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登録リスト(該当:213件)

写真タイトル説明登録日
1諏訪湖の景色諏訪湖の景色諏訪湖岸の富士山が見えるポイント。富士山だけではなく 周り山々の風景も美しい冬の諏訪湖。2024-02-29
2水辺公園水辺公園水辺公園にある金属製のフレーム。 公園内から見ると美しい諏訪湖と富士山(晴天だとよっかったのですが)が写真のように切り取られて、ピクチャーウインドウのようです。 この付近(諏訪湖岸)は富士山の見えるポイントです。2024-02-29
3照光寺の仁王像(四王の由来)照光寺の仁王像(四王の由来)照光寺の仁王像は2メートルを超える本格的な中世の仏像。言い伝えによると、文明14年(1472)の大洪水で宮川安国寺から流出し、諏訪湖を漂流した後、下諏訪に打ち上げられたという。像は加須加(春日)仏師の作とも、運慶の作とも伝えられている。当初は上座堂という仏堂に安置されていたというが、後に下社神宮寺の仁王門に移された。製作年は14~15世紀とされている。明治維新で廃仏毀釈が行われ、下社神宮寺所蔵の多くの仏像が照光寺に移管された。仁王像が2体打ち上げられたことが四王の由来とされている。由来については諸説ある。下諏訪町誌民俗編に詳細が記載されている。また、位置情報には仁王門のあったと思われる場所を記載した。2023-12-17
4旧あずさ色「特急あずさ」旧あずさ色「特急あずさ」183系旧あずさ色による「特急あずさ」 1992(平成4)年に高原とアルプスをイメージしたものへ塗装変更し、特急のシンボルマークが撤去されている。 諏訪湖上花火大会の臨時列車。2024-02-17
5E233列車E233列車普段はここを走ることのない列車だが諏訪湖上花火大会、新作花火大会では首都圏の列車が臨時で花火客を乗せせて茅野-松本間を走る。 背後に見える「日本電産サンキョー」の看板も2023(令和5)年3月をもって消えた。2024-02-08
6花火列車花火列車諏訪湖祭湖上花火大会開催時は、普段は都心で走行しているれっさyが応援に來る。こちらは中央線快速列車に使用されている201系。 ※ 諏訪湖湖上花火大会も他の花火大会と同様、多数の花火客に対応するため臨時列車が運転されます。 特に諏訪湖湖上花火大会開催時は、周辺に配置されている車両のみでは足りないため、都心で走行している車両も駆けつけます。普段その列車が走行しない地域で運転されるため、その珍しさから多くの鉄道ファンが撮影に訪れます。撮影者も花火打ち上げまで暇つぶしのためしばらくその様子を眺めていました。(百瀬氏)2024-01-28
7儀象堂記念腕時計儀象堂記念腕時計下諏訪駅開業100周年記念に作られた「儀象堂記念入場券腕時計」7月から始まった関連行事、「時の科学館・儀象堂」の記念入場券を兼ねた腕時計の絵柄。 ※「諏訪湖時の科学館儀象堂」(下諏訪町)にて11月30日まで写真展示(140枚)・鉄道グッズ(あずさのヘッドマーク・D51番号板・行き先表示板など)の展示販売。Nゲージ・アニメキャラクターなどの鉄道模型。 また、入場にはD51の写真を文字盤に利用した「腕時計フリーパスポート券」(1500円)で期間中、何度でも入場可能。その他、鉄道時計を展示。〔明治時代のウォルサム(米国)から2000(平成12)年復刻のセイコーまでの25点〕時計のフリーパスポート券は通常価格2500円の商品、かなりお値打ちで記念になりそう。2023-12-17
8D51機関車長野行きD51機関車長野行き中央東線下諏訪赤砂付近。 現在この場所は住宅街になっているが当時は田園風景が広がっていた。 D51824は諏訪湖畔に静態保存され多くの市民に憩いの場として親しまれている。 ※「D51」(1D1型テンダ式 形式D51)貨物用機関車で国産化標準機の第一号として誕生し、1936(昭和11)年~1945(昭和20)年の間に1115両が製造された。 性能は1923(大正12)年、大型貨物用D50の改良形で幹線の貨物列車牽引(けいいん)、勾配(こうはい)線区では客貨兼用で1115両という1形式で最多数のが生産され、標準型・準戦時型・戦時型の3種類があった。 最多の新製両数、輸送の貢献度などから日本蒸気機関車の最高傑作の一つです。 現在文化財として全国各地に保存されている。2023-12-09
9石投げ場を行くC12石投げ場を行くC12雪の日の朝、諏訪湖畔(石投げ場)を行く533回送列車。上諏訪機関区最後のSL仕業、また石投げ場は明治38(1970)年に山崩れががあった。 ※「C12型式SL」(国鉄蒸気機関車C12)は簡易線用として1932年にC10・C11型が進出できない簡易線区で使用することを目的とした小型近代タンク式、線区の建設や完成後の使用を目的とした軽量小型の機関車。 画期的な製造技術を採用し、軸重軽減・製造コスト削減、メンテナンスコスト等も低減した強力な機関車で戦後までの16年間に293両が生産された。2023-11-26
10大雨増水大雨増水令和3年の大雨災害は国道142号線の道路の陥没、水月霊園の土手の崩落などの被害があった。 写真は承知川、砥川の増水の様子、水月霊園の土手の崩落翌日の諏訪湖の増水は赤砂の漕艇場付近の様子、波よけ堤防の上部のみが見えるほど増水した。2023-08-24
11大相撲荒汐部屋夏合宿大相撲荒汐部屋夏合宿大相撲荒汐部屋の下諏訪町での合宿が、コロナ禍を経て4年ぶりに下諏訪南小学校校庭で復活した。荒汐部屋後援会長夫人の藤井明日香さんが下諏訪町出身だった縁で、平成30年(2018年)と平成31年(2019年)に合宿が行われ、翌年には諏訪湖後援会が発足していた。当時は所属力士の蒼国来関(現荒汐親方)と町内の小学校児童との交流が行われた。今回の合宿には関脇の若元春ら力士13人をはじめ、新大関の霧島関も出稽古で訪れた。朝稽古は連日100~200人以上の相撲ファンでにぎわい、多い日には400人に達した日もあった。2023-07-20
12承知川の河川工事承知川の河川工事平成18(2006)年7月19日の豪雨災害後の河川工事の続く承知川。千代田ポンプ付近から諏訪湖に向かっての様子。2023-07-09
13御神渡り御神渡り諏訪湖が全面結氷し寒い夜が続くと、氷の収縮で大音響とともに亀裂が生じ割れ目に沿って氷が盛り上がる。これを御神渡りという。 御神渡は諏訪七不思議の一つとして古くから知られ、諏訪大社の祭神=建御名方命(たけみなかたのみこと)が、上社から下社の妃=八坂刀売命(やさかとめのみこと)のもとへ通われた跡といわれている。 写真は2018年春の様子。2023-01-18
14水神碑水神碑明治39年3月、水上の安全と豊漁を祈り舟泊(ふなと)の口に祀った。碑の裏には漁業を営んでいた旧氏族をはじめ多数の人命が刻まれ、高浜を基地とした漁業の繁栄ぶりが偲ばれる。諏訪湖の埋め立てが次々と進み、湖は遠くなり、碑も二転三転した。2021-12-23
15大権現大権現高浜の宮坂氏宅前に[大権現」と彫られた石碑が祀られている。 この碑は上部にかけがあり文字の一部が見える。 碑には言い伝えが残されている。 それは村の辻の「金毘羅大権現」が明治維新の際二つに折られ高浜に運び諏訪湖に投げ捨てられたその後、ここに住んでいた宮坂氏が引き上げお祀りした。2021-12-23
16藤森稲荷社藤森稲荷社富部稲荷平にある小和田村藤森巻祝神の稲荷社で「小和田のお稲荷さま」と呼び富部村の人々に親しまれていた。 高島藩の藩主より諏訪湖の漁業とこの辺りを網干場として拝領し、藤森巻20軒ほどの守り神として稲荷社を祀った。 今は小和田の所有の畑はないが社は藤森巻で祀っている。御柱祭も旧慣にしたがい湖上を舟で曳いてくる。2021-12-23
17春宮大門南の大灯篭春宮大門南の大灯篭高遠系の石工(横川村の山田金右ヱ門の子、平蔵)の作と刻まれている。文政12(1829)年に作られ、6mの高さがある。当時、灯籠に火が入ると諏訪湖からも見え、人々はこの灯火を目印にしたと伝えられている。2022-03-24
