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登録リスト(該当:14件)

写真タイトル説明登録日
1大権現大権現高浜の宮坂氏宅前に[大権現」と彫られた石碑が祀られている。 この碑は上部にかけがあり文字の一部が見える。 碑には言い伝えが残されている。 それは村の辻の「金毘羅大権現」が明治維新の際二つに折られ高浜に運び諏訪湖に投げ捨てられたその後、ここに住んでいた宮坂氏が引き上げお祀りした。2021-12-23
2六方石(かんかん石)六方石(かんかん石)下諏訪町はよい石材に恵まれていた。六方(ろっぽう)石、土坂(つっさか)石、砥川(とがわ)石などがある。武居入りの土坂地籍から採取された六方石は俗にかんかん石と呼ばれた玄武岩である。石垣用や民家の手洗い石として六角柱の石を利用していた。また碑石としてもよく利用されている。写真は町内の石材店で現在では貴重となった六方石を備蓄している様子である。2022-03-09
3明新館横の石碑群明新館横の石碑群第一区明新館の横の石碑群である。道祖神、百万遍講中、南無阿弥陀仏の碑とともに、天龍道人筆と伝えられる観世音の巨大な碑もある。また手前には力石も残されている。2022-03-24
4犬射馬場跡標石犬射馬場跡標石犬射馬場四至ノ標石の内、北東と東南隅の写真。山王台の下に郷殿という諏訪明神大祝の屋敷(下諏訪中学校あたり)があり、この屋敷の西続き下の段を馬場(ばっぱ)といい、犬射馬場があった。鎌倉時代の武士たちは、日ごろから笠懸・流鏑馬・犬追物などの鍛錬に励んでいた。この馬場では主に犬追物を行い、またその事にまつわる祭場でもあった。江戸時代になりそれらが廃ると馬場には人家ができるなどしたため、享保18(1733)年、さらに明和6(1769)年に神社・氏子立ち合いで検地確認したという。これはその時の標石である。2022-03-19
5法泉寺法泉寺福沢山清泰院法泉寺、浄土宗の寺。室町時代に開山されたと伝えられているが、文政年間の火災のため資料を欠き詳細は不明。江戸時代から明治維新までは寺子屋として、明治7年から明治23年までは東山田学校(郷学)として使用された。門前には東山田学校跡、六地蔵菩薩を祀ってある石碑や石佛がある。前を通る道は塩尻道と呼ばれ、中山道の近道として利用されていた。道を挟んで東側を福沢川が流れている。2022-03-19
6熊野神社石碑熊野神社石碑東山田熊野神社の「お山」の石碑群。2022-03-19
7花田の辻・碑花田の辻・碑蚕神、道祖神、庚申の碑が並ぶ花田の辻。この小路を入ったところに第一次世界大戦の時、青島(チンタオ)攻撃司令官として活躍した神尾光臣(作家有島武郎の養父)出生の家、神尾家があった。 小路奥の林が東山田熊野神社である。2022-03-19
8石投場・石碑石投場・石碑明治13(1880)年、明治天皇は甲信地方の民情視察を行った。6月24日、石投げ場に車を止められ、諏訪湖の風景をめでられ、漁撈をご覧になられた。この日は小雨であったが、漁師たちは目のした3尺の大鯉を献上したと伝えられている。「石投げ場」の名前は、名前の通り石を投げれば諏訪湖に届くくらいだったところからつけられた名称である。この「明治天皇駐輦(ちゅうれん)の碑」と並んで「南信八名所石投場」の碑も建てられている。2021-06-10
9久保街道石碑群久保街道石碑群久保街道、サトーニットの北側の道を北の方にもぼっていくと、石仏や石碑を集めた一角がある。御柱に囲まれて、ひときわ大きな秋葉大権現の石碑と並んで、蚕玉神、道祖神、二十三夜講などの石造物が所狭しと置かれている。古くは近くにお堂があったと言われている。これらの中には、男根を模した石柱に道祖神と刻み込まれたものもあり、古く先人の信仰の姿を知ることができる。2021-06-03
10秋宮境内の犬射馬場石碑秋宮境内の犬射馬場石碑「當社之犬射馬場(とうしゃのいぬいばば)」と刻まれている。 犬射馬場石柱が下社秋宮境内の秋宮一の柱の脇にもある。犬射馬場とは大祝の居館(神殿:ごうどの)につづく錬武の場であり、「諏訪大明神絵詞」にもお舟祭りの後に馬場で犬追物をして祭りが終わったことが記されている。馬場(ばっば)の名称としてその名残を留めその四囲にも石柱が残されている。2020-03-06
11久保秋葉大権現久保秋葉大権現撮影の日付と「犬射馬場石柱」と説明がある写真であるが、サトーニットの裏にある久保秋葉大権現の周りの石碑群にあるではないかと思われる。(男根に模した石柱に道祖神と刻まれたものがある)2020-03-06
12小路小路秋宮前大社通りから宿場町立町通りの間の路地。江戸時代の生活路で(俗名七つ蔵)「歴史のこみち」とも呼ばれている。 平成7(1995)年に路地の散策を続けてきた人たちで「下諏訪の路地を歩く会」が作られ、平成13(2001)年には日本記念日協会から、6月2日は「路地の日」の普及に貢献したとして記念日文化功労賞が送られている。 宿場町として栄えた歴史や閑静な風情、行き交う人情に触れることができる場所となっている。この周辺には岡本太郎や小沢昭一、永六輔らの直筆を刻んだ石碑や句碑を巡ることもできる。2020-03-06
13下の原の幟立て下の原の幟立て「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。2020-03-06
14一本柳神社一本柳神社西赤砂のリンゴ畑に囲まれた一本柳神社。赤砂地区の産土神である。写真撮影当時は、享保年間に作られた「友の町絵図」にも書かれていたといわれる柳の古木が祠の横に残っていた。 現在祠には・諏訪明神・豊受比売大神・津島大神・菅原大神・多賀大神・三峯大神が祭られているほか、境内には・大陸天(だいろくてん)や道祖神、蚕玉社の石碑も祀られている。2020-03-06
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