キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:41件)

写真タイトル説明登録日
1高浜湾近景高浜湾近景令和の時代に入った高浜湾。かつてここが大きく入り込んだ入り江で、漁業や採氷やスケート、観光などで賑わっていた風景は古い時代の写真でしか見ることはできない。ただ、明治時代に開かれた国道20号線や中央東線の線路などは当時と同じ場所にあって人々の生活と深く結びついていいる。「高浜」で検索し、静かな入り江だった場所がやがて埋め立てられ大きく景観が代わってきた様子を見比べていただきたい。2021-06-23
2諏訪湖氷上会記念写真諏訪湖氷上会記念写真スイス公使 ポール・リッテル夫妻が下諏訪町の諏訪湖氷上会主催のスケート大会に出席された時の記念写真。この年1月14日には英国代理大使ローザ夫妻も下諏訪に来ている。2021-05-11
3冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。2022-05-26
4冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。 二枚目の写真は飛行機を陸に引き上げているようだ。2021-04-15
5スケートを楽しむ人々スケートを楽しむ人々アイスホッケー、フィギュアスケート、氷上そり…など、それぞれ秋宮スケートリンクで冬のスポーツを楽しむ人々。2020-03-06
6スケートスケート右端小口卓穣氏は諏訪湖一周氷滑大会で三連勝した。 前列左端 高木幸雄氏 後列 左端 小口義信氏2020-03-06
7表彰式表彰式氷上での表彰式。 トロフィーを受け取る選手。2020-03-06
8スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。写真下には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1367と同じ。2020-03-06
9スケートスケート諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。 №4と同じ。2020-03-06
10スケートスケート馬が引く「氷上スキー」。背景の段々畑は一面桑畑、製糸業が盛んな頃の農閑期の諏訪の風景。場所は高浜湾付近。2020-03-06
11スケートスケート氷上の整頓(絵葉書)。当時結氷した諏訪湖は軍事訓練の場として使われることもあった。写真後方山肌が見事な段々畑(?)になっている。2020-03-06
12スケートスケート諏訪湖氷上スケート大会(絵葉書)。2020-03-06
13スケートスケート冬の諏訪湖。選手のユニホーム・滑るフォーム・よく整備されたスケートリンクなどから大会風景に見えるが。2020-03-06
14スケートスケート冬の諏訪湖。軽装でのスケート風景。スケート靴はフィギュア用に見える。2020-03-06
15スケートスケート冬の諏訪湖。競い合って滑る様子。2020-03-06
16スケートスケート絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。2020-03-06
17スケートスケート絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。2020-03-06
18スケートスケート(冬の諏訪湖)スケートで賑わう諏訪湖氷上。写真の範囲には下駄スケートは見られない。2020-03-06
19スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。資料には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1413、1861と同じ。1961の写真には「箒をもてるはグラウンドの掃除人夫なり」と書きもまれている。2020-03-06
20スケートスケート氷上をそりにのり楽しむ子ども、フィギュアスケートの練習をする女性、アイスホッケーのスティック持っている男性などそれぞれのスタイルでスケートを楽しむ様子。 小湯の上、秋宮スケートリンク。2020-03-06
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