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登録リスト(該当:57件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
永田小路
現在の永田小路の様子。 国道と平行に阿部奈良屋と土田薬局の間を大社通りから、裏参道へ抜けている小路は今でも通ることができます。
2023-02-23
2
国道142号線1年ぶりに開通
2021(令和3)年8月の大雨災害で道路が陥没し、通行止めになっていた下諏訪町新町上の国道142号約1キロ区間が8月10日開通した。崩落した石積みを大型ブロック塀に替え、国道下の水路は「30年に一度の大雨に耐えられる流下能力」を確保したという。
2022-09-14
3
子どもみこし
子どもみこがお舟祭りの日に披露。 国道20号、友之町附近での撮影。
2023-02-23
4
国道142号線の通行止め
令和3(2021)年13日から15日にかけての大雨の影響で、新町上の国道142号線の路面が一部陥没し通行止めとなった。町は道路崖下の約40世帯に避難指示を発令した。陥没地点は来迎寺と慈雲寺の中間で、西側が崖、道路下は大久保沢が流れている。町によると陥没は縦約5m、横約6m、深さ約5mだという。崩落は15日朝から始まったとみられ、町には午前7時50分頃「歩道の一部が陥没している」との通報があったという。同8時30分から通行止めとなり、9時15分位は崖下の新町下と東町下の一部地域約40世帯約80人に避難指示が発令された。このうち20世帯47人は町が用意した町内の宿泊施設に避難し、残りは親戚等の家に避難した。復旧工事は令和4(2022)年の御柱祭の前には完了したいとしている。
2021-11-10
5
西大路口交差点バイパス接続工事
西大路が国道20号線と交差する場所(国道20号西大路口信号交差点)の工事風景である。当面は混雑緩和と歩行者の安全確保を目的とした交差点改良工事だが、将来の国道20号下諏訪・岡谷バイパスと現国道とを接続するアクセス道路の起点となる計画があり、完成すれば車の流れが大きく変貌するポイントになる場所と思われる。
2022-03-19
6
神明館・神明社
神明館については№1173を参照していただきたい。神明館入り口に祀られている「神明神社」は大正12(1923)年に区民の寄付によって建立し、毎年10月10日を例大祭としている。なお、神社前には道祖神も建てられている。そもそもこの地区は「流れ」と呼ばれた砥川・鋳物師川・福沢川・十四瀬川の洪水常習地帯で、住宅ができたのは明治9(1876)年からで特に明治23(1890)年現国道20号線が開通してから戸数が増えてきた。新しい街だからこそ神明社は大事に守られてきたのだと思われる。
2022-03-19
7
高浜湾近景
令和の時代に入った高浜湾。かつてここが大きく入り込んだ入り江で、漁業や採氷やスケート、観光などで賑わっていた風景は古い時代の写真でしか見ることはできない。ただ、明治時代に開かれた国道20号線や中央東線の線路などは当時と同じ場所にあって人々の生活と深く結びついていいる。「高浜」で検索し、静かな入り江だった場所がやがて埋め立てられ大きく景観が代わってきた様子を見比べていただきたい。
2021-06-23
8
山の神(三区)
国道20号線を和田峠に向かっていくと右手に目るのが「第三区山の神」である。1月17日の早朝暗いうちに参詣する。作っておいた弓と矢を神前に供えて、お賽銭とお神酒をあげ、焚火で切り餅や鰯を焼いて食べながらお神酒をいただく。そのあと、明きの方(恵方)へ向かって矢二本を放ちながら、「山の神さまサンゼンゴンオン」(地区によっていろいろ違いがあるという)と唱える。持って行った弓矢は持ち帰って各家の門口に掛けておき、魔よけにするという。現在も町内の民家の玄関近くに飾られているのをよく見かける。
2021-05-10
9
氾濫した承知川(国道上)
平成18年7月19日未明の豪雨災害。 大量の土砂と濁流が承知川沿いの道路も埋め尽くした。
2020-09-09
10
氾濫した承知川(線路付近)
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の濁流が国道20号を渡り、JR線の鉄橋に達した。 写真2・3枚目は土のうを積みあふれ出た水を川に戻している。
2020-09-09
11
濁流、国道を渡る
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 氾濫した承知川の濁流が線路を渡り、南小学校付近の道路方面に流れている。 正面に見えるのは有賀商店(現在は駐車場になっている)
2020-09-09
12
冠水した線路
