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写真タイトル説明登録日
1春宮神楽殿に新調大注連縄春宮神楽殿に新調大注連縄下諏訪町第一区の若者を中心とした有志でつくる春遊会(中村智彦会長)は12月19日、諏訪大社下社春宮に新調した大注連縄を奉納した。同会が奉納するのは5回目で、会員は約30人。以前は総区内の中高年有志でつくる「浮島会」が制作を担っていたが、1997年から春遊会が引き継いだ。製作は春宮駐車場の一角の作業テントで10月31日から開始していた。長さは約6,3m、重さ約350kg。稲わらは約700束が使われた。2022-03-13
2春宮神楽殿春宮神楽殿天和(てんな)年間(1681~84)に諏訪藩が寄進したものと伝わるが、大社の建物の中では改修が何度も行われており、最近での改修は昭和11(1936)年だった。そのため国の重要文化財には指定されていない。2022-03-19
3春宮・筒粥殿春宮・筒粥殿神楽殿に向かって左側の建物で、1月14日夜半から15日早朝にかけて筒がゆの神事が執り行われる。2022-03-24
4筒がゆ神事筒がゆ神事春宮、神楽殿に向かって左に筒粥殿がある。毎年1月14日夜半から15日早朝にかけて筒粥の神事が執り行われ大釜の中に米と小豆・水、それに15センチほどに切ったアシの筒44本を入れ、中央の石の囲炉裏で一晩中炊き続ける。朝、アシの筒を取り出し、一本一本の筒に入った小豆粥の状態で、その年の農作物43種の豊凶を占い、最後の一本でその年一年間の吉凶を占う。この神の占いに誤りはないと、下社七不思議のひとつに数えられている。昔は上社でも行っていたというが現在は下社のみで行われている。2022-03-19
5諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。2021-12-26
6諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮狛犬も戦争に行った?昭和5年清水多嘉示氏政策の狛犬は銅製のため戦争中の金属回収の国策により戦地へ供出され、主のない台座が見られるのみとなった。またこの写真には、神楽殿に戦後奉納されるようになる大注連縄はもちろんまだない。2021-12-26
7敬老会記念写真敬老会記念写真「第三区男女青年會 敬老會記念 昭和十一年十一月三日」 2021-12-26
8記念写真記念写真諏訪大社下社秋宮神楽殿横にて撮影。2021-12-26
9第一区騎馬勢揃い第一区騎馬勢揃い春宮神楽殿前に勢揃いした第一区奉納騎馬。昭和43(1068)年戊申(つちのえさる)の御柱記念写真。2022-03-19
10御柱祭御柱祭平成二十二年度寅年諏訪大社式年造営御柱祭第三区役員・委員安全祈願。秋宮神楽殿前にて記念撮影。2021-12-26
11大注連縄奉献大注連縄奉献戦後「日本第一大軍神」の大額が外された諏訪大社下社神楽殿。 「これでは寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け、初めて奉献したのが昭和24(1949)年。その後昭和54(1979)年まで途絶えていた。昭和54(1979)年と昭和60(1985)年に、出雲大社拝殿に大注連縄を奉献している島根県雲南市の須賀注連縄保存会の役員を迎え、御柱祭の前年に大注連縄作りの指導を受けた。 写真は昭和60(1985)年、御柱祭の新たな行事として定着させようと奉献会(約40人)が作った下社秋宮神楽殿の大注連縄奉納の時の記念写真。2021-12-18
12献幕記念献幕記念「大社奉祀会献幕記念昭和五十四年七月」の文字。諏訪大社秋宮神楽殿横にて、後ろの神楽殿や幣拝殿の幕が白く輝いて見える。神楽殿横に絵馬がかけられている。2021-11-03
13諏訪大社秋宮諏訪大社秋宮諏訪大社下社神楽殿。 大注連縄に赤い提灯が飾り付けられている。 神楽殿横を歩く御田植祭りの早乙女と思われる姿が見え、周りに参拝客や観光客の姿が多数見える。2021-12-18
14諏訪大社秋宮諏訪大社秋宮神楽殿に大注連縄がない、社務所は現在と同じ、参道の階段は整備済み、東郷平八郎の掲額がない、狛犬がない…など現在とは様子の違う秋宮境内。2021-11-03
15御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮一之柱の建て御柱の様子。2020-03-06
16御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮一の建て御柱、右に神楽殿、御柱の向うに狛犬が見えるが、現在とは形が異なることから供出前のものと思われる。2020-03-06