18社中学校社中学校昭和57年(1982年)4月に下諏訪中学校から分かれて開校した下諏訪社中学校。眼下に諏訪湖を望み、遥かに南アルプスと霊峰富士を望める望湖台に建つ。 「絆」を建学の精神とし、学校教育目標「強く、賢く、頼もしく」(平成23年度改定) を掲げている。2022-03-19
19東山田行屋東山田行屋東山田の熊野神社参道の西側にあり、信仰を同じくする人が集まる修験の場であった。この項では、駒ケ岳、御岳、富士山、浅間山、大山など霊山が信仰されている。行屋の東に滝があって水垢離ができるようになっている。しばらく途絶えていた荒神様のお守りが復活し、正月には講の詩損に配られるようになった。 また行屋の前からは諏訪湖の眺望がすばらしく、さらに目をやると富士山、北岳、間ノ岳の日本の山・標高ベスト3を一度に眺めることができる。2022-03-19
20下諏訪港下諏訪港利用が減少した下諏訪港。平成元年の諏訪湖開きの時の下諏訪港の華やかさ(№943)と比較してほしい。近年はワカサギ釣りの穴場として釣り人に人気の場所でもあったが、令和に入ってからは立ち入り禁止になっている。2021-06-23
21諏訪湖公魚発祥の地碑諏訪湖公魚発祥の地碑諏訪藩時代の諏訪湖の漁業は一部の者に限られていたが、明治維新後広く開放され、製糸業の発展に伴い人口が増加し、漁業資源の減少が問題になった。そこで漁業組合は大正4(1915)年から霞ケ浦の公魚を移入し諏訪湖に放流、さらに昭和6(1931)年には人工採卵にも取り組み、全国に出荷するまでになった。写真は承知川河口近くに建てられた記念碑である。近くには「長野県水産試験場」もある。近年はアオコの発生や鳥類の食害、水質の変化など様々な環境の変化の為か、公魚の遡上が激減し、公魚の採卵が大きな曲がり角に立たされている。「ワカサギ」「ワカサギ漁」などで検索し、漁の様子を見ていただきたい。2021-06-23
22石投場・石碑石投場・石碑明治13(1880)年、明治天皇は甲信地方の民情視察を行った。6月24日、石投げ場に車を止められ、諏訪湖の風景をめでられ、漁撈をご覧になられた。この日は小雨であったが、漁師たちは目のした3尺の大鯉を献上したと伝えられている。「石投げ場」の名前は、名前の通り石を投げれば諏訪湖に届くくらいだったところからつけられた名称である。この「明治天皇駐輦(ちゅうれん)の碑」と並んで「南信八名所石投場」の碑も建てられている。2021-06-10
23橋本政屋橋本政屋甲州道中の下諏訪宿と上諏訪宿の間の茶屋として栄えた。表は千本格子で、二階は出梁作りとなっている。諏訪湖を一望でき江戸時代の面影が残る建物。こて絵の力蔵(りきぐら)、高島城より拝領のおひねりの松・石燈など見どころも多い。2021-06-10
24下諏訪町旧艇庫設備下諏訪町旧艇庫設備下諏訪町の漕艇場。艇庫設備は近年新しくなったが、それ以前はこの桟橋までボートを運び、水に下ろしていた。2021-02-23
25諏訪湖で遊ぶ諏訪湖で遊ぶ下諏訪町図書館で忍者の本を借りたら「マキビシ」について説明があったので、諏訪湖に「ひし」を探しに行きました。2021-02-23
26諏訪湖 御神渡り諏訪湖 御神渡り2018年2月にできた御神渡り2021-02-23
27航空写真 四王上空航空写真 四王上空写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。2021-04-18
28オオワシオオワシ「オオワシ」タカ科 全長92cm 翼開長220cm オオワシは日本で一番大きなワシ。 平成11年1月4日諏訪湖で保護され49日間の手厚い介護により体力を回復し、同年2月21日放鳥以後19季連続で諏訪湖へ越冬に飛来。冬の風物詩として「グル」の愛称で大勢の方に親しまれた。2021-03-04
29コハクチョウコハクチョウ「コハクチョウ」カモ科 全長120cm 翼開長177cm 湖沼・川など毎年きまった越冬地へ飛来する。水面をねぐらとしマコモの根などを食べる。春には繁殖地のシベリア極北部へ渡る。諏訪湖に昭和49年11月11日、2羽が飛来以降「冬の使者」「シベリアからの使者」と呼ばれ諏訪湖の風物詩として大勢の方に親しまれている。2021-03-04
30下諏訪小学校下諏訪小学校写真上は下諏訪小学校(現下諏訪南小学校の旧校舎)の校門と玄関。写真下は諏訪湖方面からの撮影、学校のまわりは田んぼに囲まれている。 下諏訪学校の「南校」(低学年)が南四王に開設されたのは大正12(1923)年である。さらに昭和22(1947)年に戦後の新しい戦後教育制度のもと「下諏訪小学校」が発足している。また、児童の増加から昭和46(1971)年には新たに「下諏訪北小学校」が開設され、それまでの「下諏訪小学校」は「下諏訪南小学校」として新しい歴史を刻んできている。2022-01-20
31下諏訪町役場下諏訪町役場旧下諏訪町役場、公民館、「諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館」を経て 現在は「日本電産サンキョーオルゴール記念館・すわのね」になっている。2022-03-19
32諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。2021-12-26
33明治天皇駐輦址明治天皇駐輦址明治13(1880)年、明治天皇は甲信地方の民情視察を行った。6月24日、石投げ場に車を止められ、諏訪湖の風景をめでられ、漁撈をご覧になられた。この日は小雨であったが、漁師たちは目のした3尺の大鯉を献上したという。後日「明治天皇駐輦(ちゅうれん)の記念碑」を建立した。 ちなみに、石投げ場の名前は、ここから石を投げれば諏訪湖に届くところから生まれた名称である。2021-12-26
34石投げ場石投げ場北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。上諏訪方面からSLが煙を出し走っている。№1544の写真と比べると湖畔の整備が進み桜やカリンの並木が整えられ、大きくなっているのがわかる。また線路北側の開発も進んでいる。2020-03-06
35石投げ場石投げ場昭和40(1965)年の北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。埋め立てが終わっているが、湖畔の整備はまだ途中で桜やカリンの並木はもちろん湖畔道路も整備途中で波打っているように見える。2020-03-06
36旧中部電力旧中部電力立町の中部電力㈱下諏訪営業所を、リノベーションをし、現在は「しもすわ今昔館おいでや」(旧諏訪湖時の科学館儀象堂)になっている。工事作業中の写真。この建物の角に「諏訪電気発祥の地」の碑がたてられている。 1枚目の写真はみなと屋側から撮影。奴の看板が見える。2020-03-06
37大社通り大社通り大社通り「有賀商店」。手前の小路は「稲荷小路」。道向かいは諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(旧下諏訪町役場の地旧公民館、現在はオルゴール博物館すわのね)2020-03-06
38大社通り大社通り大社通り有賀商店。右隣は第一交通タクシー。2020-03-06
39高浜付近高浜付近新田中線沿いにあった「サンアイ」・「諏訪湖市場」の看板付近と右手前は高浜運動公園のフェンス。2020-03-06
40下諏訪町上空下諏訪町上空写真中央の白く輝く屋根は荻原製作所(昭和42(1967)年に下諏訪町に移転してきた本社工場、平成29(2017)年に伊那市へ移転。その右にはひかり味噌、左上にジャスコ(イオン)、右上には諏訪湖、右下すみに野球場・陸上競技場が見える。2020-03-06
41高浜公衆トイレ高浜公衆トイレ湖岸に設けられた公衆トイレ。2020-03-06
42コスモス街道コスモス街道「コスモス街道づくり」諏訪湖岸の観光と景観美化を兼ね各種26団体が協賛、町民参加によりコスモスの花で湖岸を美化などを目的に行われた。写真は小学生によるコスモスの定植作業の風景。2020-03-06
