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写真タイトル説明登録日
1本陣跡本陣跡下諏訪宿本陣遺構。本陣は最初小口氏が務めたが、のち岩波氏に代わった。文久元(1861)年の図面では、建屋280坪、建物並びに庭545坪、畳数232畳、総坪825坪と記されている。現在の本陣遺構とホテル聴泉閣かめやを合わせた敷地にあたる。 本陣の業務は大名・幕府役人の宿泊であるが、運営の費用は問屋業の収益でまかなわれた。2022-03-19
2役場分室役場分室下諏訪郵便局は、最初旧本陣岩波方に置かれたが、その後幾度か移転する。 1,明治5(1872)年 本陣岩波方 2,明治25(1892)年 増沢市郎兵ヱ方(旧警察右手前) 3,明治39(1906)年 立町3242(旧警察左手前) 4.大正5(1916)年 大社通5524(小口多郎方隠居所地) 5,昭和25(1950)年 広瀬町(下諏訪駅前通り) 6,昭和57(1982)年に現在の栄町に移転 昭和25年に郵便局は広瀬町へ移転。昭和27(1952)年教育委員会が設置されここで執務を開始、それ以後役場の分室として使用された。写真は役場分室・教育委員会当時のものと思われる。2022-03-19
3製糸工場の面影製糸工場の面影「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。2021-04-21
4アイスホッケーアイスホッケー秋宮スケートリンクでアイスホッケーを楽しむ人々。 後ろの建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
5座繰共同組合施設座繰共同組合施設座繰共同組合施設(平沢町青雲館北)。明治13(1880)年三井、増沢、岩本、岩波、小口が共同繰糸(揚返)所「白鶴社」を創設(現下社秋宮社務所)明治21(1888)年平沢町(現)青雲館北へ移築。なお製糸共同組合白鶴社(共同出荷=揚返)は明治9(1876)年創始の組合で、明治29(1896)年12月23日の信濃毎日新聞には「・・・本年信州にて売上頭は白鶴社となり・・・」と記載されており、町内の七曜社・開栄社ととも製糸業を支える働きをしていた。2020-03-06
6座繰協同組合施設座繰協同組合施設明治13(1880)年三井・増澤・岩本・岩波・小口氏等が共同揚返(あげかえし)所「白鶴社」を創立(現下社秋宮社務所)、その後明治21(1888)年平沢町青雲館北へ移築された時の写真。2020-03-06
7郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
8本陣庭園本陣庭園中山道随一の名園と称される本陣の庭園。現在の庭園は江戸時代中期に整えられたものというが、各地の名石を集め自然の地形を利用し、秋宮の森や周囲の山を借景にして、承知側から引水した水を利用した本格的築庭式石庭園と紹介されている。特に京風の建物からの眺めは春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつきの紅葉、雪景色など四季折々に楽しめる。 もともとこの庭園は、本陣六代目岩波太郎左衛門が、伊豆韮山の江川太郎左衛門のもとに遊び、帰りてつくりしもので、御小休所も同時に建てられたと伝えられている。 №587参照。2020-03-06
9本陣御小休御座の間本陣御小休御座の間「本陣岩波家」のパンフレットには、建築史の東大藤島名誉教授の言葉で次のように紹介されている。「(前略)…下諏訪宿の本陣岩波家の客室と庭ほど、純粋な京風を純粋の極にまでなしえた例はどこにもなく、まさに中山道中の異彩である。これほどに洗練された京風数寄屋造りは、京大工によるものとしか考えられない。…(後略)」 明治13(1880)年6月24日、明治天皇御巡幸の際は旧本陣岩波家にお小休された。なお、江戸時代末に皇女和宮が使われた上段の間は聴泉閣かめやに移築されている。2020-03-06
10下諏訪温泉の光景下諏訪温泉の光景岡谷製糸勃興期の下諏訪温泉街の情景。明治末期街道(立町)の突き当たりは綿の湯。綿の湯はこれまで前面が外湯で一般に開放され、裏面には銭湯があったが、外湯を第二区消防屯所に改修する。綿の湯の屋根越しに見えるのは「かめやホテル」、その裏手の森は「旧本陣岩波家」の屋敷木である。綿の湯の左手前は「ききょうや」「みなとや」で、左手前には「丸屋」の各旅館があった。写真右下に「諏訪電機株式会社」と思われる看板が見える。諏訪電気株式会社は明治30(1897)年設立で現在の「おいでや」の前に記念碑が建っている。2020-03-06
11秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥には合名会社三井組製糸の第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。2020-03-06
12奈良屋呉服店奈良屋呉服店明治前から大正まで続いた下諏訪の老舗、増沢市郎兵衛の奈良屋呉服店。屋号を染め抜いた店頭の、日よけのれんが当時の特徴。(明治年末の撮影)写真下に「信陽諏訪下諏訪友五(之)町奈良屋呉服店」とある。 なお明治25(1892)年7月には、友之町増沢市郎兵衛(奈良屋呉服店)が局長となり、同家の上隣りの別宅へ(石柱が見えている)郵便局が旧本陣岩波家より移り、翌26(1893)年に電信局が併設されていた。2020-03-06
13スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ男性。後ろは岩波製糸場。2020-03-06
14スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ。後方の建物は岩波製糸場。2020-03-06
15スケートスケート革のスケート靴にマントを羽織った日本髷を結った女性。秋宮リンク。後の建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
16野球チーム記念写真野球チーム記念写真野球チームの記念写真。写真に「早大招待野球、大正14.8.21」と書かれている。前列2列目には「WASEDA」の文字が並ぶ。大正14(1925)年4月に富部西豊の岩波春海氏(早稲田出身)の労によって早稲田を招いて親善試合を行った。結果は14対2、大学レベルの強さをまざまざと見せつけられ大差で敗れた。2020-03-06
17岩波(旧本陣)器械製糸所岩波(旧本陣)器械製糸所本陣が経営していた「岩波器械製糸場」の内部写真、諏訪地方で撮影された写真の中で最も古いと思われる。 ※同製糸場は明治10(1877)年創業、本陣の裏手にあった。2021-03-23
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