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登録リスト(該当:20件)

写真タイトル説明登録日
1萩倉水車小屋萩倉水車小屋萩倉で製糸業が始められたのは明治11(1878)年のことである。燃料の薪の確保が容易だったことや中央線開通前で、信越線大屋駅から和田峠を越えて運ばれてくる原料繭の入手に便利な立地だったことにあわせ、動力源であった水車を回す豊富な水利があったことが指摘されている。写真は当時の水車を復元したものでバスの待合所にもなっている。後ろの鳥居は米守(よねかみ)神社の入り口である。2022-03-24
2下諏訪倉庫跡・西友下諏訪店下諏訪倉庫跡・西友下諏訪店大門通の「西友下諏訪店」。かつてはここに明治33(1890)年創業の「下諏訪倉庫(株)」が明治44(1911)年に建てた土蔵の繭蔵倉庫があり、製糸業を支えてきた。その後、繭のにおいの残る館内は、下諏訪倉庫創立関係資料・風乾(自然乾燥)当時の繭保管棚や選繭台・養蚕用具・昭和6(1931)年の見本繭や生糸・機織り機・三井組製糸場その他関連の古い写真などを展示している「下諏訪倉庫蚕糸博物館」となっていた。しかし今は写真のように大型スーパーに変貌し、時代の流れが大きく風景を変えてしまっている。2022-03-24
3集合写真集合写真後ろに見える建物は繭蔵。 はっぴの男性の衿には「片倉製糸紡績株式会社」の文字。 写真に写る人たちは片倉の職員と思われる。2021-12-21
4製糸場風景製糸場風景製糸場風景。煮た繭から生糸をとり、小枠に巻き取る機械、繰糸機(そうしき)の写真。工女は洋服を着ている。2020-03-06
5真綿とり真綿とり真綿は主に製糸に向かない屑繭(くずまゆ)を使って作られた。屑繭を煮沸し、開き、引き伸ばし、乾燥させたあと、布団や綿入れの着物に利用された。また真綿を太糸のように伸ばして織り、チョッキのように防寒用に用いられた。真綿とりの様子。2020-03-06
6製糸工場製糸工場天竜川畔製糸工場群。2020-03-06
7繭籠の垣根のある風景繭籠の垣根のある風景繭籠で作った垣根(当時繁盛していた製糸工場の県外より生繭を輸送する繭籠で囲いの塀にしたもの)のある風景。2020-03-06
8岡谷市街地を望む岡谷市街地を望む昔の岡谷の市街地と製糸工場。諏訪湖と天竜川が見え、岡谷の市街地には黒い煙をあげる煙突が林立し、間に繭倉も見える。撮影は山手町の高台あたりからか、山の斜面は桑の木で埋め尽くされている。2020-03-06
9岡谷市街地岡谷市街地昔の岡谷 花岡山から天竜川越しに林立する製糸工場を望む。手前下に天竜川、びったら橋が見える。天竜川の向こうは岡谷の製糸工場群、千本煙突から煙が登るり、4層の繭倉群も見える。2020-03-06
10㈱マルシメ㈱マルシメ株式会社マルシメ 製糸王国の名残り、絹紡糸の原料(ペニー)製造工場。製糸工場で出る手くず(くず繭)を精錬してラップからペニーにする。。大正2(1923)年創業のこの会社、戦後は縫製部門の方が主力になっているがペニー製造の灯も守っていた。2021-03-27
11萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2022-06-12
12信濃産業の倉庫取り壊し信濃産業の倉庫取り壊しこの倉庫大正の初めころ製糸会社の繭倉として建てられ、これを移築し蚕種会社が蚕種生産用に使ってきた。黄土色の土壁五層の堂々たる構えは、かつてのシルク王国の繁栄を忍ばせる記念碑的な建物のひとつといってよいものだった。信濃蚕業(イングスシナノ)の木造五層の蚕種倉庫取り壊し。これが地上から消えて、製糸王国はさらに遥かなものになった。2021-04-01
13繭の運搬風景繭の運搬風景軽トラックで中国産の繭を町内倉庫から岡谷の工場へ運ぶ国用製糸業者。国内の繭生産量は昭和12(1937)年をピークに減少、平成元年当時、中国、北朝鮮などから年間約1,500トン輸入しており、この製糸業者も、10年ほど前から入れ始めた中国繭が、今では主体になっているという。「諏訪湖の町の平成元年」の撮影メモから、緑町の斉藤製支店前の撮影と思われる。2020-03-06
14製糸工場製糸工場揚げ返し機。揚げ返し(あげかえし)は、煮た繭から生糸を作り小枠に巻き取る機械の繰糸機(そうしき)で小枠に巻き取られた生糸を乾かしながら大枠へ巻き返し、輸送や保管などで取り扱いやすい一定量の束、綛(かせ)にすること。2020-03-06
15座繰り製糸座繰り製糸下諏訪町の座繰り製糸工場昭和興行(株)。座繰り(ざぐり)は座って人力で道具を動かし繭から糸を手繰りながら糸枠に巻きとる作業のこと。またその道具のこと。2021-04-01
16製糸工場製糸工場倉庫から運ばれてきた繭とそれを選別している様子。2020-03-06
17製糸工場製糸工場鍋で煮繭(シャケン)をしている。煮繭は繭から糸を繰り取る際に、繭糸の解れをよくするために、あらかじめ繭を湯などで煮ること。 写真下は煮繭(煮た繭)した繭を子桶に入れている。2020-03-06
18大鳥居のある街角大鳥居のある街角春宮大門大鳥居と参道。正面は諏訪大社春宮の870mに及ぶ参道。鎌倉時代には流鏑馬が行われていたらしい。かつては見事なさわら並木で、昼なお暗い道だったという。鳥居の後方左の大きな建物は製糸時代の繭倉で平成元年は倉庫会社の倉庫になっていた。 現在は西友下諏訪店になっている。2020-03-06
19萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2021-04-21
20製糸の町岡谷製糸の町岡谷満面に水をたたえた天竜川。明治後期の釜口橋付近で、橋脚が補強されている。大きな繭倉が建てられ、工業地帯に変貌しようとしている。2020-03-06
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