43鯉の養殖鯉の養殖網イケスによる鯉の養殖は、諏訪湖漁業振興事業のひとつとして県水産指導所で昭和35(1960)年より「採る漁業から育てる漁業へ」と研究を進めてきたもので昭和39(1964)年に26面の網いけすで事業化した。その後、湊・豊浜区・渋崎・岡谷へと広がっていった。2021-04-01
44諏訪湖氷上会記念写真諏訪湖氷上会記念写真スイス公使 ポール・リッテル夫妻が下諏訪町の諏訪湖氷上会主催のスケート大会に出席された時の記念写真。この年1月14日には英国代理大使ローザ夫妻も下諏訪に来ている。2021-05-11
45諏訪湖のスケート風景諏訪湖のスケート風景諏訪湖のスケート 諏訪中(旧制)の生徒か? 古田明氏寄贈2020-03-06
46冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。2022-05-26
47冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。 二枚目の写真は飛行機を陸に引き上げているようだ。2021-04-15
48スケートスケート右端小口卓穣氏は諏訪湖一周氷滑大会で三連勝した。前列左端 高木幸雄氏 後列 左端 小口義信氏2020-03-06
49スケートスケート「信州諏訪湖上スケート」(絵葉書)、当時のスピードスケート選手。 中村龍雄氏出品。№1362と同じ。2020-03-06
50スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。写真下には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1367と同じ。2020-03-06
51スケートスケート諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。 №4と同じ。2020-03-06
52スケートスケート氷上の整頓(絵葉書)。当時結氷した諏訪湖は軍事訓練の場として使われることもあった。写真後方山肌が見事な段々畑(?)になっている。2020-03-06
53スケートスケート諏訪湖氷上スケート大会(絵葉書)。2020-03-06
54漫画すごろく漫画すごろく「スケーチング漫畫諏語録」。2020-03-06
55スケートスケート冬の諏訪湖。選手のユニホーム・滑るフォーム・よく整備されたスケートリンクなどから大会風景に見えるが。2020-03-06
56スケートスケート冬の諏訪湖。軽装でのスケート風景。スケート靴はフィギュア用に見える。2020-03-06
57スケートスケート冬の諏訪湖。競い合って滑る様子。2020-03-06
58スケートスケート絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。2020-03-06
59スケートスケート絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。2020-03-06
60スケートスケート(冬の諏訪湖)スケートで賑わう諏訪湖氷上。写真の範囲には下駄スケートは見られない。2020-03-06
61スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。資料には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1413、1861と同じ。1961の写真には「箒をもてるはグラウンドの掃除人夫なり」と書きもまれている。2020-03-06
62スケートスケート高浜沖の諏訪湖でスケートを楽しむ人々。2020-03-06
63大鯉大鯉諏訪湖で捕獲された大鯉。昭和18(1943)年3月夜半に諏訪湖中心部の湖底の粗朶(そだ:木の枝のこと)にひそむ大鯉を友之町小口元雄が投網で捕獲。身長4尺(約1m20cm)、胴回り3.5尺(約1m05cm)目方8貫匁(約30kg)。2020-03-06
64諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業沿岸の深さ2m位の湖中へ15~20㎝の角張った石を300~400個ほど入れて丸い塚のように積み上げ、冬ごもりに集まってきた魚を捕る漁法。ヤツカ量は冬の諏訪湖で欠くことのできない漁法だったが昭和40(1964)年代に漁場が護岸工事などで失われ、行われなくなった。諏訪湖ヤツカ漁、全盛期の写真。(ヤツカは屋塚・石塚とも書く)2021-03-24
65キヨメ漁キヨメ漁氷下のキヨメ漁。刺し網の一種。地上のくもの糸やカスミ網のように水中に帯状に屏風のように立て横に長く張っておき、回遊してくる魚を網に絡ませたり、さしたりしてとる。網目の大きさによって捕る魚が異なるが、写真のキヨメの網目は1.5~4cm内外である。高さ50cm~1m、長さ12、3mの網を何枚か継ぎ足して張り、わかさぎ・はや・ひがい・もろ・あかうおを捕る。同じ網でも網目の粗いものは「タケタカ」といって鯉・大ぶな・なまずなどをねらった。2021-04-04
66ナンバナンバ諏訪湖周辺の湿田で昭和初めに、地下足袋、ゴム長靴の出るまで使用された。右が板ナンバ、左が桶ナンバ。泥沼のような水田での作業はいろいろ工夫された農具があった。素足で歩けないので板ナンバや桶ナンバと呼ばれるものも使用した。重い荷物は田舟にのせて運んだ。特に諏訪市の湖岸に多かった。2020-03-06
67天然氷の採氷天然氷の採氷明治39(1906)年12月下諏訪町に諏訪湖天然氷株式会社が創立。手前が採氷作業、向うの湖岸は積み上げてある氷を農家の若者が山車へ満載して下諏訪駅近くの大氷庫へ運ぶところ。溶けない氷として送出先の氷水屋・病室用に喜ばれたが、大正中ごろまでには人造氷の出現で惜しくも衰退した。2020-03-06
68諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業沿岸の深さ2m位の湖中へ15~20㎝の角張った石を300~400個ほど入れて丸い塚のように積み上げ冬ごもりに集まってきた魚を捕る漁法。「ヤツカ漁」は冬の諏訪湖で欠くことのできない漁法だったが昭和40(1964)年代に漁場が護岸工事などで失われ行われなくなった。諏訪湖のヤツカ漁、全盛期の写真。(ヤツカは屋塚・石塚とも書く)2020-03-06
69諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業かぶせ網漁法の一つ、投網をうつ。諏訪湖の投網は使用する場所や漁獲する魚によって大きさや網の目等が異なり種類が多い。また一人でうつ・仲間と集団で追いうちをすることもある。2020-03-06
70諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業貝掻(か)き。淡貝(からすがい)をかく漁具を諏訪湖では「貝かき」と呼ぶ。諏訪湖で取れる貝は蜆(しじみ)・淡貝(からすがい)・たにしなどだが漁獲は蜆が圧倒的に多い。貝かきの道具は蜆じょれんよりやや大型のもの。2021-04-21
71諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業流し針漁。諏訪湖には「流し針」と呼ぶうなぎ漁があった。これは海で行われる「はえなわ」と同じ仕組み。夕方針を流し、翌朝未明にあげるが、流す時刻・水温・場所・により成果は左右された。えさはみみず・ひる・しったか(アブの幼虫)・おけら・やごめ(とうくろ)など様々。2021-04-15
72諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業えび押し漁。藻草の中にいる小エビを専用の道具使う漁法、片手押しと両手押しがある。2021-04-21
73諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業出格子(でごうし)漁。諏訪湖では「ろうや」のことを出格子と呼んでいる。ねらう魚種により大きさや目の巾やつくりが異なる。漁師の手作りなのでそれぞれが工夫を凝らしていた。2020-03-06
74朝日公園から岡谷市街地を望む朝日公園から岡谷市街地を望む昔の岡谷の市街地と製糸工場。諏訪湖と天竜川が見え、岡谷の市街地には黒い煙をあげる煙突が林立し、間に繭倉も見える。撮影は山手町の高台あたりからか、山の斜面は桑の木で埋め尽くされている。2020-03-06
75飛行訓練飛行訓練飛行機の機体下にロープが見える。水上からの離発着を試みているようだ。湖での飛行訓練。 昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。2022-05-21
76飛行訓練飛行訓練湖での飛行訓練。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。2021-12-26
77赤砂飛行場赤砂飛行場赤砂飛行場。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。2021-12-26
78赤砂飛行場赤砂飛行場赤砂飛行場。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。2020-03-06
79砥川河口の橋砥川河口の橋完成した砥川河口橋。橋の右岸(写真左手)にはわかさぎの孵化場がある。当時は左岸に町営プールがあり、その北側にはホテルが3社あった。この橋は湖岸管理道路としての架橋で幅6メートル、長さ32メートル。これに伴い湖岸約1.7キロメートルに高さ1メートルの築堤が始まった。その後この一帯は、赤砂崎公園として多目的グラウンドや多目的広場、ヘリポートなどに再整備されている。2020-03-06
80カワヤナギの並木カワヤナギの並木昔の諏訪湖の汀線に自生したカワヤナギの並木。この辺りは埋め立て前は「ヨナ」などの小魚が遊ぶ美しいなぎさだったという。「ヨナ」はトンコよりやや小さく体長が2cm位の細長い魚。並木の北側にジャンボ滑り台が見えるのは「みずべ公園」。天候がよければ八ヶ岳の裾に富士山が見え、時間によっては湖上で練習に励むボート選手の姿も見える。2020-03-06
81ジョギングロードジョギングロード完成したジョギングロード。埋立地の町道湖岸通り線を5憶3200万円かけて改良した。3m幅のジョギング道・緑地帯・車道・並木・自転車・歩行者道という構成でで22m、道路は整備された。2021-04-01
82舟道舟道富部地区に残っていた舟道と漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1133参照。2020-03-06
83十四瀬川河口十四瀬川河口十四瀬川河口付近の諏訪湖畔。写真正面の船着き場の横に、大正14(1922)年平野村(現岡谷市)小井川部校4年生3名がこの地で遭難したのを慰めるために建立された延命地蔵が祀られ、湖畔を温かく見守っている。2020-03-06
84木村氏木村氏俳誌「夏爐」の発行所。諏訪湖畔四王の里の自宅で来客と話す俳人木村蕪城氏。虚子直門の一人。鳥取県の生まれだが縁あって信州に住むことになって47年になり、、主催する「夏爐」もこの月で473号に達した。句集に『一位』『寒泉』『山容』『走り穂』(前年刊)主がある。俳人協会名誉会員。作品に「大いなる一つ傾く霜がこひ」(「夏爐」十二月号)2020-03-06
85富士遠望(夕景)富士遠望(夕景)東山田から富士遠望(夕景)(信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。 それにしても、中部山岳地帯の盆地の底から、二百キロの彼方の富士山を望見できるというのは、フォッサマグナという大地溝帯(糸魚川静岡構造線)が作り出した特異な景観である。富士山も八ヶ岳も大地溝帯のまん中に噴出した火山で、、諏訪湖はその地溝帯の西縁に沿って走る断層などによって生まれた構造湖なのだという。2020-03-06
86漁業者の家漁業者の家富部地区、漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1174参照。2021-04-01
87砥川先でのウィンドサーフィン砥川先でのウィンドサーフィン湖でウィンドサーフィンを楽しむ若者たち。諏訪湖は午後になると風の出る日が多い。ことに砥川先は風が強く遠浅であるため、ウィンドサーフィンの基地として好適。当時は各地からサーファーが集まってきていた。2020-03-06
88うらかめやうらかめや4階の展望風呂から秋宮の森や諏訪湖が眺められる、江戸時代からの宿「うらかめや」。2020-03-06
89ワカサギの舟釣りワカサギの舟釣り砥川河口のわかさぎ釣り。湖の水温が下がるとわかさぎ釣りのポイントが岸から沖へ移る。10月中旬から最盛期に入り、季節風の吹き出す11月頃まで賑わっていた。2020-03-06
90第一回諏訪湖マラソン第一回諏訪湖マラソン第一回諏訪湖マラソン。湖1周16.7kmのコースで4グループに分かれて行われた。最高記録はゼッケン1番、伊藤国光選手(招待選手)の52分07秒。主催は諏訪圏健康推進協会。ちなみに平成30(2018)年の第30回大会では8000人が参加、日本陸連公式ハーフマラソンコースとなっている。2020-03-06
91最後の専業漁師最後の専業漁師諏訪湖最後の専業漁師藤森さん、赤砂崎、砥川のほとりに住み、漁業一筋に生きてきた69歳(平成元年現在)、湖が自然破壊でだめになり仲間たちは漁業に見切りをつけ転職していった。「埋め立てで湧くように殖えた湖がだめになったという。漁協の稚魚放流をしているが水草帯がつぶされ水生昆虫など魚のえさも少なくなり、水揚げの70%を占めるワカサギも生育が悪い」という。漁は週3日しか許されていない。№1068参照。2021-04-01
92十四瀬川河口十四瀬川河口岡谷市との境、十四瀬川の河口。マコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していた。橋の先に見える舟たまりの横には大正11(1922)年6月に平野村(現岡谷)の小学生が諏訪湖で遭難した霊を慰めるために建てられた延命地蔵が祀られている。2021-04-01
93公共下水道工事公共下水道工事進む公共下水道建設、200mm管渠の敷設工事。諏訪湖流域下水道は、昭和43(1968)年秋に起きた湖水の重金属汚染騒ぎから、政府のてこ入れもあって建設が急がれた。昭和49(1974)年着工、昭和54(1979)年に一部開始された。工業配水も受け入れたため、終末汚泥の処理が悩みの種となっている。この町の下水道普及率はこの年の3月末で79.0%で県下一だった。現在はほぼ100%。2020-03-06
94諏訪湖のアオコ諏訪湖のアオコ古川から流れ出た水が諏訪湖のアオコの中に流れ込んでいる様子。アオコは植物プランクトンで藍藻・珪藻・緑藻など。2021-04-15
95諏訪湖クリーン祭り諏訪湖クリーン祭りみずべ公園のステージを中心に行われた第9回諏訪湖クリーン祭り。2020-03-06
96諏訪湖清掃諏訪湖清掃第9回目「諏訪湖クリーン祭り」湖岸の清掃をする人たち。全町一丸式の運動の形をとって進められている。2020-03-06
97アカウオ釣りアカウオ釣り早朝、市街地の小川(諏訪湖に流れ込む古川の河口近く)へのぼるアカウオを釣る男性。下水道の普及で市街地を流れる川もきれいになり魚たちが戻ってきている。諏訪地方でアカウオと呼ぶのははコイ科の魚で、産卵期になると体が婚姻色で赤みを帯びてくるウグイをさすことが多い。河川に群で上がる姿が見られる。2020-03-06
