年春となる。 2:アスパラガスのような若芽 3:つる状の茎 4:雌花 雌しべ1 5:雄花 雄しべ6 6:葉 主脈目立つ 7:果実は熟すと黒くなる。2021-11-02
182サンシュユ解体図サンシュユ解体図サンシュユ(ハルコガネバナ)(ミズキ科) 春一番に庭先・公園で黄色い目立つ花。 落葉高木で、樹高10~15m。朝鮮・中国原産。 花は両性で、3~4月開花。葉の出る前に、短枝の先端から散形花序を出し、径2~3cm。総苞片は長さ0.6~0.8cm。花弁4個。果実は長い楕円形の核果で、9~10月に赤く熟す。 類似種  ヤマボウシ・ベニバナヤマボウシ  アメリカヤマボウシ(ハナミズキ)・ベニバナハナミズキ2022-08-27
183サクラあれこれサクラあれこれ桜あれこれ 2012.5.12林業センター 上より。 ・かたおかザクラ(片丘桜) 花弁数:5枚  カスミザクラの栽培品。幼木でもよく花をつける、塩尻市片丘で見つける。樹高4mほど。 ・しょうげつ(松月) 花弁数:20~30  サトザクラの栽培品種。明治期の荒川堤から広がった。名前の由来は不明。 ・楊貴妃 花弁数:15~20  サトザクラの栽培品種。奈良の興福寺にいた玄宗という僧侶が庭の桜に愛情を注いだことから、その桜を「楊貴妃」と呼ぶようになったといわれる。 ・紅玉錦   ・フゲンゾウ(普賢象) 20~50  サトザクラの栽培品種。2本の雌しべが葉化し、これを歯、八重の花弁を鼻と、普賢菩薩の乗る白象に見立てた。 ・北鵬 ・普賢象 ・かんざん(関山) 花弁数:20~50  2021-11-02
184コバイケイソウ解体図コバイケイソウ解体図コバイケイソウ(ユリ科)小梅蕙草 コバイケイソウの花穂の中央の大きく突き出た部分は両性花。その他雄花であり、果実の付くのは下段写真のとおり、両性花部分のみ。有毒植物。2021-10-29
185コクサギ解体図コクサギ解体図コクサギ(ミカン科)小臭木    木が小さく、全体にいやな臭いがあるので、この名。雌雄異株。沢沿いなどに群生。茎や葉に有毒アルカロイド、煎じて家畜のシラミ殺しに使用した。 雄花は4cmほどの花序に10個ほど、雌花は独立して一つずつ付く。若枝につく葉は2枚ずつ交互に生え、コクサギ型葉序という。 名前のとおり、葉をちぎると強い臭いがする。里山・山地に多く、樹高1~2mの落葉低木。雄花は萼片・花弁・雄しべが各4個、雌花は萼片・花弁4個、雌しべ1個、退化した雄しべ4個。果実は7~10月熟し、さく果3~4個。2021-10-29
186コオニユリ解体図コオニユリ解体図コオニユリ(ユリ科)小鬼百合 オニユリに比べ全体にやせ型で、「むかご」ができない。花は普通数個がつき、花被片は長さ6~8cm(オニユリ7~10cm)。日本全土の海岸から山地まで生える。花粉は大きさがそろい、よく結実する。オニユリは人里近くに自生するが、中国原産の栽培品が野生化しただろうという。地下の白い鱗茎は食用となる。 葉の基部に黒紫色の球芽をつけ、落ちて発芽する。花粉は大小不同で結実しない。コオニユリは結実し、増える。2021-10-29
187クリンユキフデ解体図クリンユキフデ解体図クリンユキフデ(タデ科)九輪雪筆 早春、山地の少し湿った所に生える。高さ20~40cm。 茎の先端と葉の脇に白い穂状の花をつける。花びらのようなものは萼。 白い花を雪に、穂の様を筆に例えて「雪筆」、また花が輪になって段になって いる様子を、五重塔の先端の「九輪」に例えた。 よく似た「ハルトラノオ」は、穂状花穂はただ1個花茎の先につける。葉は茎を抱くことはない。花期4~6月。 クリンユキフデ:葉の基部は茎を抱く。また、茎頂だけ         でなく、葉の基部にも花穂がついて段         となる。花期5~7月。2021-10-29
188クサボタン解体図クサボタン解体図クサボタン(キンポウゲ科)草牡丹 クサボタン;雌雄異株。花は花弁を欠き、萼片が4枚。淡い紫色で外面に毛が密生。後に先が反り返り、雄しべ・雌しべを現す。 雌花の方が花が短く小さい。雄花・雌花ともにおしべ・めしべを持つが、雄花は雌しべが、雌花は雄しべが退化縮小して役にたたない。 果実は長い羽毛状の毛があり、風散布する。2021-10-29
189クガイソウ・ヒメトラノオ解体図クガイソウ・ヒメトラノオ解体図クガイソウ・ヒメトラノオ(ゴマノハグサ科) 九蓋草:葉が輪生し、数段になる。別名トラノオ。花冠は     筒形で、浅く4裂。雄しべ2本は雌しべとともに     花冠を突き出す。 姫虎の尾:葉は対生、花冠はよく開く。両種は隣接も。2021-10-29
190ギンラン・ササバギンラン解体図ギンラン・ササバギンラン解体図ギンラン・ササバギンラン(ラン科)銀蘭・笹葉銀蘭 ギンラン:葉は短く尖らない。包葉は花序より短い。唇弁      の距はやや長く突き出す。8月。 ササバギンラン:葉は長く細く尖る。包葉は長く花序より      上へ。唇弁の距は短く丸い。5~6月。2021-10-29
191キランソウ解体図キランソウ解体図キランソウ(シソ科)金瘡小草 道端や岩の多い草地など、乾いた所に生える多年草。 紫の古語「き」、藍色の藍の字か重なって、青みの強い紫といういわれもある。 別名「地獄の釜の蓋」:根出葉がしっかり地面を覆い、            蓋をしているから。 別名「医者殺し」:薬効が鮮やかで、皆が医者通いの必          要がなく、医者が収入が途絶える。 この花のように、根生葉の広がりを「ロゼット」と呼び、ロゼットはローズ(バラ)からきており、上からみるとバラ模様です。身近な冬越しの植物のロゼットを探してみましょう。2021-10-29
192キバナバラモンジン解体図キバナバラモンジン解体図キバナバラモンジン(バラモンギク)キク科 黄花婆羅門参 ・一昨年今頃、下諏訪富士見橋近くの砥川べりにて初  見。その後確認してきたが、再見できず、和名は分か  らず、幻の花だった。 ・今回南箕輪村上伊那農業高校中の原農場入り口脇の水  路フェンス側に見つけた。手持ち図鑑では該当がな  く、果実の様子からキク科をHPで調べ、ようやくキ  バナバラモンジン(バラモンギク){バラモンジン  属}と判明。  果実はタンポポの果実を巨大化したようで、すでに風  散布で散ったものがある。草丈は大きいものは50c  mほど、道端の痩せ地では15cmほどで、いつか砥  川べりでみたものとほぼ同じ大きさであった。欧州・  西アジア原産。1877年頃食用or鑑賞用に渡来。1  911年までに逸出し、帰化2021-10-29
193カワラケツメイ解体図カワラケツメイ解体図カワラケツメイ(マメ科)河原決明 日当たりのよい河原・草原に群生し、昔から浜茶・豆茶・弘法茶と呼ばれ、お茶の代用として広く親しまれてきたそうです。薬効もあり、草丈は30~60cmほど。花は少しだけ開く。中国の同じ仲間のエビスグサを「決明」といい、日本でもそのまま決明と呼んだ。葉のフォルムは見事です。羽状複葉は15~35対集まり、茎は紫褐色で毛がいっぱいです。お茶でいけます!2021-10-29
194オサバグサ解体図オサバグサ解体図オサバグサ(ケシ科)筬葉草 北八ヶ岳では目にするが、他では未見。この個体は 御泉水の森で、蓼仙(りょうせん)の滝周回コースの途上。 機織の「筬(おさ)」にケシ科と思えない葉の形から名づけられた。 深山の木陰に生える多年草。葉は多数根生し、深く羽状に裂け、裂片は10~25対もあり、裂片の先は丸い。花茎は長さ20cm内外で、まばらに小さな白花をつけ、穂(総状花序)となる。花弁は4枚、雄しべ4、雌しべ1。 本州(北・中部)の亜高山帯に生え、1属1種の日本特産。2021-10-29
195ウワズミザクラ解体図ウワズミザクラ解体図ウワミズザク(バラ科)上溝桜 山野に生える高木で、高さ10mくらいになる。 昔この材の上面に溝を彫って占いに使ったので上溝といい、和名は、そのウワミゾザクラの転化したものである。 果実の未熟で緑色のものを塩づけにして食用とする。2021-10-29
196イワガラミ・ツルアジサイ解体図2イワガラミ・ツルアジサイ解体図2紛らわしい仲間たち(いずれも山地帯の落葉つる性木本) ツルアジサイ 装飾花の萼片3~4個        葉の鋸歯は細かく、片側30個以上 イワガラミ  装飾花の萼片1枚        葉の鋸歯は大きく、片側20個以内2021-10-29
197イワガラミ・ツルアジサイ解体図1イワガラミ・ツルアジサイ解体図1イワガラミ(ユキノシタ科/岩絡み)とツルアジサイ(ユキノシタ科/蔓紫陽花)。 イワガラミ  山地の林内に生える落葉のつる性植物。  茎はところどころから根を出して岩や木に絡み高い所へ登ることからこの名がある。 ツルアジサイ  山地の林内に生えるつる性の木本。気根を出して他物を這い上がる。  別名ゴトウヅル。2021-10-29
198イブキジャコウソウ解体図イブキジャコウソウ解体図イブキジャコウソウ(シソ科)伊吹麝香草 山地から高山まで、よく目にする多年草で、木本。 地面にぴったり張り付いて、一斉に咲くとピンクのカーペットのようです。漢名(中国の和名に相当する)で「百(ひゃく)里香(りこう)」と言い、その香りが遠くまで達する意で、さわやかな芳香は楽しめます。 香りを楽しめるものを列挙。 木本:クロモジ・アブラチャン・ダンコウバイ    カツラ・ホオノキ・コブシ・サンショウ    ハリエンジュ・コクサギ・クサギ・クリ    ヒイラギ・ウメ・モモ・ボケ・ロウバイ    ノイバラ・ハマナス・シラタマノキ    ミズメ(ヨグソミネバリ)・シキミ    ハクモクレン・ライラック・ミツマタ    ジンチョウゲ・キンモクセイ・オオヤマレンゲ    ブッドレア・スイカズラ 2021-10-29
199イタチササゲ解体図イタチササゲ解体図イタチササゲ(マメ科)鼬豇豆 鼬(いたち)の毛色に、花の色がクリーム色から黄褐色に変化するがそれに似る。「ささげ」は果実の様から。 山の草原に生える、つる性の多年草。茎は高さ80~150cm。若いうちは直立し、葉の先の巻きひげで絡みつく。葉は4~小葉からなる羽状複葉。 茎から葉の出るところに小葉とまちがえそうな大きな托葉がつく。 園芸種のスィートピーはこの仲間。 *以下のものは、大きな托葉のない、属の異なる種類。 クサフジ ナヨクサフジ カラスノエンドウ スズメノエンドウ カスマグサ 等2021-10-29
200イカリソウ解体図イカリソウ解体図イカリソウ(メギ科)錨草 別名三枝九葉草 山の木陰に生える多年草。葉柄は長く、その先が三枝に分かれ、その先に3枚の小葉が付く。 花は4枚の萼片と4枚の花弁が付き、花弁の先に長い距が付き、密を入れる。 種子にはエライオソーム(種枕)が付き、アリ散布。 薬草として「淫羊霍(いんようかく)」と呼ばれ、老いた牡羊も食べれば元気百倍、昔の人のバイアグラ。また、別名の「放杖草」は、この草を煎じて飲んだ老人が杖を放り出すほど元気になるからとか。男性ホルモンの分泌を促進する化学成分を含み、今も市販の強壮ドリンクなどに使われる。日本海側には常緑のトキワイカリソウがある。2021-10-29
201アツモリソウ解体図アツモリソウ解体図山地の草原に生える。 高さ30~50cm、花期6月。 花が美しく、乱獲されて野生のものは見られなくなった。名は袋状の唇弁を平敦盛の母衣に見立てた。2021-10-28
202アヤメの仲間アヤメの仲間上から ・カキツバタ:湿原や湿原の水の流れに沿ったところに生える多年草。高さは40~80cm。 ・ヒオウギアヤメ:高さ50~80cm。名は葉がヒオウギに、花はアヤメに似るから。 ・アヤメ:高原に生える多年草。高さ30~60cm。 ・ヤツガタケヒオウギアヤメ ・ノハナショウブ:山地や野原の湿ったところに生える多年草。高さ60~90cm。 ハナショウブの原種。 ・ヒオウギ(ヌバタマ) ・キショウブ ・ジャーマンアイリス2021-10-28
203アケボノスミレ解体図アケボノスミレ解体図アケボノスミレ(スミレ科)曙菫 低い山地の半日陰に多く生え、花赤みが強く、大きな花弁。花開き、後に葉が伸びる。太平洋側、葉に艶なし。2021-10-28
204アキノキリンソウ解体図アキノキリンソウ解体図アキノキリンソウ(キク科)秋の麒麟草 日当たりのよい山地に普通な多年草。茎は高さ30~80cmながら、環境で矮小(わいしょう)のものもあり、葉にも茎にも細かい毛がある。変種で「キリガミネアキノキリンソウ」がある。 春・夏の花は花茎の下から順次咲いていくが、秋の花は標高の高いところから、また花茎の一番上から咲く。短期間で結実するための知恵なのだろうか。 (こんな目で見ると、キク科をはじめ秋の花々は、上から咲いてきている) 別名アワダチソウ。豊かに盛り上がる花の集まりを酒をかもしたときの泡に見立て、つけられた。2021-10-28
205アキカラマツ解体図アキカラマツ解体図アキカラマツ(キンポウゲ科)秋唐松 別名「高遠草」、葉に苦味あり健胃剤。 雄しべの柄が細く、花粉を出す葯(やく)だけが目立ち、花が黄色く見える。また、萼片(がくへん)が早く落ち、花弁はない。白く見える他のカラマツソウの仲間は先端の葯より柄の方が太く白く見える。雄しべ多数、雌しべ数個。草原。高さ40~ 130cm。花期7~9月。 「高遠草」;高遠藩で薬草として販売したという。 白い花穂の仲間;カラマツソウ・ミヤマカラマツ・モミジカラマツ 等2021-10-28
206アオイスミレ解体図アオイスミレ解体図アオイスミレ(スミレ科)葵菫 まん丸な葉。アリの喜ぶ種枕(しゅちん=エライオソーム)が最大、ランナーで増える。 *種枕とは…蟻を誘引する物質の塊のこと2021-10-28
207オトシブミオトシブミ粋な名前の木の葉、虫のゆりかご。「落とし文」とは、SNSと時代が違います。2021-10-15
208オニシモツケ踊場湿原オニシモツケ踊場湿原シモツケソウの仲間の中で一番大柄なのがオニシモツケ。2021-10-15
209東山魁夷「夕明かり」八島ヶ原湿原東山魁夷「夕明かり」八島ヶ原湿原白馬シリーズ御射鹿池の「緑響く」同様に、八島の「夕明かり」を喧伝したい!2021-10-15
210コブシ・万治の石仏コブシ・万治の石仏コブシの花は春を告げる。砥川のほとりのコブシの花越しに万治の石仏を望む。2021-10-15
211八島ヶ原湿原シモツケソウ八島ヶ原湿原シモツケソウ鎌ヶ池から旧御射山社へ向かう右側湿原にシモツケソウの大群落が素晴らしい。2021-10-15
212八島ヶ原湿原 7月八島ヶ原湿原 7月八島ヶ原湿原の一体にシモツケソウの仲間が咲き誇る。2021-10-15
213八島ヶ原湿原 夏八島ヶ原湿原 夏湿原の緑は濃く、花は盛り。2021-10-15
214八島レンゲツツジ八島レンゲツツジ多くのファンのいる霧ヶ峰のレンゲツツジ。八島周辺でも鹿食害に会わず健在。2021-10-15
215日本海要素日本海要素長野県も新潟県寄りになるほど、日本海要素の樹木、草木が多くなる。2021-10-15
216虫こぶ虫こぶ多くの昆虫のしわざで、多種多様な虫こぶを見ることができる。2021-11-18
217北横岳縞枯れ北横岳縞枯れ縞枯れ現象は多くの研究者で原因が究明されているが、一つの景観で楽しめる。2021-10-15
218八島ヶ原湿原の鹿八島ヶ原湿原の鹿多大な鹿の食害で、侵入防止フェンスが今は設けられているが、過去貴重な記録写真。2021-10-15
219彩雲彩雲数多く山行すると、多種多様な自然現象に数多く出会え、その光景に魅入る。2024-02-17
220トケイソウトケイソウ氷見市海浜植物園で初見。なんともユニークな花のつくりにほとほと感心した次第。2021-11-12
221四手(しで)四手(しで)シデシャジンやシデコブシのシデは、この「四手」に似ることから名づけられた。2021-10-14
222根上がり木根上がり木人気の赤沢美林などで目にするが、その生い立ちを知るとなるほどとなる。2021-11-16
223花の基本構造花の基本構造各々の花は特徴あるしくみを持つが、基本的構造を理解した上で、違いを見たい。2021-10-14
224ワニグチソウワニグチソウホウチャクソウに似るが、花枝の先に2~3枚の苞葉があり、花を抱きかかえる。2021-10-14
225リュウノウギクリュウノウギクノコンギク・ユウガギク等と同時期に咲き、その香りは龍脳に似る。2021-10-14
226ユキノシタユキノシタ斑が入った葉はよく見るが、初夏に咲く花は5枚の花弁の内3枚に濃い紅色の斑紋。2021-10-14
227ヤマホトトギスヤマホトトギスヤマジノホトトギスも本種に類似するが、ヤマホトトギスの方が花数が多い。2021-10-14
228ヤマブドウヤマブドウヤマブドウの紅葉は、その葉が大きく、山地でも目に付く。2021-10-14
229ヤマドリゼンマイヤマドリゼンマイ諏訪地方ではゼッタの名前で、ゼンマイ同様に山菜として使われる。水辺に生育。2021-10-14
230モリアザミモリアザミヤマゴボウの名でつけもので売られているのは本種の根。2021-10-14
231メナモミメナモミ鱗片も総苞片も粘液腺があり、べたつく。山地や道端に生える一年草。2021-10-14
232ミヤマニガイチゴミヤマニガイチゴニガイチゴよりも標高の高いところに生え、やはり口にしても甘くはない。2021-10-14
233ミヤマナルコユリミヤマナルコユリナルコユリに比較し、茎は細く、花数は少ない。御射山林道で初見。2021-10-14
234ミヤマザクラミヤマザクラ山地に咲き、花茎は立ち、里のサクラが終わり、その後に咲く。2021-10-14
235ミヤコグサミヤコグサ花茎に花2個、帰化植物のセイヨウミヤコグサには花が5個内外付く。2021-10-12
236ミツバアケビミツバアケビアケビの一種で、これも同じ株に雄花と雌株を別々につける。2021-10-12
237ミツガシワミツガシワ高地に生え、異型花柱性。長花柱花と短花柱花の2型がある。三つ柏。2021-10-12
238ミゾソバミゾソバ地上に開放花、地下に閉鎖花をつける。別名ウシノヒタイ。水辺に生える。2021-10-12
239マルバウツギマルバウツギ○○ウツギの中でも、ほとんど目にしない。樹高1mほどの低木で円錐花序をつける。2021-10-12
240マメザクラマメザクラ樹高3~5mの小高木で、花は新葉とともに開花する。2021-10-12
241マムシグサ♂マムシグサ♂これは雄株で仏炎苞の基部は開いており、昆虫は花粉をつけて飛び出せる。2021-10-12
242マムシグサ♀マムシグサ♀マムシグサは性遍歴で有名。この株は仏炎苞の下部がとじている。2021-10-12
243マツムシソウマツムシソウ秋の花の代表マツムシソウの白花品。諸説あるがマツムシの鳴くころ咲くのでこの名。2021-10-12
244ホトケノザホトケノザ普通の開放花と同時に閉鎖花が、よく見るとつぼみのような形でついている。2021-10-12
245ボタンヅルボタンヅル野山に咲き、葉がボタンのそれに似ている。果実の綿毛も見ごたえがある。2021-10-12
246ヘラオモダカヘラオモダカあまり見かけないが、水辺で時々ここにもあったかという感じだ。2021-10-12
247ベニバナヤマシャクヤクベニバナヤマシャクヤク貴重種で、場所・開花時期を知ると、毎年今年何株咲くのかが楽しみだ。2021-10-12
248フデリンドウフデリンドウ春先山野でしばしば群生し、小さいながらけなげに咲き誇る。2021-10-12
249フジバカマフジバカマアサギマダラが好むキク科植物。昔中国から伝来した。2021-10-10
250フシグロフシグロフシグロセンノウはよく目にするが、このフシグロはこぶりな花をつける。2021-10-10
251フジウツギフジウツギこれもめったにお目にかかれないが、猛毒。落葉低木で、1~1.5m。水月奥で。2021-10-10
252フキノトウ♀フキノトウ♀春を運んでくるフキノトウ。雌雄異株で、今度はよく観察してみませんか。2021-11-09
253ヒメウツギヒメウツギあまり目にしないが、ウツギと比較すると、名前の通り大変こぶり。2021-10-10
254ヒキオコシヒキオコシ強い苦みがあり、仲間にクロバナヒキオコシ・カメバヒキオコシなどがある。2021-10-10
255ハネミギク(ハチミツソウ)ハネミギク(ハチミツソウ)北米原産の帰化植物で、当初蜜源植物として配布され、今やあちこちに広がる。2021-10-10
256ハナミズキハナミズキ在来のヤマボウシは球形の集合果だが、ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)は核果。2021-10-10
257ハエドクソウハエドクソウ地味な花で、山地路傍によく生えているが、気づかれない。ハエ殺しに使用した。2021-10-10
258ネジバナネジバナラン科の中では身近で一番よく目にする種だろう。ラン科の学習には好素材。2021-10-10
259ヌスビトハギヌスビトハギ盗人萩の和名の由来は、足袋をはかない現代ではピンとこないだろう。2021-10-10
260ニセアカシア(ハリエンジュ)ニセアカシア(ハリエンジュ)河原や土手に繁茂し、また刺が多く、厄介者扱い。蜜源になる。2021-10-10
261ニガナニガナニガナは野山でどこでも見られるが、花色・花弁の数で区分される。2021-10-10
262ナガミノツルケマンナガミノツルケマン山地の日陰に生え、果実は芋虫がたくさん並んだようにつく。黄色い花。2021-10-10
263ドクダミドクダミ別名十薬の名のとおり、昔から有名な民間薬。地下茎で繁殖大で困りもの。2021-10-10
264チョウセンゴミシチョウセンゴミシ甘・酸・辛・苦・塩の五つ味がする。れっきとした日本原産種。2021-10-08
265タラノキタラノキ春の若芽「たらのめ」は皆分かるが、秋の果実も見どころがある。2021-10-08
266タマアジサイタマアジサイつぼみが丸いのでこの名。山地沢沿いなどに見られる。2021-10-08
267ソヨゴ2ソヨゴ2常緑樹で、雌株には秋に赤い実がつく。2021-10-08
268ソヨゴ1ソヨゴ1榊(さかき)のない諏訪地方では、その代用にする。雌雄異株。2021-10-08
269セツブンソウセツブンソウ春一番に咲き、白い花びら状の物は咢片。花弁はYの字状で密腺化している。2021-10-08
270セイヨウノコギリソウセイヨウノコギリソウ高山まで広がる帰化植物。葉の枝分かれが多く、紅色の花もある。2021-10-08
271スイセンノウスイセンノウ路傍や庭先にたくましく繁殖している。俗称「ウサギノミミ」。2021-10-08
272シラヒゲソウシラヒゲソウウメバチソウの仲間で、花弁はさらに美しい。王冠のような仮雄しべ。2022-01-16
273ショウジョウバカマショウジョウバカマ早春に咲くユリ科の仲間。種子以外に葉先にも子孫を残す繁殖方法を持つ。2021-10-07
274ジュズダマジュズダマ昔、この果実をつないで数珠にした。イネ科。2021-10-07
275シデシャジンシデシャジン山地の木陰に生える。花の形が神社の「四手」に似ていることから名がついた。2021-10-07
276サワギキョウサワギキョウ田中澄江「花の百名山」八島はサワギキョウが挙げられている。2021-10-07
277サルマメサルマメ山地の落葉小低木。5月頃小さな黄緑色の花をつける。ユリ科木本。2021-10-07
278サルオガセサルオガセまるでとろろ昆布のようだ。風の弱いところに、大きく伸長する。2021-10-07
279コナギコナギ水田に生えるミズアオイ科の植物。青紫色の花をつける。2021-10-07
280コケオトギリコケオトギリオトギリソウの仲間で、湿地に生える。あまり目にしない。2021-10-07
281コクサギ2コクサギ2雄花。コクサギ型葉序といい、葉が2枚ずつ、交互につく。2021-10-07
282コクサギ1コクサギ1ミカン科。雌雄異株。これは雌株。2021-10-07
283グンバイヅルグンバイヅル果実が軍配に似ていることから。長野・群馬の一部にのみ産する。2021-10-07
284クリクリ梅雨のころ強い匂いが漂う。雄しべと雌しべが同じ花茎につく。2021-10-07
285クマヤナギクマヤナギ普段目にしにくいが、夏に前年の果実と今年に花を両方を同時に見られる。2021-10-07
286クサギクサギ山菜の一つ。花も果実も、匂いを除けばなかなか美しい。山地路傍で見かける。2021-10-07
287キンバイソウキンバイソウよく似たシナノキンバイと比較すると、花弁と雄しべの長さが違う。2021-10-07
288キュウリグサキュウリグサ春先、野原に咲く。葉を摘むと、野菜のキュウリのような香りがする。2021-12-26
289キバナノアマナキバナノアマナ茎の先に2苞葉をつけ、その先に3~10個の黄色い花をつける。カタクリの咲くころ。2021-10-07
290キバナカワラマツバ     キバナカワラマツバ     カワラマツバは白い花、本種は黄色い花をつける。2021-10-07
291キスゲ(ユウスゲ)キスゲ(ユウスゲ)ニッコウキスゲは昼に、キスゲ(ユウスゲ)は夕方に咲き、ともに1日花。2021-10-05
292キササゲキササゲノウゼンカズラ科。落葉高木。果実は細長く、30~40cmとなる。2021-10-05
293キクザキイチゲキクザキイチゲ春の妖精のひとつ。白い咢片は花びらのようだ。葉は深く切れ込む。 春の妖精とは…春先に開花し夏まで葉をつけると、あとは落葉広葉樹林の林床などの地中で過ごす一連の野の花を総称してスプリング・エフェメラル Spring Ephemeral と呼びます。その可憐さから「春の妖精」とも言われます。2021-10-05
294カラマツカラマツ樹木の花を見ることは少ないが、カラマツの雌花は大変可愛い。秋には球果となる。2021-10-05
295カラマツソウカラマツソウカラマツの葉のような花なので、この名。白い雄しべが多数で、雌しべも10以上。2021-10-05
296カラハナソウカラハナソウビールのポップに近い仲間で、その実は大変苦い。2021-10-05
297カラスビシャク2カラスビシャク2同じサトイモ科のマムシグサと異なり、雌雄同体である。2021-10-05
298カラスビシャク1カラスビシャク1畑地に発生すると、その根絶には手をやく害草。マムシグサのミニ版のおもむき。2021-10-05
299カラスノエンドウカラスノエンドウ葉腋にある花外密腺にアリが集まっている。2021-10-05
