キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:59件)

写真タイトル説明登録日
1石造弥勒菩薩座像石造弥勒菩薩座像 土田墓地入口に「弥勒(みろく)、春芳(しゅんほう)、天正二年甲戌(きのえいぬ)十月二十八日」と刻まれた古い石仏がある。春芳は戦国時代武田氏の経済を支えた富豪といわれている。武田勝頼(かつより)の命を受けて神宮寺千手堂・三重の塔の再建にあたった春芳は、この弥勒像を刻んで工事の無事完成を祈願したといわれるが、茶くみ婆さんの伝説も伝えられている。  千手堂の普請(ふしん)の間中、毎日普請場に姿を見せ、工人(こうじん)たちに湯茶を振る舞ってその労を労う親切な老婆がいて、感謝をされていたというが、その老婆は普請が済むとぱったり姿を見せなくなったという。人々は、あの老婆は弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身ではなかったかとうわさをして、そのお姿を石に刻んで感謝を込めてまつったのだという。2023-12-03
2町道田中線歩道改良工事町道田中線歩道改良工事昭和5年10月に竣工した町道田中線は、何回かの改修を経て、役場前から西大路・砥川西信号までケヤキの並木があり町民から親しまれていたが、令和5年(2023)の田中線歩道改良工事でケヤキ57本を伐採する計画があった。しかし「もったいない」という反対意見等があり、31本は残し、工事は砥川西信号から下諏訪消防署前までの工事となり、比較的歩道が広い区間は伐採を保留した。また、二本は赤砂崎公園に移植することになった。2023-07-29
3承知川承知川河川工事が済み整備された承知川。2023-07-09
4承知川の河川工事承知川の河川工事平成18(2006)年7月19日の豪雨災害後の河川工事の続く承知川。千代田ポンプ付近から諏訪湖に向かっての様子。2023-07-09
5町道御田町線の美装化完了町道御田町線の美装化完了下諏訪町が2017年度から5年計画で進めてきた町道御田町線の美装化工事がおおむね完了した令和3年(2021)12月の様子。並行して整備してきた町営友之町駐車場から大社通信号交差点までの北側歩道の石畳化もほぼ完了している。この後、交差点北側の小公園の整備が完了すると街歩き環境が整うことになる。工事は車道と歩道の段差をなくし、統一感ある商店街の景観を整備したもので、国土交通省の「街なみ環境整備事業」を活用した。2022-01-13
6国道142号線の通行止め国道142号線の通行止め令和3(2021)年13日から15日にかけての大雨の影響で、新町上の国道142号線の路面が一部陥没し通行止めとなった。町は道路崖下の約40世帯に避難指示を発令した。陥没地点は来迎寺と慈雲寺の中間で、西側が崖、道路下は大久保沢が流れている。町によると陥没は縦約5m、横約6m、深さ約5mだという。崩落は15日朝から始まったとみられ、町には午前7時50分頃「歩道の一部が陥没している」との通報があったという。同8時30分から通行止めとなり、9時15分位は崖下の新町下と東町下の一部地域約40世帯約80人に避難指示が発令された。このうち20世帯47人は町が用意した町内の宿泊施設に避難し、残りは親戚等の家に避難した。復旧工事は令和4(2022)年の御柱祭の前には完了したいとしている。2021-11-10
7休石休石富部村(第十区)の西、久保村境を流れる小川に沿って、旧道から分かれて下る家下道(いえしたみち)が鉄道を越すところに立つ野面(のずら)の六角棒状の土坂石(つっさかいし)で「休み石」と呼ばれている。 度重なる工事等で元の石はなくなってしまった。現在は別の石がおかれている。2021-12-23
8大和仁平翁像大和仁平翁像下諏訪町に上水道を設置した町大和仁平翁の像が水月公園幟口の東側に建立されている。大正14(1925)年に計画、昭和3(1928)年竣工の大工事で総工費38万円を要した。この経費は当時の町の経常総歳出の3倍を超す額で、水道管敷設事業実施は大英断であった。なお、水源は東俣から送水し、水月園下に配水池を置き、町内には自然流加で配水した。2022-03-24
9承知川下流の治水工事承知川下流の治水工事承知川は大雨の度に洪水や溢水に悩まされてきた。何度か洪水対策がされてきているが、写真は令和3年春の承知川河口近くの洪水対策事業の工事風景である。左岸には「総合スポーツ施設AFASスワ」がある。この付近は夏になると蛍が多く飛び交うアシ(ヨシ)などの草むらがあり、付近の町民などが夏の夕べにホタル見物し楽しむ光景が見られた。この工事で景色が一変してしまった。2022-03-24
10伏見屋邸伏見屋邸明治初期に建てられた中村家がいを営んだ家で、屋号を「伏見屋」という。部屋数も多く柱も太く造作も豪華である。この頃当主は下ノ原で最初に器械製糸を操業している。平成22年度に復元修理工事をし当時の面影を取り戻した。現在は旧中山道を歩く人の休憩所や、伏見屋邸サポート倶楽部など地域の活動の拠点として利用されている。2022-03-19