98鯉養殖の網イケス鯉養殖の網イケス網イケスによる鯉の養殖は、諏訪湖が発祥の地。昭和39(1964)年から下諏訪の漁業者たちによって事業化されたが昭和53(1978)年の104面をピークに減り続け、撮影当時は40面。鯉養殖の網いけすが並ぶ平成元年の諏訪湖。2020-03-06
99望月楼展望風呂望月楼展望風呂望月楼展望風呂。この当時は赤砂崎には「諏訪湖ビューホテル」「諏訪湖プリンスホテル」「望月楼」の3つのホテルがあった。現在は公園や介護施設になっている。2020-03-06
100諏訪湖岸諏訪湖岸連日の猛暑でアオコの湖に。下水道の普及とともに、湖の水質はわずかながら改善されてきているのだが、晴天続きでアオコが急速に増殖し、湖面は緑のペンキのような色になって、岸うつ波もべったりと重い。さらににおいも伴うこともあり目にも鼻にも早い改善が望まれる状態だった。2020-03-06
101「樋門」を新設する工事「樋門」を新設する工事湖へ注ぐ小河川(古川)の河口へ「樋門(ひもん)」を新設する工事。湖の洪水防止のため、護岸提を1mをかさ上げし、さらに川の河口へ樋門造り増水時に逆流するのを防ぐ工事という。将来は樋門へポンプを設ける計画というが、こうした不自然な治水計画に首を傾ける住民が多い。2020-03-06
102砥川の風景砥川の風景立秋、霧ケ峰から諏訪湖へ流れる砥川で「カジカ」を追う子どもたち。砥川の清流と呼ばれてきたが、近頃はだいぶ汚れてきて、「カジカ」はほとんどとれない。河岸の草の穂に秋を感じさせる風景。2020-03-06
103中村製作所中村製作所製糸時代からの鉄工所、今は精密メーカーなどからの注文仕事で忙しい。創業は明治40年頃、製糸工場のボイラーなどを手がけた。「諏訪湖の町の平成元年」には、昭和9(1934)年、室戸台風で倒れた製糸工場の煙突を、たった一昼夜で再建した思い出を、74歳の工場主が話してくれたと解説が書かれている。戦後の一時期スケートのエッジ「N、S、K ローレル クラウン」の製造元として鳴らしたこともある。中村製作所の鉄工所(プレス二次加工)。2020-03-06
104砥川土手砥川土手オオマツヨイグサの咲く砥川の土手。富士見橋付近から諏訪湖方面を写している。2020-03-06
105砥川土手砥川土手砥川の土手富士見橋付近から諏訪湖に向かって撮影。林工業(西弥生町)の看板が見えるが、ここには弥生町にあった旧諏訪女子学園があった。2020-03-06
106諏訪湖の四ッ手網漁諏訪湖の四ッ手網漁諏訪湖の四ッ手網漁。諏訪湖畔で見られるようになったのは戦後のこと。昭和22(1947)年頃上諏訪で始まったようだ。四ッ手網漁は4-8月が好漁期で産卵期に魚が岸辺に寄る頃が良いとされている。近頃では諏訪湖博物館の前で見られるだけになった。2020-03-06
107繭の運搬風景繭の運搬風景軽トラックで中国産の繭を町内倉庫から岡谷の工場へ運ぶ国用製糸業者。国内の繭生産量は昭和12(1937)年をピークに減少、平成元年当時、中国、北朝鮮などから年間約1,500トン輸入しており、この製糸業者も、10年ほど前から入れ始めた中国繭が、今では主体になっているという。「諏訪湖の町の平成元年」の撮影メモから、緑町の斉藤製支店前の撮影と思われる。2020-03-06
108諏訪湖開き諏訪湖開き諏訪湖開き、下諏訪港桟橋へやってきた「ジェットライナーすわこ」。この高速艇、岡谷-上諏訪間の定期航路に就航していた。2020-03-06
109金色のなまず金色のなまず諏訪湖でとれた金色のなまず。3月5日下諏訪町の砥川先でつかまり、諏訪市水族館(湖畔のSLが置いてある辺り)入りしたなまず。黄色の色素が強すぎて黒色の色素がないための現象らしい。「アサヒグラフ」3月24日号「サカナだって金満時代」の見出しの記事とともに紹介、話題を集めた。水族館は現在はなくなっている。2020-03-06
110ワカサギ釣りワカサギ釣り高木大沢川湖岸のワカサギの引っ掛け釣り。産卵期で岸に近づくワカサギを狙うのがこの釣り。結氷湖での穴釣りはこの冬もできずに終わっている。2021-04-01
111高浜より、立春薄氷の湖を望む高浜より、立春薄氷の湖を望む高浜より、立春、薄氷の湖と湖畔の町を望む。この日、-9,0度(平年比2,0度低)と冷え込み、湖は三度目の結氷となったが、昼過ぎには解氷。2月立春となれば、朝の凍みはきつくても、陽は濃くなっていく。2020-03-06
112高木村の風景高木村の風景高木の村内。2020-03-06
113高木村の風景高木村の風景高木の村内。2020-03-06
114湖の至宝、美しい丸太舟湖の至宝、美しい丸太舟湖の至宝、丸太舟。(丸木舟のことを諏訪では丸太舟と呼ぶ。)古代からの「くり舟」の面影を伝える諏訪湖独特の漁舟。「天然のからまつの大木を二つ割りにして、内側をくりぬいたものを船側(ホテ)とし、真中で接いだからまつ板三枚並べの計六枚はぎの船底(シキ)を、特殊な船釘で縫い合わせた造り。ホテが重くて安定性があり、シキのそりに加えてシキに樋型(ヤエン)があるので操縦しやすく、高波にも波負けしない。天候が急変することが多い諏訪湖で、夜間の出漁も多い漁師たちは、ほとんどの者がこの丸太舟を使ってきた。」と諏訪湖の漁具研究家・小林茂樹さんは書いている。湖の至宝ともいえる丸木舟だが、この船を造れる舟大工はもういない。からまつの巨材が得られなくなってからは、ホテの上端へ、ワノセ(上乗せ)と称する板2021-04-15
115昭和最後日の諏訪湖昭和最後日の諏訪湖下諏訪町東赤砂湖畔から東南方、諏訪市方面を望む(湖面の標高759m)この日の午後6時33分、昭和天皇が崩御。天候は曇りから雨に。気温-1.0℃(最低)~10.2℃(最高)暖冬の朝の諏訪湖。2020-03-06
116高木村の風景高木村の風景高木の村の風景。 4枚目の写真は津島神社への登り口。 坂を上った右手には旧第六保育園があった。2020-03-06
117諏訪湖の風景諏訪湖の風景ガラス屋根は「長野県水産試験場諏訪支場アユ種苗センター」隣の赤と緑の看板は「リファイン花岡」、手前が興和自動車販売センター㈱。高浜湾の風景は埋め立てなどにより大きく様変わりしているので、他の写真と比較してその変貌ぶりを見ていただきたい。2020-03-06
118暖冬の街暖冬の街暖冬の町(左手前は施行近い町文化センター)。この日最高気温は10.4度まで上がり春先のよう。この年の1月の平均気温は3月上旬並み。諏訪湖は3年連続御神渡りの見られない明海(あけうみ)に終わった。2020-03-06
119諏訪湖が全面結氷諏訪湖が全面結氷連日の凍みに諏訪湖が全面結氷(砥川先・対岸は岡谷市湊地区)マイナス10度の強い凍み全面結氷し酷寒の地諏訪盆地らしい景色。2020-03-06
120河西製糸所河西製糸所小路の奥に製糸の名残り。昭和34(1959)・35年ころまで操業していた「ヤマカ社河西製糸所」の建物。三協精機の創業者が、昭和23(1958)年の暮れ、この工場の一部を借り受け、旋盤機などをすえつけて旗揚げを図ったが、操業開始の前夜工場を焼失、やむなく諏訪市へ工場を移して創業したというエピソードがあると「諏訪湖の町の平成元年」に紹介されている。2021-04-04
121山王閣屋上からの眺望山王閣屋上からの眺望白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧山ホテル王閣屋上からの町並み。現在建物はなく駐車場になっている。2020-03-06
122山王閣屋上からの眺望山王閣屋上からの眺望白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧「ホテル山王閣」屋上からの町並み。現在建物はなくなり駐車場になっている。2020-03-06
123みぞれ降る町みぞれ降る町みぞれでひと足の途絶えた夜の街、南岸低気圧によるカミ雪(県下北部に多い降雪が春が近づいた頃県下南部に降る雪のこと)で、中南部を中心に大雪となった。高地の諏訪湖周辺がなぜかみぞれ。春の前ぶれカミ雪がひと月以上も早く訪れるのは異変。2020-03-06