300カラスアゲハ・キツネノカミソリカラスアゲハ・キツネノカミソリキツネノカミソリに吸蜜するカラスアゲハ。黒に橙色の取り合わせもいいものだ。2021-10-05
301カラコギカエデカラコギカエデ湿地や川岸に生え、樹皮がはげ落ち「鹿の子まだら」になることから名がついた。2021-10-05
302カヤツリグサカヤツリグサ昔は子供たちの遊びの素材で、割いて広げて「カヤツリ」と称した。2021-10-05
303カモシカため糞カモシカため糞ニホンシカはぱらぱらとまき散らし、カモシカは一か所にためて糞をする。2021-10-05
304カマキリ卵2カマキリ卵2カマキリの卵の位置で、その年の積雪量が推測できるとの説があったが今は否定。2021-10-05
305カマキリ卵1カマキリ卵1我が家の畑の隅の梅木に、カマキリ卵があった。自然観察の対象はいくつもあるもんだ。2021-10-05
306ガマガマ水辺のガマも、秋には白い綿毛が種子を運ぶ。古事記の因幡の白兎の物語も結びつく。2021-10-05
307カツラ倒木カツラ倒木山地水辺に近い所によく叢生(そうせい)しているカツラの大木も、こうして朽ちていく。2021-10-02
308カタクリ3カタクリ3多くの品種に本来の色を失い、シロバナが出現する。カタクリにも現われる。2021-10-02
309カタクリ2カタクリ2雪国には大群生地が多い。傾いた花にはギフチョウが舞う。2021-10-02
310カタクリ1カタクリ1木々の葉が茂る前に、花が開く春植物。春の妖精。2021-10-02
311カゼクサカゼクサ道路や土手に見られ、風知草という名前がカゼクサに変わった。 道ばたに多いので、ミチシバともいう。2021-10-02
312カスミザクラカスミザクラ里のサクラが終わり、山地に白っぽい花と緑の若葉を同時に開く。2021-10-02
313カスマグサカスマグサカラスノエンドウとスズメノエンドウの中間の大きさで、「カ」と「ス」の間の草の意味。2021-10-02
314カジノキカジノキ諏訪大社の神紋で、雌雄異株。雌株には秋に赤い実がつく。クワ科特有で異形葉。2021-10-02
315ガクアジサイガクアジサイ園芸種セイヨウアジサイの原種、葉身は広楕円形で、表面に光沢がある。2021-10-02
316カキツバタカキツバタ水辺に咲き、外花被片の基部には白色の部分がある。いずれがアヤメかカキツバタ。2021-10-02
317オランダガラシオランダガラシクレソンで親しまれる帰化植物で、山地の渓流にまで繁殖している。 俗名タイワンゼリ。2021-10-01
318オニノゲシオニノゲシ帰化植物。ノゲシに似るが、大型で全身刺がある。葉の付け根が丸く張りだすのが特徴。2021-10-01
319オニゼンマイオニゼンマイヤマドリゼンマイに似るが、湿地に生えず、胞子は栄養葉の中途に付く。2021-10-01
320オニシモツケオニシモツケシモツケソウより一段と大きく、同じような場所に生える。花色は白。2021-10-01
321オニグルミ葉痕・冬芽オニグルミ葉痕・冬芽花や紅葉の時期以外、こうした冬場の自然観察も楽しみが多い。2021-12-26
322オトシブミオトシブミ落とし文とは歴史史実を知らないと、その意味するところを理解できない。幼虫ゆりかご。 オトシブミは葉を切って、揺籃(ようらん)と呼ばれる円筒形の筒を器用に作る。2021-12-26
323祝神稲荷社祝神稲荷社富部村本郷に祀られた、村内・宮坂巻の「祝神(いわいがみ)稲荷社」。 昭和61(1986)年の御柱祭の後不慮の禍で無残に倒壊折損した。 鳥居には長い由緒があり、富部村中のの信仰に深いつながあった。2021-12-23
324石尊大権現石尊大権現この碑は現在秋宮駐車場横にあるが、以前は秋宮境内にあった。祭神は雨乞いに格別効果のあるという大山祗神でご神体は石劔といい古くから石尊大権現の名で知られていた。2021-12-23
325博愛館博愛館自由民権運動・青年会の活動が活発になった明治の時代、活動の拠点となる場所を求めるこえが強くなり、他の地区でも新しい集会所が次々に建てられた。神風社(青年会)の建議を受け明治40(1907)年5月に落成した。総工費1343円、全額区民95戸の寄付金で賄われた。 現在建物はなく駐車場になっている。2021-12-23
326力石力石昔、富部地区は農家がほとんどで、力自慢の若者が多かった。当時は娯楽も少なく、若者たちは夜分など三々五々村の辻に集まり踊りを楽しん去り、この力石をあげてその腕力を競った。重さは65㎏、玄米一俵とほぼ同じ。2021-12-23
327休石休石富部村(第十区)の西、久保村境を流れる小川に沿って、旧道から分かれて下る家下道(いえしたみち)が鉄道を越すところに立つ野面(のずら)の六角棒状の土坂石(つっさかいし)で「休み石」と呼ばれている。 度重なる工事等で元の石はなくなってしまった。現在は別の石がおかれている。2021-12-23
328水神碑水神碑明治39年3月、水上の安全と豊漁を祈り舟泊(ふなと)の口に祀った。碑の裏には漁業を営んでいた旧氏族をはじめ多数の人命が刻まれ、高浜を基地とした漁業の繁栄ぶりが偲ばれる。諏訪湖の埋め立てが次々と進み、湖は遠くなり、碑も二転三転した。2021-12-23
329大権現大権現高浜の宮坂氏宅前に[大権現」と彫られた石碑が祀られている。 この碑は上部にかけがあり文字の一部が見える。 碑には言い伝えが残されている。 それは村の辻の「金毘羅大権現」が明治維新の際二つに折られ高浜に運び諏訪湖に投げ捨てられたその後、ここに住んでいた宮坂氏が引き上げお祀りした。2021-12-23
330藤森稲荷社藤森稲荷社富部稲荷平にある小和田村藤森巻祝神の稲荷社で「小和田のお稲荷さま」と呼び富部村の人々に親しまれていた。 高島藩の藩主より諏訪湖の漁業とこの辺りを網干場として拝領し、藤森巻20軒ほどの守り神として稲荷社を祀った。 今は小和田の所有の畑はないが社は藤森巻で祀っている。御柱祭も旧慣にしたがい湖上を舟で曳いてくる。2021-12-23
331貯湯タンク跡貯湯タンク跡大正の末から昭和にかけ「富ヶ丘」と名付け高級別荘地にと計画をした大久保氏と宮坂氏。髙木の湖中に源泉を求め豊富高温な温泉を延々2㎞、高い鉄道の土手を押し上げこのタンクに貯えた。はじめに「富ヶ丘温泉」で営業を始めた。タンクにいっぱいになるとお湯は外に溢れ出し地域の人々も恩恵を受けた。残根なことに昭和初期の大不況にあい成功しなかった。2021-12-23
332一里塚一里塚五街道の一つ甲州道中ははじめ甲府までであったがその後下諏訪宿まで延び中仙道と合流、この間を末(うら)街道と言った。この塚は江戸より五十三里(約212㎞)で街道最終のものだった。明治21(1888)年払い下げられ昔の姿を消した。碑は昭和37(1962)年12月に若宮倶楽部の呼びかけで建てられた。2021-12-23
333若宮社標若宮社標富部地区(第十区)の高台にある若宮神社の鳥居の横にある若宮様の社標。現在この社標碑は甲州街道沿いに立っている。2021-12-23
334蚕影山神社蚕影山神社富部村(現在の第十区)の若宮神社の境内に一間半(約2.72m)四面の茅葺きの社殿を造り「蚕影山(こかげやま)神社」を祀った。2021-12-23
335武居祝家のかり墓武居祝家のかり墓諏訪明神の神官には「物忌令(ぶっきれい)」という厳しい掟の為、式年の御柱年に一族に不幸があった場合は家塁代(るいだい)の墓には納めず引導もせずに、かり墓に入れ穢れがないものとして御柱祭に奉仕し、その後本墓で本葬を営むことなっていた。その墓はごく狭くわずかに弓を回した内と決められていた。ここは、大祝、武居祝金刺氏のものだ。墓の場所は富部上の字「角石(かどいし)」にあり、今は荒れ果ててしまった。2021-12-23
336六地蔵尊六地蔵尊昭和の初め頃まで葬式は野辺の送りなどと言われ、り行列新仏を神輿で担ぎ行列をそろえ上の段の「おまわり場」で旦那寺(だんなでら)の和尚様から引導(いんどう)してもらった。この地蔵様はそこに祀られていたが、葬儀の様式が変わり使われなくなり、若宮墓地への登り口へ移された。2021-12-23
337若宮源湯と湯神碑若宮源湯と湯神碑戦後上総(かずさ)掘り方式で昭和38(1963)年八月に自噴、「若宮源湯」と命名。地域の発展と福祉の向上をうたって、昭和39(1964)年6月「富部温泉」ができた。この碑を祀り繁栄を祈った。温泉は第十区の区有温泉として広く利用されていたが、平成19(2007)年3月末に廃業した。2021-12-23
338道祖神と庚申の碑道祖神と庚申の碑これらの碑はもとは村の辻に祀られれ、村人たちの厚い信仰を受けていた。 博愛館の新築の頃は前庭に飾られ、富部温泉ができると庭の北隅へ移り(昭和39(1964)年6月)、新しい公民館ができ現在の場所に移りました。2022-06-08
339諏訪女子学園諏訪女子学園諏訪女子学園前にて記念撮影。2021-08-26
340蒸気機関車蒸気機関車JR東日本が動態保存するSL、Ⅾ51型蒸気機関車498号が下諏訪町の高浜橋付近を走行した時の写真。2022-01-13
341下諏訪駅構内下諏訪駅構内JRの下諏訪駅。岡谷方面からの撮影。 下諏訪駅開設100周年を記念して、SLが走った時の下諏訪駅の風景。E257系「特急あずさ」、E351系「スーパーあずさ」3番線にはSL「D51」が待機している。2023-10-21
342下諏訪図書館下諏訪図書館現在の下諏訪図書館。手前の公演はあすなろ公園。 図書館のはじめは、昭和13(1938)年ユニークな青年会図書館として創立し、旧役場あとの公民館に移管し、その後昭和54(1979)年現在地に下諏訪町立図書館として建設された。蔵書数は令和3年で本以外も含め約13万余となっている。利用率も高い図書館で、生涯学習の拠点となている。2021-08-03
343下諏訪駅下諏訪駅2024-02-17
344梶原塚梶原塚2021-04-22
345諏訪湖で遊ぶ諏訪湖で遊ぶ下諏訪町図書館で忍者の本を借りたら「マキビシ」について説明があったので、諏訪湖に「ひし」を探しに行きました。2021-02-23
346土砂崩れ土砂崩れ平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。2020-09-09
347土砂に埋もれた線路土砂に埋もれた線路平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の氾濫による土石流で埋まった中央東線の線路。 この写真では水はだいぶ引いているように見える。2020-09-09
348氾濫した承知川(国道上)氾濫した承知川(国道上)平成18年7月19日未明の豪雨災害。 大量の土砂と濁流が承知川沿いの道路も埋め尽くした。2020-09-09
349氾濫した承知川(線路付近)氾濫した承知川(線路付近)平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の濁流が国道20号を渡り、JR線の鉄橋に達した。 写真2・3枚目は土のうを積みあふれ出た水を川に戻している。2020-09-09
350濁流、国道を渡る濁流、国道を渡る平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 氾濫した承知川の濁流が線路を渡り、南小学校付近の道路方面に流れている。 正面に見えるのは有賀商店(現在は駐車場になっている)2020-09-09
351承知川の氾濫承知川の氾濫平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川がはんらん、濁流が道路まであふれ出し、川沿いの民家を襲った。車も濁流に流されている。2020-09-09
352冠水した線路冠水した線路平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 大和電機工業㈱前のJR線路内が冠水。 承知川のはんらんで国道20号線を超えた水が一気にJRの線路へ流れ込み、数百メートル離れたイングスシナノ付近から側道に流れ出た。このためポイントが故障し、下諏訪中学校下の甲州第三踏切は遮断機が下がったままの状態になった。2020-09-09
353北四王ガード下の冠水北四王ガード下の冠水平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 冠水した四王のガード下。2020-09-09
354オトコヨウゾメオトコヨウゾメガマズミ(ヨウゾメ)は食用になるが、本種はならず、オトコとついた。 やや乾いた明るい山地に多い落葉低木。秋にやや平たい赤色の果実をつけて下に垂れる。2022-01-19
355オトコオミナエシオトコオミナエシ「オミナエシ」・「オトコオミナエシ」の交雑種が「オトコオミナエシ」花色は淡い黄色で折衷。2022-01-19
356オトコエシオトコエシ黄色いオミナエシは有名ながら、オトコエシもやや日影地に白く咲く。 山野の日の当たる草地に生え、高さ60~90cm。全体に毛が多い。花期あh8~9月。2022-01-19
357オトコエシ・オミナエシの由来オトコエシ・オミナエシの由来和名の由来、オトコエシ・オミナエシは昔の男女の生活の一端も知れる。 オトコエシは花が白色でオミナエシに比べて強そうなのでオトコエシなりオミナエシの名は、オミナは女で花が優しく美しいから。また、女郎花と書き秋の七草のひとつ。2022-01-19
358オカトラノオオカトラノオ山地の草原に生え、花が虎の尾に似ている。 サクラソウ科の仲間で多年草で茎の上部にはまだらに毛があり、下部は赤色を帯びる。2022-01-19
359オオモミジの花オオモミジの花雌雄同体で、枝の先に複数房花序に小花15~30個つける。2022-01-19
360オオモミジ霜降るオオモミジ霜降る県道八島高原線(199号)11月初め、落ち葉に霜が降り、いよいよ冬到来だ。2022-01-19
361オオヒナノウスツボソウオオヒナノウスツボソウゴマノハグサ科、あまり多くはないが、ファンもいる。この写真は果実。 山地に生える多年草。2022-01-19
362オオバナノエンレイソウオオバナノエンレイソウエンレイソウは花の径が2㎝、本種は7cmと大きさが異なる。栽培種。 北方型の多年草で、山地に生息する。2022-01-19
363オオハナウドオオハナウド写真上、花は花序が集まった周辺部の花がひときわ大きい。 写真下、小葉は3~5中裂し、不揃いの切れ込みがある。 山野に生え、茎は高さ2mくらいになる大型の草木。2022-01-19
364オオバコ2オオバコ22020-09-09
365オオバコウモリオオバコウモリ2020-09-09
366オオナルコユリオオナルコユリ2020-09-09
367オオツリバナオオツリバナ2020-09-09
368オオダイコンソウオオダイコンソウ根元の葉が野菜の大根に似ていることから名がついた。 果実はまん丸で、全体にがっちりしている。 ダイコンソウはややよわよわしい。2020-09-09
369オオキンケイギクオオキンケイギク2020-09-09
370オオカメノキオオカメノキ2020-09-09
371オオイヌノフグリオオイヌノフグリ2020-09-09
372エンレイソウエンレイソウ2020-09-09
373エンビセンノウエンビセンノウ2020-09-09
374エンコウソウエンコウソウ2020-09-09
375エビラシダエビラシダシダ類も種類が多いが、本種はやや特異な形。 ワラビもシダでしたね。 別名ジクオレシダ、産地帯の林内の湿った岩壁に着生する夏緑性のシダ葉は長さ10~20cmで葉身は三角状卵型、単羽状深裂、葉身と葉柄は約120度の角度でつきます。 準絶滅危惧の植物で県内では諏訪・佐久・木曽・松本などで分布しています。2022-01-26
376エビガライチゴエビガライチゴ2020-09-09
377エノコログサエノコログサ2020-09-09
378エゴノキエゴノキ梅雨のころ、白いベル2020-09-09
379エゾリンドウエゾリンドウ湿地にみられ、クキ全体に花を付ける。これを園芸種として育てられている。 山地や亜高山帯の湿地に生える多年草。2022-01-26
380エゾカワラナデシコエゾカワラナデシコ諏訪地方のものは苞葉が二対ある。包の大きさによりカワラナデッシコと区別される。2022-01-26
381エイザンスミレエイザンスミレエイザンスミレの夏葉。 山地のやや湿り気のある木陰に生える香りのよいスミレ。 比叡山にあったことからこの名がついた。 別名「エゾスミレ」2022-01-16
382ウワミズザクラウワミズザクラ山野に生える高木で10mぐらいになる。 未熟な果実は食用ともする。 普通のサクラらしくなく、総状花序(そうじょうかじょ)を長くつける。2022-01-26
383ウリハダカエデウリハダカエデ樹皮はマクワリに似て、雌雄異株で、枝の先端に総状花序(そうじょうかじょ)を付ける。 山に多い落葉高木。2022-01-16
384ウリカエデウリカエデ本種の葉は分裂しないものと3~5裂するものとがあり、黄葉と紅葉がある。 低い山に多い落葉低木で枝の皮がウリの皮の緑色をしていることでこの名がついた。 別名「メウリノキ」2022-01-16
385ウメバチソウウメバチソウ王冠のような黄色い仮雄しべがトレードマークで、中の雄しべは順に開く。 山のふもとや日の当たる湿地帯に生える多年草。2022-01-16
386ウメガサソウウメガサソウ梅笠草。山の木陰に生えるような常緑小低木。 前年果実と当年花を同時に見ることができる。2020-09-09
387ウドウド山菜としてなじみがあるが、花も果実も見どころがある。 大型のものでシシウドがある。2021-09-16
388ウツギウツギ別名卯(う)の花。山野の茂みに生える落葉低木。 空木とは枝を切ると中に空洞ができている。 ○○ウツギと科をまたいでも多い。 秋にはおわん形の果実が多数ついていつまでも残る。(写真下)。2021-09-16
389ウスユキソウウスユキソウ日本版エーデルワイス。 白い咢片(ガクヘン)が目を引く。 高所にはミネウスユキソウがある。 産地の岩場に生える多年草。2021-09-16
390ウスアカカタバミウスアカカタバミアカカタバミと同じような場所に生える。 帰化植物。2021-12-26
391ウシハコベウシハコベハコベには多くの種類があるが、花びらが10枚に見えるものもすべて5枚。 道端や畑に生える、2年草。 ハコベより大きいことからこの名がつけられた。2021-08-09
392イワショウブイワショウブ湿原の水辺に白いブラシ状の花を付ける。 茎から粘液を出す。2021-08-09
393イワアカバナイワアカバナ柱頭(チュウトウ)が本種はまん丸で、アカバナは米粒のように細長い。紅葉も美しい。 山中の湿地に生える。2021-08-09
394イロハモミジイロハモミジ紅葉はモミジの代名詞だが、春の花はあまり注目されないが、それぞれ味わいがある。2021-08-05
395イボタヒョウタンボウイボタヒョウタンボウヒョウタンボウは果実が2つ結合するが本種は合着しない。有毒なので注意。2021-08-05
396イブキトラノオイブキトラノオ花はアップで見ると見ごたえがある。 群生になると多くの昆虫も群がる。 山地の草原に多く見られる多年草、高さは50-80㎝。 滋賀(しが)県の伊吹(いぶき)山に多いのでこの名がついた。 トラノオは虎の尾という意味で花の形から来ている。2021-08-03
397イヌタデイヌタデハナダテは花がまばらに付き、イヌダテは花がびっしりつく。あかまんまは俗称。2021-06-27
398イヌザンショウイヌザンショウ刺がサンショウは対生で、イヌサンショウは互生で、食用にならないのでイヌとつく。2020-09-09
399イヌザクライヌザクラ山地で桜類。 桜のように見えないのでこの名がついた。2021-06-27
400イヌゴマイヌゴマ実の形がゴマに似るが、使い道がないのでイヌとついた、イヌ○○は同様の意味。2021-06-27
401イヌエンジュイヌエンジュ若芽は銀色に輝き大変目立つが写真はつぼみでこれから展開する。2021-06-27
402イチョウ光合成拡大戦略イチョウ光合成拡大戦略枝ぶりを見ると短枝に多くの葉をつけて盛んに光合成を行ていることを知る。2021-06-27
403イチハツイチハツアヤメの仲間で、中国原産。 園芸種で庭先で見受ける。2021-06-27
404イケマイケマガガイモ科のアサギマダラの食草。 山地の木蔭に多いつる性の多年草。 オクラのような果実は種子散布は見どころあり。 「イケマ」とはアイヌ語で「大きな根」という意味。2021-06-16
405アリアケスミレアリアケスミレ信州はスミレ大国。諏訪もしかり。本種は田の畔などの湿地に生え、白い花は美しい。2021-06-06
406アメリカヤマボウシアメリカヤマボウシアメリカヤマボウシ(ハナミズキ)街路樹でいつも見かける。花びら状のものは総苞片(ソウホウヘン)。ヤマボウシもしかり。2021-06-06
407アメリカフウロアメリカフウロ路傍(ロボウ)によく群生している。 北米原産の一年草、昭和初期に日本に渡ってきた帰化植物。 ゲンノショウコウに比べて茎の毛が細かく葉はほとんど基部まで5~7裂する。2021-05-25
408アメリカセンダングサアメリカセンダングサキク科の植物は帰化植物が多いが、北米原産で、路傍(ロボウ)でよく見かける。日本へは昭和の初め頃入ってきた。果実は平たく二本の刺があり人によくつく。2021-05-25
409アマニュウアマニュウ大型のせり科の仲間で、シシウド・ミヤマシシスド・オオハナウド等と違いを掴みたい。 巨大な多年草で3mにも達するものもある。日本特有の植物で、この茎を食べると甘みがあることからこの名がついた。2021-05-25
410ママコノシリヌグイママコノシリヌグイ野山にあちこち群生している。 和名は「継子(ママコ)いじめ」。逆さ刺が継子いじめに使われたという意味。 写真2枚目は刺の写真、この刺h半端なく大変痛い。 写真3・4枚目は花でピンク色で美しい、「アキノウナギツカミ」も同様に刺が痛い。他のつる植物の仲間同様にその刺で他の植物にからんで上に伸びてゆく。2021-05-25
411アブラコゴミアブラコゴミキヨタキシダとも言い、コゴミ同様に山菜の一つに数えられる。2021-05-25
412アツモリソウアツモリソウ自生はなかなか見られないが、近くでは柿陰(しいん)山房の庭園で植栽ながら鑑賞できる。2021-03-24
413アゼナアゼナ水田の畦や湿地に多く一年生。 ゴマノハクサ科。2021-03-24
414アズマイチゲアズマイチゲよく似ているキクザキイチゲは葉が細かく切れ込んで、本種は丸い。2021-03-24
415アケボノソウ2アケボノソウ2花弁の数の変異があり、4~6枚と同じ株の中でも花で違いがある。2021-03-24
416アケボノソウ1アケボノソウ1花弁の先の2点の黄色い部分は花外蜜線で、昆虫はよく寄り付く。2020-09-09
417アケビアケビ現在は食べ物が豊富で、子どもたちも口にしないが果実んの皮部分は乙に味わえる。2021-03-24
418アキノノゲシアキノノゲシ同類のヤマニガナ・オオニガナは花色が黄色、本種はクリーム 色。2021-03-23
419アキノキリンソウアキノキリンソウどこにも生えるが、その環境で成長にバラツキ、大きさも大きく異なる。2021-03-23
420アギナシ2アギナシ2郊外の田んぼ畦(アゼ)を歩いてみるのも一興で、見慣れない草花に出会える。2021-03-23
421アギナシ1アギナシ1水田の端に生えるオモダカの仲間で多年草。 下部に少数の雌花、上に多数の雄花がつく。2020-09-09
422アキグミアキグミ秋も深まると、アキグミの実も赤くたわわに実る。2020-09-09
423アキカラマツアキカラマツ黄色い葯・ヤク(花粉を作る袋状の器官のこと)だけが目立つ。健胃剤として用いられ、葉を噛むと強烈に苦い。2020-09-09
424アカマツ2アカマツ2まず雄花は前年の枝に多数の黄色い花粉を出す。 その頃松林を走ると黄砂のようにつく。2020-09-09
425アカマツ1アカマツ1観察することが少ないが、春先雄花の時期がおわると、新芽の先に雌花が付く。2020-09-09
426アカフタチツボミアカフタチツボミタチツボスミレは一番ポピュラーだが、葉に赤い斑が入るのが本種。2020-09-09
427アカバナシモツケアカバナシモツケ湿原周辺に群生し、高原に生える。果実に毛があるのでシモツケソウと区別。2020-09-09
428アカネの根アカネの根根は黄赤色で乾かすと黒色で、アカネ染めの染料にもちられる。2020-09-09
429アカネアカネつる性の多年草。葉は4枚の輪生で、柄の長い方2本が派で、短いのは托葉(タクヨウ)。2020-09-09
430アカカタバミアカカタバミ街中でも普通のカタバミ同様にアカカタバミも見かける。 帰化植物。2020-09-09
431アオハダアオハダキハダの肌。 和名の由来は、表皮をはがすと、緑色の樹肌が現れることから。2020-09-09
432アオハダアオハダ雌雄異株で、写真は雄花。 里山でも時に見られる。2020-09-09
433アオハダアオハダアオハダの果実。 赤い実が緑の葉と対照的に良いコントラストを醸す。2020-09-09
434アオツヅラフジアオツヅラフジ街中でもフェンスにからまるツル植物。 秋には青い果実をたわわに付ける。 カミエビとも呼ばれる。2020-09-09
435アオギリアオギリアオギリの果実。 中国原産で、公園などで植栽されている。 種子の付き方が独特で、一見の価値がある。2020-09-09
436シュウカイドウシュウカイドウ同じ株に雄花と雌花が別々につく。 同じ花色なので知らないとどれでも同じかも。2020-09-09
437トウダイグサトウダイグサ花は杯状花序(ハイジョウカジョ)といい、総苞片(ソウホウヘン)に雄しべ・雌しべ・腺体が包まれる。2020-09-09
438ヤナギランヤナギラン従来ヤナギランと和名で呼ばれていたが、長野県内のそれは「ウスゲヤナギラン」に。2020-09-09
439ヤナギランヤナギランファンの多い花で、雄性先熟。まず雄しべが熟し、その後雌しべが熟す。2020-09-09
440クヌギクヌギクヌギ二度伸び現象。 多くの樹木は春に一度だけ芽が伸びるが、クヌギは二度伸びる。2020-09-09