17秋宮に着いた柴舟秋宮に着いた柴舟この年の御頭郷は岡谷、秋宮境内へ引き入れられた柴舟。この後柴舟は神楽殿を3周した後神事相撲などの奉納をし翁媼の人形のおたき上げを内御玉戸社(うちみたまどしゃ)で行い祭りは終了する。柴舟に飾られた柴を悪疫退散のお守りや縁起物として多くの人が持ち帰る風習も残る。2020-03-06
18諏訪大社あやめ奉献祭諏訪大社あやめ奉献祭諏訪大社下社あやめ奉献祭の日。地元の東山田あやめ会が丹精込めて育てたハナショウブの鉢植えが、春宮神楽殿の周りに色鮮やかに並べられた。祭りでは琴と尺八の奉納もあって、普段静かな春宮もしばしの賑わいを見せた。2020-03-06
19諏訪大社節分祭諏訪大社節分祭春をつげる諏訪大社下社の「節分祭」の様子。恒例の宝投げに沢山の手が福をつかもうとしている。赤鬼・青鬼が登場しその浸入を防ごうと神官が立ちふざかるしぐさなど見ていて楽しい行事である。2020-03-06
20筒がゆ神事筒がゆ神事神楽殿の西方にある筒粥殿。1月14日夜から15日早朝に行われる「筒がゆの神事」の様子。 諏訪大社下社(春宮)に伝わる小正月の年占いで、長さ18cmの葦の茎を44本束ねて入れた鉄釜で米・小豆の粥を夜を徹して炊きあげ、15日早暁、葦の茎を取り出し粥の入り具合でこの年の農作物の出来と「世の中」を占う神事。 この年の結果は「世の中三分七厘」(五分満点)との託宣だった。2020-03-06
21記念写真秋宮記念写真秋宮諏訪大社下社神楽殿前。いつ何の記念写真かは不明。2020-03-06
22秋宮神楽殿秋宮神楽殿「諏訪大社神楽殿及日本一駒犬」と写真下に書かれている。昭和6(1931)年9月18日には満州事変戦勝祈願も行われている。狛犬(駒犬)は昭和5(1930)年11月吉日に竣工。神楽殿をかこむようにしめ縄飾られている。現在の神楽殿正面の大しめ縄は戦後からのものである。 この狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。現在の狛犬の説明には「青銅製の狛犬としては日本一」と紹介されている。2020-03-06
23大社の朝大社の朝昭和5年(1930)献上された狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。(撮影者大槻十三春)狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。青銅製の狛犬としては日本一と紹介されている。 ※昭和四十(1965)年度 特選 大社の朝(大槻十三春)2020-03-06
24秋宮幣拝殿秋宮幣拝殿諏訪大社秋宮幣拝殿。手前右は神楽殿。幣拝殿にとりつけられている幕の神紋(梶の葉紋)の足は4本になっている。2020-03-06
25東郷平八郎献額東郷平八郎献額諏訪大社秋宮の神楽殿正面に東郷元帥筆の「日本第一大軍神」の大額が奉献さる。この額は戦後は秋宮拝殿の左片拝殿にある。(刻者は篆刻師八幡郊處)2020-03-06
26下馬橋下馬橋下馬橋と春宮。№427の写真を見て景色の変化を比較してほしい。2020-03-06
27下の原長持下の原長持下の原青年会長持。2020-03-06
28長持記念写真長持記念写真長持ち勢ぞろいの記念写真。春宮神楽殿前。2020-03-06
29横綱吉葉山来訪横綱吉葉山来訪大相撲下諏訪場所相撲巡業記念写真。昭和32(1957)年9月に山王台で行われた諏訪大社相撲巡業。写真は横綱吉葉山{昭和22(1947)年入幕-昭和33(1958)年引退}、当時美声といわれた呼び出しの小鉄、行司式守与之助。民家に泊まった(小林家など)。左側に子ども達が立っているのは秋宮神楽殿前の狛犬の台座と思われるが戦争中供出されたままでまだ再建立されていない。吉葉山は、十両昇進前に召集され戦地で銃弾2発を浴び終戦後再び土俵に上がった。大関で全勝優勝し「雪の全勝行進」で大人気となる。しかし、病気や被弾による後遺症などで「悲劇の横綱」と呼ばれた2020-03-06
30注連縄製作完成記念写真注連縄製作完成記念写真大注連縄は戦後「日本第一大軍神」の大額が外された神楽殿が「寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け奉納した。昭和54(1979)年まで途絶えていが、昭和60(1985)年の御柱祭の前年,祭りの新たな行事として奉納した。現在の大注連縄は「諏訪大社注連縄奉納会」が長さ7.5m最大胴回り3.2m(従来は4.5m)重量800㎏(従来は1t)という大きさで御柱祭の前年の11月から約1ヶ月、2500束のワラをつかい作成している。2020-03-06
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