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 大和電機工業㈱前のJR線路内が冠水。 承知川のはんらんで国道20号線を超えた水が一気にJRの線路へ流れ込み、数百メートル離れたイングスシナノ付近から側道に流れ出た。このためポイントが故障し、下諏訪中学校下の甲州第三踏切は遮断機が下がったままの状態になった。
2020-09-09
13
航空写真 四王上空
写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。
2021-04-18
14
第三区騎馬奉納
戦後初めての御柱祭。友之町の未舗装国道にて撮影。 後方に屯所の火の見櫓が見える。
2022-06-09
15
和田峠トンネル
雪の和田峠トンネル。
2022-03-10
16
旧和田峠トンネル工事関係の建物
旧和田峠トンネル工事関係のいろいろな建物。
2022-03-10
17
旧和田峠トンネル工事
(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)
2020-08-02
18
和田峠の切通し工事
明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。
2023-04-15
19
御騎馬
春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。
2022-05-12
20
湯田坂
国道142号辺りから見下ろした湯田坂。 左の大きな建物は旧旅館喜楽。 旧中山道の風情が残る街並み。
2020-03-06
21
街並み
国道142号(R142・湯田坂と衣文坂の交差している付近)から見た「うらかめや」、奥に見えるのが「児湯」。
2020-03-06
22
舟道
富部地区に残っていた舟道と漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1133参照。
2020-03-06
23
星ヶ丘温泉掘削起工
町の温泉開発第四号井起工。空中探査で山の手の住宅団地内に掘削地を選定、1300mの深井戸を一億1800万円かけて掘ることになった。これに続き町内の建設会社が、国道和田峠線沿いでボーリングに着手、この年町内で4本の温泉井が掘られた。
2020-03-06
24
屋敷神
甲州街道中高木村にあった政屋(橋本屋)の屋敷神。明治18(1885)年上諏訪新道(国道20号)の開通までは料理も出し営業していた甲州道中の道中茶屋として栄えていたが廃業。一時ユースホステルにもなっていた。
2020-03-06
25
菅野温泉
市街中心地にある区営温泉「菅野温泉」の入り口。表通り(国道142号線)からトンネルのような通路を経て湯に至るあたり、独特の雰囲気が漂う。坂の上にある財産区の浴場とは違って、第三区という平地部の地区が、近代製糸業が盛んになり始めた明治18(1885)年、財産区から湯をひいて、秋宮の参道・八幡坂の坂下に開設した。このあたり一帯を古くから友の町といい、昔は下諏訪宿の外れだったが、このころは町の北部地区を代表する商店街になっていた。
2020-03-06
26
漁業者の家
富部地区、漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1174参照。
2021-04-01
27
中央高速バス
朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。
2020-03-06
28
夜の木の下
大社側から新鶴を見る、看板の向うは和田方面へ続く国道142号線。
2020-03-06
29
大社四つ角風景
国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。
2020-03-06
30
新和田トンネル
大型連休で普段静かな峠の国道142号線も車の台数が増えていた。それでもピークの夏場には及ばない。新和田トンネル口。 令和4(2022)4月1日午前0時より無料になった。
2020-03-06
31
信濃蚕業
下諏訪駅東にあった信濃蚕業、現在は(株)イングスシナノに社名が変わった。
2021-04-01
32
花見新道からの景色
花見新道(国道142号線)から見た下諏訪町の風景。中央のシルバー屋根は御田町「武藤工業㈱諏訪工場(旧ヤシカ)」その奥が「入一通信工業㈱諏訪工場」
2020-03-06
33
大鳥居のある街角
春宮大門大鳥居と参道。正面は諏訪大社春宮の870mに及ぶ参道。鎌倉時代には流鏑馬が行われていたらしい。かつては見事なさわら並木で、昼なお暗い道だったという。鳥居の後方左の大きな建物は製糸時代の繭倉で平成元年は倉庫会社の倉庫になっていた。 現在は西友下諏訪店になっている。
2020-03-06
34
下諏訪駅前の風景
