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写真タイトル説明登録日
1御湖鶴・世界一の称号御湖鶴・世界一の称号令和3年(2021)、世界最大級のワイン品評会(International Wine Challenge)の日本酒部門で「チャンピオン・サケ」を受賞し、7月5日に諏訪御湖鶴酒造でセレモニーが行われた。受賞酒の「御湖鶴純米吟醸山恵錦」は、長野県で開発された酒造好適米「山恵錦」を使用。主催者は「フルーツを想わせる香りが際立ち、繊細でまとまりのある舌ざわり」と評価された。諏訪御湖鶴酒造所は一時途絶えたが、コロナ化に立ち向かい、復活から3年で世界一の称号を手に入れた。ちなみに御湖鶴再建には福島県の磐栄運送が当たっている。2022-01-13
2レンプクソウ解体図レンプクソウ解体図山地の林内に生える多年草。フクジュソウに長い地下茎が続いているように見た人が、連福草と言い出して名がついた。 花が5個付くのでゴリンバナとも。2022-03-15
3若宮源湯と湯神碑若宮源湯と湯神碑戦後上総(かずさ)掘り方式で昭和38(1963)年八月に自噴、「若宮源湯」と命名。地域の発展と福祉の向上をうたって、昭和39(1964)年6月「富部温泉」ができた。この碑を祀り繁栄を祈った。温泉は第十区の区有温泉として広く利用されていたが、平成19(2007)年3月末に廃業した。2021-12-23
4東山田・若宮社跡東山田・若宮社跡副祝山田氏の祝神と伝えられている。旧中山道の福沢川と鋳物師沢川の中間に鳥居と祠があったとされるが、昭和初期の水害で流され自宅屋敷内に移されている。写真は若宮社跡の案内板である。2022-03-24
5福沢川・法泉寺横福沢川・法泉寺横東山田の法泉寺とその東側を流れる福沢川。2022-03-19
6法泉寺法泉寺福沢山清泰院法泉寺、浄土宗の寺。室町時代に開山されたと伝えられているが、文政年間の火災のため資料を欠き詳細は不明。江戸時代から明治維新までは寺子屋として、明治7年から明治23年までは東山田学校(郷学)として使用された。門前には東山田学校跡、六地蔵菩薩を祀ってある石碑や石佛がある。前を通る道は塩尻道と呼ばれ、中山道の近道として利用されていた。道を挟んで東側を福沢川が流れている。2022-03-19
7東山田屯所・山花東山田屯所・山花法泉寺の角の交差点に、東山田第七分団屯所が福沢川の左岸に、道を挟んで西側に食事処「山花」がある。この道は急ぎの旅人などが春宮東で中山道をそれ、東山田を通り西山田(中村)を経て今井から中山道に入った近道で、塩尻道ともよばれていた。参勤交代に合わないための間道として御岳山の行者などが多く利用したという。2022-03-19
8神明館・神明社神明館・神明社神明館については№1173を参照していただきたい。神明館入り口に祀られている「神明神社」は大正12(1923)年に区民の寄付によって建立し、毎年10月10日を例大祭としている。なお、神社前には道祖神も建てられている。そもそもこの地区は「流れ」と呼ばれた砥川・鋳物師川・福沢川・十四瀬川の洪水常習地帯で、住宅ができたのは明治9(1876)年からで特に明治23(1890)年現国道20号線が開通してから戸数が増えてきた。新しい街だからこそ神明社は大事に守られてきたのだと思われる。2022-03-19
9フクジュソウフクジュソウ福寿草(フクジュソウ)。 春を告げるおなじみの花で、花弁(カベン)はパラボラアンテナのようで光を集める。2020-09-09
10福澤川山腹工事福澤川山腹工事(諏訪郡長地)福澤川に於ける山腹工事の一部(施工直後)。場所は当時の東山田村。年月等不明。2022-04-19
11空襲に備えて空襲に備えて昭和20年も4月頃になれば戦況はいよいよ厳しくなり、空襲警報もしばしば発令されるようになり、主婦たちも空襲を想定してバケツリレーで消火訓練をした。学童も授業を中止して帰宅することが多くなってきた。この写真は御田町通りのバケツリレーの様子である。写真右からカネタマル・福助堂・橋本屋・安兵ヱといった店が並んでいた。 女性は防空頭巾にモンペ姿、男性は国民服にゲートルなど当時の服装がよくわかる。2022-06-09
12御柱祭御柱祭御柱祭。左端に「奈良屋・・・」と読める看板。福ダルマに仮装した長持衆。2020-03-06
13旧社東町公民館旧社東町公民館旧下諏訪製糸共同病院の本館を昭和2(1927)年12月に買収移転した地区公民館(神明館)。現在の社東町付近は、砥川と十四瀬川に挟まれ、特に砥川と福沢川の合流地はたびたび洪水に見舞われてきたので、古くは「流れ」がそこの通り名であったという。明治以後徐々に人が住みはじめ、旧中山道の北に新道が通ったり、河川改修工事などが進み、人家が増加した。昭和33(1988)年に岡谷市から下諏訪町に合併して第八区となった。2020-03-06
14夏の夜の御田町夏の夜の御田町夏の夜の「御田町」交差点付近。道路左手に福田屋と右手にステップカサイの看板が見える。2020-03-06
15戦没者追悼式戦没者追悼式第44回戦没者追悼式。8月15日は44回目の終戦記念日、町主催の戦没者追悼式で祭壇に白菊を手向ける遺族たち。会場は町老人福祉センター。 町の戦没者は日清戦役以来450柱、遺族会員は420人。2020-03-06
16下の原の幟立て下の原の幟立て「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。2020-03-06
17寒の雨寒の雨厳寒の雨は酷寒の地諏訪地方では珍しく、この日の最低気温は0.5度(平年比7.7度高)、最高気温は6.5度(同3.6度高)だった。御田町の風景写真左が居酒屋「甚八」右手には福田屋菓子店。2020-03-06
18御湖鶴モロミ仕込御湖鶴モロミ仕込地酒「御湖鶴」の蔵元。モロミ仕込(最終日)この道40年の杜氏を始め酒造り衆は5人いずれも郡内の農家の人たち。米だけによる本作り戻っている。オンザロックでも飲める超辛口も出している。 御湖鶴酒造は、大正元(1912)年下諏訪町御田町にて創業。 大正7(1918)年10月『下諏訪酒造株式会社』として法人設立。 大正11(1192)年『菱友醸造株式会社』に改称。 平成29(2017)年4月22日付で事業停止、同4月25日付で破産開始決定。平成30(2018)年2月、福島県いわき市の運送会社『磐栄運送』が、『菱友醸造』の土地や設備などを買い取って御湖鶴ブランドを引き継ぎ、同年秋に仕込み開始、12月10日に新酒の販売を開始している。2020-03-06
19諏訪大社節分祭諏訪大社節分祭春をつげる諏訪大社下社の「節分祭」の様子。恒例の宝投げに沢山の手が福をつかもうとしている。赤鬼・青鬼が登場しその浸入を防ごうと神官が立ちふざかるしぐさなど見ていて楽しい行事である。2020-03-06
20冬の砥川冬の砥川冬の流れ(砥川)。砥川は全長12.9km町内で一番大きな川である。土砂の流出が多く、写真の医王渡橋付近より下流は度々流路が変わるほどの洪水を起こしてきた。また天井川を形成している。2020-03-06
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