124諏訪湖岸諏訪湖岸諏訪湖岸 コンクリートで固められていたあ2020-03-06
125ワカサギ採卵風景ワカサギ採卵風景砥川採卵組合のワカサギ採卵作業。採卵受精後木枠(卵わく)のシュロゲヘ卵を付ける作業。ワカサギはキュウリウオ科の魚で口に歯があり動物プランクトンを主食とするので、富栄養湖の諏訪湖に移植され好成績をあげた。この魚は年魚で10ヶ月で成魚になり翌春産卵のため、河川の水温が諏訪湖の水温より高くなれば河川にのぼり始める。2020-03-06
126ワカサギ採卵風景ワカサギ採卵風景砥川採卵組合のワカサギ採卵作業、暖冬のため三年続きの不振、採卵量は約10億粒と極端にすくなく県外湖沼へも打撃をあたえた。諏訪湖の採卵・孵化事業は長野県水産試験場諏訪市部の指導者によって昭和6(1931)年から六斗川ではじめ、昭和31(1956)年からは砥川でも始めている。 №742~747関連写真参照。2021-04-01
127ワカサギの採卵場の池ワカサギの採卵場の池砥川採卵場の池。昭和31(1956)年に諏訪湖漁協の有志が砥川河口でワカサギの採卵を始めた。砥川河口で捕獲されたワカサギは採卵・受精され池の中で孵化を待つ。卵は約20日間で発眼し一週間後に孵化するので、その間に県内外に出荷する。写真は採卵・受精した卵を卵枠のシュロ毛につけて池に浸けている風景である。2021-04-01
128旧高木温泉旧高木温泉旧高木温泉は湖中「カマアナ」から「かずさ堀り(車付きのやぐらを使う掘さく法)」で大正14(1925)年掘さくし、諏訪湖畔波打ち際に区民が温泉協同組合を組織、出資し共同浴場を造り引湯した。このもと区営浴場、湖の波打ち際近くにあって村民に親しまれた。この区には二つの区営湖畔浴場があり、赤彦の歌にも詠まれれて居る。その後、湯温が下がり昭和47(1972)年諏訪市境に新たな源泉を掘り家下地籍に移した。昭和30(1955)年代から湖岸の埋め立てが行われ、湖畔の旧高木温泉は払い下げられ、精密部品工場になった。2020-03-06
129ワカサギ釣りワカサギ釣り風が冷たい岸辺でワカサギの引っ掛け釣り。産卵期で岸へ近づくワカサギを狙う。2021-04-01
130砥川先砥川先昭和38(1963)年撮影の砥川先の風景。2020-03-06
131諏訪湖遠景諏訪湖遠景大正元年の撮影。諏訪湖遠望。2020-03-06
132下諏訪全景下諏訪全景中央の森が青塚、左の森が秋宮。砥川が諏訪湖に突き出たように中洲をつくっている。2020-03-06
133中部電力株式会社(特級)営業所中部電力株式会社(特級)営業所昭和26(1951)年中部電力下諏訪営業所となり、昭和40(1965)年11月鉄筋コンクリートの新社屋に改造される。 平成8(1996)年諏訪湖時の科学館儀象堂に改築され、現在は「しもすわ今昔館おいでや」として下諏訪町観光の拠点となっている。2020-03-06
134水月園より諏訪湖を望む水月園より諏訪湖を望む萩倉合名会社を中心に水月園より下諏訪町を望む。萩倉合名会社(現小口克郎氏宅上)萩倉の製糸創業は明治11(1888)年篠藤・小河原氏等が機械製糸を繰業し中山道による物流(鉄道未施工),豊富な森林資源、用水の便などにより発展した。しかし明治30年代の石炭の利用、明治35(1902)年の篠ノ井線の開通、明治38(1906)年中央東線が岡谷駅まで開通、森林資源の枯渇等により立地条件が逆転し明治38(1905)年春宮下へ移転し萩倉での製糸は終止符を打った。2020-03-06
135下諏訪町明細全図下諏訪町明細全図「官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図」当時の下諏訪市街地図。  明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。  御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。2020-03-06
136建設途中の山王閣建設途中の山王閣山王台に竣工した国民宿舎山王閣。手前に手入れの行き届いた桑畑が残っているのがわかる。№520,521と比較して見ていただきたい。2020-03-06
137建設途中の山王閣建設途中の山王閣建設工事中の山王閣。秋宮南隣りの神宮寺大坊跡から裏側を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №520,525と比較して見ていただきたい。2020-03-06
138山王閣山王閣国民宿舎山王閣を秋宮側からその正面を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №521,525と比較して見ていただきたい。2020-03-06
139博物館博物館昭和46(1971)年4月1日高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての下諏訪町立博物館が開館。諏訪湖の漁具、先史時代から現代までの歴史資料が展示、二号館にはスケート及び民具を展示していた。2020-03-06
140山王閣山王閣山王閣(久保海道方面からの撮影)左手の平屋の建物は諏訪湖が一望できる大浴場。武居源湯から引湯。2020-03-06
141四阿屋(あづまや)四阿屋(あづまや)明治25年、紫庭庵金桃(本名小口正衛 安政6年生まれ第2代村長・第5代町長)が武居の雨後庵町長の庭先へ四阿(あづまや)を建てる。この四阿は郡内の俳人を読んで句会開催するため、諏訪湖を一望できる武居の高台に建てたもの。 俳人金桃らもしばしば句会開いた武居の雨後庵前の四阿屋(あずまや)。2020-03-06
142砥川改修前の天井川砥川改修前の天井川砥川改修前の天井川。 「諏訪湖の研究」からの複写と思われる。2020-03-06
143亀屋より鵞湖を望む亀屋より鵞湖を望む下諏訪金松堂発行の絵葉書、「下諏訪亀屋三階ヨリ鷲湖ヲ望ム」。鷲湖とは諏訪湖の別称で、慈雲寺を開いた一山一寧のふるさとの湖の名にちなんでつけたとされる。手前右に綿の湯付近にあった火の見やぐら、左の端に大木があり専女のけやきのようだ。2020-03-06
144英国大使スケート英国大使スケート絵葉書「(諏訪ノスケート)英国大使スケート」。白い煙をたなびかせて汽車が通り過ぎる。大使夫妻と思われる二人の前でフィギュアスケートに興じる男性、その向うに着物姿の人々がスケートを楽しんでいる。2020-03-06
145富岳を望む富岳を望む絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖より富岳を望む」。上川付近。 ボートを漕いでいる様子から当時の諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒のようだ。2020-03-06
146舟遊び舟遊び絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖辺衣ヶ崎にて舟遊び」。石垣や鳥居が見える。2020-03-06
147ボートレースボートレース絵葉書(諏訪名所)諏訪湖上のボートレース。上川付近富士山も見える。ボートを漕いでいるのは諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒と思われる。2020-03-06
148諏訪湖上のスケート諏訪湖上のスケート絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖上のスケート」。フィギュアスケートをしている。2020-03-06
149諏訪湖の夕照諏訪湖の夕照絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖の夕照」。諏訪八景に「高浜夕照」の一節があるが、それを思わせる。2020-03-06
