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写真タイトル説明登録日
1御騎馬行列の豆人形御騎馬行列の豆人形この作品は御柱祭里曳の神賑わいのパレードで披露される騎馬行列を再現した豆人形です。人形は2013年に他界した故田中とくさん(下諏訪町富士見町)の作品です。旧制高等女学校で手芸などを学び、若かりし頃の恩師の教えを受けて製作。人形は15~20cmほどの大きさ、「騎馬大将」「曲傘」「草履取り」「先ほこ」「旗持ち」「長持ち」など38体が並んでいます。2022-04-20
2棚木場棚木場雪の棚木場の風景。 御柱祭山出しは、下諏訪町東俣大平の棚木場から曳行を始めます。2022-01-24
3国道142号線の通行止め国道142号線の通行止め令和3(2021)年13日から15日にかけての大雨の影響で、新町上の国道142号線の路面が一部陥没し通行止めとなった。町は道路崖下の約40世帯に避難指示を発令した。陥没地点は来迎寺と慈雲寺の中間で、西側が崖、道路下は大久保沢が流れている。町によると陥没は縦約5m、横約6m、深さ約5mだという。崩落は15日朝から始まったとみられ、町には午前7時50分頃「歩道の一部が陥没している」との通報があったという。同8時30分から通行止めとなり、9時15分位は崖下の新町下と東町下の一部地域約40世帯約80人に避難指示が発令された。このうち20世帯47人は町が用意した町内の宿泊施設に避難し、残りは親戚等の家に避難した。復旧工事は令和4(2022)年の御柱祭の前には完了したいとしている。2021-11-10
4祝神稲荷社祝神稲荷社富部村本郷に祀られた、村内・宮坂巻の「祝神(いわいがみ)稲荷社」。 昭和61(1986)年の御柱祭の後不慮の禍で無残に倒壊折損した。 鳥居には長い由緒があり、富部村中のの信仰に深いつながあった。2021-12-23
5藤森稲荷社藤森稲荷社富部稲荷平にある小和田村藤森巻祝神の稲荷社で「小和田のお稲荷さま」と呼び富部村の人々に親しまれていた。 高島藩の藩主より諏訪湖の漁業とこの辺りを網干場として拝領し、藤森巻20軒ほどの守り神として稲荷社を祀った。 今は小和田の所有の畑はないが社は藤森巻で祀っている。御柱祭も旧慣にしたがい湖上を舟で曳いてくる。2021-12-23
6武居祝家のかり墓武居祝家のかり墓諏訪明神の神官には「物忌令(ぶっきれい)」という厳しい掟の為、式年の御柱年に一族に不幸があった場合は家塁代(るいだい)の墓には納めず引導もせずに、かり墓に入れ穢れがないものとして御柱祭に奉仕し、その後本墓で本葬を営むことなっていた。その墓はごく狭くわずかに弓を回した内と決められていた。ここは、大祝、武居祝金刺氏のものだ。墓の場所は富部上の字「角石(かどいし)」にあり、今は荒れ果ててしまった。2021-12-23
7木落坂上木落坂上御柱を東俣から注連掛まで曳きだす祭りを「山出し祭」と言っている。その最大の難所が木落し坂で、100mの急坂を曳き下ろす「木落」では、命知らずの若者が御柱の先端に競って乗り、木やり唄に続いて、轟然たる地響きと共に一気に下るありさまは諏訪人の血を湧かす場面である。坂の脇には「木落し社」が祀られている。現在は坂の上には模擬御柱が坂を覗くように置かれている。2022-03-24
8御柱館よいさ御柱館よいさ春宮の南、砥川沿いに諏訪の祭り(御柱祭)文化に触れる空間として、「おんばしら館よいさ」が開館している。140インチの大画面で描く御柱映像、御柱経路模型、騎馬行列の衣装や道具の展示、長持ちの展示、さらに木落し体験ができるコーナーも設置されている。2022-03-24
9ウラジロモミウラジロモミ御柱祭の御用材は下社は八島下の東俣国有林から調達される。2021-05-03
10御柱伐採御柱伐採御柱祭、伐採の様子。 「秋宮1の御柱」の札が柱につけられている。 詳細不明。2021-05-03
11御柱祭木落し御柱祭木落し昭和31年の御柱、木落しの写真。柱に乗っているのは中村・杉山・牛山木落。2022-01-18
12木落し木落し御柱祭山出しの木落坂風景。 氏子の着ている法被がみな紺色のため昭和43年以前の御柱祭り。 昭和43年から紺の印反てん(法被)が現在の下諏訪町の色染め法被(はんてん)になる。2021-05-03
13山出し山出し昭和37年諏訪大社下社御柱祭。 御柱祭山出しの風景、萩倉の村中を曳行中。 法被に「岡谷」の染め抜きがある。2021-05-03
14山出し山出し昭和37年御柱祭。 山出し風景、萩倉の村中を御柱が曳行中。2021-05-03
15山出し山出し昭和37年の御柱祭、山出しの様子。 注連掛け手前の坂と思われるが、場所など詳細は不明。2021-05-03
16木遣り木遣り昭和37年御柱祭。 御柱の曳行中の風景。2022-05-12