441ギンリョウソウギンリョウソウ別名ユウレイタケ。 葉緑素のない腐生(フセイ)植物。 初めて見たときはインパクト大。2020-09-09
442コシアブラコシアブラ山菜では大好物ながら、その花を知らずに、某県のその筋に問い合わせをした思い出も。 別名ゴンゼツノキ。2020-09-09
443ドクダミドクダミ昔から薬草として大事にされていたが、はびこると手をやく。 花びら上のは総苞片(ソウウホウヘン)。2020-09-09
444ホオノキホオノキ花は頭上に多くの場合があるので、その花の変化も仕組みもなかなか目にできない。2020-09-09
445ホオノキホオノキ朴の木(ホオノキ)。 雌性先熟(シセイセンジュク)のホオノキ。 その葉は多くの樹木の中でもっとも大きい。2020-09-09
446アカフタチツボスミレアカフタチツボスミレ赤斑立坪菫(アカフタチツボスミレ)。 葉脈に赤紫色の斑が入り、タチツボスミレの中で別種となる。2020-09-09
447サイカチサイカチ刺で実を守る植物の中でも、最強の刺を持つ。 果実は30㎝にもなる。 別名カワフジノキ。2020-09-09
448ニリンソウニリンソウ二輪草(ニリンソウ)。 イチリンソウ・ニリンソウ・サンリンソウとある。芽生え時トリカブトと混同しがち。2020-09-09
449クサボケクサボケ別名ジナシの果実。 果実酒にいかがでしょう。 花燃えるような赤で俗名カシバナ。2020-09-09
450ホザキシモツケホザキシモツケ隔離分布し、霧ヶ峰がその南限で、これはバラ科木本で、穂状の花を付ける。2020-09-09
451ウスバサイシンウスバサイシンフタバアオイ同様に、はいつくばって観察しないと特異な花もわからない。2020-09-09
452ツリフネソウツリフネソウ仲間にキツリフネソウがある。 いずれも、果実は手がふれると、はじけて種子が飛ぶ。2020-09-09
453クマイチゴクマイチゴ熊苺(クマイチゴ) これもクロイチゴの近くに見られる。 やはり食べられるが刺は強烈すぎる。2020-09-09
454クロイチゴクロイチゴ黒苺(クロイチゴ)。 果実は黒色に変わり、食べられる。 エビガライチゴなども付近にある。2020-09-09
455キュウリグサキュウリグサ胡瓜草(キュウリクサ)。 里に生える。 葉や茎を手でもむと、野菜のキュウリの匂いがする。2020-09-09
456ヒメハギヒメハギハギと名がつくが、ヒメハギ科。 花が紫色で、ハギに花を付ける。2020-09-09
457ヒロハコンロンソウヒロハコンロンソウコンロンとは中国の崑崙山(コンロンザン)の雪に見立てたとの説がある。2020-09-09
458ユモトマユミユモトマユミ日光湯元にちなむ和名。 来客から人名かとよく聞かれる。 ピンクの果実は目立つ。2020-09-09
459ヤマシャクヤクヤマシャクヤク自生は見られなくなったが、白い花弁はすがすがしい。2020-09-09
460レンゲツツジレンゲツツジ霧ヶ峰の6月の花とといえばレンゲツツジ。 鹿食害はなく人気の花健在。2020-09-09
461ショウジョウバカマショウジョウバカマ猩々袴(ショウジョウバカマ)。 二年葉は先端部に不定芽を付けて、種子以外にも繁殖する。2020-09-09
462ヤブマメヤブマメ藪豆(ヤブマメ)。 種子を3通りででつくる。 解放花・地上閉鎖花と繁殖強力。2020-09-09
463ホトトギスホトトギス園芸種のホトトギスも、精妙な花構造で、昆虫がどう花粉を運ぶか要観察。2020-09-09
464ムカゴイラクサムカゴイラクサイラクサの中で「むかご」がつく。イラクサ類は触る時には注意しよう。2020-09-09
465フクジュソウフクジュソウ福寿草(フクジュソウ)。 春を告げるおなじみの花で、花弁(カベン)はパラボラアンテナのようで光を集める。2020-09-09
466セツブンソウセツブンソウ春一番に咲き出す。 花びら状のものは咢片(ガクヘン)。 花弁は蜜線(ミツセン)。 キンポウゲ科。2020-09-09
467ミズヒキミズヒキ花被(カヒ)は赤色で裏は白色水引から連想。 歯に黒い斑模様が出る。2020-09-09
468サルスベリサルスベリ街路樹によく植えられている。 花色は赤白あるが、フリルのような花弁。2020-09-09
469フジバカマフジバカマアサギマダラに好まれるキク科の花。 昔中国から伝来した。2020-09-09
470ヤブランヤブランランに似ていて、藪に生えているのでこの名。 地味ながら花は美しい。2020-09-09
471モウセンゴケモウセンゴケ毛氈苔(モウセンゴケ)。 食虫植物で貧栄養の湿地で生長し、白い花は夏場に観察できる。2020-09-09
472ノイバラ果実ノイバラ果実野茨(ノイバラ)の愛称でどこでも見かける。 香りがよく、秋に赤く熟す。2020-09-09
473アブラチャン果実アブラチャン果実果実から油をとったことから、命名。 チャンとは「瀝青(レキセイ)」のこと。2020-09-09
474ブタナブタナ豚菜(ブタナ)。 別名タンポポモドキで、昭和初期に渡来し全国あちこちで大繁殖してきた。2020-09-09
475ヤマハハコヤマハハコ山母子(ヤマハハコ)。 白い花はまるで造花のような手触りで、ウスユキソウとの 違いも慣れるとわかる。2020-09-09
476ウバユリウバユリユリの仲間では特異な姿で名前の由来も面白い。(花が咲く時はたいてい葉が枯れているので葉を歯がないうばにたとえてこの名ができたと言われている。) 実生(ミショウ)から数年でようやく開花する。2020-09-09
477ヒメイズイヒメイズイ姫萎蕤(ヒメイズイ)。 イズイとはアマドコロのことで小さなアマドコロ。 梅雨のころ密やかに咲く。2020-09-09
478マムシグサマムシグサこれは雌性期(シセイキ)。 仏炎苞(ブツエンホウ)の下部は閉じていて、花粉を運んだ虫たちも閉じ込められる。2020-09-09
479マムシグサマムシグサ性遍歴をすることでマムシグサは有名。 無性か雄性か雌性期(シセイキ)か見てみましょう。2020-09-09
480ソメイヨシノソメイヨシノソメイヨシの花外蜜線。 花粉媒介する多くの昆虫たちを呼び寄せるため、花外蜜線を持つからくりがある。2020-09-09
481チゴユリチゴユリ稚児百合(チゴユリ)。 小型の多年草で地下茎でどんどん広がる。 オオチゴユリもある。2020-09-09
482ウラジロモミウラジロモミ御柱祭の御用材は下社は八島下の東俣国有林から調達される。2021-05-03
483ヤマヨモギ(オオヨモギ)ヤマヨモギ(オオヨモギ)大艾(オオヨモギ)。 ヨモギより大型なり、葉柄(ヨウヘイ)のところにある小さな葉「仮托葉(タクヨウ)」がない。2020-09-09
484ヨモギヨモギ蓬・艾(ヨモギ)。 ヨモギもヤマヨモギも同じような標高に生える。 違いがわかると観察も充実する。2020-09-09
485アマドコロアマドコロ甘野老(アマドコロ)。 花は通常1~2個ながら、まれに3個もついており、最初は新種かもと思う。2020-09-09
486八島ヶ原湿原鹿侵入八島ヶ原湿原鹿侵入湿原・高原至る所にニホンシカが侵入し食害、侵入防止フェンスも設置する。2020-09-09
487オオシラヒゲソウオオシラヒゲソウ大白髭草(オオシラヒゲソウ)。 精妙花のつくりに魅せられる。 同類のウメバチソウもなかなか魅力的。2020-09-09
488建て御柱建て御柱5月14日の秋宮一の柱の建御柱。 上諏訪地区担当。 年月等不明。2021-04-13
489長持ち 長持ち 「昭和十三戊虎歳御柱記念」。 諏訪大社下社、春宮鳥居前で長持ち勢ぞろいの記念写真。2021-04-13
490お祭りと子どもお祭りと子ども祭りの記念写真、大人は着物姿の正装、 子どもたちは祭り支度で長持ちの杖を持っている。 御田町劇場前での撮影。2022-06-12
491長持ち 長持ち 下の原長持ち集合写真2022-06-12
492下諏訪上空(西赤砂付近)下諏訪上空(西赤砂付近)赤砂上空から西赤砂(砥川右岸)を撮影していると思われる。写真右上に鷹の橋と砥川が見える。中央(写真右上から左下へ)を走る道の北側(写真上方)には田んぼが広がっているが、現在は一般県道岡谷・下諏訪線が東西に、西大路通りが南北に新しく開設されている。西大路通りは写真のほぼ中央やや上あたり、現在の西赤砂信号まで整備され、地域の景観はずいぶん変化している。なお、十四瀬川が写真左上から道路を横切って右下に流れている。写真では黒っぽく筋のように見えている。また、写真左上や右下にリンゴ園と思われる果樹園らしき景観も確認できる。2021-04-18
493航空写真 四王上空航空写真 四王上空写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。2021-04-18
494ホオアカホオアカ「ホオアカ」ホオジロ科 全長16cm 翼開長23cm 高原を代表する一種。頬が赤褐色でこの名がついた。草原を好み草木のてっぺんでさえずるので見つけやすい。夏になると一度は高原に行って見たくなる鳥でもある。2021-03-04
495イスカイスカ「イスカ」アトリ科 全長18cm 翼開長28cm 冬鳥でくちばしの上下が合わずに交差しているのが特徴。松かさの鱗片をこじ開けて中の種子を食べ、冬でも繁殖する。2021-03-04
496オオマシコオオマシコ「オオマシコ」アトリ科 全長17cm 翼開長27cm 冬日本に渡来するが年によっては数にばらつきがある。雄は深い紅色で美しいが紅色になるまでには数年かかるという。冬枯れの林を彩ってくれる鳥でもある。2020-09-09
497ベニマシコベニマシコ「ベニマシコ」アトリ科 全長15cm 翼開長21cm ユーラシア東部で繁殖し冬渡来する。初冬「フイッフイッ」と草むらでかすれたような声で鳴く、草の中で夢中になって餌をついばむのを見ることもあるが、たいていは知らずに近づいて飛び立たれ気づく。北海道、東北の一部では繁殖し夏の雄は深い紅色となりあでやかである。2021-03-04
498スズメスズメ「スズメ」スズメ科 全長14cm 翼開長22cm 詩や短歌、童謡に登場し人家の周辺に棲み人と共同生活をしている。チョンチョン跳ねる姿は身近な鳥として欠かせない仲間ですが、近年環境の変化で大きく数を減らしている。2021-03-04
499オオルリオオルリ「オオルリ」スズメ科 全長16cm 翌開帳27cm 日本三鳴鳥の一種。梢や枝先で大きく美しい声でさえずる。歌が上手でバードウォッチャーの人気者。2021-03-04
500ノビタキノビタキ「ノビタキ」ヒタキ科 全長13cm 翌開長20cm 高原を代表する一種。草花や低木のてっぺんなどに止まり昆虫類が近づくと軽やかに飛び捕まえる。秋の渡りの時期には農耕地、河川敷の草地などで見かける。2020-09-09
501ジョウビタキジョウビタキ「ジョウビタキ」ヒタキ科 全長15cm 翼開長22cm 翼に白斑があり「紋付き鳥」とも呼ばれている。冬鳥として渡来し街中の公園や人家の庭先などにもやってくる。近年渡りをせず諏訪地方でも何件かの繁殖例がある。2021-03-04
502コマドリコマドリ「コマドリ」ヒタキ科 全長14cm 翼開長21cm 日本三鳴鳥の一種。張りのあるさえずりが「ヒン、カラカラカラ」と馬のいななきを連想させ「駒鳥」の名がついた。亜高山の針葉樹林帯などに棲み昆虫やクモなどを捕食する。2021-03-04
503クロツグミクロツグミ「クロツグミ」ヒタキ科 全長21cm 翼開長34cm 黄色のアイリングが目立つ、雄は高い木の梢で「キョロン、キョロン」と美しい大きな声でさえずる。ミミズや昆虫類の他に木や草の実などを捕食する。2020-09-09
504カワガラスカワガラス「カワガラス」カワガラス科 全長22cm 翼開長31cm 山間部の渓流に棲み、水面すれすれに飛び河川外には出ない。翼を使い泳いだり川底を歩いて水生昆虫を捕食する。コケなどを集めて水辺の崖や滝の裏側などに営巣する。2021-03-04
505コヨシキリコヨシキリ「コヨシキリ」ヨシキリ科 全長12cm 翼開長19cm 草原を代表する一種。ウグイスの仲間で地味な鳥。夏鳥として高原に渡ってきて、草花などのてっぺんでよくさえずり遠くまで響きます。2021-03-04
506メジロメジロ「メジロ」メジロ科 全長11cm 翼開長17cm 目の周りに白い輪がありこの名がついた。主なエサはクモや昆虫だが、桜などの花が咲くと蜜を吸いに群れでやってくる、小枝に多数が並び「メジロ押し」が見られる時もある。2021-03-04
507ウグイスウグイス「ウグイス」ウグイス科 全長15cm 翼開長21cm 日本三鳴鳥の一種。藪の中から高らかに鳴く春の風物詩で「春告げ鳥」とも言われている。鳴いていてもなかなか姿を見ることができない。冬は平地の藪などで過ごし、時には人家の庭先にも現われる。2021-03-04
508ヤマガラヤマガラ「ヤマガラ」シジュウカラ科 全長14cm 翼開長22cm 日本と朝鮮半島、台湾にしかいない留鳥。昔は縁日などでおみくじ引きなどの芸をさせられた鳥。エゴの実などのかたい実でも嘴で割って食べる。2021-03-04
509キクイタダキキクイタダキ「キクイタダキ」キクイタダキ科 全長10cm 翼開長15cm 日本で一番小さい鳥。菊の花びらを頭頂にのせたように見られこの名がついた、葉先の小さな昆虫を捕食するのでチョコチョコと動き撮影しずらい。2021-03-04
510ヤマセミヤマセミ「ヤマセミ」カワセミ科 全長38cm 翼開長67cm 北海道から九州にかけて春夏秋冬見られ、どの季節でも似合い、違和感もなく風景に溶け込んでしまう不思議な鳥だと思う。主食は魚で河川の改良などで数を減らしている。日本のカワセミ類の中では最も大きい。2021-03-04
511カワセミカワセミ「カワセミ」カワセミ科 全長17cm 翼開長25cm 美しさから「飛ぶ宝石」の異名を持つ。漢字では「翡翠」と書き、先に鳥の名前がありそれが宝石の名前に転用されたという。美しさだけではなく目が大きく、しぐさもかわいい。草木のある水辺などに似合う鳥だ。飛び方は直線的で速いが、歩くのはよちよち歩きで大変に苦手である。2021-03-04
512オオワシオオワシ「オオワシ」タカ科 全長92cm 翼開長220cm オオワシは日本で一番大きなワシ。 平成11年1月4日諏訪湖で保護され49日間の手厚い介護により体力を回復し、同年2月21日放鳥以後19季連続で諏訪湖へ越冬に飛来。冬の風物詩として「グル」の愛称で大勢の方に親しまれた。2021-03-04
513コハクチョウコハクチョウ「コハクチョウ」カモ科 全長120cm 翼開長177cm 湖沼・川など毎年きまった越冬地へ飛来する。水面をねぐらとしマコモの根などを食べる。春には繁殖地のシベリア極北部へ渡る。諏訪湖に昭和49年11月11日、2羽が飛来以降「冬の使者」「シベリアからの使者」と呼ばれ諏訪湖の風物詩として大勢の方に親しまれている。2021-03-04
514キジキジ「キジ」キジ科 全長80cm 翼開長60cm 日本固有種、昔から多くの民話に登場し親しまれている。国鳥に指定されているが狩猟鳥。2021-03-04
515ヤマドリヤマドリ「ヤマドリ」キジ科 全長:雄125cm・雌55cm 翼開長80cm 日本固有種、繁殖期には翼をはばたかせ幌(ホロ)打ち(ドドドドと羽を打ち鳴らす)を行う、雄は長い尾をしている、数も少ないのに狩猟鳥。2021-03-04
516旧庁舎前にて旧庁舎前にて旧下諏訪町役場前での記念撮影。 写真前列中央に高木十吉氏が映っている。2021-12-26
517御柱伐採御柱伐採御柱祭、伐採の様子。 「秋宮1の御柱」の札が柱につけられている。 詳細不明。2021-05-03
518第三分団第三分団下諏訪町誌警防團第三分團の記念写真。 警防団の名称や「防空部」という文字が戦時中を感じさせる。2022-06-09
519第三区騎馬第三区騎馬「第三区奉納騎馬」記念写真。 第三区の騎馬行列は明治11(1878)年に始まり、昭和47(1972)年第一区と共に町の無形文化財に指定された。 第三区の騎馬は「凱旋騎馬」と呼ばれている。2022-06-12
520浪人塚の例祭浪人塚の例祭元治元(1864)年水戸藩の尊王攘夷を叫ぶ急進派(天狗党)の約800(1000)人ほどの浪士隊一行は中山道を和田峠を越えてやってきた。これに対し高島・松本両藩は幕命を受け、11月20日に樋橋で迎え撃ち激戦を広げた。戦いは戦慣れした浪士隊が両藩を打ち破り下諏訪宿に入ることになった。「和田嶺合戦」「砥沢口合戦」「樋橋合戦」などと呼ばれる。この合戦で命を落としたのは浪士勢14~5人、松本勢4人、高島勢6人であった。明治2(1869)年高島藩は浪士のために戦士塚を造り、翌年には水戸に照介して6名の名を刻んだ碑を建て供養した。その後、25・50・70・90・100年祭などを催している。2022-03-19
521浪人塚の例祭浪人塚の例祭元治元(1864)年水戸藩の尊王攘夷を叫ぶ急進派(天狗党)の約800(1000)人ほどの浪士隊一行は中山道を和田峠を越えてやってきた。これに対し高島・松本両藩は幕命を受け、11月20日に樋橋で迎え撃ち激戦を広げた。戦いは戦慣れした浪士隊が両藩を打ち破り下諏訪宿に入ることになった。「和田嶺合戦」「砥沢口合戦」「樋橋合戦」などと呼ばれる。この合戦で命を落としたのは浪士勢14~5人、松本勢4人、高島勢6人であった。明治2(1869)年高島藩は浪士のために戦士塚を造り、翌年には水戸に照介して6名の名を刻んだ碑を建て供養した。その後、25・50・70・90・100年祭などを催している。2022-03-19
522浪人塚の例祭浪人塚の例祭元治元(1864)年水戸藩の尊王攘夷を叫ぶ急進派(天狗党)の約800(1000)人ほどの浪士隊一行は中山道を和田峠を越えてやってきた。これに対し高島・松本両藩は幕命を受け、11月20日に樋橋で迎え撃ち激戦を広げた。戦いは戦慣れした浪士隊が両藩を打ち破り下諏訪宿に入ることになった。「和田嶺合戦」「砥沢口合戦」「樋橋合戦」などと呼ばれる。この合戦で命を落としたのは浪士勢14~5人、松本勢4人、高島勢6人であった。明治2(1869)年高島藩は浪士のために戦士塚を造り、翌年には水戸に照介して6名の名を刻んだ碑を建て供養した。その後、25・50・70・90・100年祭などを催している。2022-03-19
523秋宮一の御柱秋宮一の御柱諏訪大社下社秋宮一の御柱。 御柱の根元の様子が現在と違う。 撮影年月日等不明。2021-05-03
524酒屋の店先酒屋の店先田中町の中村酒店の桜町の新宅「現中村□酒店」。 店の軒下にしめ飾りがあるので、の正月の記念写真と思われる。軒下や店先には「味の素」「三ツ矢サイダー」「キリンビール」「キッコーマン」「理研清酒 新進」「電話四六二番」「焼塩小売賣所 焼塩小売賣人 中村□」「塩小売賣所 塩小売賣人 中村□」…などの看板や掛札が並んでいる。2023-02-21
525下諏訪町立博物館下諏訪町立博物館昭和26(1951)年12月3日下諏訪町に文化財保存会が出来翌27(1952)年秋宮神饌(しんせん)を借用して神社共有の博物館がた開館した。建物は「諏訪大社宝物陳列場」に併設されていた。 昭和46(1971)年4月1日、高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての博物館が出来た。 平成5(1993)年6月、「諏訪湖博物館・赤彦記念館」として湖岸通りの西高木にオープンした。2024-03-20
526記念写真記念写真慈雲寺裏の庭園での記念写真と思われるが、詳細不明。 中心近くに高木十吉氏がいる。(高木十吉氏 第16,19代町長 S7-8 S18-19)2023-11-14
527第三区騎馬奉納第三区騎馬奉納戦後初めての御柱祭。友之町の未舗装国道にて撮影。 後方に屯所の火の見櫓が見える。2022-06-09
528阿木翁助氏阿木翁助氏昭和6(1931)年に旧制諏訪中学を卒業(同期生に新田次郎氏)、上京し新聞配りをしながら築地小劇場研究所に学び、小林多喜二労農葬の名目上の実行委員長を務めた歴史の証人でもある。ムーランルージュや新生新派などの大衆演劇で活躍。戦後は菊田一夫氏とともに連続ラジオドラマの脚本家としても鳴らした。当時は日本放送作家協会理事の現職にあった。阿木氏はこの日から二ヶ月後の8月25日、癌研究附属病院で年肺がん切除の手術を受けた。平成14(2002)年に没。なお昭和52(1977)年に紫綬褒章受賞。本名は安達鉄翁。下諏訪生まれ。写真の阿木氏は何歳ごろのものか不明。2021-11-13
529三井組表彰式三井組表彰式製糸業を営んでいた表彰記念撮影。2022-01-18
530みどり幼稚園みどり幼稚園下諏訪協会では戦前の昭和10(1925)年から文部省公認下諏訪幼稚園として経営していたが、戦時中は下諏訪町保育所に吸収され、園舎は軍工場に使用されていた。戦後は昭和26(1951)年仮免許で再び幼稚園を始め、翌27(1952)年文部省管轄下にある教育施設として、県知事の認可を得て「みどり幼稚園」と改名した。この年平成2(1990)年は戦後の幼稚園開園から40年目にあたる。園舎の軒に「開園記念バザー」の幕も見える。2020-09-08
531御柱祭木落し御柱祭木落し昭和31年の御柱、木落しの写真。柱に乗っているのは中村・杉山・牛山木落。2022-01-18
532皇太子夫妻ご来町皇太子夫妻ご来町皇太子(現上皇様)夫妻ご来町。 明治天皇御巡幸(明治13年6月24日)から80年目の年ご結婚された皇太子殿下ご夫妻が旅行に来られた際の下社秋宮での様子。2020-09-05
533木落し木落し御柱祭山出しの木落坂風景。 氏子の着ている法被がみな紺色のため昭和43年以前の御柱祭り。 昭和43年から紺の印反てん(法被)が現在の下諏訪町の色染め法被(はんてん)になる。2021-05-03
534下諏訪町東国民学校下諏訪町東国民学校校門の右の石柱に「下諏訪町東国民學校」、左の石柱に「下諏訪青年學校」「下諏訪實科高等學校」とある。 東国民學校はそれまでの下諏訪尋常高等小學校から昭和16(1941)年に名称変更されている。下諏訪青年學校は昭和10(1935)年に下諏訪實業補習學校と青年訓練所が統合して設立している。下諏訪實科高等學校は大正15(1926)年に通年性補習學校から改称されている。写真は昭和16(1941)年に東国民學校となったときに門柱の名札が付け替えられたとき撮影されたものと推察する。2023-02-26
535大合理的炊事講習会大合理的炊事講習会垂れ幕に「大合理的炊事講習会」とある。また、背景の額に「青雲館」とあるので、第三区青雲館二階で行われた何らかの講習会の記念写真と思われる。詳細不明。2022-03-09
536樋橋敬老会樋橋敬老会「紀元二千六百年 敬老會記念 主催樋橋青年會」昭和15年の大典の時の記念写真と思われるが、撮影場所は判断できていない。  2022-01-13
537笠原製糸工場笠原製糸工場(屋号 山二)笠原製糸工場表彰式。 経営者の名前を下諏訪町誌から探すと、笠原亀蔵の経営する製糸場が明治23(1890)年に開業している。2020-09-05
538三協精機野球部三協精機野球部三協精機の野球チームは昭和36(1961)年から昭和50(1975)年まで都合9回「都市対抗野球」に信越代表で出場している。特に昭和46(1971)年の時は準決勝まで進出し、ベスト4に入っている。また、昭和49(1974)年の第一回全日本社会人野球選手権大会では優勝し、ダイヤモンド気を手中にしている。この時三協のエース大塚は9回2アウトまでノーヒットノーランを記録していた。惜しくも9回2アウトからヒットを許し大記録はならなかったが4-0の快勝であった。監督は光沢監督であった。写真は場所、年月も不明だが、応援の様子から後楽園球場の都市対抗の一場面と推察する。2022-02-24
539メーデーメーデー昭和39年メーデー ヤジカ前(現ムトー工業)2020-09-05
540メーデーメーデー昭和39年のメーデー 駅前集会 日通のトラックをステージに。2023-11-19
541メーデーメーデー昭和39年のメーデー。2020-09-05
542ニッコウキスゲニッコウキスゲ一枚目は、八島高原のニッコウキスゲ。写真左は八島高原入り口の駐車場。 八島高原のニッコウキスゲ。 二枚目の写真左に「八島池」が見える。 初夏、シュレーゲルアオガエルの鳴き声は「日本の音百選」に選ばれ、高原を訪れる観光客を楽しませている。2022-01-18
543天皇皇后両陛下来訪天皇皇后両陛下来訪天皇皇后両陛下(現上皇様)が平成4(1992)年9月6・7日来訪。6日のご視察は信濃医療福祉センター・長野県花田養護学校。7日は㈱三協精機製作所・諏訪市温泉植物園・諏訪北澤美術館へご視察。 写真は㈱三協精機製作所(社名が㈱日本電産サンキョーへ変わり現在は㈱ニディックインスツルメンツ)へご視察。2023-09-28
544山出し山出し昭和37年諏訪大社下社御柱祭。 御柱祭山出しの風景、萩倉の村中を曳行中。 法被に「岡谷」の染め抜きがある。2021-05-03
545山出し山出し昭和37年御柱祭。 山出し風景、萩倉の村中を御柱が曳行中。2021-05-03
546山出し山出し昭和37年御柱。 山出し風景と思われるが、場所等詳細は不明。 法被の背中に「岡谷」とある。2021-05-03
547山出し山出し昭和37年の御柱祭、山出しの様子。 注連掛け手前の坂と思われるが、場所など詳細は不明。2021-05-03
548木遣り木遣り昭和37年御柱祭。 御柱の曳行中の風景。2022-05-12
549里曳き里曳き昭和37年御柱祭里曳き。 八幡坂(大社通り)の横には祭りの提灯が見える。 火の見やぐらが見えることから、現在の八幡坂高札ひろば附近での撮影。2021-05-03
550建御柱建御柱昭和37年諏訪大社の御柱祭。 建御柱の一風景、御柱の上の方に人の姿が見える。 どの柱など詳細は不明。2021-05-03
551御柱山出し御柱山出し諏訪大社下社の山出しの木落しの場面。 詳細等は不明。2021-05-03
552御田町店主の仮装御田町店主の仮装御田町店主の仮装で、一宮御用の御幣、法被姿・仮装姿の人々が見える。プラカードには「御田町エロの宮御用」「釜洞青果店」「まつや…」「かみや…」「山田屋」「洋服ハサクライ」などと読めるものがある。 実に昭和レトロな雰囲気が出ている。2024-04-03
