キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:40件)

写真タイトル説明登録日
1矢木町会館と矢木神社矢木町会館と矢木神社矢木町会館と矢木神社。かつてはこの西の春宮大門通り一帯は矢木の馬場と呼ばれ、金刺氏一族が流鏑馬を競ったところだと伝えられている。武田信玄はその儀式の断絶を惜しみ、再興のために舞童に対して装束を寄進しているという。2022-03-24
2春宮大門南の大灯篭春宮大門南の大灯篭高遠系の石工(横川村の山田金右ヱ門の子、平蔵)の作と刻まれている。文政12(1829)年に作られ、6mの高さがある。当時、灯籠に火が入ると諏訪湖からも見え、人々はこの灯火を目印にしたと伝えられている。2022-03-24
3下諏訪倉庫跡・西友下諏訪店下諏訪倉庫跡・西友下諏訪店大門通の「西友下諏訪店」。かつてはここに明治33(1890)年創業の「下諏訪倉庫(株)」が明治44(1911)年に建てた土蔵の繭蔵倉庫があり、製糸業を支えてきた。その後、繭のにおいの残る館内は、下諏訪倉庫創立関係資料・風乾(自然乾燥)当時の繭保管棚や選繭台・養蚕用具・昭和6(1931)年の見本繭や生糸・機織り機・三井組製糸場その他関連の古い写真などを展示している「下諏訪倉庫蚕糸博物館」となっていた。しかし今は写真のように大型スーパーに変貌し、時代の流れが大きく風景を変えてしまっている。2022-03-24
4明新館明新館第一区明新館。春宮大門に面しているので、古い写真に様々な形で記録が残されている。「明新館」で検索しその変遷を見ていただきたい。2022-03-24
5春宮大門鳥居前春宮大門鳥居前他の写真と比較して時代の変化を見ていただきたい。2022-03-19
6碁会所碁会所「日本棋院諏訪支部碁會所」。大門通下馬橋南とあるので明新館が会場?2022-03-05
7下馬橋下馬橋春宮大門通りの下馬橋。俗に「太鼓橋}と呼ぶ。 天将6(1578年造営、元文年間(1736頃)の修造といわれ、切り妻造りで古い様式を残す建物である。この橋より奥は神域で、馬上の人は馬を降りて橋の下を流れる御手洗川で身を清めて参拝したという。2020-07-23
8御騎馬御騎馬春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。2022-05-12
9大門並木大門並木大門並木、奥に下馬橋を望む。人力車と休息している車夫が手前に見える。2020-03-06
10お舟祭りお舟祭り大正から昭和初期のお舟祭の柴舟と胴棒が見える。 大人も子どもも着物を着て祭りに来ている。 右手の建物は青雲館。2020-03-06
11下諏訪倉庫下諏訪倉庫大きな蚕庫から時代の流れで倉庫業に転進、倉庫の一部は蚕庫の遺品として博物館となっていたが取り壊されて、現在はスパーマーケット(西友)となった下諏訪倉庫。2020-03-06
12大鳥居のある街角大鳥居のある街角春宮大門大鳥居と参道。正面は諏訪大社春宮の870mに及ぶ参道。鎌倉時代には流鏑馬が行われていたらしい。かつては見事なさわら並木で、昼なお暗い道だったという。鳥居の後方左の大きな建物は製糸時代の繭倉で平成元年は倉庫会社の倉庫になっていた。 現在は西友下諏訪店になっている。2020-03-06
13旧西友旧西友旧西友店頭風景。現在は大門通り(諏訪倉庫跡地)へ移転したがこの時は、中央通りの建物の中にあった「西友」の店舗。2020-03-06
14道路拡幅中之四ツ角道路拡幅中之四ツ角下諏訪町大社通り四つ角西の友の町本通りで道路拡張工事の始まった頃。足場のあるのが改装中の中央デパート、右角は八十二銀行と信用金庫支店(信金はその後春宮大門先へ移る)不二屋の向うにパチンコ屋(タマキ)の看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。2020-03-06
15友之町本通友之町本通友之町本通拡張工事のおくれた家。 花咲町入口。写真の奥のしんきん(のち春宮大門入口へ移る)の手前にガソリンスタンドの看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。2020-03-06
16明新館明新館古くは行屋(お堂)があったところで、明治10(1877)年に学校建築の費用に充てるため御堂と土地を民間に売ったが、明治24(1891)年にお堂を取り壊して集会所を建て、「明新館」と名付けた。 下諏訪町最初の集会所。その後何回か改修を重ねてきたが老朽化により昭和41(1966)年現在の建物に改築されている。 写真は改築直前の昭和40(1965)年の明新館。 下原中村勝五郎の日記(日嘉恵雑書帳)に「明治24年200円にて明新館建てる」とある。玄関と平石屋根は明治32(1899)年の改修。行屋にあった十王像(町文化財)は現在同館に保存されている。2020-03-06
17春宮大門先大鳥居建立春宮大門先大鳥居建立この写真には「明治25(1892)年春宮大門先に建てる銅(からかね)鳥居を塩尻峠経由で到着させるとこ」と裏書あり。春宮大門先へ銅鳥居が建つ(明治25(189)2年)。大鳥居建設落札者河西準之助、河西寅吉と鋳造者小島大二郎(上田市)の三氏が礼服乗馬で指揮して、その部品を荷馬車で和田峠越えが困難なために保福寺峠を迂回して松本・塩尻峠経由で運んだという。2020-03-06