11承知川下流改修工事承知川下流改修工事たびたび溢水してきた承知川の河口部の令和3年6月の改修工事の様子。写真右手は「アファス」だが、この工事の場所は知る人ぞ知る「蛍の発生場所」だったが、その面影は全くなくなってしまった。河川の氾濫と生活防衛は相反する部分もあるが、ここまで護岸工事が進むともっと他のやり方はなかったかと考えさせられてしまう。2022-03-19
12西大路口交差点バイパス接続工事西大路口交差点バイパス接続工事西大路が国道20号線と交差する場所(国道20号西大路口信号交差点)の工事風景である。当面は混雑緩和と歩行者の安全確保を目的とした交差点改良工事だが、将来の国道20号下諏訪・岡谷バイパスと現国道とを接続するアクセス道路の起点となる計画があり、完成すれば車の流れが大きく変貌するポイントになる場所と思われる。2022-03-19
13令和3年のジャスコ通り令和3年のジャスコ通り南四王付近から諏訪市方面を望む令和3(2021)年のジャスコ通り(県道岡谷・下諏訪線)。通りの名前になっていた「ジャスコ諏訪店」も「イオン」と名前が代わり、令和になって建て替え工事が始まり、令和3(2021)年6月現在は跡地が更地となっている。 写真右側にはかつて「南信カローラ」の販売店があったが、これも令和に入って建て替えが行われ「NTPトヨタ信州下諏訪店」として新装オープンした。道路左側には書店などがあったが、現在は「ガスト下諏訪店」や「メディアワールド下諏訪店」などが営業している。 町内でも変化の激しい地域である。2021-08-03
14古川河口古川河口令和3(2021)年の古川河口の「樋門(ひもん)」の写真。古川河口の工事中の写真が№1021にあるので比較されたい。2021-06-23
15東御宝殿建て替え東御宝殿建て替え御柱祭に合わせて建て替え工事が進む諏訪大社秋宮の東御宝殿。 御柱祭のたびごとに西と東の各御宝物殿が交互に建て替えられる。 昭和49年のこの年の今回は諏訪大社下社春宮・秋宮が東御宝殿、諏訪大社上社本宮は西御宝殿の建て替えが行われる。2021-05-03
16旧和田峠トンネル工事関係の建物旧和田峠トンネル工事関係の建物旧和田峠トンネル工事関係のいろいろな建物。2022-03-10
17福澤川山腹工事福澤川山腹工事(諏訪郡長地)福澤川に於ける山腹工事の一部(施工直後)。場所は当時の東山田村。年月等不明。2022-04-19
18旧和田峠トンネル工事旧和田峠トンネル工事(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)2020-08-02
19東明館・地鎮祭東明館・地鎮祭中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。 1772から1777までは東明館建て替え工事の一連の写真。この写真はこの大正4年に建てられた建物の建て替え工事のための地鎮祭の様子。なおこの工事がいつ行われたかは調査中。2022-01-12
20東明館の解体作業東明館の解体作業中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。写真はこの時建設された建物を建て替える際の解体工事写真と思われる。解体前の東明館は1772から1777参照。 なお、この工事がいつ行われたかはまだ未確認。調査中。2022-01-12
21東明館集会所東明館集会所中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。 なお、下諏訪町誌民俗編(417p)には明治32年に湯田町・新町に東明館が建てられたと書かれているので中村勝五郎の文書と一年違っている。 東明館建て替え工事の一連の写真。なおこの工事がいつ行われたかは調査中。2020-07-23
22和田峠の切通し工事和田峠の切通し工事明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。2023-04-15
23諏訪女子学園諏訪女子学園入り口に「諏訪女子学園」の看板がある。 諏訪女子学園は、昭和42(1967)年度に西弥生町(富士見橋下)旧自動車練習場跡1.000坪を買収して新築工事に着手、体育館竣工と同時に入校し、続いて昭和43(1968)年3月に本館が落成した。 高等部(高等学校)、専門部(短大)がおかれた。学校組織は学園長阿木翁助(写真手前左端;日本放送作家協会理事長)、校長浜倫久以下職員17名、生徒は5学級234名であった。2021-12-26
24旧中部電力旧中部電力立町の中部電力㈱下諏訪営業所を、リノベーションをし、現在は「しもすわ今昔館おいでや」(旧諏訪湖時の科学館儀象堂)になっている。工事作業中の写真。この建物の角に「諏訪電気発祥の地」の碑がたてられている。 1枚目の写真はみなと屋側から撮影。奴の看板が見える。2020-03-06
25八幡坂の街並み八幡坂の街並み写真右に見えるのは専女(とうめ)社のけやき。工事を行っている場所は、現在は土産物屋(専女八幡)になっている。奥の茶色の建物は今は亡き「ホテル山王閣」。№1519,1520参照。2020-03-06
26商店商店旧甲州街道沿いにあった「青柳商店」の改築工事風景。現在は住宅となっている。後ろに見える建物は今はない「ホテル山王閣」。2020-03-06