平成元(1989)年のJR下諏訪駅前風景。平成2(1990)年駅前の通りに「オルゴール通り」の名が付いた。№393と比較して見ていただきたい。 下諏訪町の商店街の中心は、かつては旧宿場町から坂下の国道20号線沿線へと移ったが、町南部に新商業地区が形成されるにい従い、北部の商業地区の中心はこの駅前に移りつつあった。しかしモータリゼーションが進み、現在はこの駅前も活気ある賑やかさから置いて行かれることになっている。
2020-03-06
35
伏見屋商店
伏見屋商店。現在は店じまいしてしまったが、矢木東の国道20号線添いで多種の雑貨を商っていた伏見屋の店先である。店員の法被に「カネジョウ伏見屋店」の文字が染め抜かれている。看板には「伏見屋商店」とともに、「畳表・かや・荒物・□□・足袋・雑貨」などと書かれている。
2020-03-06
36
赤渋山林道の橋梁施工
昭和6(1931)年1月21日、失業者救済のため砥沢林道開削の件が上提された。国道142号線桶橋分岐砥沢山内、車道3000m巾3.7mである。写真裏には「赤渋山林道橋梁竣工記念(昭和11・7・8写)」と記録されているが、写された風景は雪景色である。撮影年月日は不明としておく。なお砥沢橋は昭和30(1955)年の完成である。
2020-03-06
37
和田峠黒曜石採掘の跡
和田峠トンネル西口200m手前国道沿いの黒曜石採掘場。昭和23(1948)年頃の吉沢太七郎の旧抗を清水明氏が写す。工業用材としては昭和31(1956)年小野田セメント㈱がホシガトウ及び東餅屋で断熱材として、また昭和45(1970)年からフヨーライト㈱が和田トンネル西方で採掘して本社に搬出している。
2020-03-06
38
和田峠開削
大正12(1923)年7月下諏訪では浜義雄氏が、諏訪電の協力を得てフォードを買い入れ、その年はじめて自動車で和田嶺を越えた。明治28(1895)年8月和田峠(明治10(1877)年10月の開削の峠)の頂上を掘り下げて新道(国道142号線)をつくった。写真下に「和田嶺頂上堀割ノ景」の文字。
2023-04-15
39
来迎寺
知恩院を本山とする浄土宗寺院で引接山聖聚院来迎寺という。寺の由緒によれば天文10(1541)年草創という。 来迎寺は明治40(1907)年10月7日の火災で本堂、庫裡を失ったので、翌年東筑摩洗馬村の廃寺を移して庫裡として、昭和11(1936)年本堂を再建(棟梁立石初三郎)、同32(1957)年鐘楼、梵鐘をつくる。同寺の鉄焼(かなやき)地蔵尊とお堂は町の文化財に指定されている。 山門左手前の道路は明治29(1957)年に開さくされた中山道の新道(お花見新道・国道)である。
2020-03-06
40
陸軍航空隊航空写真
陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。
2020-03-06
41
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。
2020-03-06
42
立体交差工事竣工
昭和30(1955)年10月に着工した 西浜の国道と鉄道の立体交差竣工。同32(1957)年5月20日開通式。完成した新道路の橋は高浜橋と命名された。
2020-03-06
43
諏訪湖高浜湾
絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖高浜湾」。国道と中央東線(汽車が走る)が湖岸近くを走り、湖面との間には畑が一面続き、富士山を遠望する風景。
2020-03-06
44
石投げ場
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が変化し運動公園ができ湖岸道路もある。№425と比較するとその変化がよくわかる。
2020-03-06
45
石投げ場より
石投げ場から諏訪湖を望む。こののち埋め立てが行われ景色は一変する。国道と並行して中央東線を蒸気機関車が走る。№426と比較するとその変化がよくわかる。
2020-03-06
46
高浜の信号
国道20号から湖岸道路へ行く高浜の信号付近。
2020-03-06
47
諏訪湖畔
現博物館(裏手)を国道側から見たところ。
2020-03-06
48
石投げ場から諏訪湖を望む
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が大きく変化した。運動公園ができ湖岸道路もできている。 №409の写真と比較すると変化がよくわかる。
2020-03-06
49
石投げ場から諏訪湖を望む
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸が国道付近にある。
2020-03-06
50
花見新道
