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写真タイトル説明登録日
1下諏訪倉庫跡・西友下諏訪店下諏訪倉庫跡・西友下諏訪店大門通の「西友下諏訪店」。かつてはここに明治33(1890)年創業の「下諏訪倉庫(株)」が明治44(1911)年に建てた土蔵の繭蔵倉庫があり、製糸業を支えてきた。その後、繭のにおいの残る館内は、下諏訪倉庫創立関係資料・風乾(自然乾燥)当時の繭保管棚や選繭台・養蚕用具・昭和6(1931)年の見本繭や生糸・機織り機・三井組製糸場その他関連の古い写真などを展示している「下諏訪倉庫蚕糸博物館」となっていた。しかし今は写真のように大型スーパーに変貌し、時代の流れが大きく風景を変えてしまっている。2022-03-24
2笠原製糸工場笠原製糸工場(屋号 山二)笠原製糸工場表彰式。 経営者の名前を下諏訪町誌から探すと、笠原亀蔵の経営する製糸場が明治23(1890)年に開業している。2020-09-05
3製糸工場の面影製糸工場の面影「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。2021-04-21
4製糸場事務所製糸場事務所製糸場の事務所。2020-03-06
5アイスホッケーアイスホッケー秋宮スケートリンクでアイスホッケーを楽しむ人々。 後ろの建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
6製糸場風景製糸場風景製糸場風景。煮た繭から生糸をとり、小枠に巻き取る機械、繰糸機(そうしき)の写真。工女は洋服を着ている。2020-03-06
7丸六製糸丸六製糸丸六※製糸(片倉兼太郎)。湯田新町(旧ヤシカ跡・現ムトー工業)片倉組製糸の下諏訪製糸所。明治18(1885)年創業の井上善次郎工場を買収して、明治32(1899)年に創業、昭和18(1943)年軍需工場となり、昭和23(1948)年再開するも昭和30(1955)年ヤシカとなる。現在はムトー工業となっている。  2020-03-06
8森下製糸場森下製糸場大正15(1926)年創業の森下製糸場。昭和3(1928)年当時20釜。矢木町森下氏宅。№1291参照。2021-04-01
9吉澤製糸場吉澤製糸場山永※吉澤製糸場。明治26(1893)年当時30釜。花咲町旧小松ガラス店隣。明治24(1891)年に吉澤金治が創業。2020-03-06
10新井製糸場新井製糸場富部新井製糸所。 新井喜多(喜助)。2021-04-01
11岡谷製糸岡谷製糸岡谷製糸業(御田川製糸場)建物外観。明治16(1883)年岡谷市の小口善重が下の原中村平助製糸の休業のあとへ御田川製糸場を開業、大規模な繰業で「大器械」とも呼ばれ、二階建ての事務所に望楼を載せ村人はホテルとも呼んだとされるものとも推測できる。2020-03-06
12製糸工場製糸工場堀内忠夫氏の製糸場。中央通り旧湖北工業跡、現フレール隣、大正8(1919)年創業の角ヤ※小口組製糸工場が昭和6(1931)年の大恐慌で倒産、その後青木村出身の堀内忠夫氏(後の町議会議長・商工会議所会頭)が引き継ぐが、昭和32(1957)年廃業。№1287と同じ写真。 2020-03-06
13日新社製糸場日新社製糸場日新社製糸場(林栄一)。後の山二笠原製糸場を経て日新工業(日新工業)となり、ギターの製造を行っていたが昭和 年火災により閉業現在町営御田町駐車場。奥の森は青塚その左は来迎寺。2021-04-01
14昭和製糸場昭和製糸場栄町にあった製糸場。曙町、現高野接骨院隣、後の小口克郎氏の昭和製糸場。 2021-04-01
15山田製糸場山田製糸場大正13(1924)年創業の山田製糸場。昭和3年当時20釜。2021-04-01
16四王製糸場四王製糸場大正7(1918)年創業した入一組山二製糸場。昭和3(1928)年当時410釜。大正12(1923)年南四王(現イオン跡地)に四王製糸場(入一※組分工場)として建設後に昭栄製糸場となる。現在のイオン下諏訪店の位置にあった。2021-04-01
17萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2022-06-12
18橋の上橋の上橋の上。法被の襟に「山七製糸場」の文字が見える。個人所蔵の写真。2020-03-06
19製糸工場風景製糸工場風景絵葉書「信陽諏訪下諏訪入一※組製糸会社全景」の文字。入一※組製糸は明治34(1901)年に創業した入丸※製糸が明治43(1910)年に分離し、入一として創業(小口松五郎・川村蓑吉・山田由蔵・河西寅吉の合名会社)した。入一※製糸は入丸より分離したメンバーに河西友吉・河西勝太郎・今井栄人(入一社長)が加盟し、最盛期の大正10(1921)年頃(1150釜)は茨城・静岡に支店を出し、大正12(1923)年には南四王(現ジャスコ跡)に分工場を建設した。昭和4・5(1929/1930)年の不況により今井栄人が入一通信工業に転換した。下の原方面からの写真、中央辺りに平沢小路~下の原への道路が見える。2021-04-01
20スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ男性。後ろは岩波製糸場。2020-03-06
21スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ。後方の建物は岩波製糸場。2020-03-06
22スケートスケート革のスケート靴にマントを羽織った日本髷を結った女性。秋宮リンク。後の建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
23萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2021-04-21
24御田劇場御田劇場現在の諏訪信用金庫御田町支店の所にあった御田劇場。入一製糸場(現入一通信工業)が社員の慰安と御田町商店街の発展策として建設した。大正2(1913)年完成。前進座の公演を見るために行列を作る人たちが写っている。上諏訪の清水町にあった旧高島座を一万円で買収、移築した。その後、昭和32(1957)年9月ヤシカに売却、ヤシカ会館となり、現在は駐車場となっている。2020-03-06
25片倉組丸六製糸場片倉組丸六製糸場明治42(1909)年片倉組丸六製糸場で下諏訪町における創業10周年記念祝賀会当日に撮影された写真。手前の道は花見新道(御作田社より上にある道)大八車の轍が線路のように残っている。右手前の木は御作田社、左中ほどの町並みは湯田仲町、左遠方の高い建物は中学校の塔、間に見える畑は桑畑で当時は多く見られた。後方にはうっすら白く諏訪湖が広がっている。2020-03-06
26岩波(旧本陣)器械製糸所岩波(旧本陣)器械製糸所本陣が経営していた「岩波器械製糸場」の内部写真、諏訪地方で撮影された写真の中で最も古いと思われる。 ※同製糸場は明治10(1877)年創業、本陣の裏手にあった。2021-03-23
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