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写真タイトル説明登録日
1殿村遺跡殿村遺跡殿村という名から高木氏の居城跡ではないかと言われていたが、昭和23(1948)年に地元の長崎賢吾氏が注目し発掘に及んだ。その後、数度の発掘で、縄文時代中期の住居址、弥生時代の住居址、奈良・平安時代の住居址、中世の住居址などが検出され、それに伴う遺物が多量出土している。発掘結果からすると、遺跡の領域は東照寺地籍まで延び 、広い範囲に及んでいる。(生涯学習ガイドブック1より) なお発掘の様子や住居址復元の様子の写真があるので参考にしてほしい。2021-06-03
2殿村遺跡の碑殿村遺跡の碑殿村遺跡 昭和29(1954)年3月高木小字殿村の竪穴住居跡に作られた復元家屋。2020-03-06
3殿村遺跡の碑殿村遺跡の碑 殿村遺跡 昭和51(1976)年高木史話会により建てられた碑。 「この一帯には縄文時代中期から後期にかけて住居群があり漁労の生活もあったことを語る貴重な遺跡である」と碑に記されいる。2020-03-06
4殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査調査後に建てられた復元家屋柱組。2021-04-07
5殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査復元住居の完成記念写真。町理事者、町議、調査関係者。「殿村原住民族住居跡」の看板。2020-03-06
6殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査団に参加した高木史話会員。 復元住居の骨組み前等での撮影。2020-03-06
7殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査調査現場の状況。2020-03-06
8殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査殿村遺跡緊急発掘調査作業の様子。昭和23(1948)年6月、地主の長崎氏が耕作中、地中からほぼ完形の土器がでてきて、今井広亀氏及び下諏訪史談会会員の主唱により発掘調査をした。住居跡の発見の他、石錘(すい)や土錘が出土し諏訪湖で漁業をしていた様子が分かる。その他石鏃(ぞく)、石匙(さじ)、打石斧(せきふ)などの石器や、復元して完全になった壺や顔面把手付の土器も見つかており、縄文中期の貴重な遺跡である。昭和29(1954)年に発見さた第三号竪穴には復元上屋がかけられた。2020-03-06
9石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木・上諏訪方面へ諏訪湖を望む。富部から高木(殿村遺跡)は「うばのふところ」と言われ一日中陽が当たる暖かいところで、桜は石投げ場が1番、慈雲寺が2番に咲くといわれていた。走行するボンネットバスは、丸Sバス。諏訪湖の対岸に遠く片倉館が見える。当時の絵葉書である。2020-03-06
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