花見新道の桜並木に「宮の上」(「宮の上」のバス停が天白の急坂の入口にある)の看板の文字が見える。現在とは違い新道北側にも桜並木が続いたり、人家がほとんどない当時の様子がよくわかる。 国道142号線が開通したのは、明治29(1896)年である。
2020-03-06
51
山王台を望む
久保海道、国道20号付近の承知川。写真左上に山王閣(現在は無い)が見える。
2020-03-06
52
山王台を望む
大正15(1926)年、久保海道付近、国道20号付近の承知川。写真左側の建物の奥は土田遺跡(土田墓地付近)。
2020-03-06
53
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
54
町民水泳大会
各区対抗で行われた町民水泳大会の関係者?背後には現国道のガードレールも見える。
2020-03-06
55
高浜プール
各区対抗で行われた町民水泳大会の様子で、場所は旧高浜プール(現在の県水産試験場の孵化場付近)。 プールの背景は、左に高浜湾(諏訪湖)、奥には高浜温泉旅館、プールの奥には石置屋根も懐かしい建物が見える。プールの右には富部新道と国道20号が見える。
2021-12-15
56
佐寿中商会
友之町(羽田医院の国道向かい側)にあった佐寿中商会下諏訪営業所。自転車を販売していた。正面の看板とは別に左側に「ラヂオ(ラジオ)」店内には「ナショナル」の看板も見え、電気製品も扱っていたようだ。
2020-03-06
57
千尋池
改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。
2020-03-06
≪
1
≫
国道20号(7)
諏訪湖(6)
国道(6)
国道142号(6)
線路(5)
和田峠(5)
石投げ場(4)
下諏訪駅(4)
浸水(4)
氾濫(4)
花見新道(4)
濁流(4)
湖岸道路(3)
小路(3)
旧道(3)
四王(3)
災害(3)
被害(3)
旧和田峠トンネル(3)
和田峠トンネル(3)
高浜(3)
承知川(3)
中央東線(3)
湖岸(2)
航空写真(2)
公園(2)
舟止(2)
新道(2)
国道142号線(2)
国道20号線(2)
騎馬行列(2)
騎馬(2)
春宮大門(2)
倉庫(2)
湯田坂(2)
学校(2)
JR(2)
高浜プール(2)
土田墓地(2)
町民水泳大会(2)
秋宮(2)
千尋池(2)
バス停(2)
住宅団地(1)
漁業(1)
温泉井(1)
温泉開発(1)
空中探査(1)
富部(1)
児湯(1)
湯田町(1)
喜樂(1)
鳥居(1)
旧喜樂(1)
うらかめや(1)
衣文坂(1)
温泉掘削(1)
風景写真(1)
政屋(1)
舟道(1)
富部山(1)
遠景(1)
駅前公差点(1)
新宿(1)
新鶴(1)
高速バス(1)
財産区(1)
秋宮参道(1)
高木村(1)
橋本屋(1)
競技(1)
甲州街道(1)
製糸業(1)
下諏訪宿(1)
トンネル(1)
屋敷神(1)
スポーツ(1)
神明神社(1)
西大路(1)
バイパス(1)
道祖神(1)
明新館(1)
山の神(1)
埋め立て(1)
通行止め(1)
お舟祭り(1)
永田小路(1)
阿部奈良屋(1)
国道142号 交通止め 開通 大雨災害(1)
披露(1)
御神輿(1)
おみこし(1)
池(1)
はんらん(1)
電気製品(1)
ラヂオ(1)
トロッコ(1)
和田(1)
水泳(1)
集合写真(1)
第三区(1)
御騎馬(1)
商業(1)
千尋講(1)
大和電機(1)
自転車店(1)
佐寿中商会(1)
四王ガード(1)
勢揃い(1)
宿場町(1)
海道(1)
秋宮の森(1)
火災(1)
陸軍航空隊(1)
四区屯所(1)
下諏訪町(1)
山王閣(1)
来迎寺(1)
再建(1)
自動車(1)
黒曜石(1)
星ヶ塔(1)
諏訪電(1)
フォード(1)
山門(1)
和田嶺を越える(1)
屯所(1)
鉄道(1)
赤彦記念館(1)
桜並木(1)
国道20号(1)
博物館(1)
湖畔(1)
看板(1)
宮の上(1)
信号(1)
SL(1)
新道路(1)
高浜橋(1)
立体交差(1)
電柱(1)
畑(1)
汽車(1)
採掘(1)
断熱材(1)
ヤシカ跡(1)
入一通信(1)
煙突(1)
武藤工業(1)
御田町(1)
国鉄(1)
春宮大門交差点(1)
連休の峠道(1)
新和田トンネル(1)
塩尻峠(1)
上諏訪(1)
下の原(1)
立体交差 (1)
四つ角(1)
旧和田トンネル(1)
大型連休(1)
土田遺跡(1)
大鳥居(1)
砥沢山(1)
桶橋分岐(1)
商店風景(1)
橋梁(1)
林道(1)
工業用材(1)
赤渋山(1)
フシミヤ(1)
雑貨(1)
オルゴール通り(1)
諏訪大社(1)
駅前通り(1)
駅前(1)
法被(1)
荒物(1)
諏訪大社秋宮(1)
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