18春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から春宮大門の銅鳥居を望む。鳥居の奥に見える屋根は第五倉庫、常夜灯横の建物は事務所。丸三倉庫現下諏訪倉庫(三井)の六号倉庫で昭和44(1969)年諏訪信用金庫下諏訪支店(信金は昭和38(1963)年四ツ角に新築、昭和44(1969)年12月現在の場所に移転した。)丸三倉庫は「倉荷証券」を発行し金融事業も手掛けた。支配人は小口文次郎他に共同倉庫、湖国倉庫(現イングスシナノ、大和電気)をも担当したが両倉庫とも「空券事件」により廃業となった。 改修後の写真№575と比較して見ていただきたい。2020-03-06
19春宮大門先石燈篭と丸三倉庫(現諏訪信金下諏訪店)春宮大門先石燈篭と丸三倉庫(現諏訪信金下諏訪店)旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から丸三倉庫(現諏訪信用金庫下諏訪店)を左に見て、春宮大門の銅鳥居を望む。丸三倉庫№576(昭和37年)との違いが見える。2020-03-06
20大門先の石燈籠大門先の石燈籠旧中山道に面した春宮大門先の石燈籠(常夜燈)。 文政12(1829)年に作られ台座から6mの高さがある。高遠系の流れをくむ横川村(現岡谷市)の石工山田金右ェ門の子平蔵(和哉)の作といわれる。 発起人は上諏訪及び大阪の人でたくさんの寄進の人名のほか、石運びの手伝いとして湯之町・友之町・下ノ原・久保・武居・富部・東山田・萩倉新田・樋橋新田の村々名が刻まれている。 石材は高尾山から運び総工費五十両を要したという。  写真下のきなこ石の唐獅子は金左エ門作(現在はない)。         2021-04-22
21明治9年下諏訪集落図絵明治9年下諏訪集落図絵明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。2020-03-06
22春宮から大門通り春宮から大門通り諏訪大社下社春宮、境内付近から下馬橋方面を写したもの。2020-03-06
23大門通り大門通り春宮周辺。正面奥に春宮の森、下馬橋が見える。2020-03-06
24防火訓練防火訓練さわら並木の残る春宮大門通りでの防火訓練。左側を流れる御手洗川の汐(せぎ)の流量の豊かさに当時の人々の生活との結びつきの強さを見ることができる。2020-03-06
25綱打ち綱打ち第1区綱打ち。山車による綱打ち風景。2020-03-06
26綱打ち綱打ち第1区綱打ち。 山車による綱打ち風景。2020-03-06
27御柱綱打ち御柱綱打ち第1区綱打ち.2020-03-06
28御柱綱打ち御柱綱打ち第1区綱打ち.2020-03-06
29里曳き見物客里曳き見物客御柱里曳きで賑わう大門通り。下馬橋から南側を望む。2020-03-06
30綱打ち綱打ち綱打ち(大門通の南側を望む)。2020-03-06
31綱打ち綱打ち綱打ち(春宮を望む)。2020-03-06
32航空写真 大門通上空航空写真 大門通上空上空から見た下諏訪町。大門上空、大門通りの左はじに下馬橋が見える。2020-03-06
33大正15年御柱祭大正15年御柱祭御柱祭できれいどころをのせて屋台が町内を練り歩いた。後方の屋根は明新館。2021-04-22
34室戸台風の被害室戸台風の被害昭和9(1934)年9月21日に下諏訪を襲った室戸台風により大門通りのさわら並木が倒れた。   2枚目の写真は春宮鳥居に向かい右手前に続く民家付近(現共立病院の前あたり)。 3枚目は石の鳥居前や手水舎一帯の大被害の様子。 4枚目は台風に襲われ大門通りのさわら並木の大半が倒れた下馬橋上の様子。 5枚目は春宮鳥居前の被害状況。 河西政常氏撮影。2020-03-06
35大門通り下馬橋~春宮大門通り下馬橋~春宮大門通りのさわら並木や下馬橋を参道南側から春宮方向に望む。河西政常氏撮影 。2020-03-06
36吉沢製材所とさわら並木吉沢製材所とさわら並木春宮前のさわら並木を西側から写したもの。春宮下馬橋の西裏手を流れる御手洗川の水力(水車)を動力として利用をした吉澤製材工所。写真の大きな立木は大門通りのさわら並木。現在は駐車場、住宅になっている。河西政常氏撮影。2020-03-06
37下馬橋より下のさわら並木下馬橋より下のさわら並木大門通り。下馬橋から南を望む。2020-03-06
38下馬橋とさわら並木下馬橋とさわら並木官幣大社諏訪神社下社春宮下馬橋。昭和9(1934)年室戸台風の被害前のさわら並木。2020-03-06
39春宮前大門通り大正末期春宮前大門通り大正末期春宮前の大門通り下馬橋から春宮を望む、河西政常氏撮影。通りの両側にはさわら、杉、松、桜などの大木が並んでいた。明治中期の調査では計41本であったが、昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れ、その後枯死し昭和39(1964)年には全て姿を消した。2020-03-06
40大正年間の大門通り大正年間の大門通り大門の中ほどから下馬橋を望む、何かが通るので沿道の人が出てきていたところか?撮影者の河西氏宅は下馬本屋と呼ばれ暗箱(ガラス板)を使って写真を撮影していた。当時アマチュアカメラマンといえば下馬本屋さんといわれていた。尚下馬本屋(河西氏宅)は下の原の御洗川の水を利用して、精米水車を最後まで行っていた一軒であった。2020-03-06
地図で見る


ログイン トップページへ