553東御宝殿建て替え東御宝殿建て替え御柱祭に合わせて建て替え工事が進む諏訪大社秋宮の東御宝殿。 御柱祭のたびごとに西と東の各御宝物殿が交互に建て替えられる。 昭和49年のこの年の今回は諏訪大社下社春宮・秋宮が東御宝殿、諏訪大社上社本宮は西御宝殿の建て替えが行われる。2021-05-03
554御田町商栄会富士講御田町商栄会富士講1「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」関連写真。 1枚目は七合五尺、3枚目は須走登山口での記念写真。。2022-01-16
555武運長久祈願武運長久祈願「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」と書かれている。 1928~1932は御田町商業会富士講関連。2022-01-16
556東山田農家組合東山田農家組合「団体賞受賞婦人部創立記念 東山田神宮路第一農家組合」の文字。 ちなみに神宮司道は春宮前から医王渡橋を渡った先に地名として残っている。2022-01-18
557和田峠トンネル和田峠トンネル雪の和田峠トンネル。2022-03-10
558旧和田峠トンネル工事関係の建物旧和田峠トンネル工事関係の建物旧和田峠トンネル工事関係のいろいろな建物。2022-03-10
559水戸浪士(浪人塚)水戸浪士(浪人塚)浪人塚(水戸浪士の墓) 元治元年(1864)11月20日水戸浪人(天狗塔)の総勢千余名が、和田峠で、待受けた松本・高島藩士と争い、多数の死傷を出した。写真は水戸浪士25年祭。中央の日の丸の後方が浪人塚で、まだ木は大きくなっていない。2022-03-19
560福澤川山腹工事福澤川山腹工事(諏訪郡長地)福澤川に於ける山腹工事の一部(施工直後)。場所は当時の東山田村。年月等不明。2022-04-19
561萩倉分教場(萩倉分校)萩倉分教場(萩倉分校)明治8(1875)年に開校した萩倉文教場(分校)は本校へ統合し教育効果を高めるため、昭和41(1966)年4月2日、92年の長い歴史を閉じました。ここは小学4年までの児童約700人が子らまで学びました。紫綬褒章を受けたメンデル遺伝学の権威篠遠喜人氏はこの分校の出身。 廃校後は青年ホームとなり青年活動の拠点となった。また、農繁期には季節保育園や民謡の練習小中学校の行事等多くの人々が利用した。現在この場所には萩倉公会所が建てられている。2022-04-12
562お舟祭りお舟祭り遷座祭の柴舟が下馬橋横を移動中。2021-10-28
563碁会所碁会所「日本棋院諏訪支部碁會所」。大門通下馬橋南とあるので明新館が会場?2022-03-05
564保育園保育園昭和30(1955)年頃の保育園の風景。 町勢要覧の中で「児童の遊び場設置について昭和24年6月第一次児童福祉法改定項より母の会を中心にこどもに良い環境をという運動が活発になり、昭和25年7月15日復式スベリ台1基3蓮式ブランコ1基の遊園地が一か所誕生、その後各部落に設置がされ昭和26年には13か所となった。2020-08-02
565御柱祭木落し御柱祭木落し諏訪大社下社御柱祭山出し木落し坂。 年月等不明。2021-12-26
566製糸業製糸業製糸製造、工場内の風景。2022-01-18
567水産試験場水産試験場県立水産指導所。(現長野県水産試験場。) 昭和15(1940)年に下の原春宮左手前の西田圃へ設置されあ、長野県水産試験場が、昭和20(1945)年に諏訪水産指導所となり、さらに22(1947)年に長野県水産指導所諏訪支所となり26(1951)年湖浜にできた。また、アユ種苗センターが高浜公園横にある。2022-01-20
568電報電話局電報電話局昭和24(1949)年6月電気通信省の分離にともないそれぞれ現在地(昭和29年現在)へ新築移転した。2022-01-20
569下諏訪小学校下諏訪小学校写真上は下諏訪小学校(現下諏訪南小学校の旧校舎)の校門と玄関。写真下は諏訪湖方面からの撮影、学校のまわりは田んぼに囲まれている。 下諏訪学校の「南校」(低学年)が南四王に開設されたのは大正12(1923)年である。さらに昭和22(1947)年に戦後の新しい戦後教育制度のもと「下諏訪小学校」が発足している。また、児童の増加から昭和46(1971)年には新たに「下諏訪北小学校」が開設され、それまでの「下諏訪小学校」は「下諏訪南小学校」として新しい歴史を刻んできている。2022-01-20
570下諏訪町役場下諏訪町役場旧下諏訪町役場、公民館、「諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館」を経て 現在は「日本電産サンキョーオルゴール記念館・すわのね」になっている。2022-03-19
571役場分室役場分室下諏訪郵便局は、最初旧本陣岩波方に置かれたが、その後幾度か移転する。 1,明治5(1872)年 本陣岩波方 2,明治25(1892)年 増沢市郎兵ヱ方(旧警察右手前) 3,明治39(1906)年 立町3242(旧警察左手前) 4.大正5(1916)年 大社通5524(小口多郎方隠居所地) 5,昭和25(1950)年 広瀬町(下諏訪駅前通り) 6,昭和57(1982)年に現在の栄町に移転 昭和25年に郵便局は広瀬町へ移転。昭和27(1952)年教育委員会が設置されここで執務を開始、それ以後役場の分室として使用された。写真は役場分室・教育委員会当時のものと思われる。2022-03-19
572撮影会撮影会撮影会風景、後ろに片倉館とSBC放送の建物が映っている、場所は諏訪市の湖岸2022-04-19
573ガラス乾板写真ガラス乾板写真横町古田耕平氏蔵の写真。古田耕平氏は明治25(1892)年頃、中央線開通を期して横町辺りの図面を残している。その家のとなり家がガラスの写真屋として矢崎喜代太氏が明治10(1877)年頃から営業していたと思われる。2022-03-27
574水月公園さくらまつり水月公園さくらまつり戦後、「水月公園さくらまつり」で行われていた「広告コンクール」の一風景。2022-03-13
575下諏訪駅下諏訪駅下諏訪駅上り線ホーム。2022-03-19
576こどもたちこどもたち元気な子どもたちの姿。2022-03-10
577運動会運動会昭和29年、清水町大運動会。2022-03-13
578敬老会敬老会昭和29(1954)年、清水町第一回敬老会。2022-01-13
579結婚式結婚式松葉屋(千尋館)で行われた結婚式の記念写真で撮影場所は広間や屋外など。 年代はどちらも昭和初期のもの。2022-01-13
580旧和田峠トンネル工事旧和田峠トンネル工事(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)2020-08-02
581旧和田峠トンネル工事旧和田峠トンネル工事昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。2024-03-17
582小宮祭小宮祭 昭和31(1956)年秋の清水町小宮祭の一連の写真。2022-01-13
583清水町赤砂の合同綱打ち清水町赤砂の合同綱打ち清水町赤砂の綱打ち。昭和43年の清水町赤砂合同綱打ちの記録と思われる。2022-05-08
584霞城館霞城館山王台にあった霞城館。右奥に忠魂碑が見える。写真左端に長持ちが一竿、正装で弓道か。2021-12-26
585諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮諏訪大社秋宮の現存する最古の写真。日露戦争に出征する人々の戦勝祈願の幟がはためく。狛犬の姿はなく、現在のような大きな注連縄もない。2021-12-26
586諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。2021-12-26
587諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮狛犬も戦争に行った?昭和5年清水多嘉示氏政策の狛犬は銅製のため戦争中の金属回収の国策により戦地へ供出され、主のない台座が見られるのみとなった。またこの写真には、神楽殿に戦後奉納されるようになる大注連縄はもちろんまだない。2021-12-26
588東明館・地鎮祭東明館・地鎮祭中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。 1772から1777までは東明館建て替え工事の一連の写真。この写真はこの大正4年に建てられた建物の建て替え工事のための地鎮祭の様子。なおこの工事がいつ行われたかは調査中。2022-01-12
589東明館の解体作業東明館の解体作業中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。写真はこの時建設された建物を建て替える際の解体工事写真と思われる。解体前の東明館は1772から1777参照。 なお、この工事がいつ行われたかはまだ未確認。調査中。2022-01-12
590東明館集会所東明館集会所中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。 なお、下諏訪町誌民俗編(417p)には明治32年に湯田町・新町に東明館が建てられたと書かれているので中村勝五郎の文書と一年違っている。 東明館建て替え工事の一連の写真。なおこの工事がいつ行われたかは調査中。2020-07-23
591校歌歌碑校歌歌碑下諏訪小学校歌碑「明けゆく空に」の歌碑が昭和37年度卒業生(424人)によって建てられた。2023-02-26
592お舟祭りお舟祭りお舟祭り柴舟曳行の風景。2022-01-06
593敬老会記念写真敬老会記念写真「第三区男女青年會 敬老會記念 昭和十一年十一月三日」 2021-12-26
594体操風景体操風景体操風景、同じ服装の女性たちが見える。 塀のそばに「保健□□」の垂れ幕が見える。2021-12-28
595広瀬町綱打ち広瀬町綱打ち友之町本通りと広瀬町の綱打ち記念写真。2021-12-26
596御田町小宮祭御田町小宮祭御田町の小宮祭風景。法被姿はなく、国民服や戦闘帽などが見られるので、戦中の小宮祭と思われる。2021-12-26
597明治天皇駐輦址明治天皇駐輦址明治13(1880)年、明治天皇は甲信地方の民情視察を行った。6月24日、石投げ場に車を止められ、諏訪湖の風景をめでられ、漁撈をご覧になられた。この日は小雨であったが、漁師たちは目のした3尺の大鯉を献上したという。後日「明治天皇駐輦(ちゅうれん)の記念碑」を建立した。 ちなみに、石投げ場の名前は、ここから石を投げれば諏訪湖に届くところから生まれた名称である。2021-12-26
598吉田養蚕伝習場吉田養蚕伝習場「吉田養蠶(蚕)傳(伝)習場」の看板がある。 岡谷市史中巻には「明治18(1885)年政府が蚕糸業組合の設立を令し、諏訪郡には蚕種・生糸の検査を行うことを主として「諏訪蚕糸業組合」が結成され、養蚕技術の普及向上にも努め上諏訪に養蚕伝習所を設けた」旨のことが書かれているが、この写真の詳細は不明である。2021-12-26
599牛山製缶所牛山製缶所看板に「創業十五週年記念 牛山製罐所」とある。店の奥に丸い缶が山と積まれている様子がわかる。 明治25~26年ころ、増沢寅之助氏がカリンの缶詰工場を操業した。自宅の裏土蔵の屋根下を利用したものだった。 使用している機械、服装等から明治末頃の写真と思われる。2021-12-26
600和田峠の切通し工事和田峠の切通し工事明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。2023-04-15
601記念写真記念写真諏訪大社下社秋宮神楽殿横にて撮影。2021-12-26
602秋葉山の展望台秋葉山の展望台秋葉山に設けられた展望台。水月会で戦後の昭和21(1946)年1月から水月園の復興に着手、28(1953)年4月秋葉山一帯を公園化することを条件に下諏訪町に寄付。町では秋葉山に展望台を設け自動車道を開きつつじ・かえで・桜を植えた。2021-12-26
603下馬橋下馬橋春宮大門通りの下馬橋。俗に「太鼓橋}と呼ぶ。 天将6(1578年造営、元文年間(1736頃)の修造といわれ、切り妻造りで古い様式を残す建物である。この橋より奥は神域で、馬上の人は馬を降りて橋の下を流れる御手洗川で身を清めて参拝したという。2020-07-23
604写真館写真館「ヨルモ ウツシマス」と入り口のガラスに書かれています。写真屋屋さん店頭。2021-12-26
605お舟祭りお舟祭り夏の遷座祭(お舟祭り)、下諏訪駅前の広場で騎馬行列が勢ぞろいしての記念撮影。第一区・第三区の騎馬が一緒に写っているのは珍しい。後ろに見える駅前の大鳥居は明神型の鳥居で、昭和25年に御柱の古材を使って建て替えられたもの。この鳥居は昭和31年ネオン塔に取り替えられた。「広瀬町誌」には昭和33年の写真と記載されているが、民聲新聞等を調査した結果、33年にはすでにネオン塔になっていることが判明した。2021-05-03
606東山田長持ち東山田長持ち東山田には「道中長持ち」「大社御用長持ち」「藩御用長持ち」「御騎馬御用長持ち」「御祝儀長持ち」がつたえられていいて現在の姿は大社御用長持ち。 写真上には「東山田区の長持ち札 越後将軍徳川忠輝公筆と穪(ショウ?)す 東山田区でハ之の長持ちを先頭に純特の足取りで練る 此の長持の飾付は特徴あり 寛永年間(1630)のもの」と書き込まれている。2022-05-03
607御騎馬御騎馬御騎馬の色傘と草履取りの写真。2022-05-08
608駅前通りスナップ写真駅前通りスナップ写真下諏訪駅前通りのスナップ写真。田村商店。2023-10-03
609諏訪女子学園諏訪女子学園入り口に「諏訪女子学園」の看板がある。 諏訪女子学園は、昭和42(1967)年度に西弥生町(富士見橋下)旧自動車練習場跡1.000坪を買収して新築工事に着手、体育館竣工と同時に入校し、続いて昭和43(1968)年3月に本館が落成した。 高等部(高等学校)、専門部(短大)がおかれた。学校組織は学園長阿木翁助(写真手前左端;日本放送作家協会理事長)、校長浜倫久以下職員17名、生徒は5学級234名であった。2021-12-26
610下諏訪町絵図下諏訪町絵図下諏訪町絵図。 地図の中に秋宮リンク、千尋池、四つ角に八十二銀行、高浜に水産試験場、高浜プール、町営グラウンド、小学校などがあることから、およそ昭和20~30年頃。戦後の可能性が大きい。2023-06-29
611友之町・広瀬町綱打ち 友之町・広瀬町綱打ち 「昭和卅一丙申年 御柱祭」友之町・広瀬町綱打ち集合写真。2022-05-08
612駅前通り駅前通り昭和42(1967)年頃の駅前通り。2022-06-09
613第三区凱旋騎馬勢揃い第三区凱旋騎馬勢揃い「無形文化財第三区凱旋騎馬勢揃い 平成四年申歳御柱祭(1992,4,3)」記念写真。2022-05-08
614清水町・長持保存会勢揃い清水町・長持保存会勢揃い「平成四年申歳御柱 清水町太鼓・長持保存会勢揃い」記念写真。2022-06-09
615清水町長持保存会清水町長持保存会「平成四申歳年御柱 清水町長持保存会 1992.4」記念写真。 2022-06-09
616清水町綱打ち清水町綱打ち平成4(1992)申羊年の清水町の第八回御柱祭綱打ちの記念写真。2022-06-09
617戦時中の開所式戦時中の開所式何の開所式かは不明だが、参加者の服装や式次第の中に「宮城遥拝」「大詔奉読」「廠長」という文字があることから、戦時中、それもかなり戦局悪化の頃の軍需品関係を製造・修理した工場の開所式の写真と思われる。2022-06-09
618赤砂飛行場赤砂飛行場赤砂飛行場の様子。2021-12-26
619神の湯開業神の湯開業大正11(1922)年9月砥川筋から少し入った山の手に、鉱泉神の湯が開業した。写真は上の湯遠景、源泉は毒沢から湧出する強酸性で鉄分とミョウバンを多く含む橙色の湯。「毒沢鉱泉」は飲用もでき、胃腸病や皮膚病、切り傷や貧血等に良いとされている。近くに信玄の各氏金山の跡といわれる場所もあり、武田信玄の隠し湯としてもPRしている。2022-06-09
620空襲に備えて空襲に備えて昭和20年も4月頃になれば戦況はいよいよ厳しくなり、空襲警報もしばしば発令されるようになり、主婦たちも空襲を想定してバケツリレーで消火訓練をした。学童も授業を中止して帰宅することが多くなってきた。この写真は御田町通りのバケツリレーの様子である。写真右からカネタマル・福助堂・橋本屋・安兵ヱといった店が並んでいた。 女性は防空頭巾にモンペ姿、男性は国民服にゲートルなど当時の服装がよくわかる。2022-06-09
621片倉製糸の運動会片倉製糸の運動会昭和10年頃の写真で、片倉製糸の運動会と記録されている。写真右下のオルガンに合わせて若い女性(女工)が裸足で集団演技をしている。万国旗の中心に飛行機の模型がつるされ、垂れ幕には「皇国興廃此一戦在女□□子一層奮励努力せよ」(日露戦争の時の日本海海戦時のスローガンをもじっている)と書かれ、戦時色が色濃く出ている。2022-06-09
622高林清高氏壮行会高林清高氏壮行会オスロオリンピックに出場する高林清高氏壮行会の時の写真と思われる。高林清高氏(1928~没年不詳)は下諏訪町出のスケーター。岡工から明治大学に進み、昭和27(1952)年のオスロオリンピックに出場、500mで6位入賞。さらにコルチナ・ダンペッソオリンピックにも連続出場。一線を退いてからはインスブルックオリンピックコーチとして参加。のち長野県スケート連盟会長も務めた。2022-06-09
623木落し木落し木落直前の様子。 ハッピに「岡谷」の文字が見える、岡谷地区担当の柱。2022-06-09
624長持ちコンクール特賞記念写真長持ちコンクール特賞記念写真「特賞 御柱祭協賛長持ちコンクール 南進日々新聞社」記念写真。法被から東町連の皆さんと思われる。2022-06-08
625御騎馬・草履取御騎馬・草履取奉納騎馬の中の草履取の所作披露。2022-06-09
626御騎馬御騎馬騎馬行列、一枚目は中央は「騎馬大将」その両側は「御小姓」で12~3歳の女子で大刀と鞭を持っている。 三枚目は曲傘と草履取り。2022-05-08
627四王綱打ち四王綱打ち四王の綱打ち風景。2022-06-08
628四王綱打ち四王綱打ち綱打ち作業。 特別に栽培された「関取」という名の草丈の長い稲わらを使い秋一の女綱と小宮の曳綱を3日に渡り、伝統の稲わらから綯(なう)綱打ちを行います。2022-06-08
629赤砂・綱打ち赤砂・綱打ち赤砂地区の綱打ちで元綱完成の記念写真。2022-06-08
630長持ち・花笠記念写真長持ち・花笠記念写真「31,5,11 御柱祭記念」、長持ち・花笠勢揃い。2022-06-08
631長持ち・花笠長持ち・花笠昭和43(1968)年戊申(つちのえさる)歳御柱祭記念。 ハッピから四王若連の文字。2022-06-08
632長持ちと笠踊り長持ちと笠踊り四王若連の長持ちと花笠踊りの様子。 場所は西鷹野町にあった公民館前(元下諏訪町役場) この建物は昭和23年3月~昭和45年1月(新庁舎着工)頃、公民館として使われていた。2022-06-08
633第一区騎馬勢揃い第一区騎馬勢揃い春宮神楽殿前に勢揃いした第一区奉納騎馬。昭和43(1068)年戊申(つちのえさる)の御柱記念写真。2022-03-19
634製糸工場風景製糸工場風景製糸工場風景。2020-06-27
635建御柱建御柱建御柱。背中に「岡谷」の文字が見えるので秋宮三の建御柱と思われるが詳細不明。2021-12-26
636立町長持立町長持立町長持ち衆の秋宮鳥居前での記念写真。詳細不明。2022-05-21
637長持・花笠勢揃い長持・花笠勢揃い長持ちと花笠が勢揃い。詳細不明。2023-06-29
638御騎馬御騎馬奉納騎馬行列。集合写真。2022-06-09
639御騎馬御騎馬御騎馬が分散して町内をお披露目しながら回る様子?お殿様役の子供が人形の馬にまたがっているが、今にも転げ落ちそうに眠っている。お疲れの様子。2022-06-09
640御騎馬御騎馬御騎馬が町内を分散してお披露目に回る様子。 「御騎馬第三班」の文字の旗。2022-06-09
641三区騎馬勢揃い三区騎馬勢揃い大正15年 寅年御柱祭 第三区騎馬行列勢揃い 曲傘 小口千束氏(小口修平氏父) 御槍 武井貞雄氏(武井直人氏父) 松沢文亀氏(松沢孝明氏父) 2022-06-09
642元綱元綱山出し祭の綱上げ風景、綱を運ぶ氏子たち。 法被の襟に下諏訪町の文字が見える。2023-04-06
643元綱作り元綱作り四王地区の藁から作る御柱用元綱づくりの様子。2023-03-03
644記念写真記念写真長持ち勢ぞろい。下諏訪駅前には「米本旅館」「菅野館」「山一旅館」が見える。2023-04-06
645旧博愛館前で記念撮影旧博愛館前で記念撮影富部地域の脱穀風景。現在の公民館駐車場。富部公民館は庄屋をつとめていた津金家の屋敷があった。2022-05-24
646記念写真記念写真男子生徒のみで撮影。足元には雪が見える、生徒は学生服姿・長靴・雪下駄・靴など様々。詳細不詳。徽章は梶の葉に「中」とある。2022-05-12
647花笠踊り花笠踊り女性に扮した男性の花笠踊り。詳細不明。2021-12-21
648御騎馬御騎馬春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。2022-05-12
649子ども木遣り子ども木遣り大人の人に肩車をしてもらい木遣りをなく男の子。2022-05-12
650長持ち長持ち「昭和十三年戌寅歳御柱記念」  東山田区長持ち勢揃い。2022-05-12
651綱打ち綱打ち矢木八町綱打ち。2022-06-07
652綱打ち綱打ち矢木八町綱打ち。旧金作木材の貯木場で綱打ちが行われた。後ろに見える建物は三協精機の社屋(弥生町)2022-05-08
653第三区騎馬勢揃い第三区騎馬勢揃い無形文化財第三区騎馬勢揃い。2022-05-08
654騎馬人物紹介騎馬人物紹介大正3年三区騎馬人物紹介。小口長男氏より聞き書き。2022-05-12
655三区騎馬三区騎馬大正三(1914)年三区騎馬。 騎馬の後ろの街並みは「有平」日用品・雑貨・馬具の文字 その奥の店は古着・銘茶・印紙の文字。2024-04-04
656神風車社青年会神風車社青年会長持ち・花笠の勢揃い、はっぴに「神風車社青年会」の文字が見える2022-05-12
657記念撮影記念撮影お祝いの集まり、皆さん正装をして記念撮影。2023-03-02
658神前結婚神前結婚秋宮幣拝殿にて記念撮影。2022-01-19
659御柱祭山出し御柱祭山出し御柱祭 大平出発の様子。 昭和19(1944)年4月11日、午前5時半頃棚木場を出発する秋一秋三の御柱、この後3時間して大事故が起きた。2021-12-18
660木落し木落し御柱祭、山出しの木落坂の木落しの風景。2021-12-18
661木落し木落し御柱祭山出し、木落坂。2021-12-18
662御騎馬御騎馬東山田法泉寺にて御騎馬行列勢揃い。 江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺にて撮影。 1630の写真は、「東山田今昔」(16p)に掲載されており、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。2022-05-03
663騎馬行列騎馬行列江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺寺にて撮影。 この写真は「東山田今昔」(16p)には、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。2022-05-03
664生糸生糸結束し出来上がった生糸。「KATAKURA SHIMOSUWA」等の文字⊕商標。2020-06-25
665聖火ランナー聖火ランナー国体の聖火リレーがオルゴール通り(駅前通り・広瀬町)を得下諏訪駅に向かって走っている。2021-12-18
666綱打ち綱打ち「諏訪大社御柱祭秋一御柱元綱」四王区綱打ち。 昭和25(1950)年以降、同地区は秋宮一の女綱づくりを担当しているが、近年は稲作農家が減少し、稲刈りにコンバインが導入されたため、稲わらの確保が困難になっていた。そこで安定してわらを確保するため。平成21、09(2009)年に同会を発足。御柱祭のたびにわらを供給している。同会によると、既製のわら縄ではなく、稲わらを使って綱を打つのは同地区だけだという。背丈の高い「関取」という品種で、刈り取った稲は、十分に天日干しした後に脱穀し、わらは田んぼ横のハウスで保管。同地区綱打ち委員会の手に委ねるという。2022-05-12
667千尋館千尋館千尋館の大広間にて宴会風景。 大勢の芸者衆の姿が見える。2023-03-01
668奉射(ぶしゃ)会奉射(ぶしゃ)会下諏訪町の弓道会の歴史は古く大正13(1924)年といわれている。諏訪大社御射山奉射(ぶしゃ)会、お舟祭り射会など秋宮の境内をはじめ場所を変えながら仮設道場を作り奉射会を行ってきたようだ。諏訪大社秋宮前(現在のトイレがある近辺)で行われた奉射会のようだ。2022-03-13
669御柱祭御柱祭平成二十二年度寅年諏訪大社式年造営御柱祭第三区役員・委員安全祈願。秋宮神楽殿前にて記念撮影。2021-12-26
670(旧)艇庫(旧)艇庫建設中の(旧)艇庫。2021-12-18
671消防役員慰労会消防役員慰労会川岸消防同盟慰労会、湖北消防同盟発足式の大巡検。2021-12-18
672御田町役員御田町役員昭和7(1929)年御田町役員。(矢崎・城取・入舟・大増・有賀)長持ちの前での撮影。2021-12-26
673記念写真記念写真国民服の男性の集合写真。2021-12-26
674御柱祭里曳き御柱祭里曳き御柱祭曳行風景。 四ツ角八十二銀行前を秋宮に向かう曳行。 阿部奈良屋方面から撮影されている。2021-12-18
675花笠花笠男性が女性に扮して傘踊りの支度をしている。詳細不明。2021-12-18
676成人式成人式第19回下諏訪町成人式 昭和42(1967)年度、第19回成人式。男子成人の集合写真。会場等不明。2021-12-18
677成人式成人式戦後の成人式、中央に黒田町長。 諏訪大社秋宮幣拝殿前にて、昭和40年度、女性成人の集合写真。2021-12-18
