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登録リスト(該当:12件)

写真タイトル説明登録日
1第三分団第三分団下諏訪町誌警防團第三分團の記念写真。 警防団の名称や「防空部」という文字が戦時中を感じさせる。2022-06-09
2みどり幼稚園みどり幼稚園下諏訪協会では戦前の昭和10(1925)年から文部省公認下諏訪幼稚園として経営していたが、戦時中は下諏訪町保育所に吸収され、園舎は軍工場に使用されていた。戦後は昭和26(1951)年仮免許で再び幼稚園を始め、翌27(1952)年文部省管轄下にある教育施設として、県知事の認可を得て「みどり幼稚園」と改名した。この年平成2(1990)年は戦後の幼稚園開園から40年目にあたる。園舎の軒に「開園記念バザー」の幕も見える。2020-09-08
3御田町商栄会富士講御田町商栄会富士講1「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」関連写真。 1枚目は七合五尺、3枚目は須走登山口での記念写真。。2022-01-16
4武運長久祈願武運長久祈願「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」と書かれている。 1928~1932は御田町商業会富士講関連。2022-01-16
5東山田農家組合東山田農家組合「団体賞受賞婦人部創立記念 東山田神宮路第一農家組合」の文字。 ちなみに神宮司道は春宮前から医王渡橋を渡った先に地名として残っている。2022-01-18
6諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮狛犬も戦争に行った?昭和5年清水多嘉示氏政策の狛犬は銅製のため戦争中の金属回収の国策により戦地へ供出され、主のない台座が見られるのみとなった。またこの写真には、神楽殿に戦後奉納されるようになる大注連縄はもちろんまだない。2021-12-26
7御田町小宮祭御田町小宮祭御田町の小宮祭風景。法被姿はなく、国民服や戦闘帽などが見られるので、戦中の小宮祭と思われる。2021-12-26
8戦時中の開所式戦時中の開所式何の開所式化は不明だが、参加者の服装や式次第の中に「宮城遥拝」「大詔奉読」「廠長」という文字があることから、戦時中、それもかなり戦局悪化の頃の軍需品関係を製造・修理した工場の開所式の写真と思われる。2022-06-09
9空襲に備えて空襲に備えて昭和20年も4月頃になれば戦況はいよいよ厳しくなり、空襲警報もしばしば発令されるようになり、主婦たちも空襲を想定してバケツリレーで消火訓練をした。学童も授業を中止して帰宅することが多くなってきた。この写真は御田町通りのバケツリレーの様子である。写真右からカネタマル・福助堂・橋本屋・安兵ヱといった店が並んでいた。 女性は防空頭巾にモンペ姿、男性は国民服にゲートルなど当時の服装がよくわかる。2022-06-09
10旧博愛館前で記念撮影旧博愛館前で記念撮影富部地域の脱穀風景。現在の公民館駐車場。富部公民館は庄屋をつとめていた津金家の屋敷があった。2022-05-24
11出征軍人家族慰安会に於ける青年団仮装演劇記念写真出征軍人家族慰安会に於ける青年団仮装演劇記念写真出征軍人家族の慰安のために青年団で仮装演劇を行った。演劇は御田劇場などで開かれた。これは、3区公民館(現青雲館)において写された記念写真。 「昭和十七年 出征軍人家族慰安會記念 六月」と写真に記録されている。2020-03-06
12出征家族写真撮影関係者出征家族写真撮影関係者戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。2020-03-06
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