17里曳き里曳き昭和37年御柱祭里曳き。 八幡坂(大社通り)の横には祭りの提灯が見えが見える。 火の見やぐらが見えることから、現在の八幡坂高札ひろば附近での撮影。2021-05-03
18建御柱建御柱昭和37年諏訪大社の御柱祭。 建御柱の一風景、御柱の上の方に人の姿が見える。 どの柱など詳細は不明。2021-05-03
19東御宝殿建て替え東御宝殿建て替え御柱祭に合わせて建て替え工事が進む諏訪大社秋宮の東御宝殿。 御柱祭のたびごとに西と東の各御宝物殿が交互に建て替えられる。 昭和49年のこの年の今回は諏訪大社下社春宮・秋宮が東御宝殿、諏訪大社上社本宮は西御宝殿の建て替えが行われる。2021-05-03
20御柱祭木落し御柱祭木落し諏訪大社下社御柱祭山出し木落し坂。 年月等不明。2021-12-26
21御田町小宮祭御田町小宮祭御田町の小宮祭風景。法被姿はなく、国民服や戦闘帽などが見られるので、戦中の小宮祭と思われる。2021-12-26
22友之町・広瀬町綱打ち 友之町・広瀬町綱打ち 「昭和卅一丙申年 御柱祭」友之町・広瀬町綱打ち集合写真。2022-05-08
23第三区凱旋騎馬勢揃い第三区凱旋騎馬勢揃い「無形文化財第三区凱旋騎馬勢揃い 平成四年申歳御柱祭(1992,4,3)」記念写真。2022-05-08
24建御柱建御柱建御柱。背中に「岡谷」の文字が見えるので秋宮三の建御柱と思われるが詳細不明。2021-12-26
25子ども木遣り子ども木遣り大人の人に肩車をしてもらい木遣りをなく男の子。2022-05-12
26御柱祭山出し御柱祭山出し御柱祭 大平出発の様子。 昭和19(1944)年4月11日、午前5時半頃棚木場を出発する秋一秋三の御柱、この後3時間して大事故が起きた。2021-12-18
27木落し木落し御柱祭、山出しの木落坂の木落しの風景。2021-12-18
28木落し木落し御柱祭山出し、木落坂。2021-12-18
29綱打ち綱打ち「諏訪大社御柱祭秋一御柱元綱」四王区綱打ち。 昭和25(1950)年以降、同地区は秋宮一の女綱づくりを担当しているが、近年は稲作農家が減少し、稲刈りにコンバインが導入されたため、稲わらの確保が困難になっていた。そこで安定してわらを確保するため。平成21、09(2009)年に同会を発足。御柱祭のたびにわらを供給している。同会によると、既製のわら縄ではなく、稲わらを使って綱を打つのは同地区だけだという。背丈の高い「関取」という品種で、刈り取った稲は、十分に天日干しした後に脱穀し、わらは田んぼ横のハウスで保管。同地区綱打ち委員会の手に委ねるという。2022-05-12
30御柱祭御柱祭平成二十二年度寅年諏訪大社式年造営御柱祭第三区役員・委員安全祈願。秋宮神楽殿前にて記念撮影。2021-12-26
31御柱祭里曳き御柱祭里曳き御柱祭曳行風景。 四ツ角八十二銀行前を秋宮に向かう曳行。 阿部奈良屋方面から撮影されている。2021-12-18
32大注連縄奉献大注連縄奉献戦後「日本第一大軍神」の大額が外された諏訪大社下社神楽殿。 「これでは寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け、初めて奉献したのが昭和24(1949)年。その後昭和54(1979)年まで途絶えていた。昭和54(1979)年と昭和60(1985)年に、出雲大社拝殿に大注連縄を奉献している島根県雲南市の須賀注連縄保存会の役員を迎え、御柱祭の前年に大注連縄作りの指導を受けた。 写真は昭和60(1985)年、御柱祭の新たな行事として定着させようと奉献会(約40人)が作った下社秋宮神楽殿の大注連縄奉納の時の記念写真。2021-12-18
33木落し木落し御柱祭山出し、木落しの様子。2020-03-06
34町制施行100周年事業町制施行100周年事業将来の御柱祭に使えるように「モミの苗木」の植林。この記念事業で植樹したモミの苗木は1000本、その後、モミの苗木の植樹活動は有志の皆さんの手により続けられている。植樹は苗木を植える作業ばかりではなく鹿の食害から守る対策も伴う。2020-03-06
35御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの様子。2020-03-06
36御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの様子。2020-03-06
37御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの様子。2020-03-06
38御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの木落とし坂の様子。2020-03-06
39御柱祭御柱祭御柱祭、山出しの木落とし坂。2020-03-06
40御柱祭御柱祭御柱祭、御騎馬行列。警護にあたる消防団の法被に「第一分団」の文字、第一区の御騎馬。2020-03-06