678弓道の練習風景弓道の練習風景学生の服装などから当時の様子がうかがえる。 手前の男児生徒は下駄をはいている。2021-12-21
679婚礼写真婚礼写真床の間の前で新郎新婦の結婚の記念写真。 和装の新郎新婦。2022-03-09
680記念写真記念写真旭日旗・国旗が見え、服装(軍服・国民服)などから戦争中の写真では?詳細不明。2021-12-18
681集合写真集合写真後ろに見える建物は繭蔵。 はっぴの男性の衿には「片倉製糸紡績株式会社」の文字。 写真に写る人たちは片倉の職員と思われる。2021-12-21
682岡谷中学スケート部岡谷中学スケート部昭和22(1947)年から始まったスケートの県高校選手権では岡谷南高校が岡谷中学時代から9連覇を達成している。写真は岡谷市体育協会史には「第2回県下中学スケート大会に優勝した岡谷中学(現岡谷南高)」と紹介されている。長野県スケート連盟史には、後列左から2人目が中島信一、右隣が増沢政幸と紹介されていて当時の主力選手であった。2021-12-18
683集合写真集合写真集合写真。後ろに鳥居が見える。女性が多く映っている。写真の中央には高木十吉氏が背広姿で写っている。2023-03-02
684大注連縄奉献大注連縄奉献戦後「日本第一大軍神」の大額が外された諏訪大社下社神楽殿。 「これでは寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け、初めて奉献したのが昭和24(1949)年。その後昭和54(1979)年まで途絶えていた。昭和54(1979)年と昭和60(1985)年に、出雲大社拝殿に大注連縄を奉献している島根県雲南市の須賀注連縄保存会の役員を迎え、御柱祭の前年に大注連縄作りの指導を受けた。 写真は昭和60(1985)年、御柱祭の新たな行事として定着させようと奉献会(約40人)が作った下社秋宮神楽殿の大注連縄奉納の時の記念写真。2021-12-18
685献幕記念献幕記念「大社奉祀会献幕記念昭和五十四年七月」の文字。諏訪大社秋宮神楽殿横にて、後ろの神楽殿や幣拝殿の幕が白く輝いて見える。神楽殿横に絵馬がかけられている。2021-11-03
686秋宮境内秋宮境内秋宮境内での撮影。 後方に菊花展を行っている様子が見える。 大注連縄ははすした後か(色が灰色がかっている)。2021-12-18
687お舟祭りお舟祭り夏の遷座祭風景。 そろいの法被姿やシャツ姿の氏子の姿が見える。 街並みは木の電柱、木造の住宅などが多く見えます。2021-12-18
688諏訪大社秋宮諏訪大社秋宮諏訪大社下社神楽殿。 大注連縄に赤い提灯が飾り付けられている。 神楽殿横を歩く御田植祭りの早乙女と思われる姿が見え、周りに参拝客や観光客の姿が多数見える。2021-12-18
689柴舟柴舟夏の遷座祭。柴舟の上の「媼(おうな)の人形」。 釣竿を持った翁(おきな)との1対を相向かいに柴舟に乗せる。これら人形については諸説あり、神の拠り代であるとの説がある。富部地区を中心とした「人形の会」によって毎年製作される。柴舟に幔幕が張られていないことから、製作中と思われる。製作は春宮境内で行われるが、部材には大型のセットと小型のセットがあり、その年の御頭郷によりいずれを使用するか決定される。現在は諏訪地方を10の地区にわけて御頭郷を輪番でまわしているが、中世には信濃の国全土の氏子の務めであった。2021-12-18
690遷座祭遷座祭夏の遷座祭、裃姿の大総代の皆さん。2021-12-18
691お舟祭りお舟祭り夏の遷座祭、春宮の鳥居前、柴舟が春宮を出発し秋宮に向かうところ。 柴舟の周りの氏子衆は揃いのはっぴ姿。 また、警察官の制服からも時代がうかがえる。2022-05-21
692お舟祭りお舟祭り遷座祭の柴舟が春宮の鳥居を出て秋宮に向かう様子。柴舟に下原・大社の神紋がついたちょうちんが飾られている。氏子の服装が現在の揃った姿とはだいぶ違う。2021-11-03
693諏訪大社秋宮諏訪大社秋宮神楽殿に大注連縄がない、社務所は現在と同じ、参道の階段は整備済み、東郷平八郎の掲額がない、狛犬がない…など現在とは様子の違う秋宮境内。2021-11-03
694石投げ場石投げ場北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。上諏訪方面からSLが煙を出し走っている。№1544の写真と比べると湖畔の整備が進み桜やカリンの並木が整えられ、大きくなっているのがわかる。また線路北側の開発も進んでいる。2020-03-06
695石投げ場石投げ場昭和40(1965)年の北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。埋め立てが終わっているが、湖畔の整備はまだ途中で桜やカリンの並木はもちろん湖畔道路も整備途中で波打っているように見える。2020-03-06
696撮影会撮影会八島湿原、撮影会の写真。2020-03-06
697旦過の湯旦過の湯湯田坂の風景、オレンジ色の建物は「旦過の湯」。鎌倉時代、慈雲寺を訪ねる修行の僧のために建てられた旦過寮のお湯のことを指すことから名がついた。その由来の為か新しく建て直された旦過の湯の壁のこて絵は修行僧の姿が画かれている。 湯が熱いのが売りになっていて、湯口は52度もあるという。下諏訪3湯(綿の湯、児湯、旦過湯)の中で最も高温で、傷、吹き出物に効能があると言われている。 写真2枚目、少し上に見える寺の屋根は来迎寺。2021-04-24
698旧中部電力旧中部電力立町の中部電力㈱下諏訪営業所を、リノベーションをし、現在は「しもすわ今昔館おいでや」(旧諏訪湖時の科学館儀象堂)になっている。工事作業中の写真。この建物の角に「諏訪電気発祥の地」の碑がたてられている。 1枚目の写真はみなと屋側から撮影。奴の看板が見える。2020-03-06
699下社秋宮前下社秋宮前諏訪大社下社秋宮前の三井屋と大社煎餅本舗。手前に以前石畳だった名残が残っている。2020-03-06
700鎌倉街道鎌倉街道小湯の上に残る鎌倉街道。現在「鎌倉街道」(鎌倉道)は諏訪市大和から高木集落の下を通り富部・武居・下の原・慈雲寺裏を経て砥川を渡り、東山田など、町周辺の山付きの村の標高の高いところを通り、ところどころに道筋を残している。2020-03-06
701大社通り大社通り大社通り「有賀商店」。手前の小路は「稲荷小路」。道向かいは諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(旧下諏訪町役場の地旧公民館、現在はオルゴール博物館すわのね)2020-03-06
702大社通り大社通り大社通り有賀商店。右隣は第一交通タクシー。2020-03-06
703湯田坂湯田坂国道142号辺りから見下ろした湯田坂。 左の大きな建物は旧旅館喜楽。 旧中山道の風情が残る街並み。2020-03-06
704街並み街並み国道142号(R142・湯田坂と衣文坂の交差している付近)から見た「うらかめや」、奥に見えるのが「児湯」。2020-03-06
705天白の坂道天白の坂道142号線(宮の上バス停近く)よりハイム天白方面(秋葉山から続く斜面)に登る急坂。坂の上には町指定文化財の横穴式の石室をもつ古墳時代末期の古墳、「ジジ穴・ババ穴古墳」がある。2021-04-15
706高浜付近高浜付近新田中線沿いにあった「サンアイ」・「諏訪湖市場」の看板付近と右手前は高浜運動公園のフェンス。2020-03-06
707街並み街並み旧甲州街道(甲州道中)、下諏訪中学校近くの建物、建物横に見える長い棒ははざかけ棒と思われるが、土壁とともに懐かしさを感じさせる。2020-03-06
708八幡坂の街並み八幡坂の街並み写真右に見えるのは専女(とうめ)社のけやき。工事を行っている場所は、現在は土産物屋(専女八幡)になっている。奥の茶色の建物は今は亡き「ホテル山王閣」。№1519,1520参照。2020-03-06
709秋宮境内の犬射馬場石碑秋宮境内の犬射馬場石碑「當社之犬射馬場(とうしゃのいぬいばば)」と刻まれている。 犬射馬場石柱が下社秋宮境内の秋宮一の柱の脇にもある。犬射馬場とは大祝の居館(神殿:ごうどの)につづく錬武の場であり、「諏訪大明神絵詞」にもお舟祭りの後に馬場で犬追物をして祭りが終わったことが記されている。馬場(ばっば)の名称としてその名残を留めその四囲にも石柱が残されている。2020-03-06
710久保秋葉大権現久保秋葉大権現撮影の日付と「犬射馬場石柱」と説明がある写真であるが、サトーニットの裏にある久保秋葉大権現の周りの石碑群にあるではないかと思われる。(男根に模した石柱に道祖神と刻まれたものがある)2020-03-06
711街並み街並み旧甲州街道(甲州道中)。上久保(下諏訪中学校)付近の街並み。このカーブの先右には土田墓地がある。2020-03-06
712商店商店旧甲州街道沿いにあった「青柳商店」の改築工事風景。現在は住宅となっている。後ろに見える建物は今はない「ホテル山王閣」。2020-03-06
713小路小路秋宮前大社通りから宿場町立町通りの間の路地。江戸時代の生活路で(俗名七つ蔵)「歴史のこみち」とも呼ばれている。 平成7(1995)年に路地の散策を続けてきた人たちで「下諏訪の路地を歩く会」が作られ、平成13(2001)年には日本記念日協会から、6月2日は「路地の日」の普及に貢献したとして記念日文化功労賞が送られている。 宿場町として栄えた歴史や閑静な風情、行き交う人情に触れることができる場所となっている。この周辺には岡本太郎や小沢昭一、永六輔らの直筆を刻んだ石碑や句碑を巡ることもできる。2020-03-06
714専女の欅専女の欅諏訪大社外苑の専女社(専女八幡)にある巨木「専女(とうめ)の欅」。この町内有数の巨木は、樹齢千年を超えているといわれ、遠く下筋からも見えて、芽吹きや紅葉で気候を占う陽気木として知られている。目通り周囲は約6メートル、高さは約30メートルといわれる。2020-03-06
715専女八幡付近の景色専女八幡付近の景色右手にオルゴール博物館「すわのね}、正面奥に専女(とうめ)の欅。工事しているところは現在駐車場と土産物店(専女八幡)がある。№1528参照2020-03-06
716商店商店秋宮リンク近くにあった(旧)林商店。2020-03-06
717製糸工場の面影製糸工場の面影「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。2021-04-21
718オフシーズンの秋宮リンクオフシーズンの秋宮リンクふれあい広場、シーズンオフの秋宮スケートリンク。2020-03-06
719立町の路地立町の路地立町の路地、突き当たりに御湖鶴、手前に日進学園(そろばん)がある。2020-03-06
720衣文坂衣文坂中央通り(衣紋坂)を坂の上から見下ろす。奥の信号付近が三澤屋書店。写真の左手前(坂の上)は青塚古墳。2020-03-06
721入一通信裏手入一通信裏手桜町から御田町へ抜ける道。入一通信の裏手付近。画面左下は現在、「教職員秋宮住宅」となっている。2020-03-06
722旧中山道旧中山道旧中山道、武藤工業裏手付近。2020-03-06
723湯田坂湯田坂湯田坂(坂を下りきったあたり)。鉄鋼泉・古久家・志まやの看板が坂の上方向に見える。2020-03-06
724商店商店湯田仲町にある宮坂商店(化粧品店)。右手の道を直進すると旧中山道。2020-03-06
725峰見薬師堂峰見薬師堂東山田地区には峰見薬師堂(増沢マキ・宮坂マキ)と西浦(裏)薬師堂(山田マキ)があり、マキによる講のお堂で春秋の彼岸に講中が集まり念仏講を唱え祭りをしている。写真は西裏薬師堂である。西裏薬師堂は茅葺き高床式の厨子内に江戸時代と思われる朔像の医王薬師如来両脇土が立ち、他に弘法様2体、絵馬「め」は眼病の救済に崇められた。山田マキの墓地内にある。2020-03-06
726駒形稲荷駒形稲荷社ヶ丘団地は字駒形と呼ばれる地籍で、古く朝廷へ御用の馬を献上する勅使牧が置かれていたといわれる(萩倉の牧)。駒形は古代馬の形像を崇拝した最も原始的な信仰で、萩倉牧の馬神を祀る神社として創立されたものだろうといわれている。社中学校の北方に「馬飼場」という字名も残っている。2020-03-06
727お稲荷さんお稲荷さん龍の口から中央通りに下る道沿い、桜町にあるお稲荷さん。2020-03-06
728野球大会出場前日野球大会出場前日諏訪中学校野球部主催の郡下の野球大会が毎年春秋二季行われ、小学生ばかりではなく父兄も町村の人々もその勝敗に熱中した。諏訪中の校庭に集まるのは全郡下のほとんどの小学校で学校の規模の大小を問わず各1チームを編成して参加した。長い伝統に輝く大会だった。岡谷や川岸の小学校もみな歩いて行った。下諏訪からも往復三里も遠しとせずに応援に出かけたという。2020-03-06
729進駐軍進駐軍昭和20(1945)年12月、アメリカ進駐軍松本駐屯部隊の監視所が、上諏訪新道分岐点(大社通り四つ角)に置かれた。この時は菅野町入口に2坪の監視所ができ、昭和20(1945)年12月から21(1946)年2月まで10~15人が正木屋(現八十二銀行付近)に駐屯し、銃刀等の取調べをしていた。2020-03-06
730消防団消防団諏訪大社下社秋宮の鳥居前。車に「特設防護」文字があり消防車の前で撮影したと思われる。消防団員の法被の襟に一から六の分団長の文字が読める。2020-03-06
731下諏訪小学校増築記念下諏訪小学校増築記念「下諏訪小學校増築落成記念、昭和二十三年十二月二十八日」。2020-03-06
732憲法発布記念憲法発布記念「憲法発發布記念、昭和二十一年十一月三日諏訪郡町村長会」の文字が見える。2020-03-06
733製糸場事務所製糸場事務所製糸場の事務所。2020-03-06
734綿の湯綿の湯大正13(1924)年着任した柳沢警部補から、衛生保安の立場上、三湯(綿の湯・児湯・旦過の湯)とも改築の急務を力説されて、第二区では「綿の湯」をはじめ、三湯の改築に取りかかることになり、まず綿の湯から着手することになった。写真は大正14(1925)年8月、旧中山道沿い突き当たりの立町に建て直された綿の湯である。この時、階下は消防屯所で二階は集会所とし、二階屋上に火の見の望楼をのせた。 綿の湯はこの後、昭和35(1960)年に鉄筋コンクリート建築に改築されている。 綿の湯には伝説が2つ伝わっている。一つは建御名方命(たけみなかたのみこと)の妃である八坂刀売命(やさかとめ)が上社から下社へ住まいを移す際、上社前の温泉の湯を化粧綿に浸み込ませて持参し、下社前に置くとそこから湯が沸き出たというもの。もう一つは、穢れ2020-03-06
735ボイラーボイラー製糸業のボイラー。2020-03-06
736荷馬車荷馬車この写真は和田峠を越えて戦後の買出し風景。荷馬車で荷を運搬、荷車の端に信号が写っている。また、はっぴの襟に高木石工場の文字が読める。2020-03-06
737ふれあいコンサートふれあいコンサート下諏訪体育館で行われた、小澤征爾ふれあいコンサート風景。2020-03-06
738北欧音楽祭北欧音楽祭北欧音楽祭。 文化センター一階ロビーにて、オカリナの演奏。 写真下はフィンランドの方による小物類の物品販売。2020-03-06
739街かど博物館街かど博物館街かど博物館1号館の館内の展示。2020-03-06
740街かど博物館街かど博物館街かど博物館2号館の館内の展示。2020-03-06
741街かど博物館街かど博物館街かど博物館の看板。「街かど博物館」は平成3(1991)年4月1日から町づくりの推進、観光活性化の一環として1号館から3号館までオープンした新しいスタイルの博物館。令和2(2020)年1月現在も6箇所ある。①「駅と祭りの資料館」下諏訪駅、②「懐古もの物語」(二葉屋酒店)、③「花屋茂七」、④「古文書館・民芸館」(中村屋)、⑤「蔵」(原酒店)、⑥「風雅舎」(みなとや旅館)。2020-03-06
742にぎわう産業フェアにぎわう産業フェア多くの人でにぎわう産業フェア。地域の企業ブースが並ぶフロアー(エプソン・三協・東洋技研など)。2020-03-06
743下諏訪上空下諏訪上空町屋敷工業団地。町内企業の振興を図るため平成2(1990)年から造成に着手し翌年平成3(1991)年、13区画35227㎡の工業団地が町屋敷に完成した。2020-03-06
744展示コーナー展示コーナー下諏訪文化センター一階ロビー内の展示コーナー。2020-03-06
745木落し木落し御柱祭山出し、木落しの様子。2020-03-06
746下諏訪町上空下諏訪町上空写真中央の白く輝く屋根は荻原製作所(昭和42(1967)年に下諏訪町に移転してきた本社工場、平成29(2017)年に伊那市へ移転。その右にはひかり味噌、左上にジャスコ(イオン)、右上には諏訪湖、右下すみに野球場・陸上競技場が見える。2020-03-06
747下諏訪町上空下諏訪町上空写真中央に町役場、右に総合文化センター・体育館。左はテニスコート・野球場・陸上競技場などが見える。2020-03-06
748遷座の列遷座の列鉾(ほこ)を持って遷座の列を作る白丁奉仕の皆さん。2月1日と8月1日の年2回の奉仕。鉾の列の後ろに奏楽の列が続く。諏訪大社春宮を出発した直後の様子。2021-04-15
749遷座祭遷座祭遷座の列を先導する白丁奉仕の氏子の皆さん。その後ろに赤く塗られた鳥居が飾られた御正台(みしょうだい)がつづく。御正台は大御正台と小御正台があります。さらにその後ろに錦をかけられた御霊代(みたましろ)を遷した神輿が続きます。2020-03-06
750遷座祭遷座祭春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りの巫女行列、稚児行列の様子。2020-03-06
751時代行列時代行列春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。「金刺盛澄時代行列」8月1日にあわせて行われたイベントで現在は行われていない。2020-03-06
752八島太鼓八島太鼓八島太鼓。2020-03-06
753下諏訪町総合文化センター下諏訪町総合文化センター平成元(1989)年にオープンした下諏訪町総合文化センター前の庭。庭の中央にあるブロンズ像は立川義明作「翔」の像。立川氏は諏訪市出身、立川流立川家の子孫。なおセンターの庭の南側には「梶の木」が植え込まれている。2020-03-06
754柿陰山房柿陰山房柿陰山房「島木赤彦の家」。アララギ派歌人であった島木赤彦(本名久保田俊彦)の住まい跡。この柿蔭山房で多くの優れた歌を残しました。秋には柿の実と山房の美しい風景が赤彦の想いと重なります。「柿蔭山房」(しいんさんぼう)の名前の由来は、古くからこの地には柿の木が多く、歌を発表するとき、赤彦自ら「柿の村人」と号したことからといわれています。2020-03-06
755高浜公衆トイレ高浜公衆トイレ湖岸に設けられた公衆トイレ。2020-03-06
756コスモス街道コスモス街道「コスモス街道づくり」諏訪湖岸の観光と景観美化を兼ね各種26団体が協賛、町民参加によりコスモスの花で湖岸を美化などを目的に行われた。写真は小学生によるコスモスの定植作業の風景。2020-03-06
757水防訓練水防訓練春宮砥川付近にて水防訓練。2020-03-06
758湖岸道路開通湖岸道路開通昭和63(1988)年に開通した湖岸通り線竣工開通式。2020-03-06
759一ツ浜保育園一ツ浜保育園旧第四保育園・旧第七保育園が統合し平成2(1990)年に開園した現みずべ保育園(旧一ツ浜保育園)開園。園舎の壁に親子のきりんレリーフが飾られシンボルマークとなっている。2020-03-06
760精密機械工業精密機械工業工場内の作業風景。2020-03-06
761鯉の養殖鯉の養殖網イケスによる鯉の養殖は、諏訪湖漁業振興事業のひとつとして県水産指導所で昭和35(1960)年より「採る漁業から育てる漁業へ」と研究を進めてきたもので昭和39(1964)年に26面の網いけすで事業化した。その後、湊・豊浜区・渋崎・岡谷へと広がっていった。2021-04-01
762下諏訪総合文化センター落成下諏訪総合文化センター落成平成元(1989)年下諏訪総合文化センター落成式。2020-03-06
763高木町長高木町長下諏訪総合文化センターにて、向かって左から新村益雄助役・高木清允町長・藤森秀夫収入役。2020-03-06
764海苔巻き作り海苔巻き作り文化センターロビーにて長~い海苔巻き作り。2020-03-06
765花の販売花の販売シクラメンの販売風景・2020-03-06
766町営総合運動場町営総合運動場町の総合運動場。2020-03-06
767町制施行100周年事業町制施行100周年事業100周年事業の「由紀さおり・安田祥子童謡の夕べ」が、9月11日(土)下諏訪文化センターにて行われた。上演は2回行われた。2020-03-06
768町制施行100周年事業町制施行100周年事業下諏訪総合文化センター1階ロビーで行われた祈念祝賀会の様子。2020-03-06
769町制施行100周年事業町制施行100周年事業明治26(1893)年6月30日に「町」として歩みはじめ、この日町民憲章の発表や碑の除幕式も行われた。町制施行100周年記念事業として「町制施行100周年記念式典」が県内外から350人の出席を集め盛大に開催された。2020-03-06
770町制施行100周年事業町制施行100周年事業育てたアマゴを砥川に放流する下諏訪北小学校の児童たち。2020-03-06
771町制施行100周年事業町制施行100周年事業「八島太鼓」「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗。No.1444の写真と同じ場所、同じ事業の会場と思われるが、場所や内容などは不明。2020-03-06
772町制施行100周年事業町制施行100周年事業町制施行100周年記念事業として行われた地鎮祭ほ様子。 №1445の写真と同じ会場、同じ事業と思われるが、場所内容等は不明。2020-03-06
773町制施行100周年事業町制施行100周年事業諏訪盛澄時代行列イベントに参加する「万寿姫」「絹姫」コンテストが秋宮境内で行われた。写真左から「春姫」宮沢さん・久保田さん、五代目「万寿姫」の山田さん、「絹姫」の岩下さん、「秋姫」の武居さん・中谷さん。26人が応募24人が出場。「万寿姫」「絹姫」には海外旅行と副賞がプレゼントされた。2020-03-06
774町制施行100周年事業町制施行100周年事業将来の御柱祭に使えるように「モミの苗木」の植林。この記念事業で植樹したモミの苗木は1000本、その後、モミの苗木の植樹活動は有志の皆さんの手により続けられている。植樹は苗木を植える作業ばかりではなく鹿の食害から守る対策も伴う。2020-03-06
775町制施行100周年事業町制施行100周年事業町制施行100周年記念下諏訪町植樹祭の垂れ幕と下諏訪北小学校の旗が見える。町の理事者(高木町長など)の姿も見える。下諏訪北小学校には「みどりの少年団」があり「アマゴの放流」など自然環境について学ぶ学習が行われている。2020-03-06
776町制施行100周年事業町制施行100周年事業いずみ湖のテニスコート。3月29日に全天候型テニスコート8面が完成、4月18日にオープンした。2020-03-06
777町制施行100周年事業町制施行100周年事業町制100周年記念事業のひとつとして、いずみ湖公園と東俣町国有林で記念植樹が行われた。それぞれ「町民自らの手による緑豊かな空間の創造」「森林資源の造成と緑豊かな住みよい郷土づくり」を目的にいずみ湖公園にモミジを1300本・オオヤマザクラ200本を、東俣町有林には将来の御柱用材用としてモミの苗木1000本を植樹。写真はいずみ湖での植樹の様子。2020-03-06
778町制施行100周年事業町制施行100周年事業町制施行100周年植樹祭であいさつする高木清允町長。2020-03-06
779諏訪湖氷上会記念写真諏訪湖氷上会記念写真スイス公使 ポール・リッテル夫妻が下諏訪町の諏訪湖氷上会主催のスケート大会に出席された時の記念写真。この年1月14日には英国代理大使ローザ夫妻も下諏訪に来ている。2021-05-11
780諏訪湖のスケート風景諏訪湖のスケート風景諏訪湖のスケート 諏訪中(旧制)の生徒か? 古田明氏寄贈2020-03-06
781女性のスケート風景女性のスケート風景芸者さんのスケート風景。 城取氏撮影。2020-03-06
782冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。2022-05-26
783冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。 二枚目の写真は飛行機を陸に引き上げているようだ。2021-04-15
784スケートを楽しむ人々スケートを楽しむ人々アイスホッケー、フィギュアスケート、氷上そり…など、それぞれ秋宮スケートリンクで冬のスポーツを楽しむ人々。2020-03-06
785下駄スケートをする少女たち下駄スケートをする少女たち向かって右より 三井まさ 小口けん(小松屋) 小口すえ(湊屋) 溝口はる子 柳沢きよ 増沢みす(松仙堂)。  2021-05-11
786下駄スケートをする子どもたち下駄スケートをする子どもたち下駄スケートで滑る小学生、先頭は改良されたスピードの三本刃、後方は最初の日本刃のスケート。この写真の説明は昭和初期としてあるが、「写真いまとむかし(下諏訪町)」には、「大正後期のスケート遊び(矢島式下駄スケート)」と説明されている。また、「下諏訪町町制施工125周年(下諏訪今昔絵巻)」には大正14(1925)年頃と注釈がされている。2020-03-06
787スケートスケート右端小口卓穣氏は諏訪湖一周氷滑大会で三連勝した。前列左端 高木幸雄氏 後列 左端 小口義信氏2020-03-06
788表彰式表彰式氷上での表彰式。 トロフィーを受け取る選手。2020-03-06
789カーリング大会カーリング大会カーリング大会表彰式の様子。昭和7年1月21日の秋宮スケートリンク。№34.1405.1424は同じ写真。2020-03-06
790フィギュアスケート風景フィギュアスケート風景下諏訪町秋宮リンクで日本で初のフィギュアスケートの公式大会が開かれた。同リンクは「日本フィギュアスケートの発祥の地」となった。2020-03-06
