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登録リスト(該当:10件)

写真タイトル説明登録日
1大和仁平翁像大和仁平翁像下諏訪町に上水道を設置した町大和仁平翁の像が水月公園幟口の東側に建立されている。大正14(1925)年に計画、昭和3(1928)年竣工の大工事で総工費38万円を要した。この経費は当時の町の経常総歳出の3倍を超す額で、水道管敷設事業実施は大英断であった。なお、水源は東俣から送水し、水月園下に配水池を置き、町内には自然流加で配水した。2022-03-24
2諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮諏訪大社秋宮の現存する最古の写真。日露戦争に出征する人々の戦勝祈願の幟がはためく。当時の狛犬の姿はなく、現在のような大きな注連縄もない。2021-12-26
3健勝祈願ののぼり健勝祈願ののぼり太平洋戦争中に出征軍人の武運長久を祈って幟を屋敷内に建てた。幟は諏訪大社宮司に書いて貰うのが多かった。神朝臣(かみあそん)守矢真幸敬書と見える。2020-03-06
4出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る下諏訪駅の風景。2020-03-06
5お舟祭りお舟祭りお舟祭。春宮下馬橋より少し下がったあたりを曳いている。(写真)左上に下馬橋の屋根が見える。曳き綱の先の細い綱が氏子の人々の間から見える。当時の人々の服装がよくわかる。2020-03-06
6出征兵士を送る出征兵士を送る秋宮境内、沢山の幟旗が立つ、出征兵士を送る光景。15年戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)で戦死した町民は533名と記録がある。(町政要覧より)2020-03-06
7下の原の幟立て下の原の幟立て「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。2020-03-06
8出征軍人を駅で送る出征軍人を駅で送る下諏訪駅で出征兵士を送る風景。日の丸の旗や出征兵士の名前を書いた幟旗がたくさん見える。終戦近くなると、にぎやかな見送りは禁止となった。2020-03-06
9お舟祭りお舟祭り昭和初期の明新館前、この大幟(「吉日大正十五年五月再調 下原」と書かれている)は交通上支障になると昭和30(1955)年以降は立てられていない。2020-03-06
10出征家族写真撮影関係者出征家族写真撮影関係者軍艦旗(旭日旗)と国旗が玄関前に飾られている。写真にはないが幟も立てたとのこと。2020-03-06
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