41御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮鳥居前で御騎馬勢ぞろい。2020-03-06
42御柱祭御柱祭御柱祭、多くの長持ちが見える、後ろ向きの男性の法被に岡谷の文字が見える。2020-03-06
43御柱祭御柱祭御柱祭、里曳きの神賑わいの長持ち。女装をして担いでいる。長持ちに「一之宮御用」「小口」の文字が見える。2020-03-06
44御柱祭御柱祭御柱祭。「オーシャンウイスキー」「たばこ」の看板、バスには「岡谷駅」の文字も見える。後ろ姿の男性の法被に「岡谷」の文字。服装はみな洋装、和服は少し年齢の高い女性が着ている。2020-03-06
45御柱祭御柱祭御柱祭。左端に「奈良屋・・・」と読める看板。福ダルマに仮装した長持衆。2020-03-06
46御柱祭御柱祭御柱祭。「平野消防組・小口郷小頭」の文字の法被姿の男性が見える。子どもたちは絣の着物姿。2020-03-06
47御柱祭御柱祭御柱祭。おかめのまわりには御弊がたくさん飾られている。長持ちの箱には油単(ゆたん)はかけられていない。2020-03-06
48御柱祭御柱祭御柱祭。「平野消防組・小口郷小頭」の文字が法被から読み取れる。長持ちに「一宮御用」の文字が見える2020-03-06
49御柱祭御柱祭御柱祭。坂道沿いに提灯などが飾られている。。2020-03-06
50御柱祭御柱祭御柱祭の風景。長持ち衆。富部長持ではないか?衣装・白塗りが雲助長持ちに見える。2020-03-06
51御柱祭御柱祭御柱祭の風景。民家の二階に「中村七五郎休憩所」の看板。家の前には長持ちが置いてある。ちょうちんに「今井」の文字。2020-03-06
52御柱祭御柱祭御柱祭。里曳きの長持衆。2020-03-06
53御柱祭御柱祭御柱祭。神賑わいに「かごや」が出ている。2020-03-06
54御柱祭御柱祭御柱祭の風景。2020-03-06
55御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮一之柱の建て御柱の様子。2020-03-06
56御柱祭御柱祭御柱祭。御柱の前で記念撮影。長持ちの人たちか。№1252の長持を担ぐ人物と同じ人物も写っている。2020-03-06
57御柱祭御柱祭建御柱。2020-03-06
58御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮一の建て御柱、右に神楽殿、御柱の向うに狛犬が見えるが、現在とは形が異なることから供出前のものと思われる。2020-03-06
59御柱祭御柱祭御柱祭。山出し、木落し坂から注連掛へ向かい、砥川落合橋付近?2020-03-06
60御柱祭御柱祭御柱祭里曳き・建御柱、和装(着物姿)髪の毛を結った女性たち、祭り支度の男性の姿も。2020-03-06
61斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社は萩倉の奥にあり、御柱祭りの際に御神木伐採の刃物の修跋式(しゅうばつしき)を行う社。東俣の浄水場の道向かいの山脇に置かれている。この日は斧立社例祭。斧立とは・・樹木を伐採する前に山の神(大山祇神)を祀る行事。 ちなみにこの日は奥霧ヶ峰・八島ヶ原湿原にある「旧御射山社」で関係者による例祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
62秋宮社務所秋宮社務所座卓で執務、諏訪大社下社秋宮の社務所の風景。大社の社務所は「7年に1度」の御柱祭を節目に下社⇒上社⇒下社と移して上下両社の調和を保っている。平成元(1989)年当時は上社(平成4年の大祭まで)にあり、令和2(1990)年の現在は下社に社務所が置かれている。(令和4年から上社に移される)2020-03-06
63下の原の幟立て下の原の幟立て「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。2020-03-06
64赤砂西大路交差点赤砂西大路交差点昭和55(1980)年に開通した西大路通りと昭和49(1974)年に完成した新田中線が交差する場所。御柱祭りの車の迂回路としての役ばかりだけではなく日常の交通量も大変多くなってきている。冬季降雪時は時折登りきれず難渋する車がある。2020-03-06
65伏見屋伏見屋御柱祭の時。法被に伏見屋の文字が見える。自転車を持った少年も見える。2020-03-06
66下諏訪町明細全図下諏訪町明細全図「官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図」当時の下諏訪市街地図。  明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。  御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。2020-03-06