791フィギュアスケートフィギュアスケート秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。2020-03-06
792スケートスケート秋宮リンクで、フィギュアスケートを滑る男性。2020-03-06
793スケート大会で優勝した少年スケート大会で優勝した少年諏訪郡下スケート大会に於いて小学生20周に優勝した清水順吉君。下駄スケートを履いている。2020-03-06
794フィギュアスケートフィギュアスケートスカート姿でフィギュアスケートをする女性。2020-03-06
795スケートスケート2020-03-06
796スケートスケートアイスホッケー。№1377と同じ時の撮影か。2020-03-06
797スケートスケート「信州諏訪湖上スケート」(絵葉書)、当時のスピードスケート選手。 中村龍雄氏出品。№1362と同じ。2020-03-06
798スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。写真下には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1367と同じ。2020-03-06
799フィギュアスケートフィギュアスケート秋宮スケートリンクでフィギュアスケートを楽しむ男性たち。2020-03-06
800スケートスケート秋宮スケートリンク。2020-03-06
801スケートスケートたくさんの子どもたちが見守る中で回転したり、ジャンプをしたしフィギュアスケートを披露。子どもたちが履いているのは下駄スケートが多いように見える。2020-03-06
802スケートスケート2020-03-06
803スケートスケート秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ人々。2020-03-06
804スケートスケート諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。 №4と同じ。2020-03-06
805スケートスケートカーリング大会表彰式の様子。昭和7年1月21日の秋宮スケートリンク。№34.1405.1424は同じ写真。2020-03-06
806スケートスケート日本髪、和装の女性が秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。2020-03-06
807スケートスケート椅子に刃をつけてソリのようにして遊ぶ様子。2020-03-06
808スケートスケート日本髪の女性が秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。2020-03-06
809スケートスケート馬が引く「氷上スキー」。背景の段々畑は一面桑畑、製糸業が盛んな頃の農閑期の諏訪の風景。場所は高浜湾付近。2020-03-06
810スケートスケート下駄スケート。椅子型のそりにもスケートの刃がつけられている。2020-03-06
811スケートスケートなかよく並んで下駄スケートをする子どもたち。後ろにはアイスホッケーのゴールが見える。2020-03-06
812スケートスケートスケートに興ずる人々。2020-03-06
813スケートスケート氷上の整頓(絵葉書)。当時結氷した諏訪湖は軍事訓練の場として使われることもあった。写真後方山肌が見事な段々畑(?)になっている。2020-03-06
814スケートスケート諏訪湖氷上スケート大会(絵葉書)。2020-03-06
815下駄スケート下駄スケート下駄スケートの刃。 フィギュア型からスピード型に改良されたスケート。2020-03-06
816フィギュア型のスケートの刃フィギュア型のスケートの刃大正から昭和初期に輸入された、フィギュア型スケート で革靴の厚底の編み上げ靴に取り付けて滑走した。2020-03-06
817漫画すごろく漫画すごろく「スケーチング漫畫諏語録」。2020-03-06
818スケートスケート冬の蓼の海。スケート大会の様子の絵葉書。左下の写真はアイスホッケーのリンク。2020-03-06
819スケートスケート冬の諏訪湖。選手のユニホーム・滑るフォーム・よく整備されたスケートリンクなどから大会風景に見えるが。2020-03-06
820スケートスケート冬の諏訪湖。軽装でのスケート風景。スケート靴はフィギュア用に見える。2020-03-06
821スケートスケート冬の諏訪湖。競い合って滑る様子。2020-03-06
822スケートスケート絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。2020-03-06
823スケートスケート2020-03-06
824スケートスケート絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。2020-03-06
825スケートスケート(冬の諏訪湖)スケートで賑わう諏訪湖氷上。写真の範囲には下駄スケートは見られない。2020-03-06
826高林選手高林選手高林清高選手の昭和27(1952)年オスロ冬季オリンピック500m、6位入賞。2020-03-06
827高林選手高林選手高林清高選手。岡谷工業学校時代は戦争中で活躍の場はなかったが明治大学に進んでから日本を代表するスプリンターとなる。日本選手権では500mに3連覇。オリンピックで6位入賞を果たした。昭和29(1954)年日本初世界選手権札幌大会では銅メダルを獲得した。2020-03-06
828アイスホッケーアイスホッケーアイスホッケー。2020-03-06
829アイスホッケーアイスホッケーアイスホッケーに興じる人々。№1415と同じ時の撮影か。2020-03-06
830スケートスケート秋宮スケートリンク。2020-03-06
831スケートスケートスケート製作風景。2020-03-06
832下駄スケート下駄スケート下駄スケートが何種類もテーブルの上に並んでいる。2020-03-06
833スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。資料には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1413、1861と同じ。1961の写真には「箒をもてるはグラウンドの掃除人夫なり」と書きもまれている。2020-03-06
834英国代理大使夫妻記念撮影英国代理大使夫妻記念撮影在京中の各国大使がスケートに来湖する。写真は英国代理大使ローザ夫妻が、下諏訪駅前で記念撮影したもの。2020-03-06
835アイスホッケーアイスホッケー秋宮スケートリンクでアイスホッケーを楽しむ人々。 後ろの建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
836スケートスケート高浜沖の諏訪湖でスケートを楽しむ人々。2020-03-06
837スケートスケート颯爽とスケートを楽しむ人と椅子を使って遊ぶ人たち。秋宮リンクの一コマ。2020-03-06
838スケートスケート氷上をそりにのり楽しむ子ども、フィギュアスケートの練習をする女性、アイスホッケーのスティック持っている男性などそれぞれのスタイルでスケートを楽しむ様子。 小湯の上、秋宮スケートリンク。2020-03-06
839アイスホッケーアイスホッケーアイスホッケーのゴール前で記念撮影。 帽子や服装が似ている人がいて、当時のアイスホッケー愛好家の流行が感じられる。 リンクの周りには柵がなく見物人らしき人もいる。2020-03-06
840スピードスケートの刃スピードスケートの刃2020-03-06
841スケートの刃スケートの刃2020-03-06
842スケートの刃スケートの刃2020-03-06
843スケートの刃スケートの刃2020-03-06
844スケートの刃スケートの刃2020-03-06
845下駄スケート下駄スケート2020-03-06
846スケートの刃スケートの刃2020-03-06
847スケートの刃スケートの刃2020-03-06
848スケートの刃スケートの刃2020-03-06
849スケートの刃スケートの刃2020-03-06
850スケートの刃スケートの刃2020-03-06
851スケートの刃スケートの刃2020-03-06
852スケートの刃スケートの刃2020-03-06
853スケートの刃スケートの刃2020-03-06
854スケートの刃スケートの刃2020-03-06
855スケートの刃スケートの刃2020-03-06
856下駄スケート下駄スケート2020-03-06
857スケートスケートフィギャー型からスピード型に改良された3本刀(3本足)の下駄スケート。2020-03-06
858スケートの刃スケートの刃2020-03-06
859スケートの刃スケートの刃2020-03-06
860スケートスケート2020-03-06
861下駄スケート下駄スケート2020-03-06
862フィギュアスケートの刃フィギュアスケートの刃2020-03-06
863スケートスケート2020-03-06
864スケートの刃スケートの刃2020-03-06
865スケートの刃スケートの刃2020-03-06
866スケートの刃スケートの刃2020-03-06
867スケートスケート草履に竹を取り付けてある。2020-03-06
868スケートの刃スケートの刃2020-03-06
869スケートの刃スケートの刃下駄スケートとして定着した一般的な形のもの。靴スケートに変わる頃の物。(昭和35・6年頃より下駄スケートは消えていった。)2020-03-06
870スケートの刃スケートの刃2020-03-06
871スケートの刃スケートの刃明治40(1907)年頃の作。刃の形、厚さに多少の工夫がみられる。2020-03-06
872下駄スケート下駄スケート明治39(1906)年諏訪地方最初のもの。 木下の河西氏作。 日本歯とも呼ばれていた。2020-03-06
873スケートの刃スケートの刃2020-03-06
874スケートの刃スケートの刃2020-03-06
875建設中の鉄骨警鐘楼建設中の鉄骨警鐘楼昭和3(1928)年8月に屯所に鉄骨の警鐘楼を建築し消防内容は充実していった。写真は建設途中の様子。この鉄骨警鐘楼は戦争中に金属回収で撤去され、木製の火のみやぐらになった。2020-03-06
876鉄骨警鐘楼鉄骨警鐘楼太平洋戦争末期になると、兵器にするため民間の鉄材を供出する運動があり、第一分団の屯所の上に建てられていた火の見やぐらも倒されて供出された。昭和18(1943)年金属供出で取り壊す前の記念写真。2020-03-06
877健勝祈願ののぼり健勝祈願ののぼり太平洋戦争中に出征軍人の武運長久を祈って幟を屋敷内に建てた。幟は諏訪大社宮司に書いて貰うのが多かった。神朝臣(かみあそん)守矢真幸敬書と見える。2020-03-06
878記念写真記念写真下諏訪学校。2020-03-06
879製糸場風景製糸場風景製糸場風景。煮た繭から生糸をとり、小枠に巻き取る機械、繰糸機(そうしき)の写真。工女は洋服を着ている。2020-03-06
880大鯉大鯉諏訪湖で捕獲された大鯉。昭和18(1943)年3月夜半に諏訪湖中心部の湖底の粗朶(そだ:木の枝のこと)にひそむ大鯉を友之町小口元雄が投網で捕獲。身長4尺(約1m20cm)、胴回り3.5尺(約1m05cm)目方8貫匁(約30kg)。2020-03-06
881諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業沿岸の深さ2m位の湖中へ15~20㎝の角張った石を300~400個ほど入れて丸い塚のように積み上げ、冬ごもりに集まってきた魚を捕る漁法。ヤツカ量は冬の諏訪湖で欠くことのできない漁法だったが昭和40(1964)年代に漁場が護岸工事などで失われ、行われなくなった。諏訪湖ヤツカ漁、全盛期の写真。(ヤツカは屋塚・石塚とも書く)2021-03-24
882キヨメ漁キヨメ漁氷下のキヨメ漁。刺し網の一種。地上のくもの糸やカスミ網のように水中に帯状に屏風のように立て横に長く張っておき、回遊してくる魚を網に絡ませたり、さしたりしてとる。網目の大きさによって捕る魚が異なるが、写真のキヨメの網目は1.5~4cm内外である。高さ50cm~1m、長さ12、3mの網を何枚か継ぎ足して張り、わかさぎ・はや・ひがい・もろ・あかうおを捕る。同じ網でも網目の粗いものは「タケタカ」といって鯉・大ぶな・なまずなどをねらった。2021-04-04
883大門並木大門並木大門並木、奥に下馬橋を望む。人力車と休息している車夫が手前に見える。2020-03-06
884湯田坂湯田坂湯田坂、坂の下から写したもの、まだ昔の街道筋の雰囲気が残る。紐で子どもをおぶう婦人たちの姿が懐かしく見える。2020-03-06
885湯田坂湯田坂湯田坂。道で遊ぶ子どもたち。坂の手前左に「産婆」「山田製靴店」の看板が見える。2020-03-06
886塩尻龍権現社塩尻龍権現社立木種清作と伝わる塩尻市宗賀の塩尻龍権現社。立木種清(1832~1908)は下諏訪に生まれ、立川和四郎冨昌(立川流2代目)の弟子。数々の作品の中には国宝旧開智学校の登竜門や下諏訪学校の龍門なども手がけている。2021-04-22
887ナンバナンバ諏訪湖周辺の湿田で昭和初めに、地下足袋、ゴム長靴の出るまで使用された。右が板ナンバ、左が桶ナンバ。泥沼のような水田での作業はいろいろ工夫された農具があった。素足で歩けないので板ナンバや桶ナンバと呼ばれるものも使用した。重い荷物は田舟にのせて運んだ。特に諏訪市の湖岸に多かった。2020-03-06
888旧釜口水門旧釜口水門撤去工事の準備の始まった旧釜口水門。天竜川の始点であるこの水門「昭和7(1932)年に大洪水対策と疲弊農村救済策として着工、同11(1936)年3月完成した。幅7m・高さ3mの制水門7門・舟航路付き、総工費34万円だった」(信毎)。毎秒600トン放流可能な新水門の完成で役目を終えた。写真右端は平水路、左端は舟航路(閘門式)。№1125参照。2020-03-06
889丸六製糸丸六製糸丸六※製糸(片倉兼太郎)。湯田新町(旧ヤシカ跡・現ムトー工業)片倉組製糸の下諏訪製糸所。明治18(1885)年創業の井上善次郎工場を買収して、明治32(1899)年に創業、昭和18(1943)年軍需工場となり、昭和23(1948)年再開するも昭和30(1955)年ヤシカとなる。現在はムトー工業となっている。  2020-03-06
890森下製糸場森下製糸場大正15(1926)年創業の森下製糸場。昭和3(1928)年当時20釜。矢木町森下氏宅。№1291参照。2021-04-01
891吉澤製糸場吉澤製糸場山永※吉澤製糸場。明治26(1893)年当時30釜。花咲町旧小松ガラス店隣。明治24(1891)年に吉澤金治が創業。2020-03-06
892下諏訪共同施設下諏訪共同施設藤森今治氏が昭和9(1934)年に40釜で創業し、昭和16(1941)年に廃業した下諏訪共同施設。藤森今次氏は下諏訪町製糸協同施設組合長、後の諏訪信用金庫下諏訪支店長を務めた。2021-04-01
893新井製糸場新井製糸場富部新井製糸所。 新井喜多(喜助)。2021-04-01
894岡谷製糸岡谷製糸岡谷製糸業(御田川製糸場)建物外観。明治16(1883)年岡谷市の小口善重が下の原中村平助製糸の休業のあとへ御田川製糸場を開業、大規模な繰業で「大器械」とも呼ばれ、二階建ての事務所に望楼を載せ村人はホテルとも呼んだとされるものとも推測できる。2020-03-06
895製糸工場製糸工場堀内忠夫氏の製糸場。中央通り旧湖北工業跡、現フレール隣、大正8(1919)年創業の角ヤ※小口組製糸工場が昭和6(1931)年の大恐慌で倒産、その後青木村出身の堀内忠夫氏(後の町議会議長・商工会議所会頭)が引き継ぐが、昭和32(1957)年廃業。№1287と同じ写真。 2020-03-06
896白鶴社三井製糸白鶴社三井製糸白鶴社三井製糸。久保山王台下現三井範義氏宅下大東社を経て信濃蚕業(現イングスシナノ)分工場となる。右奥には若宮神社の森、手前広場は既に三井製糸工場撤去の後。2020-03-06
897日新社製糸場日新社製糸場日新社製糸場(林栄一)。後の山二笠原製糸場を経て日新工業(日新工業)となり、ギターの製造を行っていたが昭和 年火災により閉業現在町営御田町駐車場。奥の森は青塚その左は来迎寺。2021-04-01
898昭和製糸場昭和製糸場曙町にあった製糸場。現高野接骨院隣、後の小口克郎氏の昭和製糸場。 2021-04-01
899真綿とり真綿とり真綿は主に製糸に向かない屑繭(くずまゆ)を使って作られた。屑繭を煮沸し、開き、引き伸ばし、乾燥させたあと、布団や綿入れの着物に利用された。また真綿を太糸のように伸ばして織り、チョッキのように防寒用に用いられた。真綿とりの様子。2020-03-06
900昭栄製糸昭栄製糸明治42(1909)年創業の昭栄製糸(小口竹吾)。昭和3(1928)年当時743釜。大正9(1920)年第一次大戦後の恐慌、大正12(1923)年関東大震災、昭和4・5年世界的大恐慌等が製糸業へ大打撃を与える。やがて山十組は破綻、営業の継続を依頼会社整理の抵当権者(安田銀行)がバックアップ、昭和6(1931)年山十※組下諏訪製糸が昭栄製糸となった。その後、昭和32(1957)年、下諏訪町の工場誘致により跡地に三協精機(現日本電産サンキョー)が上諏訪より誘致された。 煙突と煙突の間の森は下社秋宮。2021-04-01
901座繰共同組合施設座繰共同組合施設座繰共同組合施設(平沢町青雲館北)。明治13(1880)年三井、増沢、岩本、岩波、小口が共同繰糸(揚返)所「白鶴社」を創設(現下社秋宮社務所)明治21(1888)年平沢町(現)青雲館北へ移築。なお製糸共同組合白鶴社(共同出荷=揚返)は明治9(1876)年創始の組合で、明治29(1896)年12月23日の信濃毎日新聞には「・・・本年信州にて売上頭は白鶴社となり・・・」と記載されており、町内の七曜社・開栄社ととも製糸業を支える働きをしていた。2020-03-06
902山田製糸場山田製糸場大正13(1924)年創業の山田製糸場。昭和3年当時20釜。2021-04-01
903四王製糸場四王製糸場大正7(1918)年創業した入一組山二製糸場。昭和3(1928)年当時410釜。大正12(1923)年南四王(現イオン跡地)に四王製糸場(入一※組分工場)として建設後に昭栄製糸場となる。現在のイオン下諏訪店の位置にあった。2021-04-01
904座繰協同組合施設座繰協同組合施設明治13(1880)年三井・増澤・岩本・岩波・小口氏等が共同揚返(あげかえし)所「白鶴社」を創立(現下社秋宮社務所)、その後明治21(1888)年平沢町青雲館北へ移築された時の写真。2020-03-06
905製糸工場製糸工場岡谷。製糸関係の建物。2020-03-06
906天然氷の採氷天然氷の採氷明治39(1906)年12月下諏訪町に諏訪湖天然氷株式会社が創立。手前が採氷作業、向うの湖岸は積み上げてある氷を農家の若者が山車へ満載して下諏訪駅近くの大氷庫へ運ぶところ。溶けない氷として送出先の氷水屋・病室用に喜ばれたが、大正中ごろまでには人造氷の出現で惜しくも衰退した。2020-03-06
907諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業沿岸の深さ2m位の湖中へ15~20㎝の角張った石を300~400個ほど入れて丸い塚のように積み上げ冬ごもりに集まってきた魚を捕る漁法。「ヤツカ漁」は冬の諏訪湖で欠くことのできない漁法だったが昭和40(1964)年代に漁場が護岸工事などで失われ行われなくなった。諏訪湖のヤツカ漁、全盛期の写真。(ヤツカは屋塚・石塚とも書く)2020-03-06
908諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業かぶせ網漁法の一つ、投網をうつ。諏訪湖の投網は使用する場所や漁獲する魚によって大きさや網の目等が異なり種類が多い。また一人でうつ・仲間と集団で追いうちをすることもある。2020-03-06
909舟止場舟止場舟泊まりにつながれている漁舟。2020-03-06
910諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業貝掻(か)き。淡貝(からすがい)をかく漁具を諏訪湖では「貝かき」と呼ぶ。諏訪湖で取れる貝は蜆(しじみ)・淡貝(からすがい)・たにしなどだが漁獲は蜆が圧倒的に多い。貝かきの道具は蜆じょれんよりやや大型のもの。2021-04-21
911諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業流し針漁。諏訪湖には「流し針」と呼ぶうなぎ漁があった。これは海で行われる「はえなわ」と同じ仕組み。夕方針を流し、翌朝未明にあげるが、流す時刻・水温・場所・により成果は左右された。えさはみみず・ひる・しったか(アブの幼虫)・おけら・やごめ(とうくろ)など様々。2021-04-15
912諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業えび押し漁。藻草の中にいる小エビを専用の道具使う漁法、片手押しと両手押しがある。2021-04-21
913諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業出格子(でごうし)漁。諏訪湖では「ろうや」のことを出格子と呼んでいる。ねらう魚種により大きさや目の巾やつくりが異なる。漁師の手作りなのでそれぞれが工夫を凝らしていた。2020-03-06
914出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る下諏訪駅の風景。2020-03-06
915下諏訪駅下諏訪駅明治38年11月25日、中央東線が富士見駅から、岡谷駅まで開通する。この時、鉄道開通祝賀式挙行の案内状が、22日鉄道開通式委員総代小口友亀の名で発送され、25日午後1時10分下諏訪停車場構内で、祝賀式が挙行され、終わって有志の園遊会があった。写真前列の中央が、小口友亀氏である。下諏訪駅前での記念撮影。2020-03-06
916赤砂飛行場赤砂飛行場赤砂飛行場。飛行機の周りに人々が集まっている様子。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。 赤砂飛行場は大正11(1922)年に造られた「臨水園」という公園に誕生し、格納庫が作られ、約300mの舗装されていない滑走路があった。飛行機は写真にあるように複葉のプロペラ機で、片山、藤森、井上、篠崎という四人のパイロットがいたという話が残っている。2020-03-06
917落合発電所落合発電所落合発電所。明治33(1900)年10月工事が竣工し送電(60キロワット)事業を開始した。この後明治36(1903)年には増築し、60キロワット発電機をもう1台増設している。写真は明治33(1900)年に竣工した発電所である。増設した発電者は№612参照。2020-03-06
918郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
919製糸工場製糸工場天竜川畔製糸工場群。2020-03-06
920山岡氏山岡氏山岡操氏。製糸を始めた富部(十区)の士族。 山岡家には立派な屋敷図と城壁のような石垣が残っている。また山岡氏は明治6(1873)年3月に大小区政が敷かれた時、第十三大区小五区の戸長も務めた。2020-03-06
921運送馬車運送馬車荷馬車による配水管の運搬。 昭和2年注連掛付近にて写す。2020-03-06
922御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの様子。2020-03-06
923御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの様子。2020-03-06
924御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの様子。2020-03-06
925御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの木落とし坂の様子。2020-03-06
926御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの木落とし坂。2020-03-06
927御柱祭御柱祭御柱祭、御騎馬行列。警護にあたる消防団の法被に「第一分団」の文字、第一区の御騎馬。2020-03-06
928御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮鳥居前で御騎馬勢ぞろい。2020-03-06
929御柱祭御柱祭御柱祭、多くの長持ちが見える、後ろ向きの男性の法被に岡谷の文字が見える。2020-03-06
930御柱祭御柱祭御柱祭、里曳きの神賑わいの長持ち。女装をして担いでいる。長持ちに「一之宮御用」「小口」の文字が見える。2020-03-06
931御柱祭御柱祭御柱祭。「オーシャンウイスキー」「たばこ」の看板、バスには「岡谷駅」の文字も見える。後ろ姿の男性の法被に「岡谷」の文字。服装はみな洋装、和服は少し年齢の高い女性が着ている。2020-03-06
932御柱祭御柱祭御柱祭。左端に「奈良屋・・・」と読める看板。福ダルマに仮装した長持衆。2020-03-06
933御柱祭御柱祭御柱祭。「平野消防組・小口郷小頭」の文字の法被姿の男性が見える。子どもたちは絣の着物姿。2020-03-06
934御柱祭御柱祭御柱祭。おかめのまわりには御弊がたくさん飾られている。長持ちの箱には油単(ゆたん)はかけられていない。2020-03-06
935御柱祭御柱祭御柱祭。「平野消防組・小口郷小頭」の文字が法被から読み取れる。長持ちに「一宮御用」の文字が見える2020-03-06
936御柱祭御柱祭御柱祭。坂道沿いに提灯などが飾られている。2020-03-06
937御柱祭御柱祭御柱祭の風景。長持ち衆。富部長持ではないか?衣装・白塗りが雲助長持ちに見える。2020-03-06