27専女八幡付近の景色専女八幡付近の景色右手にオルゴール博物館「すわのね}、正面奥に専女(とうめ)の欅。工事しているところは現在駐車場と土産物店(専女八幡)がある。№1528参照2020-03-06
28諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業沿岸の深さ2m位の湖中へ15~20㎝の角張った石を300~400個ほど入れて丸い塚のように積み上げ、冬ごもりに集まってきた魚を捕る漁法。ヤツカ量は冬の諏訪湖で欠くことのできない漁法だったが昭和40(1964)年代に漁場が護岸工事などで失われ、行われなくなった。諏訪湖ヤツカ漁、全盛期の写真。(ヤツカは屋塚・石塚とも書く)2021-03-24
29旧釜口水門旧釜口水門撤去工事の準備の始まった旧釜口水門。天竜川の始点であるこの水門「昭和7(1932)年に大洪水対策と疲弊農村救済策として着工、同11(1936)年3月完成した。幅7m・高さ3mの制水門7門・舟航路付き、総工費34万円だった」(信毎)。毎秒600トン放流可能な新水門の完成で役目を終えた。写真右端は平水路、左端は舟航路(閘門式)。№1125参照。2020-03-06
30諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業沿岸の深さ2m位の湖中へ15~20㎝の角張った石を300~400個ほど入れて丸い塚のように積み上げ冬ごもりに集まってきた魚を捕る漁法。「ヤツカ漁」は冬の諏訪湖で欠くことのできない漁法だったが昭和40(1964)年代に漁場が護岸工事などで失われ行われなくなった。諏訪湖のヤツカ漁、全盛期の写真。(ヤツカは屋塚・石塚とも書く)2020-03-06
31落合発電所落合発電所落合発電所。明治33(1900)年10月工事が竣工し送電(60キロワット)事業を開始した。この後明治36(1903)年には増築し、60キロワット発電機をもう1台増設している。写真は明治33(1900)年に竣工した発電所である。増設した発電者は№612参照。2020-03-06
32旧社東町公民館旧社東町公民館旧下諏訪製糸共同病院の本館を昭和2(1927)年12月に買収移転した地区公民館(神明館)。現在の社東町付近は、砥川と十四瀬川に挟まれ、特に砥川と福沢川の合流地はたびたび洪水に見舞われてきたので、古くは「流れ」がそこの通り名であったという。明治以後徐々に人が住みはじめ、旧中山道の北に新道が通ったり、河川改修工事などが進み、人家が増加した。昭和33(1988)年に岡谷市から下諏訪町に合併して第八区となった。2020-03-06
33旧釜口水門旧釜口水門撤去工事の準備の始まった旧釜口水門。天竜川の始点であるこの水門「昭和7(1932)年に大洪水対策と疲弊農村救済策として着工、同11(1936)年3月完成した。幅7m・高さ3mの制水門7門・舟航路付き、総工費34万円だった」(信毎)。毎秒600トン放流可能な新水門の完成で役目を終えた№1307参照。2020-03-06
34承知川河口承知川河口承知川河口付近。源は大見山(八の字山)の西に発し高浜湾に注ぐ、長さ6.1㎞の川。流れは大きくないが、暴れ川で度々出水し護岸工事も何度か行われている。2020-03-06
35公共下水道工事公共下水道工事進む公共下水道建設、200mm管渠の敷設工事。諏訪湖流域下水道は、昭和43(1968)年秋に起きた湖水の重金属汚染騒ぎから、政府のてこ入れもあって建設が急がれた。昭和49(1974)年着工、昭和54(1979)年に一部開始された。工業配水も受け入れたため、終末汚泥の処理が悩みの種となっている。この町の下水道普及率はこの年の3月末で79.0%で県下一だった。現在はほぼ100%。2020-03-06
36「樋門」を新設する工事「樋門」を新設する工事湖へ注ぐ小河川(古川)の河口へ「樋門(ひもん)」を新設する工事。湖の洪水防止のため、護岸提を1mをかさ上げし、さらに川の河口へ樋門造り増水時に逆流するのを防ぐ工事という。将来は樋門へポンプを設ける計画というが、こうした不自然な治水計画に首を傾ける住民が多い。2020-03-06
37十四瀬川の改修工事。十四瀬川の改修工事。中小河川の改修工事。湖からコイ・フナが上ってくる流れなのだが、ここもコンクリートブロックの護岸に変えられ水辺の環境が失われていく。市川氏の解説には「役所は川を排水路としか見ていないらしい。後進国レベルの行政というほかない。」と書き込まれている。十四瀬川の改修工事。2020-03-06
38旧白鶴社の建物旧白鶴社の建物取り壊しが決まった明治9(1876)年創業の製糸組合白鶴社の旧事務所。白鶴社(共同出荷・揚げ返し)は、諏訪製糸の揺籃期(明治初期)から台頭期(同中期)にかけて操業していた二十七の製糸組合の中堅どころだが、諏訪製糸の勃興期(明治後期)に至って、製糸経営が大規模工場へ移行する潮流となり、同業組合の共同揚げ返し所はその使命を終えて淘汰される中で閉鎖となった。その後事務所は他の製糸工場へ移築され、戦後はニットメーカーの事務所として使われてきたが、その事務所も改築されることになり、この年9月28日から取り壊し工事が始まった。2021-04-01
