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写真タイトル説明登録日
1水神碑水神碑明治39年3月、水上の安全と豊漁を祈り舟泊(ふなと)の口に祀った。碑の裏には漁業を営んでいた旧氏族をはじめ多数の人命が刻まれ、高浜を基地とした漁業の繁栄ぶりが偲ばれる。諏訪湖の埋め立てが次々と進み、湖は遠くなり、碑も二転三転した。2021-12-23
2大権現大権現高浜の宮坂氏宅前に[大権現」と彫られた石碑が祀られている。 この碑は上部にかけがあり文字の一部が見える。 碑には言い伝えが残されている。 それは村の辻の「金毘羅大権現」が明治維新の際二つに折られ高浜に運び諏訪湖に投げ捨てられたその後、ここに住んでいた宮坂氏が引き上げお祀りした。2021-12-23
3藤森稲荷社藤森稲荷社富部稲荷平にある小和田村藤森巻祝神の稲荷社で「小和田のお稲荷さま」と呼び富部村の人々に親しまれていた。 高島藩の藩主より諏訪湖の漁業とこの辺りを網干場として拝領し、藤森巻20軒ほどの守り神として稲荷社を祀った。 今は小和田の所有の畑はないが社は藤森巻で祀っている。御柱祭も旧慣にしたがい湖上を舟で曳いてくる。2021-12-23
4春宮大門南の大灯篭春宮大門南の大灯篭高遠系の石工(横川村の山田金右ヱ門の子、平蔵)の作と刻まれている。文政12(1829)年に作られ、6mの高さがある。当時、灯籠に火が入ると諏訪湖からも見え、人々はこの灯火を目印にしたと伝えられている。2022-03-24
5社中学校社中学校昭和57年(1982年)4月に下諏訪中学校から分かれて開校した下諏訪社中学校。眼下に諏訪湖を望み、遥かに南アルプスと霊峰富士を望める望湖台に建つ。 「絆」を建学の精神とし、学校教育目標「強く、賢く、頼もしく」(平成23年度改定) を掲げている。2022-03-19
6東山田行屋東山田行屋東山田の熊野神社参道の西側にあり、信仰を同じくする人が集まる修験の場であった。この項では、駒ケ岳、御岳、富士山、浅間山、大山など霊山が信仰されている。行屋の東に滝があって水垢離ができるようになっている。しばらく途絶えていた荒神様のお守りが復活し、正月には講の詩損に配られるようになった。 また行屋の前からは諏訪湖の眺望がすばらしく、さらに目をやると富士山、北岳、間ノ岳の日本の山・標高ベスト3を一度に眺めることができる。2022-03-19
7下諏訪港下諏訪港利用が減少した下諏訪港。平成元年の諏訪湖開きの時の下諏訪港の華やかさ(№943)と比較してほしい。近年はワカサギ釣りの穴場として釣り人に人気の場所でもあったが、令和に入ってからは立ち入り禁止になっている。2021-06-23
8諏訪湖公魚発祥の地碑諏訪湖公魚発祥の地碑諏訪藩時代の諏訪湖の漁業は一部の者に限られていたが、明治維新後広く開放され、製糸業の発展に伴い人口が増加し、漁業資源の減少が問題になった。そこで漁業組合は大正4(1915)年から霞ケ浦の公魚を移入し諏訪湖に放流、さらに昭和6(1931)年には人工採卵にも取り組み、全国に出荷するまでになった。写真は承知川河口近くに建てられた記念碑である。近くには「長野県水産試験場」もある。近年はアオコの発生や鳥類の食害、水質の変化など様々な環境の変化の為か、公魚の遡上が激減し、公魚の採卵が大きな曲がり角に立たされている。「ワカサギ」「ワカサギ漁」などで検索し、漁の様子を見ていただきたい。2021-06-23
9石投場・石碑石投場・石碑明治13(1880)年、明治天皇は甲信地方の民情視察を行った。6月24日、石投げ場に車を止められ、諏訪湖の風景をめでられ、漁撈をご覧になられた。この日は小雨であったが、漁師たちは目のした3尺の大鯉を献上したと伝えられている。「石投げ場」の名前は、名前の通り石を投げれば諏訪湖に届くくらいだったところからつけられた名称である。この「明治天皇駐輦(ちゅうれん)の碑」と並んで「南信八名所石投場」の碑も建てられている。2021-06-10
10橋本政屋橋本政屋甲州道中の下諏訪宿と上諏訪宿の間の茶屋として栄えた。表は千本格子で、二階は出梁作りとなっている。諏訪湖を一望でき江戸時代の面影が残る建物。こて絵の力蔵(りきぐら)、高島城より拝領のおひねりの松・石燈など見どころも多い。2021-06-10
11下諏訪町旧艇庫設備下諏訪町旧艇庫設備下諏訪町の漕艇場。艇庫設備は近年新しくなったが、それ以前はこの桟橋までボートを運び、水に下ろしていた。2021-02-23
12諏訪湖で遊ぶ諏訪湖で遊ぶ下諏訪町図書館で忍者の本を借りたら「マキビシ」について説明があったので、諏訪湖に「ひし」を探しに行きました。2021-02-23
13諏訪湖 御神渡り諏訪湖 御神渡り2018年2月にできた御神渡り2021-02-23
14航空写真 四王上空航空写真 四王上空写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。2021-04-18
15オオワシオオワシ「オオワシ」タカ科 全長92cm 翼開長220cm オオワシは日本で一番大きなワシ。 平成11年1月4日諏訪湖で保護され49日間の手厚い介護により体力を回復し、同年2月21日放鳥以後19季連続で諏訪湖へ越冬に飛来。冬の風物詩として「グル」の愛称で大勢の方に親しまれた。2021-03-04
16コハクチョウコハクチョウ「コハクチョウ」カモ科 全長120cm 翼開長177cm 湖沼・川など毎年きまった越冬地へ飛来する。水面をねぐらとしマコモの根などを食べる。春には繁殖地のシベリア極北部へ渡る。諏訪湖に昭和49年11月11日、2羽が飛来以降「冬の使者」「シベリアからの使者」と呼ばれ諏訪湖の風物詩として大勢の方に親しまれている。2021-03-04
17下諏訪小学校下諏訪小学校写真上は下諏訪小学校(現下諏訪南小学校の旧校舎)の校門と玄関。写真下は諏訪湖方面からの撮影、学校のまわりは田んぼに囲まれている。 下諏訪学校の「南校」(低学年)が南四王に開設されたのは大正12(1923)年である。さらに昭和22(1947)年に戦後の新しい戦後教育制度のもと「下諏訪小学校」が発足している。また、児童の増加から昭和46(1971)年には新たに「下諏訪北小学校」が開設され、それまでの「下諏訪小学校」は「下諏訪南小学校」として新しい歴史を刻んできている。2022-01-20
18下諏訪町役場下諏訪町役場旧下諏訪町役場、公民館を経て、「諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館」を経て 現在は「日本電産サンキョーオルゴール記念館・すわのね」になっている。2022-03-19
19諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。2021-12-26
20明治天皇駐輦址明治天皇駐輦址明治13(1880)年、明治天皇は甲信地方の民情視察を行った。6月24日、石投げ場に車を止められ、諏訪湖の風景をめでられ、漁撈をご覧になられた。この日は小雨であったが、漁師たちは目のした3尺の大鯉を献上したという。後日「明治天皇駐輦(ちゅうれん)の記念碑」を建立した。 ちなみに、石投げ場の名前は、ここから石を投げれば諏訪湖に届くところから生まれた名称である。2021-12-26
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