150渡舟場渡舟場絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖渡舟場」2021-04-06
151遊船所遊船所絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖畔鶴遊館前遊船所」。観光用の遊船に混じり漁師の漁船も繋留している。現湖岸通り付近の桟橋。2021-04-15
152諏訪湖諏訪湖絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖畔鶴遊館前湖上」。護岸工事がなされていない諏訪湖畔。現湖岸通り付近の桟橋。2020-03-06
153漁船漁船絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖上衣ヶ崎の漁船」。諏訪八景にある「衣崎帰帆」の風景がしのばれる絵葉書である。2021-04-06
154回遊船回遊船絵葉書「諏訪湖ノ回遊船」 湖畔に見える建物は鶴遊館。2020-03-06
155諏訪湖高浜湾諏訪湖高浜湾絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖高浜湾」。国道と中央東線(汽車が走る)が湖岸近くを走り、湖面との間には畑が一面続き、富士山を遠望する風景。2020-03-06
156諏訪湖付近の富士諏訪湖付近の富士絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖付近の富士」2020-03-06
157スケートスケート和装と洋装の男性が革のスケート靴、和装の男性は下駄スケートを履いている。2020-03-06
158スケートスケート諏訪湖でスケートを楽しむ男性。後ろに手持ち帆が見える。2020-03-06
159氷上セーリング氷上セーリング氷上セーリング(手持ち帆)。 革のスケート靴を履いている。2021-03-27
160スケートスケート諏訪湖でスケートを楽しむ男性。2020-03-06
161スケートスケート革のスケート靴をはいて滑る男性。2021-03-27
162石投げ場石投げ場石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が変化し運動公園ができ湖岸道路もある。№425と比較するとその変化がよくわかる。2020-03-06
163石投げ場より石投げ場より石投げ場から諏訪湖を望む。こののち埋め立てが行われ景色は一変する。国道と並行して中央東線を蒸気機関車が走る。№426と比較するとその変化がよくわかる。2020-03-06
164高浜の信号高浜の信号国道20号から湖岸道路へ行く高浜の信号付近。2020-03-06
165西高木より諏訪湖を望む西高木より諏訪湖を望む西高木から望む諏訪湖(現諏訪湖博物館辺り)。後ろにスペアータイヤを積んだボンネットバスが2台見える。2020-03-06
166諏訪湖畔諏訪湖畔現博物館(裏手)を国道側から見たところ。2020-03-06
167諏訪湖畔諏訪湖畔諏訪湖畔。現在の諏訪湖博物館付近の風景。2020-03-06
168高浜高浜高浜。ここに温泉湧出し、旅館街があった。眺望のよさは諏訪湖周辺随一で、附近に舟遊場・釣り堀・温泉プール、水族館等があった。後ろには懐かしいボンネットバスが停まっている。 看板は「高浜釣堀」。2020-03-06
169高浜湾高浜湾高浜湾の風景。湖岸の道路に柳の木が見える。2020-03-06
170高浜高浜今はなつかしい、諏訪湖の遠浅の湖岸。 付近に温泉が湧出し、旅館街があった。また温泉プール・釣り堀・水族館もこの付近にあった。2020-03-06
171石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が大きく変化した。運動公園ができ湖岸道路もできている。 №409の写真と比較すると変化がよくわかる。2020-03-06
172石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から望む諏訪湖。湖岸が国道付近にある。2020-03-06
173下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。手前下に信金御田町支店、JUSCOの赤い看板や下諏訪南小学校も見える。また諏訪湖の対岸に上川の橋も見える。2020-03-06
174下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。写真手前の左側の建物は片倉製糸、右側が入一製糸、左端の樹木は秋宮の森、その隣が現下諏訪中学校。2020-03-06
175旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。現在は日本電産サンキョーオルゴール館として利用されている。役場庁舎は昭和45(1970)年にさらに西鷹野町の現庁舎へ新築再移転している。2020-03-06
176旧下諏訪町役場棟上旧下諏訪町役場棟上明治7(1974)年に下諏訪村成立した。旧本陣、下諏訪学校、来迎寺と仮役場を移転し青塚東方に新役場ができた。さらに大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。博物館の写真では、大正13(1924)年11月25日検査執行となっている。落成は翌大正14(1925)年7月18日である。2020-03-06
177空から見た下諏訪・諏訪湖空から見た下諏訪・諏訪湖航空写真。冬の諏訪盆地。 富士山や八ヶ岳、赤砂先、下諏訪の街並みなどがわかる。2020-03-06
178片倉館片倉館片倉館。大正から昭和初期に製糸業で栄えた片倉財閥が、創業50周年記念に二代目片倉兼太郎により、片倉財閥関係者のみならず地域住民の厚生と社交の場として昭和3(1928)年に建てられた。 会館、浴場、渡廊下の3棟が国指定重要文化財に指定されている。特に千人風呂と呼ばれる大浴場が特徴で、深さ1.1メートルもあり底の玉砂利が足の裏を心地よく刺激する。 同敷地内に諏訪市美術館がある。2021-04-01
179片倉館片倉館片倉館は片倉紡績(株)により御大典奉祝や片倉創立50周年を背景に製糸工場従業員の福祉施設として昭和3(1928)年、建設。総工費80円余り。一度に1000人入れる「千人風呂」があり、休みの日には従業員たちが岡谷から船に乗ってやってきたという。一般の人たちにも解放され建物は国指定重要文化財に指定されている。当時の入浴料は2銭だった。2020-03-06
180風薫る高浜湾風薫る高浜湾写真の説明に、「風薫る高浜湾」の文字がある。昭和6年度町勢覧に同様の写真がある。2020-03-06
181諏訪湖畔諏訪湖畔昭和53(1978)年開催のやまびこ国体の漕艇会場が諏訪湖下諏訪湖畔と決まり、新たに湖浜地区に漕艇場及及び漕艇湖及び艇庫が建設されることになった。下諏訪漕艇場では南風による波浪の影響があった。国体の臨時措置として矢板を水面から70cmほど頭を出し2800枚の鋼矢板を長さ1100mにわたって打ち込み漕艇場を外湖と遮断した。強風にもほとんど影響を受けず競技が行われた。矢板は競技終了後取り外された。2020-03-06
182高浜埋立高浜埋立埋立工事に入る直前の高浜湾の風景。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
183高浜埋立高浜埋立高浜湾遠望。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
184高浜埋立高浜埋立埋め立て中の高浜湾。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
185諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2021-04-21
186諏訪湖 のボート諏訪湖 のボート手漕ぎボートと足漕ぎボートが見える。2020-03-06
