キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:48件)

写真タイトル説明登録日
1子どもみこし子どもみこし子どもみこがお舟祭りの日に披露。 国道20号、友之町附近での撮影。2023-02-23
2春の浮島春の浮島医王渡橋(いおうどばし)から川の中ほどにある浮島(うきしま)を望む。夏は子どもたちの川遊びの大切な場所となる。 撮影日は御柱年で、東山田地区の小宮の御柱のための飾り付けがされているのが見える。2021-02-23
3諏訪湖で遊ぶ諏訪湖で遊ぶ下諏訪町図書館で忍者の本を借りたら「マキビシ」について説明があったので、諏訪湖に「ひし」を探しに行きました。2021-02-23
4アケビアケビ現在は食べ物が豊富で、子どもたちも口にしないが果実んの皮部分は乙に味わえる。2021-03-24
5お祭りと子どもお祭りと子ども祭りの記念写真、大人は着物姿の正装、 子どもたちは祭り支度で長持ちの杖を持っている。 御田町劇場前での撮影。2022-06-12
6こどもたちこどもたち元気な子どもたちの姿。2022-03-10
7子ども木遣り子ども木遣り大人の人に肩車をしてもらい木遣りをなく男の子。2022-05-12
8下駄スケートをする子どもたち下駄スケートをする子どもたち下駄スケートで滑る小学生、先頭は改良されたスピードの三本刃、後方は最初の日本刃のスケート。この写真の説明は昭和初期としてあるが、「写真いまとむかし(下諏訪町)」には、「大正後期のスケート遊び(矢島式下駄スケート)」と説明されている。また、「下諏訪町町制施工125周年(下諏訪今昔絵巻)」には大正14(1925)年頃と注釈がされている。2020-03-06
9スケートスケートたくさんの子どもたちが見守る中で回転したり、ジャンプをしたしフィギュアスケートを披露。子どもたちが履いているのは下駄スケートが多いように見える。2020-03-06
10スケートスケート椅子に刃をつけてソリのようにして遊ぶ様子。2020-03-06
11スケートスケートなかよく並んで下駄スケートをする子どもたち。後ろにはアイスホッケーのゴールが見える。2020-03-06
12スケートスケート氷上をそりにのり楽しむ子ども、フィギュアスケートの練習をする女性、アイスホッケーのスティック持っている男性などそれぞれのスタイルでスケートを楽しむ様子。 小湯の上、秋宮スケートリンク。2020-03-06
13湯田坂湯田坂湯田坂、坂の下から写したもの、まだ昔の街道筋の雰囲気が残る。紐で子どもをおぶう婦人たちの姿が懐かしく見える。2020-03-06
14湯田坂湯田坂湯田坂。道で遊ぶ子どもたち。坂の手前左に「産婆」「山田製靴店」の看板が見える。2020-03-06
15御柱祭御柱祭御柱祭。「平野消防組・小口郷小頭」の文字の法被姿の男性が見える。子どもたちは絣の着物姿。2020-03-06
16お舟祭りお舟祭り大正から昭和初期のお舟祭の柴舟と胴棒が見える。 大人も子どもも着物を着て祭りに来ている。 右手の建物は青雲館。2020-03-06
17下諏訪町立図書館下諏訪町立図書館旧町立図書館閲覧室の風景。旧図書館は建て替えられ平成14((2002)年6月に現図書館が開館した。 旧図書館の館内の風景。 写真下は「おはなしの広場」主催の人形劇の会(松本がらくた座)。2020-03-06
18古川の流れ古川の流れ下水道効果で澄んできた町なかの川。どぶ川同然の汚れだったが、下水道の普及とともに水質改善が進み、水草も見られる流れになってきた。昭和63(1988)年から子どもたちの夏休み行事としてマスのつかみとり大会も催されている。2020-03-06
19御射山祭御射山祭御射山参り。 数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。 八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。 このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。 写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。 現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。2020-03-06
20砥川の川遊び砥川の川遊び連日の猛暑、浮島付近の河原に涼を求める人たち。この日の最高気温は31.8度、前日は32.1度でこの夏の最高となった。当時、諏訪測候所が記録した最高気温は昭和22(1947)年8月13日の35.3度二番目は翌日の34.6度。2020-03-06
21砥川の風景砥川の風景立秋、霧ケ峰から諏訪湖へ流れる砥川で「カジカ」を追う子どもたち。砥川の清流と呼ばれてきたが、近頃はだいぶ汚れてきて、「カジカ」はほとんどとれない。河岸の草の穂に秋を感じさせる風景。2020-03-06
22友之町津島神社宵祭友之町津島神社宵祭江戸時代の友之町の鎮守様で最新は素盞鳴尊(スサノオノミコト)・建御名方命・菅原道真・の三神で青雲館の脇に鎮座している。昔は夏の疫病よけを祈る村祭りだったというが、最近はどこでも子ども主体の祭りになっている。絵燈籠の置かれた道端で焼きそばの味は最高。三区友之町の津島神社宵祭りの風景。2020-03-06
23十四瀬川のフナすくい十四瀬川のフナすくい湖から小川(十四瀬川・古川・うなぎ沢)へ産卵にのぼるフナをすく子どもたち。雨で増水するとどっとのぼって来て、バケツ一杯も取れる時がある。子供たちは、目の色を変えて夢中で魚を追いかけていた。写真は十四瀬川のフナすくい。2020-03-06
24路地があそび場路地があそび場小川屋履物店の前で遊ぶ子どもたち、路地空き地などで子どもたちが遊ぶにぎやかな様子。(履物屋の前)2020-03-06
