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写真タイトル説明登録日
1博愛館博愛館自由民権運動・青年会の活動が活発になった明治の時代、活動の拠点となる場所を求めるこえが強くなり、他の地区でも新しい集会所が次々に建てられた。神風社(青年会)の建議を受け明治40(1907)年5月に落成した。総工費1343円、全額区民95戸の寄付金で賄われた。 現在建物はなく駐車場になっている。2021-12-23
2春宮神楽殿春宮神楽殿天和(てんな)年間(1681~84)に諏訪藩が寄進したものと伝わるが、大社の建物の中では改修が何度も行われており、最近での改修は昭和11(1936)年だった。そのため国の重要文化財には指定されていない。2022-03-19
3春宮・筒粥殿春宮・筒粥殿神楽殿に向かって左側の建物で、1月14日夜半から15日早朝にかけて筒がゆの神事が執り行われる。2022-03-24
4春宮境内の御宝殿用材春宮境内の御宝殿用材諏訪大社の神様は、諏訪大社式年造営御柱大祭、いわゆる御柱年に修築の神殿にご遷座になる。この建築用材は下諏訪町東山田地区が奉納することになっていて、写真はその御用材の一部が春宮境内に展示されているところである。室町時代の記録では、新築の宝殿を7年間風雨にさらし清めてから遷座し、旧殿を解体新築、また7年を経てから遷座、という形式だったとされているが、江戸時代に入ってから新築した建物にご遷座するように変わったという。2022-03-24
5本陣跡本陣跡下諏訪宿本陣遺構。本陣は最初小口氏が務めたが、のち岩波氏に代わった。文久元(1861)年の図面では、建屋280坪、建物並びに庭545坪、畳数232畳、総坪825坪と記されている。現在の本陣遺構とホテル聴泉閣かめやを合わせた敷地にあたる。 本陣の業務は大名・幕府役人の宿泊であるが、運営の費用は問屋業の収益でまかなわれた。2022-03-19
6旦過の湯旦過の湯かつての下諏訪三湯(綿の湯・小湯・旦過湯)の一つで、三湯の中で最も湯温が熱い。№1541と比較すると建物が新しくなっている。今は中山道に面した壁に修行僧の「こて絵」が飾られており、この湯の歴史(禅寺・慈雲寺の旦過寮のあった場所)の片りんを感ずることができる。2022-03-19
7今井邦子記念館今井邦子記念館「松屋」は中山道の宿場内にあって、間口が狭く奥行きの長い典型的な宿場の建物であったが、当時の面影を可能な限り再現して建て替えられ、現在は「今井邦子文学館」として開放されている。今井邦子は少女時代に下諏訪町に住み、島木赤彦との巡り合いにより短歌の新境地を開き、「明日香」を創始して歌人の道を歩んだ。館内には今井邦子や「明日香」の資料が展示されている。また、旧中山道を散策する人々が一服できる場所ともなっている。2022-03-19
8橋本政屋橋本政屋甲州道中の下諏訪宿と上諏訪宿の間の茶屋として栄えた。表は千本格子で、二階は出梁作りとなっている。諏訪湖を一望でき江戸時代の面影が残る建物。こて絵の力蔵(りきぐら)、高島城より拝領のおひねりの松・石燈など見どころも多い。2021-06-10
9旧和田峠トンネル工事関係の建物旧和田峠トンネル工事関係の建物旧和田峠トンネル工事関係のいろいろな建物。2022-03-10
10撮影会撮影会撮影会風景、後ろに片倉館とSBC放送の建物が映っている、場所は諏訪市の湖岸2022-04-19
11東明館・地鎮祭東明館・地鎮祭中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。 1772から1777までは東明館建て替え工事の一連の写真。この写真はこの大正4年に建てられた建物の建て替え工事のための地鎮祭の様子。なおこの工事がいつ行われたかは調査中。2022-01-12
12東明館の解体作業東明館の解体作業中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。写真はこの時建設された建物を建て替える際の解体工事写真と思われる。解体前の東明館は1772から1777参照。 なお、この工事がいつ行われたかはまだ未確認。調査中。2022-01-12
13下馬橋下馬橋春宮大門通りの下馬橋。俗に「太鼓橋}と呼ぶ。 天将6(1578年造営、元文年間(1736頃)の修造といわれ、切り妻造りで古い様式を残す建物である。この橋より奥は神域で、馬上の人は馬を降りて橋の下を流れる御手洗川で身を清めて参拝したという。2020-07-23
14長持ちと笠踊り長持ちと笠踊り四王若連の長持ちと花笠踊りの様子。 場所は西鷹野町にあった公民館前(元下諏訪町役場) この建物は昭和23年3月~昭和45年1月(新庁舎着工)頃、公民館として使われていた。2022-06-08
15綱打ち綱打ち矢木八町綱打ち。旧金作木材の貯木場で綱打ちが行われた。後ろに見える建物は三協精機の社屋(弥生町)2022-05-08
16集合写真集合写真後ろに見える建物は繭蔵。 はっぴの男性の衿には「片倉製糸紡績株式会社」の文字。 写真に写る人たちは片倉の職員と思われる。2021-12-21
17旦過の湯旦過の湯湯田坂の風景、オレンジ色の建物は「旦過の湯」。鎌倉時代、慈雲寺を訪ねる修行の僧のために建てられた旦過寮のお湯のことを指すことから名がついた。その由来の為か新しく建て直された旦過の湯の壁のこて絵は修行僧の姿が画かれている。 湯が熱いのが売りになっていて、湯口は52度もあるという。下諏訪3湯(綿の湯、児湯、旦過湯)の中で最も高温で、傷、吹き出物に効能があると言われている。 写真2枚目、少し上に見える寺の屋根は来迎寺。2021-04-24
18旧中部電力旧中部電力立町の中部電力㈱下諏訪営業所を、リノベーションをし、現在は「しもすわ今昔館おいでや」(旧諏訪湖時の科学館儀象堂)になっている。工事作業中の写真。この建物の角に「諏訪電気発祥の地」の碑がたてられている。 1枚目の写真はみなと屋側から撮影。奴の看板が見える。2020-03-06
19湯田坂湯田坂国道142号辺りから見下ろした湯田坂。 左の大きな建物は旧旅館喜楽。 旧中山道の風情が残る街並み。2020-03-06
20街並み街並み旧甲州街道(甲州道中)、下諏訪中学校近くの建物、建物横に見える長い棒ははざかけ棒と思われるが、土壁とともに懐かしさを感じさせる。2020-03-06
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