187諏訪湖の足こぎボート諏訪湖の足こぎボートボートの赤い座席が見える。2020-03-06
188水草の除去水草の除去水草を除去する漁業者。2020-03-06
189諏訪湖畔諏訪湖畔諏訪湖畔。2020-03-06
190諏訪湖のアオコ諏訪湖のアオコアオコ1や水草が目に付く諏訪湖畔。2020-03-06
191諏訪湖の観光ボートとアオコ諏訪湖の観光ボートとアオコ湖面にはアオコばかりでなくゴミも漂う。2020-03-06
192諏訪湖畔の観光ボート諏訪湖畔の観光ボート「すわこえん」と書かれた観光ボート。 湖面がアオコでどろんとして見える。2021-12-26
193航空写真  赤砂崎付近航空写真  赤砂崎付近空から見た諏訪湖。赤砂崎、漕艇場を望む。2020-03-06
194航空写真 砥川河口付近 航空写真 砥川河口付近 空から見た諏訪湖。赤砂崎、漕艇場を望む。2020-03-06
195航空写真 漕艇場付近航空写真 漕艇場付近空から見た諏訪湖。漕艇場。2020-03-06
196航空写真 下諏訪町市街地航空写真 下諏訪町市街地空から見た下諏訪町と諏訪湖。写真右下に漕艇場が見える。昭和52(1977)年当時は西大路通りがまだできていないのと同様諏訪湖の湖周道路も未完成である。2020-03-06
197高浜湾高浜湾諏訪湖で網いけす養鯉業がはじまったのは昭和39(1964)年。その頃の諏訪湖岸(高浜湾)の風情が感じられる写真。2021-03-24
198諏訪湖氾濫諏訪湖氾濫昭和36(1961)年の集中豪雨で氾濫した時の諏訪湖。写真手前の上諏訪側の湖岸はかなり水につかっている。特に諏訪湖の南側は諏訪湖が広がったように見える。また下諏訪高浜や高木と思われるあたりの湖岸も水に浸かっている様子が遠望できる。下諏訪町第三区の年表(近現代)には「6月28日、豪雨で十四瀬川氾濫、西赤砂4戸床上浸水、30余戸床下浸水の被害を受ける」とある。また、諏訪市史には「諏訪市の被害は浸水家屋2,680戸、橋梁流失5、浸水日数8日」と記載されている2020-03-06
199宅地化する前の湖浜地区宅地化する前の湖浜地区富部山の手から撮影。冬の高浜湾。2020-03-06
200宅地化する前の湖浜地区宅地化する前の湖浜地区上空から見た下諏訪南小学校。旧木造校舎、旧講堂、旧小体育館、50Mプールも見える。校舎から諏訪湖畔までは水田が広がっている。2020-03-06
201学校プール学校プール学校プールが建設され昭和38(1963)年開場となった。 小プールの完成は翌年昭和39(1964)年である。 南側は諏訪湖まで見渡す限り田んぼであった。2020-03-06
202高浜プール高浜プール各区対抗で行われた町民水泳大会の様子で、場所は旧高浜プール(現在の県水産試験場の孵化場付近)。 プールの背景は、左に高浜湾(諏訪湖)、奥には高浜温泉旅館、プールの奥には石置屋根も懐かしい建物が見える。プールの右には富部新道と国道20号が見える。2021-12-15
203製糸の町岡谷製糸の町岡谷満面に水をたたえた天竜川。明治後期の釜口橋付近で、橋脚が補強されている。 大きな繭倉が建てられ、工業地帯に変貌しようとしている。2020-03-06
204製糸の町岡谷製糸の町岡谷天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。2020-03-06
205製糸の町岡谷製糸の町岡谷天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。製糸工業全盛期「岡谷の千本煙突」・「岡谷のスズメは黒い」など言われることもあった。 天竜川河岸に水車と思われるものが写っている。2020-03-06
206石投場から望む冬の諏訪湖石投場から望む冬の諏訪湖石投場から高木-上諏訪を望む。  高木地区、田中和男氏撮影。2020-03-06
207石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木-上諏訪を望む。 2020-03-06
208諏訪湖一周スケート大会諏訪湖一周スケート大会明治38(1905)年中央線開通とともに在京中の各国大公使が盛んにスケートに来湖するようになった。 第1回諏訪湖一周スケート大会の模様を記録した写真、背後に中央線を走る汽車も見える。 明治41(1908)年2月2日、下諏訪町諏訪湖氷辷会主催、南信日日新聞社後援「諏訪湖一周氷辷大会」が諏訪湖高浜湾氷辷場を基点に花岡・上諏訪の三角コースで行われれた。日本初の「スピード競技大会」で、大成功を収めた。この日は東京方面から団体客が乗り込み、東京大新聞記者が多数乗り込んできて、大変な賑わいであった。2020-03-06
209尾掛松(杉の木神社)尾掛松(杉の木神社)絵葉書になった「尾掛松」。古代の「松之木湛(たたえ)」神事の地と伝えられている。「湛」とは「たたり」のことで、尾掛松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものである。「杉の木様」とも呼ばれていた。 樹種はヒノキ科ビャクシンで、住民はもとより甲州道中を旅する人も参拝したという。 また諏訪湖上で漁をする人の目印の巨木でもあったが、枯れ死していたので、平成16(2004)年1月に安全上の配慮から伐採され幹だけが残る。 この尾掛松には諏訪明神様が出雲出へ掛けた時、竜神が頭だけ出したので、他の神様が尾はどこにあるのか聞いたところ、「尾は(大和)諏訪湖のそばの高い木(高木)に掛けてある」と答えたことから、それが大和・高木の地名の起源と伝えられている。なお地名の語源には諸説あります。現在は「杉の木神社」2020-03-06
210殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査殿村遺跡緊急発掘調査作業の様子。昭和23(1948)年6月、地主の長崎氏が耕作中、地中からほぼ完形の土器がでてきて、今井広亀氏及び下諏訪史談会会員の主唱により発掘調査をした。住居跡の発見の他、石錘(すい)や土錘が出土し諏訪湖で漁業をしていた様子が分かる。その他石鏃(ぞく)、石匙(さじ)、打石斧(せきふ)などの石器や、復元して完全になった壺や顔面把手付の土器も見つかており、縄文中期の貴重な遺跡である。昭和29(1954)年に発見さた第三号竪穴には復元上屋がかけられた。2020-03-06
211片倉組丸六製糸場片倉組丸六製糸場明治42(1909)年片倉組丸六製糸場で下諏訪町における創業10周年記念祝賀会当日に撮影された写真。手前の道は花見新道(御作田社より上にある道)大八車の轍が線路のように残っている。右手前の木は御作田社、左中ほどの町並みは湯田仲町、左遠方の高い建物は中学校の塔、間に見える畑は桑畑で当時は多く見られた。後方にはうっすら白く諏訪湖が広がっている。2020-03-06
212石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木・上諏訪方面へ諏訪湖を望む。富部から高木(殿村遺跡)は「うばのふところ」と言われ一日中陽が当たる暖かいところで、桜は石投げ場が1番、慈雲寺が2番に咲くといわれていた。走行するボンネットバスは、丸Sバス。諏訪湖の対岸に遠く片倉館が見える。当時の絵葉書(高浜湾の勝景)である。2020-03-06
213秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク諏訪湖の結氷期が1月上旬~2月下旬のため、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮し、明治40年(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。2020-03-06
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