67芸者踊り芸者踊り三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。2020-03-06
68山出し山出し第1区、御柱祭山出し。2020-03-06
69下の原長持下の原長持御柱祭長持勢揃い。2020-03-06
70里曳きでの記念撮影里曳きでの記念撮影諏訪大社下社の里曳きでの記念撮影。 厳しい戦況の中厳しい暮らしの中での祭を迎えた喜びの様子がうかがえる。2021-08-19
71御柱山出し御柱山出し御柱祭山出しでの第一 区関係者。2020-03-06
72長持勢揃い長持勢揃い春宮に勢揃いした下の原長持連。2020-03-06
73御柱山出し御柱山出し御柱祭山出しでの第一区関係者。2021-04-01
74長持勢揃い長持勢揃い春宮に勢揃いした下の原長持連。2020-03-06
75御騎馬奉納御騎馬奉納大正15(1926)年の御柱祭。 下馬橋(太鼓橋附近)に勢揃いした下の原御騎馬。 2021-04-01
76御騎馬奉納御騎馬奉納明新館下に勢揃いした下の原の奉納騎馬。 騎馬には出陣騎馬(殿様騎馬)と凱旋騎馬(過労騎馬)があり、それぞれ掛け声のかけかたや所作に違いがある。2021-04-01
77御騎馬勢揃い御騎馬勢揃い大正9(1920)年御柱祭、下の原御騎馬、 明新館前での役員記念写真。2020-03-06
78春宮葺合祭下の原長持連春宮葺合祭下の原長持連大正15(1926)年5月6日。春宮葺合祭(ふきあいさい)が御柱祭りに先立って行われた時の下の原長持連の記念写真。 ちなみに、葺合祭は式年遷宮の年に宝殿遷座祭の前日に新宝殿の竣工式として行われる。下社の場合、春・秋両社の四宝殿の内一棟を造改築し、一棟の屋根葺合を行う。改築後は立柱式(当年の3月中旬以降)、葺合棟は葺合祭を行う。2020-03-06
79下の原勢揃い下の原勢揃い大正時代、下社春宮下馬橋での撮影。子どもたちも大人と同じ法被姿をしている。大人は鉢巻姿も勇ましく、威勢がよい。御柱祭の写真のようだ。 中央に別の写真の男性が転写されている。2021-04-01
80御柱搬出御柱搬出御柱祭り。法被の襟に「河西製米所」「吉沢製材所」の文字。大御幣を持っている人の姿も見える。2020-03-06
81木落し木落し大正15年(1926)諏訪大社下社御柱祭。 山出しの木落し風景。2020-03-06
82芸者踊り芸者踊り三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。 向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。 芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。2020-03-06
83大正15年御柱祭大正15年御柱祭御柱祭できれいどころをのせて屋台が町内を練り歩いた。後方の屋根は明新館。2021-04-22
84下諏訪町警防団下諏訪町警防団下諏訪町警防団の集合写真、昭和14(1939)年1月警防団令により消防組を改組して下諏訪町警防団(昭和22(1947)年まで)が設置された。団長の高木十吉はこの後町長となるが昭和19(1944)年4月11日御柱祭山出祭において不慮の事故で殉職した。中央には警察官の姿も見える。2020-03-06
85高木の長持連高木の長持連戦後最初の御柱祭の高木長持連。                           添付名簿 後列左から田中健三、久保田十吉、尾口友三、田中庄一、長谷辰男、中列左から大和大八、長崎則男、小口一郎、前列左から田中忠雄、大和剛、小口永吉、長川秋男、小平明2020-03-06
86注連縄製作完成記念写真注連縄製作完成記念写真大注連縄は戦後「日本第一大軍神」の大額が外された神楽殿が「寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け奉納した。昭和54(1979)年まで途絶えていが、昭和60(1985)年の御柱祭の前年,祭りの新たな行事として奉納した。現在の大注連縄は「諏訪大社注連縄奉納会」が長さ7.5m最大胴回り3.2m(従来は4.5m)重量800㎏(従来は1t)という大きさで御柱祭の前年の11月から約1ヶ月、2500束のワラをつかい作成している。2020-03-06
87千尋池千尋池千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 写真は改修工事完成の記念写真で、大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なおちひろ講は青塚の清掃も行っている。2020-03-06
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