39住宅の建築工事住宅の建築工事プレハブ住宅の建築工事、諏訪地方では住宅用のサッシュの普及が県下一早かった。2020-03-06
40道路拡幅中之四ツ角道路拡幅中之四ツ角下諏訪町大社通り四つ角西の友の町本通りで道路拡張工事の始まった頃。足場のあるのが改装中の中央デパート、右角は八十二銀行と信用金庫支店(信金はその後春宮大門先へ移る)不二屋の向うにパチンコ屋(タマキ)の看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。2020-03-06
41友之町本通友之町本通友之町本通拡張工事のおくれた家。 花咲町入口。写真の奥のしんきん(のち春宮大門入口へ移る)の手前にガソリンスタンドの看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。2020-03-06
42落合発電所落合発電所落合発電所。明治33(1900)年10月工事が竣工し送電(60キロワット)事業を開始し、明治36(1903)年には増築し、60キロワット発電機をもう1台増設。写真は増設された発電所である。2020-03-06
43バス開通式当日バス開通式当日昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。2020-03-06
44棟札棟札新庁舎建設の看板「大正十三年十二月建之 町長大和仁平」他助役、工事監督請負人、町会議員並建築委員の名前がかかれている棟札。2020-03-06
45建設途中の山王閣建設途中の山王閣建設工事中の山王閣。秋宮南隣りの神宮寺大坊跡から裏側を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №520,525と比較して見ていただきたい。2020-03-06
46立体交差工事竣工立体交差工事竣工昭和30(1955)年10月に着工した 西浜の国道と鉄道の立体交差竣工。同32(1957)年5月20日開通式。完成した新道路の橋は高浜橋と命名された。2020-03-06
47八幡通り改修工事落成式。八幡通り改修工事落成式。八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。 このときから八幡町を大社通りと改称。2020-03-06
48諏訪湖諏訪湖絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖畔鶴遊館前湖上」。護岸工事がなされていない諏訪湖畔。現湖岸通り付近の桟橋。2020-03-06
49第一配水池第一配水池町営水道布設工事は総工事費38万円で昭和2(1927)年4月16日着工、昭和3(1928)年12月25日完工。水源地を東俣国有林の川路、大鹿の自然湧水に求め集水井を経て自然流下により水月園の配水池(下の原字天白)に送水されている。写真は第一配水池。2020-03-06
50医王渡橋医王渡橋大正13(1924)年7月医王渡橋鉄橋工事が行われ、初めて無橋脚の鉄橋ができた。 写真は浮島から医王渡橋を撮ったもの。2020-03-06
51高浜埋立高浜埋立埋立工事に入る直前の高浜湾の風景。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
52高浜埋立高浜埋立埋め立て中の高浜湾。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
53諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2021-04-21
54湖浜地区の区画整理工事中湖浜地区の区画整理工事中7枚の写真の合成。昭和42(1967)年10月湖浜地区の区画整理工事中の様子。区画整理前は一面に水田が広がっていた。2020-03-06
55小田野(社ヶ丘団地造成前)住宅団地小田野(社ヶ丘団地造成前)住宅団地下諏訪町では住宅団地造成のため、東山田小田野地籍23,070平方メートルを買収して、昭和36(1961)年7月から工事に着工した。写真は工事着工前の田畑(多くは桑畑に利用されていた)が広がる様子である。 昭和37(1962)年3月20日工事は竣工し社ヶ丘団地が造成された。2020-03-06
56下諏訪町立図書館下諏訪町立図書館下諏訪町立図書館 平成14(2002)年6月オープン。 平成13(2001)年は建て替え工事のため一年間休館した。2020-03-06
57国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。2020-03-06
58駅前通り舗装工事駅前通り舗装工事舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。2021-05-03
59千尋池千尋池改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。2020-03-06
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