938御柱祭御柱祭御柱祭の風景。民家の二階に「中村七五郎休憩所」の看板。家の前には長持ちが置いてある。ちょうちんに「今井」の文字。2020-03-06
939御柱祭御柱祭御柱祭。里曳きの長持衆。2020-03-06
940御柱祭御柱祭御柱祭。神賑わいに「かごや」が出ている。2020-03-06
941御柱祭御柱祭御柱祭の風景。2020-03-06
942御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮一之柱の建て御柱の様子。2020-03-06
943御柱祭御柱祭御柱祭。御柱の前で記念撮影。長持ちの人たちか。№1252の長持を担ぐ人物と同じ人物も写っている。2020-03-06
944御柱祭御柱祭建御柱。2020-03-06
945御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮一の建て御柱、右に神楽殿、御柱の向うに狛犬が見えるが、現在とは形が異なることから供出前のものと思われる。2020-03-06
946御柱祭御柱祭御柱祭。山出し、木落し坂から注連掛へ向かい、砥川落合橋付近?2020-03-06
947御柱祭御柱祭御柱祭里曳き・建御柱、和装(着物姿)髪の毛を結った女性たち、祭り支度の男性の姿も。2020-03-06
948昔の岡谷昔の岡谷昔の岡谷。「奉祝」のパレードか。軍服を着てラッパや太鼓を演奏しながら行進している。2020-03-06
949昔の岡谷昔の岡谷昔の岡谷。「奉祝」と書かれたちょうちん。 写真の年代が不明なので何の奉祝かわからない。2020-03-06
950昔の岡谷昔の岡谷昔の岡谷。入山の倉庫。2020-03-06
951昔の岡谷昔の岡谷昔の岡谷。前列の女性たちの袴のすそに白線二本がある。この二本線の入った袴について、今井久雄著「村の歳時記(三)」には、「工場の準制服ともなっていて」という記述があり、さらに「この袴をはく娘は寄宿舎の部屋長や養成工の教婦など指導的立場にいる娘たち」と書かれている。写真には説明がないのではっきりしないが、この本の記述は参考にできると思われる。2020-03-06
952売り工場売り工場昔の岡谷。売り工場「売り(貸)工場、土地9.938坪・建物4.196坪、お問い合わせの方は当事務所までお出で下い」と書かれた看板。壁の向こうは、満開の桜。2020-03-06
953昔の岡谷昔の岡谷昔の岡谷。バス。2020-03-06
954繭籠の垣根のある風景繭籠の垣根のある風景繭籠で作った垣根(当時繁盛していた製糸工場の県外より生繭を輸送する繭籠で囲いの塀にしたもの)のある風景。2020-03-06
955岡谷駅岡谷駅昔の岡谷、岡谷駅。2020-03-06
956朝日公園から岡谷市街地を望む朝日公園から岡谷市街地を望む昔の岡谷の市街地と製糸工場。諏訪湖と天竜川が見え、岡谷の市街地には黒い煙をあげる煙突が林立し、間に繭倉も見える。撮影は山手町の高台あたりからか、山の斜面は桑の木で埋め尽くされている。2020-03-06
957花岡公園から岡谷市街地花岡公園から岡谷市街地昔の岡谷 花岡山(花岡公園)から天竜川越しに林立する製糸工場を望む。手前下に天竜川、びったら橋が見える。天竜川の向こうは岡谷の製糸工場群、千本煙突から煙が登るり、4層の繭倉群も見える。2020-03-06
958女工さん女工さん製糸工場の女工さんたち。若い女性に混じって後方に年配の女性も見える。きものの柄に年齢差が見える。 下の写真は帯を締め羽織も着ていることから工場の休みの日の撮影か(後ろに見えるのは揚げ返し場)。2021-04-21
959お舟祭りお舟祭り大正から昭和初期のお舟祭の柴舟と胴棒が見える。 大人も子どもも着物を着て祭りに来ている。 右手の建物は青雲館。2020-03-06
960お舟祭りお舟祭りお舟祭。そろいの格子柄の長持ち衣装を着た人々。長持ちの箱には下社の神文(カジノ葉)をあしらったもの(下社のカジノ葉は根の部分が5つ)見える。2020-03-06
961お舟祭りお舟祭りお舟祭、長持ちに「一宮御用 小口」の文字。そろいの法被はみな丈が長い。2020-03-06
962お舟祭りお舟祭りお舟祭の風景。右手の建物に旗がたち長持ちや和服姿の人が見える。2020-03-06
963お舟祭りお舟祭りお舟祭。春宮下馬橋より少し下がったあたりを曳いている。(写真)左上に下馬橋の屋根が見える。曳き綱の先の細い綱が氏子の人々の間から見える。当時の人々の服装がよくわかる。2020-03-06
964お舟祭りお舟祭りお舟祭。「来八月一日午後一時より執行遷座祭並例祭・官弊大社諏訪神社社務所」の立て看板が見る。2020-03-06
965お舟祭りお舟祭りお舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。このころはまだ参道は石畳であったことがわかる。 「写真が語る下諏訪の百年」117pの写真と同じころの撮影と思われる。2020-03-06
966お舟祭りお舟祭り8月1日の遷座祭、長持の列がねり歩く、お舟祭。民家の屋根は鉄平石をふいたり、石置き屋根が多い。2020-03-06
967出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る。壇上には出征兵士、手前には多くの少年少女が整然と並んで見送る様子も見える。2020-03-06
968出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る。下諏訪駅ホームの様子。2020-03-06
969出征兵士を送る出征兵士を送る秋宮境内、沢山の幟旗が立つ、出征兵士を送る光景。15年戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)で戦死した町民は533名と記録がある。(町政要覧より)2020-03-06
970飛行訓練飛行訓練飛行機の機体下にロープが見える。水上からの離発着を試みているようだ。湖での飛行訓練。 昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。2022-05-21
971飛行訓練飛行訓練湖での飛行訓練。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。2021-12-26
972赤砂飛行場赤砂飛行場赤砂飛行場。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。2021-12-26
973赤砂飛行場赤砂飛行場赤砂飛行場。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。2020-03-06
974小料理屋小料理屋 御田町にあった料理や「や寿た」(やすだの表記)の建物。昭和24年の町勢要覧(ほがらかお料理やすだの広告)。1970年の商工名鑑飲食店にも店の名が載っている。 場所は衣文坂ジュミー美容室隣、道路を挟んだ御田町寄りにあった。2020-03-06
975鉄鉱泉本館鉄鉱泉本館夜の湯田坂かいわい。名湯旦過の湯を中心とした、旧中山道筋の一角。かつては坂下に温泉旅館が並び、しっとりとした湯の町風情がただよっていた。このあたり、製糸業の全盛期には芸妓置屋が軒を連ね、脂粉の香ただよう街だった。写真は今も旅館業を営む創業が明治初頭の「鉄鉱泉本館」。2020-03-06
976野沢商店野沢商店おせち料理の買い物客で賑わう食品スーパー野沢商店の店先。2020-03-06
977川村商店川村商店店の先には正月を目前に注連縄がはられ、店頭には割引の値札も見え、年の瀬の風情が感じられる。川村商店の店先。2020-03-06
978砥川河口の橋砥川河口の橋完成した砥川河口橋。橋の右岸(写真左手)にはわかさぎの孵化場がある。当時は左岸に町営プールがあり、その北側にはホテルが3社あった。この橋は湖岸管理道路としての架橋で幅6メートル、長さ32メートル。これに伴い湖岸約1.7キロメートルに高さ1メートルの築堤が始まった。その後この一帯は、赤砂崎公園として多目的グラウンドや多目的広場、ヘリポートなどに再整備されている。2020-03-06
979牛山家住宅牛山家住宅玄関左手に出っ張りの馬屋のある旧豪農の曲がり屋の牛山氏宅。かつては村きっての大百姓で名主も務めた家。江戸末・文政期間(推定)の建物で昔は茅葺だった。馬屋を抱え込んだ曲り屋は諏訪地方では珍しい。玄関右手はお役人を迎えるための「お座敷」と呼ぶ12畳間・8畳間。2020-03-06
980町の教会町の教会「下諏訪キリスト教会」教会堂のクリスマスイブの昼餐会。2020-03-06
981市民新聞社市民新聞社地域紙「市民新聞」下諏訪支局のスタッフ。昭和23(1948)年創刊の「岡谷市民新聞社」が翌年から「下諏訪町民新聞」を発行した。昭和46(1971)年から写真写植によるオフセット印刷に移行した。日刊紙でこの方式を採用したのは県下初、全国的にも先駆的な転換だった。2020-03-06
982町の教会町の教会町中の小さな教会堂。昭和51(1930)年に信者によって建てられた。急傾斜の屋根の切妻造り、側面に濡れ縁がつくというコロニア風の外観を持つ木造建築。「日本基督教団下諏訪桜町教会」と称されてきたが、昭和63(1988)年単立の「下諏訪キリスト教会」となった。このころ信者は約30世帯だったという。2020-03-06
983入一通信入一通信入一(いりいち)通信(株)の洋館風の事務所。前進は明治43(1910)年発足の入一組製糸所。そのまた前身は明治34年創業の入○(イリマル)組製糸所。最盛期の大正10(1921)年は1150釜と町内きっての大手工場となり、茨城・静岡と町内に分工場を持っていた。太平洋戦争中製糸技術を生かして通信機用コイル・トランスの生産に転換した。2021-04-01
984㈱マルシメ㈱マルシメマルシメ縫製工場、型紙とりの作業と縫製工程の様子。2021-03-27
985星ヶ塔遠望星ヶ塔遠望この国の先史時代を支えた黒曜石原産地の大遺跡星ヶ塔(ホシガトウ)山の全容。黒曜石は火山岩の一種でガラス質で割れ口が鋭利なため石やり・矢じりなどに使われた。中央の窪地が先史時代の黒曜石採掘跡。先土器時代(旧石器時代を含む)から縄文晩期まで2万年以上にわたって掘り続けられた遺跡。旧陸軍の地図にはカタカナで表記されていた。2020-03-06
986新短歌の歌人新短歌の歌人新短歌の歌人光本さん。この年新短歌連盟賞を受けた。アララギ王国の諏訪にあって新短歌信濃支部を設立、松本・岡谷に歌会を持ち駆け回っている。鳥取県出身、歌集に「薄氷」「素足」などがある。「未来山脈」主催。2020-03-06
987㈱マルシメ㈱マルシメ株式会社マルシメ 製糸王国の名残り、絹紡糸の原料(ペニー)製造工場。製糸工場で出る手くず(くず繭)を精錬してラップからペニーにする。。大正2(1923)年創業のこの会社、戦後は縫製部門の方が主力になっているがペニー製造の灯も守っていた。2021-03-27
988デイバイデイ岡谷店デイバイデイ岡谷店町の西南部、土地区画整理事業で昭和51(1975)年に開通した幹線道路沿いに進出した山梨県竜王町に拠点を置く新手の安売りチェーン店デイバイデイ岡谷店が開店。諏訪圏では2店目、。家電・日用品・スポーツ用品などが売られていた。2020-03-06
989郵便局の窓口郵便局の窓口郵便局の窓口風景。年賀状整理のためこの日から高校生アルバイトが就労した。この年の年賀状引き受け数は76万700通・同配達は74万7700通でほぼ前年並みだった。2020-03-06
990彩美堂彩美堂画材屋さんの新店舗。自家所有のりんご園を転用したので、敷地は1650㎡とたっぷり。曲線と曲面を強調する建築デザインは近年の流行だった。2020-03-06
991彩美堂の新店舗彩美堂の新店舗彩美堂の新店舗と客とオーナーさんご夫妻。自家所有のリンゴ園を転用した画材屋さんの新店舗の中。敷地は1,650平方メートルで、曲線と曲線を強調する建築デザイン。2020-03-06
992小川屋はきもの店小川屋はきもの店小川屋はきもの店。「下駄屋さん」の面影をとどめる履物屋さん、岡谷の履物店で修業し、22歳で独立したという店主(54歳)、「流通革命の中で商売厳しいですよ」とぼやきながらも、安売り逆攻勢でがんばっていた。2020-03-06
993下諏訪町役場住民課下諏訪町役場住民課町役場住民課窓口。住民記録(住民登録)と印鑑証明の業務は、前年4月から諏訪広域情報センターとオンライン化されている。この年は印鑑登録のI.Dカード化が行われた。2020-03-06
994カワヤナギの並木カワヤナギの並木昔の諏訪湖の汀線に自生したカワヤナギの並木。この辺りは埋め立て前は「ヨナ」などの小魚が遊ぶ美しいなぎさだったという。「ヨナ」はトンコよりやや小さく体長が2cm位の細長い魚。並木の北側にジャンボ滑り台が見えるのは「みずべ公園」。天候がよければ八ヶ岳の裾に富士山が見え、時間によっては湖上で練習に励むボート選手の姿も見える。2020-03-06
995友の町商店街友の町商店街国土20号線沿いの商店街小景。町北部の製糸業時代からの古い商店街で地元客が相手の店。プディックもややおとなしい感じのドレスが並んでいる。洋服の「はらだ」。2020-03-06
996木の下町の民家木の下町の民家木の下町の民家。秋宮側から綿の湯方面を望む。右手に「新鶴本店」の看板が見える。甲州道中はここで江戸から53里11丁、辻を左折れすれば京に向かう中山道、まっすぐ進めば中山道を春宮に向かい、さらに和田峠を越えて和田宿から江戸につながる。江戸時代は下諏訪宿の中心地だった。2020-03-06
997県道岡谷・下諏訪線県道岡谷・下諏訪線湖に近い新開地の県道。いわゆる「ジャスコ通り」。湖畔の美田地帯が土地計画事業で生まれ変わった。20m幅の県道沿いに大型店が進出し、この地方でも指折りの商店街に成長した。2020-03-06
998注連縄作り注連縄作り下の原注連縄作り講習会の風景。正月をひかえ注連縄つくりの講習会が行われた。ふるさとの民俗を残そうと区の公民館主催でこの催しが毎年続けられている。2020-03-06
999武居公会所武居公会所完成した武居公会所。武居には集会場がなく役員の家を使用してきたが、明治40年代に薬師堂を建て増しし、薬師堂兼集会場になっていたものをこの年に建て替えて武居公会所となった。薬師堂はもともと外御霊戸社脇から天保12(1841)年に茅葺2間で現在地に移されていたもので、享保元(1716)年以前のものと言われている本尊薬師如来が安置されている。あわせて脇持仏の日光・月光菩薩・十二神将・百万遍の数珠などが保存されている。2020-03-06
1000内御霊戸社内御霊戸社諏訪大社の祭事にあたっては内御霊戸社(うちみたまどしゃ)次に外御霊戸社(そとみたまどしゃ)そして御室社(みむろしゃ)を巡拝した後、本社を拝する習わしとなっている。この写真は内御霊戸社。2020-03-06
1001和風レストラン和風レストラン当時湖岸通りに開店した和風レストラン元庄屋諏訪店。松本に本拠をもつチェーン店の諏訪進出第一号店。現在は閉店し上諏訪に支店がある。2020-03-06
1002立町温泉洗濯場立町温泉洗濯場湯の町へ登る坂の中間、細道を入った裏町にある「温泉洗濯場」。近くの「初音源湯」から湯を引き、四つの町内にまたがる83戸が組合を作り維持している。年会費1000円、貯湯タンク(上)を設けてあるので蛇口の湯量を調節できた。湯の町でもこのような施設はここだけだった。2020-03-06
1003ジョギングロードジョギングロード完成したジョギングロード。埋立地の町道湖岸通り線を5憶3200万円かけて改良した。3m幅のジョギング道・緑地帯・車道・並木・自転車・歩行者道という構成でで22m、道路は整備された。2021-04-01
1004舟道舟道富部地区に残っていた舟道と漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1133参照。2020-03-06
1005旧社東町公民館旧社東町公民館旧下諏訪製糸共同病院の本館を昭和2(1927)年12月に買収移転した地区公民館(神明館)。現在の社東町付近は、砥川と十四瀬川に挟まれ、特に砥川と福沢川の合流地はたびたび洪水に見舞われてきたので、古くは「流れ」がそこの通り名であったという。明治以後徐々に人が住みはじめ、旧中山道の北に新道が通ったり、河川改修工事などが進み、人家が増加した。昭和33(1988)年に岡谷市から下諏訪町に合併して第八区となった。2020-03-06
1006十四瀬川河口十四瀬川河口十四瀬川河口付近の諏訪湖畔。写真正面の船着き場の横に、大正14(1922)年平野村(現岡谷市)小井川部校4年生3名がこの地で遭難したのを慰めるために建立された延命地蔵が祀られ、湖畔を温かく見守っている。2020-03-06
1007大社煎餅大社煎餅師走を迎えた大社門前町。煎餅を売る店を訪れた観光客。旧町役場(すわのね)とお土産物屋(観光案内所)のとんがり屋根が、冬空に好対照を見せていた。2020-03-06
1008星ヶ丘温泉掘削起工星ヶ丘温泉掘削起工町の温泉開発第四号井起工。空中探査で山の手の住宅団地内に掘削地を選定、1300mの深井戸を一億1800万円かけて掘ることになった。これに続き町内の建設会社が、国道和田峠線沿いでボーリングに着手、この年町内で4本の温泉井が掘られた。2020-03-06
1009井口新社屋井口新社屋商事会社の新社屋が竣工。ガソリンスタンドやホテルなどを経営する会社が、木造事務所を改築した。曲面を生かした設計である。2020-03-06
1010二年詣り二年詣り諏訪大社の二年詣り。午後11時頃から人手が急に増え12時近くには、境内は身動きできない人波で埋まった。やがて元旦午前零時、地元有線テレビのサービスによる時報が響くと、わあーっという歓声が上がり、お賽銭の雨がとんだ。 歓声を上げて賽銭を投げる人たちの様子。2020-03-06
1011釜洞商店釜洞商店辻の八百屋さん、正月を迎える準備も整う。御田町通りの角にあるこの店、製糸全盛時代には、わらで焼くおいしい焼き芋で人気を集め、近くに並ぶ大手製糸工場の工女たちの買い物でにぎわったものだという。店の軒先に、新年を迎える七五三(しめ)が飾りつけられている。道の向こう側は本屋さん(三澤屋書店)。№1154参照。2020-03-06
1012和菓子屋さん和菓子屋さん賃餅(ちんもち)の注文殺到で大忙しの和菓子屋さん、餅つきも機械化で大量の注文をこなすことができる。この年の賃餅料は一升900円(切賃300円)。正月用のもちは28日に搗く家が多いが、サラリーマン家庭などでは家で搗く時間的なゆとりがないとあって、賃餅に出す家が年々増えてきていた。さらに現代にあっては、スーパーなどに出来合いの鏡餅や袋入りの餅が大量に並ぶ。2020-03-06
1013黒曜石採掘黒曜石採掘和田峠は我が国の代表的な黒曜石の産地で良質の原石を出すことで知られている。 先史時代から採掘されていた。 写真上は、星ケ塔黒曜石原産地遺跡の黒曜石採掘坑道(旧式)。 写真下は新式の黒曜石採掘坑道。2020-03-06
1014黒曜石の焼却炉黒曜石の焼却炉フヨウライト焼却炉(旧型)。 矢じりやナイフとして使った黒曜石。でもそれは1万年以上も前のことです。今では装飾品や置き物などが一般的に親しまれています。 この会社(芙蓉パーライト株式会社)では、世界的に良質な長野県和田峠産の黒曜岩を用いて、現代科学と独自の技術で開発に取り組み、石を高温で焼き発泡させたもの(パーライト)を、【建築資材】【緑化資材】【環境資材】【土壌改良材】など、広い分野に展開し製品化しています。2020-03-06
1015三協精機三協精機三協体育館で行われた、精密電子メーカー「技術交流プラザ・技術成果展」会場。一番人気は「絵描きロボット」だった。 三協精機は、昭和21(1946)年当時の北澤工業に勤めていた3人により下諏訪町に三協精機製作所として創立した。かつてはオルゴールのムーブメント製造が看板事業で、一時は世界のオルゴールムーブメントシェア80%を誇った。しかし、現在は、本体としては同事業からは撤退し、子会社の日本電産サンキョーオルゴール株式会社で取り扱っている。 平成15(2003)年に業績不振から日本電産株式会社傘下入りを発表し、社名も日本電産サンキョー株式会社となった。2020-03-06
1016黒曜石採掘黒曜石採掘黒曜石採掘の切羽。マタギの里として知られる秋田県から働きに来ている作業員が、削岩機で手堀している。日採堀量は約60㎥という。坑道の総延長は15kmに及ぶ。掘り出された原石はフヨーライト(軽量断熱、防湿、防音建材)・ビーナスライト(造園用緑化用土壌改良剤)の商品名で出荷されている。日出荷量は約二百立方メートル。和田峠は、わが国の代表的な黒曜石の産地で、原石を出すことで知られる。先史時代から採掘され、近代に入ってからは、大正時代から工芸品の材料として利用されたが黒曜石パーライトの工場ができたのは昭和45(1970)年。その後、昭和48(1973)年からは大手資本が入ってフヨーライトの工場となった。2020-03-06
1017横町の新築住宅横町の新築住宅旧宿場町、横町の新築住宅。旅館の建物を取り壊した跡地に、宿場の雰囲気を残した鉄骨造三階建て住宅が新築された。2020-03-06
1018東山田の辻東山田の辻「蚕神」碑「道祖神」、「庚申碑」が並ぶ村の辻。養蚕が盛んだったj頃は、蚕は暮らしを支えるものとして「お蚕さま」と呼ばれていた。東山田地区は旧長地村。諏訪大社春宮とのつながりが深く、下社五官がこの里に住んだ時代もあった。古くは、正面に登る道は「人棺小路」と呼んでいたらしい。(葬列が通った道のこと)2020-03-06
1019シクラメン栽培シクラメン栽培町内で初めて出荷用のシクラメンンの栽培風景。この年の春退職した元農業高校長老後の仕事にと、専門知識を生かして始めた。こうれいちのすわちほうは、ユリ、カーネーション、リンドウなどの栽培が盛んだが、当時はシクラメンは珍しかった。115平方メートルのガラス温室、温度調節は全自動で約400万円かけたという。出荷鉢は一鉢200~3000円ぐらいだった。2020-03-06
1020役場屋上からの風景役場屋上からの風景役場屋上より四王方面を望む。2020-03-06
1021屋敷神屋敷神甲州街道中高木村にあった政屋(橋本屋)の屋敷神。明治18(1885)年上諏訪新道(国道20号)の開通までは料理も出し営業していた甲州道中の道中茶屋として栄えていたが廃業。一時ユースホステルにもなっていた。2020-03-06
1022釜洞商店釜洞商店辻の八百屋さん。御田町通りの角にある店。製糸全盛時代には工女たちの買い物で賑わっていた。№1167参照。2020-03-06
1023菅野温泉菅野温泉市街中心地にある区営温泉「菅野温泉」の入り口。表通り(国道142号線)からトンネルのような通路を経て湯に至るあたり、独特の雰囲気が漂う。坂の上にある財産区の浴場とは違って、第三区という平地部の地区が、近代製糸業が盛んになり始めた明治18(1885)年、財産区から湯をひいて、秋宮の参道・八幡坂の坂下に開設した。このあたり一帯を古くから友の町といい、昔は下諏訪宿の外れだったが、このころは町の北部地区を代表する商店街になっていた。2020-03-06
1024長岡川魚店長岡川魚店湖魚の店。鯉のうま煮・まる揚げ・丸煮・鮒の甘露煮・唐揚げ・雀焼き・かぶと焼き・とんこの佃煮・ウナギのかば焼き・・・にぎやかな品揃えで町民に親しまれていた。昭和31(1956)年鯉池の経営者が小売店として開店した長岡鯉店。2020-03-06
1025旧武居祝邸旧武居祝邸旧武居祝邸。武居祝は金刺氏滅亡後下社の神事を引き継いできた。近くには武居恵比寿社、内御霊戸社、外御霊戸社、御室社、八坂社などの社があり、諏訪大社や武居祝とのつながりが見られる。また、武居祝の屋敷地跡には、邸内に湧き出ていたといわれる清水の跡や、馬小屋があったといわれる場所、大広間のあった母屋跡、宝蔵跡、稲荷社などを訪ねて歩くことができる。2020-03-06
1026郊外パチンコ店郊外パチンコ店湖畔のパチンコ店。この日「新台入れ替え」で大入りだった。この店、この春全面改装し店名も変わった。2020-03-06
1027広和プレス広和プレス従業員27人の下請け工場。プリンタや磁気ヘッドの部品、精密金型などを手掛け、QCによる品質保証体制をとっていた。小さな町工場で金型技術の修業をした社長(当時49)が26歳の時「自分の腕を試したい」と独立した(有)広和プレス。「より高度な制度を追求」するためのNC機械や三次元測定具などの設備を取り入れている。2020-03-06
1028人力車の花嫁と花婿人力車の花嫁と花婿大社での神前結婚式へ人力車で向かう花嫁と花婿(山王台)。秋宮外苑のホテル(山王閣・現在は無い)が下社秋宮で挙式するカップルの送迎用に購入した。2020-03-06
1029木村氏木村氏俳誌「夏爐」の発行所。諏訪湖畔四王の里の自宅で来客と話す俳人木村蕪城氏。虚子直門の一人。鳥取県の生まれだが縁あって信州に住むことになって47年になり、、主催する「夏爐」もこの月で473号に達した。句集に『一位』『寒泉』『山容』『走り穂』(前年刊)主がある。俳人協会名誉会員。作品に「大いなる一つ傾く霜がこひ」(「夏爐」十二月号)2020-03-06
1030湖国新聞の印刷湖国新聞の印刷湖国新聞の印刷風景。昭和60(1985)年から写植機を導入、印刷は平台の凸版刷りのタブロイド判4pの日刊紙を発行。昭和32(1957)年創刊。前身の雑誌は「湖国新報」は大正13(1924)年創刊された。大正、昭和にかけて多くの郷土誌紙が発行された。現在新聞は休刊、この建物もなくなり一般住宅となっている。№1102参照。2020-03-06
1031七五三の宮参り七五三の宮参り七五三の宮参り風景(秋宮)。この年は男児の和装が例年になく多く目についたという。近年七五三の宮参りも11月に入る前から参拝風景が見られる。2020-03-06
1032りんどうの出荷りんどうの出荷遅咲きリンドウの出荷準備(萩倉)。2020-03-06
1033第一配水池第一配水池町上水道第一配水池。2020-03-06
1034農業祭農業祭リンゴとかりん(マルメロ)の並んだ町農業祭の共進会場、手前はマルメロの改良種スミルナ。会場は町文化センター。2020-03-06