25少年野球開会式少年野球開会式町の少年野球開会式の入場行進。参加チームはA(6年生がいるチーム)13、B(5年生以下のみ)10、少年野球は子どもたちの人気だった。会場は下諏訪南小学校校庭。2020-03-06
26水月園の花見水月園の花見お花見、女性や子どもたちの服装が当時をしのばせる。中には三味線をもった男性も見える。ごちそうは重箱に詰められている。昭和5(1930)年撮影。2020-03-06
27秋宮鳥居前秋宮鳥居前「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。2020-03-06
28渡舟場渡舟場絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖渡舟場」2021-04-06
29回遊船回遊船絵葉書「諏訪湖ノ回遊船」 湖畔に見える建物は鶴遊館。2020-03-06
30スケートスケート大勢の子ども達がスケートを楽しんでいる。秋宮リンク。2020-03-06
31スケートスケート皆革のスケート靴をはいている。2020-03-06
32スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ子ども。靴スケートがいかにもほこらしげ。2020-03-06
33芸者踊り芸者踊り三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。2020-03-06
34下の原勢揃い下の原勢揃い大正時代、下社春宮下馬橋での撮影。子どもたちも大人と同じ法被姿をしている。大人は鉢巻姿も勇ましく、威勢がよい。御柱祭の写真のようだ。 中央に別の写真の男性が転写されている。2021-04-01
35第一区両社詣り第一区両社詣り両社参り昭和16(1941)年9月21日。の昭和13(1938)年の写真と比べると子どもや婦人(女性)の人数が多いように見える。2020-03-06
36子どもの川遊び子どもの川遊び浮島へ渡る橋は木造だった。背中に小さい子供(弟や妹)を背負い遊びに興じる姿は珍しくなかった。2020-03-06
37子どもの川遊び子どもの川遊び中村静志に絵を描くためと依頼されて撮影したという写真。2020-03-06
38子どもの川遊び子どもの川遊び浮島の周りの砥川。カジカなどの小魚が沢山いた頃のもの。川を石でせき止めてプールをつくって泳ぎ、体が冷えるとあみだ様(万治の石仏)の背中に張り付いて温めた人もいたという。2020-03-06
39子どもの川遊び子どもの川遊び浮島の周りの砥川の子どもたちの様子。2020-03-06
40子どもの通学風景子どもの通学風景朝の小学生の登校風景。この頃は着物姿も普通だった。2020-03-06
41芸者踊り芸者踊り三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。 向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。 芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。2020-03-06
42高浜プール開場式高浜プール開場式昭和5(1930)年に林嘉平氏(高浜温泉旅館)により完成した高浜プールは50m・4レーンであった。あわせて子ども用コースも付設されていた。その後、昭和22(1947)年に設備一切を町が県水指下諏訪支所から期間中受けて運営していた(7・8月の2ヶ月間)。写真は、開場式の写真で、戦前と思われる。2020-03-06
43結婚式の記念写真結婚式の記念写真松葉屋(後の千尋館)での結婚式の記念写真。男蝶、女蝶の子どもが写っている。三三九度のお酌をした。男蝶・女蝶とは祝言で三三九度の酌人を務める男女の子どものことを言います。読み方は「おちょう・めちょう」。雄蝶・雌蝶と書くこともある。2020-03-06
44横綱吉葉山来訪横綱吉葉山来訪大相撲下諏訪場所相撲巡業記念写真。昭和32(1957)年9月に山王台で行われた諏訪大社相撲巡業。写真は横綱吉葉山{昭和22(1947)年入幕-昭和33(1958)年引退}、当時美声といわれた呼び出しの小鉄、行司式守与之助。民家に泊まった(小林家など)。左側に子ども達が立っているのは秋宮神楽殿前の狛犬の台座と思われるが戦争中供出されたままでまだ再建立されていない。吉葉山は、十両昇進前に召集され戦地で銃弾2発を浴び終戦後再び土俵に上がった。大関で全勝優勝し「雪の全勝行進」で大人気となる。しかし、病気や被弾による後遺症などで「悲劇の横綱」と呼ばれた2020-03-06
45第三区出征軍人健勝祈願記念写真第三区出征軍人健勝祈願記念写真第三区出征軍人の健勝を祈願した際の記念写真。多くの子ども、学生も動員されている。昭和10(1935)年代に消防組から消防団となり、はっぴ姿も見える。供出前の狛犬も映っている。(狛犬は昭和19(1944)年に供出。)2020-03-06
46広瀬町町民遠足広瀬町町民遠足ざっと数えて100人。子ども達の多さに驚きです。2020-03-06
47広瀬町町内会ハイキング広瀬町町内会ハイキング広瀬町町内会の八島ハイキングの際の記念写真。写っている人数と手持ちの番号旗から何台かのバスに分乗していったのか.それにしても、子どもたちの多さは今では考えられない。2020-03-06
48お花見風景お花見風景御田町商店主の皆さんのお花見。当時(昭和15年頃)は芸達も多く、仮装(御田町の店主)してお花見を楽しんだ。のんきな父さんの姿も見られる。左側に見えるのは、山車である。慈雲寺下の花見新道で撮影。子どもの多くは着物姿である。2020-03-06
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