1035南信日日新聞諏訪支局南信日日新聞諏訪支局この町で創刊された地方新聞南信日日新聞諏訪支局のスタッフ支局長・記者3人・事務員一人が勤務。記事はワープロ打ち、電話回線で送稿。この新聞社の前身「南信評論」が明治30年下諏訪町で創刊、月刊誌を発行(後に週刊誌へ)その後明治34年(1901)年「月刊諏訪新報」、その後、「南信日日新聞」と名を変え、さらに「長野日報」となった。本社を諏訪市へ移したのは日露戦争勃発の明治37年(1904)年、この頃日刊紙となっている。2020-03-06
1036魁塚魁塚赤報隊幹部処刑の地、魁塚。慶応4(1868)年、江戸城後略の「官軍先鋒嚮導(きょうどう)隊」の旗を掲げて下諏訪宿入りした「官軍赤報隊」は東山道軍総督から偽官軍の烙印を押され、捕らえられた相楽総三ら幹部8人は3月3日、下諏訪宿外れの「はっつけ田」で斬首された。 魁塚正面中央の碑が相楽以下8人の墓碑、向かって左に渋谷総司贈従五位の碑、その隣が追分坂本で戦死した金原忠蔵ら4人の招魂碑。中央墓碑に向かった右が相楽総三贈正五位の碑、その右が高島藩で勤王の先駆をなした石城(いしがき)東山の招魂碑。地元の相楽会を中心に毎年4月第一日曜日に供養祭を行っている。2020-03-06
1037五味工業五味工業五味工業の工場内の様子。小規模工場ながら一台5000万円のマシニングセンタなど高性能機器が並ぶ。工場要員は全員が技術検定取得者、技能オリンピック出場者を3人出すなど技術に磨きをかけている。この会社の会長(当時85)は元生糸商で、工場も製糸所の跡地にある。ここにもシルク王国の遺産が生きている。2020-03-06
1038富士遠望(夕景)富士遠望(夕景)東山田から富士遠望(夕景)(信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。 それにしても、中部山岳地帯の盆地の底から、二百キロの彼方の富士山を望見できるというのは、フォッサマグナという大地溝帯(糸魚川静岡構造線)が作り出した特異な景観である。富士山も八ヶ岳も大地溝帯のまん中に噴出した火山で、、諏訪湖はその地溝帯の西縁に沿って走る断層などによって生まれた構造湖なのだという。2020-03-06
1039おは洗いおは洗い諏訪地方では野沢菜漬けのことを「おはづけ」という。信濃人の食卓に野沢菜づけは欠かせない。どんなごちそうよりも美味なのが「おはづけ」なのだ。どこの家でも、霜が二・三回来て柔らかくなった菜を買い求めて一斉に漬け込むので、町じゅうでこんな風景が見られた。温泉旅館旅館にとってもおはづけは「最上のおもてなし」とあって、温泉を使って入念に洗い、最高のおはづけをつくろうと女将をはじめみんなで心をくだいていた。2020-03-06
1040小路の風景小路の風景路地にひっそり、旧下諏訪遊郭の建物。遊郭時代「新塚田」と呼ばれる妓楼だったという。昭和になりアパートに移築された。2020-03-06
1041漁業者の家漁業者の家富部地区、漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1174参照。2021-04-01
1042華道教室華道教室勤め帰りに華道教室のお稽古。お師匠さんは国鉄職員の奥さんで、自宅に作業所を造り、マイクロモーターなどの線材の圧着の仕事をしていた。すわ湖工業地帯らしい風景。2020-03-06
1043駅前通り風景駅前通り風景駅前通り(現オルゴール通り)。秋の日差しに通りの店の看板もはっきりと見える。正面に紅葉を始めた水月園が見える。2020-03-06
1044ゴミ回収船ゴミ回収船湖のゴミ回収船でワカサギ釣り(みずべ公園)。 自然のなぎさや磯だと打ち上げられるゴミを回収すればよいのだが、コンクリート護岸だと、打ち上げられたゴミは、湖の風向きが変われば再び湖上へ流れ出てしまう。そして湖上を行ったり来たりしているうちにそこへ沈んでしまう。仕方なしに風で吹きよせられたゴミを回収するゴミ回収船が導入された。回航されてきた回収船を見つけた釣り人が格好の釣り場として早速「拝借」となった。2021-04-01
1045お舟祭りお舟祭り平成元年、お舟祭りの民謡流し。2020-03-06
1046お舟祭りお舟祭り平成元年、お舟祭りの時代行列の一風景。2020-03-06
1047働くフィリピンの若者たち働くフィリピンの若者たち町内のナイトパブへ働きに来ているフィリピンの人たち。開店前夕涼みしているところへカメラを向けると、こんな風にポーズをとってくれた。。2020-03-06
1048宵祭り宵祭り7月31日、諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」の宵祭りの露店風景。いつもは静かな湯の街なのだが、この日は秋宮参道に露店が軒を連ね、各地から集まった若者たちでにぎわっていた。2020-03-06
1049旧釜口水門旧釜口水門撤去工事の準備の始まった旧釜口水門。天竜川の始点であるこの水門「昭和7(1932)年に大洪水対策と疲弊農村救済策として着工、同11(1936)年3月完成した。幅7m・高さ3mの制水門7門・舟航路付き、総工費34万円だった」(信毎)。毎秒600トン放流可能な新水門の完成で役目を終えた№1307参照。2020-03-06
1050浪人塚の例祭浪人塚の例祭浪人塚の例祭、塚を守っている樋橋部落のご老人たち。毎年この時期には供養祭をしている。明治4(1871)年に諏訪藩が建てた墓碑には6人の名が刻まれている。幕末元治元(1864)年10月20日、京都を目ざす水戸の天狗党約800人の軍勢と和田峠の樋橋で待ち伏せた諏訪・松本藩連合軍とがぶつかった樋橋戦争の水戸側の戦死者11人を葬ってある浪人塚。2020-03-06
1051駅前通りの青果店駅前通りの青果店店舗を改築した駅前通りの八百屋さん。もとは旧宿場のランプ屋さんだった。田村青果店の新店舗(駅通り)、現在の店主は三代目。2020-03-06
1052マルメロの出荷マルメロの出荷特産かりん(マルメロ)を売る農家。 マルメロはペルシア・トルキスタン地方の原産。江戸時代に長崎へ渡来、甲信越や東北地方で栽培され、特に諏訪地方ではかりんと呼ばれて特産品になっている。諏訪の風土に適しているのだろうか、綿毛に覆われた橙黄色の実は強い芳香を放ち、寒冷、高燥の地諏訪を象徴するような果実である。果肉はしまっていて、乾いたかみ味に独特の風味がある。薄切りにして砂糖漬けにしたり、ジャムにもする。この年の小売値は1キロ1,100円(改良種のスミルナは600円)だった。 №1108参照。2020-03-06
1053上水道配水池上水道配水池町上水道配水池の内部(写真上)・集水井(写真下)の点検作業の様子。2020-03-06
1054熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭での東山田長持ち。従来祭りは11月25日であったが、現在は10月の最終日曜日となっている。本祭りには婦人会から甘酒が振るまわれ、長持ちが区内を練り歩いたりして祭りのを盛り上げている。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
1055村祭り村祭り熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
1056熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭東山田の鎮守様、熊野神社の例大祭。地区では「権現様」と呼ばれることもある。熊野神社本殿は安永8(1779)年村田長左衛門等によってつくられたもので拝殿・社務所・舞屋・本殿があり地形を巧みに利用している。写真は参道附近の風景。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
1057図書館カウンター図書館カウンター旧町立図書館カウンターの風景。町立図書館で本の貸出しを受けるお母さんたち、土曜日の利用者が多い。この日は「おはなしのへや」による読み聞かせがあった。2020-03-06
1058モノレールで新米の出荷モノレールで新米の出荷江戸時代下の原の名主を中心に藩の支援を受けながら、東俣蝶ヶ沢から東俣川の水を取り入れ城の沢で落とす長さ6650mの菰川汐(こもっかわせぎ)を作り水田化が図られた。昭和58(1983)年に、耕作者三人が県の補助金を受け、この山上の田(海抜900m)から農業用モノレール(全長202m)を設置した。写真は新米の搬出風景。モノレールは250㎏まで荷物を詰めるそうだ。この年、ミスズモチとフクヒカリを植え、平年作を上回る出来だったという。2020-03-06
1059温泉ボーリング温泉ボーリング高浜3号井温泉掘削起工。2020-03-06
1060温泉ボーリング温泉ボーリング掘削に使うドリルの先端部。2020-03-06
1061温泉ボーリング温泉ボーリング高浜3号井温泉掘削起工。新式の掘削機で温泉のボーリング。町の温泉第三号井の掘削がこの日湖畔の高浜で始まった。これまではローリー式だけの掘削に、ターンテーブル方式を加えた兼用掘削機が導入され高速化され、地上の振動も少ないという。深度200メートルまでは374.7ミリのトリコンビットを使って掘る。温泉掘削も石油開発技術の応用で高度化されている。町はこの年の11月、山の手の小田野の地籍での第四号井掘削にも着手した。町の新規温泉開発は町内全域へ温泉供給と温泉統合が目的だった。2020-03-06
1062秋宮の七五三柱(しめばしら)秋宮の七五三柱(しめばしら)秋宮駐車場から参道を横から入るところにある七五三柱(しめばしら)、社務所横の秋宮駐車場から境内に入る場所に建立されている。大鳥居をくぐることを省略して参拝することになるので、平成元(1989)年に七五三柱を建て大鳥居をくぐったと同じになった。柱に「平成元己巳(つちのとみ)年十月二十五日全国諏訪神社連合会」と彫られている。この七五三鳥居を入るとすぐ右手に温泉を引いた手水が置かれている。2020-03-06
1063マルメロの収穫マルメロの収穫乾いた高地の香・特産マルメロ(通称かりん)の収穫。四王の土田農園のとりいれ風景。マルメロはペルシア・トルキスタン地方の原産。江戸時代に長崎へ渡来、甲信越や東北地方で栽培され、特に諏訪地方ではかりんと呼ばれて特産品になっている。諏訪の風土に適しているのだろうか、綿毛に覆われた橙黄色の実は強い芳香を放ち、寒冷、高燥の地諏訪を象徴するような果実である。果肉はしまっていて、乾いたかみ味に独特の風味がある。薄切りにして砂糖漬けにしたり、ジャムにもする。この年の小売値は1キロ1,100円(改良種のスミルナは600円)だった。 №1122参照。2020-03-06
1064六協新社屋六協新社屋スリムなビルが完成、地元建設会社(㈱六協新社屋)の事務所。狭い敷地を生かして建てられた。昭和43(1968)年三協精機の営繕関係の下請け会社として発足した建設土木の会社。2021-04-01
1065町民レガッタ町民レガッタ第8回町民レガッタ、これまで最多の84クルーが参加。競技はナックルフォアのみ、距離500m。中学生から76歳の男性まで出場し、水辺はお祭り気分だった。2020-03-06
1066鷹匠の家 岡村家鷹匠の家 岡村家岡村家住宅。鷹匠の家、諏訪では珍しい曲がり屋づくりである。数年前に、茅葺から瓦屋根に変えたが、他は江戸時代のつくりを守っている。鎌倉時代、一時期、幕府が諏訪神社以外の鷹狩りを禁じた。そんな伝統を継ぐ諏訪藩のお鷹匠の家である。画人天竜道人はこの家の離れに住んで、鷹の四季の姿を写生したと伝えられている。2021-04-15
1067弥勒菩薩石像弥勒菩薩石像富部弥勒菩薩石像。片膝を立て、右手を見てその膝頭にのせて、手の平を右頬にあてて思考にふける姿の仏像。お釈迦様入寂後、56億7000万年後に示現するといわれる未来の仏様だとか。庶民の極楽往生の願いが込められているのか、表情は穏やかである。2020-03-06
1068湖国新聞社湖国新聞社湖国新聞、植字室の風景。 有限会社諏訪日日新聞社が長野県下諏訪町で発行していた日刊地域紙。昭和21(1946)年1月1日に週刊の『民聲新聞』として創刊、その後月10回発行、隔日刊、日刊と移り変わった。市民新聞グループの『下諏訪市民新聞』との競合で昭和61(1986)年から日曜版を発行。しかし部数を奪われて厳しい経営が続き、昭和62(1987)年には減資して有限会社諏訪日日新聞社に改組したり、さらに株式会社井口、株式会社オノウエ印刷と経営者が変遷したが、実売部数が1000部を割り込み、広告収入も減少して経営の見通しが立たなくなったため、平成17(2005)年2月28日付の1万9927号で休刊した。 №1146参照。2020-03-06
1069第10区運動会第10区運動会第10区運動会の様子。体育の日、区民運動会で楽しむ、晴天続きで、この日も汗ばむほどの好天、町内会対抗の二人三脚リレーに声援がわいた。会場は南小学校校庭。2020-03-06
1070砥川先でのウィンドサーフィン砥川先でのウィンドサーフィン湖でウィンドサーフィンを楽しむ若者たち。諏訪湖は午後になると風の出る日が多い。ことに砥川先は風が強く遠浅であるため、ウィンドサーフィンの基地として好適。当時は各地からサーファーが集まってきていた。2020-03-06
1071下諏訪町立図書館下諏訪町立図書館旧町立図書館閲覧室の風景。旧図書館は建て替えられ平成14((2002)年6月に現図書館が開館した。 旧図書館の館内の風景。 写真下は「おはなしの広場」主催の人形劇の会(松本がらくた座)。2020-03-06
1072朝の通勤通学朝の通勤通学乗用車の普及で、電車利用の通勤者はひところよりだいぶ減り、駅前の混雑もそれほどではなくなった。JR下諏訪駅前、朝の通勤通学の風景。2020-03-06
1073公民館での葬儀公民館での葬儀公民館(第一区明新館)での葬儀。当時は寺での葬儀が一般的だが、区の公会所を利用した葬儀も多くなってきていた。この葬儀の導師は浄土真宗大谷派の僧。2020-03-06
1074うらかめやうらかめや4階の展望風呂から秋宮の森や諏訪湖が眺められる、江戸時代からの宿「うらかめや」。2020-03-06
1075鉄鉱泉本館鉄鉱泉本館夜の湯田坂かいわい。名湯旦過の湯を中心とした旧中山道筋一角。坂下に温泉旅館が並び、しっとりした湯の町情緒がただ用。このあたり製紙業の全盛期には、芸妓置屋が軒を連ね、脂粉の香ただよう街だったという。鉄鉱泉本館の夜景。2020-03-06
1076教員住宅教員住宅旧図書館隣にあった清水町教員住宅。現在は町立図書館前の芝生の広場(あすなろ公園)になっている。2020-03-06
1077土田墓地の六地蔵土田墓地の六地蔵土田墓地の六地蔵。お彼岸の墓参りの前に六地蔵に線香を手向ける人たち。この墓地には鷹や葡萄の画人天竜道人が眠っている。またこの墓地の北側の甲州道中側には石仏(弥勒菩薩像)がある。2020-03-06
1078旧ダイヤ豆腐社の煙突旧ダイヤ豆腐社の煙突ダイヤ豆腐工場は現JR中央線沿い北四王に敷地面積2500坪で昭和9(1934)年に旧湖畔倉庫を買収して開設された。当時の諏訪地区特産の氷(凍り・こおり)豆腐の大半(90%)を生産していた。写真は旧ダイヤ豆腐社の煙突。2021-04-01
1079萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2022-06-12
1080十四瀬川河口十四瀬川河口岡谷市との境界、十四瀬川(十寄川)河口。横河川谷口の出早雄小萩神社より分岐する水を源に岡谷市と下諏訪町境付近を流れる長さ7.9㎞の川。護岸がコンクリートで囲まれる前は魚がたくさん遡上していた。また、河口付近では西赤砂で漁をする人たちの舟たまりともなっていた。当時はマコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していたが、次第にコンクリートの護岸となっていった。2020-03-06
1081ワカサギの舟釣りワカサギの舟釣り砥川河口のわかさぎ釣り。湖の水温が下がるとわかさぎ釣りのポイントが岸から沖へ移る。10月中旬から最盛期に入り、季節風の吹き出す11月頃まで賑わっていた。2020-03-06
1082木落社例祭木落社例祭木落社例祭。木落社は諏訪大社摂社の一つで木落し坂の脇に祀られている。9月27日には午前9時に木落し坂にある木落社祭が行われ、続いて萩倉上の斧立社、さらに八島ヶ原湿原西の鷲ヶ峰麓で大元尊社祭がとり行われる。また、同日午前11時頃には旧御射山社祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
1083旧御射山旧御射山山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。また、旧暦7月27日の正午に、月・日・星の三光(さんこう)を同時に拝することができたといわれ、一説では御射山山中の湿原の池に三光を映したともいわれている。この不思議な現象は諏訪神社下社の七不思議に数えられている。御射山祭は、大勢の人々が参籠(さんろう)する仮屋が穂の出た薄(すすき)で作られたことから、穂屋祭ともいわれ「穂屋野の三光」ともいわれている。2020-03-06
1084旧御射山旧御射山奥霧ケ峰、八島ヶ原湿原近くにある旧御射山社、鎌倉時代には高原で御射山神事のニエを得るための御狩が行われ、社前で小笠懸け、草鹿とよぶ弓術の技が競われた。祭りに参加した武士たちが、穂屋を建てて籠もった土壇が三方の丘に残っている。平成元年現在の旧(もと)御射山の土壇の様子。2020-03-06
1085中央高速バス中央高速バス朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。2020-03-06
1086斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社は萩倉の奥にあり、御柱祭りの際に御神木伐採の刃物の修跋式(しゅうばつしき)を行う社。東俣の浄水場の道向かいの山脇に置かれている。この日は斧立社例祭。斧立とは・・樹木を伐採する前に山の神(大山祇神)を祀る行事。 ちなみにこの日は奥霧ヶ峰・八島ヶ原湿原にある「旧御射山社」で関係者による例祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
1087ききょうやききょうや。旧宿場時代からの看板が人気の下諏訪温泉の旅館「ききょうや」。前身は旧下諏訪宿の中心、問屋場と「綿の湯」のある辻の旅籠屋で、文化2(1805)年刊の街道の案内書「木曽路名所図絵」にもその建物と看板が描かれている2020-03-06
1088新鶴本店新鶴本店名代「新鶴の塩ようかん」の店。本州のほぼ中央にあって海から遠い諏訪地方は、昔から塩をことのほか大事に扱ってきた。その塩をようかん造りに生かしたところに独自さがある。明治6(1873)年創業で、十勝産の小豆だけを使い、茅野市産の寒天を使って、職人さんが火力の強いナラ薪を燃やして煮詰め、木船に流し込んで練り上げるという、昔ながらの製法にこだわっている。店は秋宮の脇、旧下諏訪宿の面影を残す一角にある。江戸末の画人天龍道人が住んでいたという案内板がこのすぐ横にある。2020-03-06
1089朝湯客朝湯客名湯「旦過(たんが)の湯」の朝湯客。この浴場、中世近くの禅寺・慈雲寺が雲水(諸国行脚の修行僧)のために旦過寮をたてた時の浴場だったと伝えられている。現在下諏訪財産区の共同浴場、高温で傷やチリケ(方言=吹き出物)に効くことで知られている。現在は建て直され露天風呂も味わえる。2020-03-06
1090湖林書房湖林書房駅前通りの本屋さん。町の南部に大型店・平安堂が進出し、本屋さんも競争が激しくなった。その後本離れなどもあってこの湖林書房も平安堂も閉店してしまった。2020-03-06
1091第一回諏訪湖マラソン第一回諏訪湖マラソン第一回諏訪湖マラソン。湖1周16.7kmのコースで4グループに分かれて行われた。最高記録はゼッケン1番、伊藤国光選手(招待選手)の52分07秒。主催は諏訪圏健康推進協会。ちなみに平成30(2018)年の第30回大会では8000人が参加、日本陸連公式ハーフマラソンコースとなっている。2020-03-06
1092アヒルを飼うアヒルを飼うテーラーを営む上條さんは仕事の合間に湖に注ぐ砥川の土手で四季の花を植え、アヒルを飼って楽しんでいた。自宅前の砥川でアヒルを飼う上条さん73歳、弓道4段の腕前だった。2020-03-06
1093敬老会敬老会「お客様でご馳走を頂いているだけじゃあ能がない。民謡教室で稽古しているだで、どのくれえ上達したか見ておくれや」と村のおばあちゃんたち5人が舞台に上がって晴れ姿を見せていた。第一区敬老会。 70の手習い(民謡発表)。平成元(1989)年、下諏町老人の人口率は14.2%。平成30(2018)年には37.4%となった。2020-03-06
1094長寿日本一長寿日本一町内一長寿の藤沢ミツさん。四年連続長寿日本一。この年113歳、気分のいい日はそろりそろりと近所へ買い物がてら散歩にも出かけた。食事は朝夕2回、お粥をとる。梅漬けを欠かさず、カボチャと大根の煮物が好物というが、食欲が落ちてきているのか、「うまくねえ、すぐおいやになる」と話す。耳はだいぶ遠い。飾らずあけすけな口調で話す言葉は潔い。明治9年4月9日北信濃の村で生まれ、嫁ぎ先の新潟で暮らした後、昭和の初め製糸の町へやってきた。飯場の炊事係や病人の介護などをして生き抜いてきた。飾らず、あけすけな口調で話す言葉は潔い。大変頭の良い老人であった。平成2(1990)年1月17日に老衰でなくなった。2020-03-06
1095観月句会観月句会中秋の名月、下の原区の水月会(明治35年発足)の観月句会。春は観桜句会を催している。いずれも句会の後一献傾けて楽しむ。句会は親睦の場でもある。d会場は明新館。2020-03-06
1096共同選果場共同選果場この年は4月29日に強い晩霜があり心配されたが、夏場の好天で取り戻し、平年に近い収穫となった。小売値は上物で1kg400円位であった。早生りんご「つがる」の共同選果場風景。晩生種の「ふじ」のできはよかった。この共同選果場は今はない。2020-03-06
1097農業用水の取り入れ口農業用水の取り入れ口砥川、田用水取り入れ口の水路補修をする農業者。2020-03-06
1098町営プール町営プール赤砂の砥川河口横にあった旧町営プール、シーズン最後の日。現在は防災公園になっている。2020-03-06
1099最後の専業漁師最後の専業漁師諏訪湖最後の専業漁師藤森さん、赤砂崎、砥川のほとりに住み、漁業一筋に生きてきた69歳(平成元年現在)、湖が自然破壊でだめになり仲間たちは漁業に見切りをつけ転職していった。「埋め立てで湧くように殖えた湖がだめになったという。漁協の稚魚放流をしているが水草帯がつぶされ水生昆虫など魚のえさも少なくなり、水揚げの70%を占めるワカサギも生育が悪い」という。漁は週3日しか許されていない。№1068参照。2021-04-01
1100ワカサギの選別作業ワカサギの選別作業ワカサギの選別作業。専業漁師の藤森氏は朝3時半に出漁し6時まで投網を打ち続けて、水揚げ量は7㎏、これでも豊漁。奥さんの手を借り大急ぎで選別し、岡谷市下浜の市場へ出荷する。№1069参照。2021-04-01
1101古川の流れ古川の流れ下水道効果で澄んできた町なかの川。どぶ川同然の汚れだったが、下水道の普及とともに水質改善が進み、水草も見られる流れになってきた。昭和63(1988)年から子どもたちの夏休み行事としてマスのつかみとり大会も催されている。2020-03-06
1102秋宮社務所秋宮社務所座卓で執務、諏訪大社下社秋宮の社務所の風景。大社の社務所は「7年に1度」の御柱祭を節目に下社⇒上社⇒下社と移して上下両社の調和を保っている。平成元(1989)年当時は上社(平成4年の大祭まで)にあり、令和2(1990)年の現在は下社に社務所が置かれている。(令和4年から上社に移される)2020-03-06
1103導水管点検導水管点検中部電力砥川水力発電所へ引水する導水管の点検作業。2020-03-06
1104弁当屋弁当屋ほっかほっか亭(弁当屋)の店頭。町の南部、20m道路沿いに開店したテイクアウトの弁当屋。昼時になると車で買いにやってくる客が店頭に並ぶほどだった。売れ筋は幕の内弁当と焼き肉弁当(400円)スポーツ弁当(500円)。当時町内にはこの系列店が2軒・すし弁当店2軒・コンビニエンスストアーでも弁当を扱っていて「お弁当商売」ますます盛んになっていた。2020-03-06
1105承知川河口承知川河口承知川河口付近。源は大見山(八の字山)の西に発し高浜湾に注ぐ、長さ6.1㎞の川。流れは大きくないが、暴れ川で度々出水し護岸工事も何度か行われている。2020-03-06
1106英語授業風景英語授業風景下中の外人講師による英語授業。下諏訪町では昭和59(1984)年度から外国人講師を雇っている。平成元(1989)年度予算は460万円。講師はカリフォルニア大学学院生(28歳)日本史専攻・柔道初段。写真は中学二年の授業風景。2020-03-06
1107芭蕉翁奥の細道芭蕉翁奥の細道芭蕉「おくのほそ道」から300年、町出身の日本画家・中村静思の代表作「芭蕉翁奥の細道」を中床にかけて楽しむ所蔵者。静思は諏訪出身の矢沢弦月門下、帝展などで活躍した。昭和38(1963)年70歳で没した。絵に描かれた曽良は諏訪の人、静思は曽良の描き方に工夫を凝らしている。2020-03-06
1108十四瀬川河口十四瀬川河口岡谷市との境、十四瀬川の河口。マコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していた。橋の先に見える舟たまりの横には大正11(1922)年6月に平野村(現岡谷)の小学生が諏訪湖で遭難した霊を慰めるために建てられた延命地蔵が祀られている。2021-04-01
1109演奏会演奏会村の鎮守(高木津島神社)の舞屋(江戸末期の建築)で行われた小澤征爾・ロストロボーヴィッチ・桐朋学園大学生の弦楽アンサンブル。一行は飛騨白川村、伊那谷大鹿村に続いて下諏訪町高木を訪れ、諏訪養護学校の子供たちにチェロ協奏曲を聴かせた。この演奏の旅、ロストロポーヴィチ(62)の希望で実現したものという。小澤征爾はこの日が55歳の誕生日だった。2020-03-06
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