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登録リスト(該当:72件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
御湖鶴・世界一の称号
令和3年(2021)、世界最大級のワイン品評会(International Wine Challenge)の日本酒部門で「チャンピオン・サケ」を受賞し、7月5日に諏訪御湖鶴酒造でセレモニーが行われた。受賞酒の「御湖鶴純米吟醸山恵錦」は、長野県で開発された酒造好適米「山恵錦」を使用。主催者は「フルーツを想わせる香りが際立ち、繊細でまとまりのある舌ざわり」と評価された。諏訪御湖鶴酒造所は一時途絶えたが、コロナ化に立ち向かい、復活から3年で世界一の称号を手に入れた。ちなみに御湖鶴再建には福島県の磐栄運送が当たっている。
2022-01-13
2
博愛館
自由民権運動・青年会の活動が活発になった明治の時代、活動の拠点となる場所を求めるこえが強くなり、他の地区でも新しい集会所が次々に建てられた。神風社(青年会)の建議を受け明治40(1907)年5月に落成した。総工費1343円、全額区民95戸の寄付金で賄われた。 現在建物はなく駐車場になっている。
2021-12-23
3
大権現
高浜の宮坂氏宅前に[大権現」と彫られた石碑が祀られている。 この碑は上部にかけがあり文字の一部が見える。 碑には言い伝えが残されている。 それは村の辻の「金毘羅大権現」が明治維新の際二つに折られ高浜に運び諏訪湖に投げ捨てられたその後、ここに住んでいた宮坂氏が引き上げお祀りした。
2021-12-23
4
萩倉水車小屋
萩倉で製糸業が始められたのは明治11(1878)年のことである。燃料の薪の確保が容易だったことや中央線開通前で、信越線大屋駅から和田峠を越えて運ばれてくる原料繭の入手に便利な立地だったことにあわせ、動力源であった水車を回す豊富な水利があったことが指摘されている。写真は当時の水車を復元したものでバスの待合所にもなっている。後ろの鳥居は米守(よねかみ)神社の入り口である。
2022-03-24
5
本陣跡
下諏訪宿本陣遺構。本陣は最初小口氏が務めたが、のち岩波氏に代わった。文久元(1861)年の図面では、建屋280坪、建物並びに庭545坪、畳数232畳、総坪825坪と記されている。現在の本陣遺構とホテル聴泉閣かめやを合わせた敷地にあたる。 本陣の業務は大名・幕府役人の宿泊であるが、運営の費用は問屋業の収益でまかなわれた。
2022-03-19
6
天龍道人の墓
天龍道人は現在の佐賀県の鹿島藩の家老板部氏に生まれ、長じて京に出て勤王運動に身を投じた。まだ機の熟さないことを察して諏訪に逃れ、塩諏訪に居を構えて風雅な生活を送った。絵は葡萄・鷹が有名である。天龍道人は晩年に自署しこの墓碑を土田墓地に建てたと言われる。
2021-06-03
7
休石
中央東線の線路沿いに残る休石。かつて農作業等で田んぼなどに運ぶ刈敷、あるいは田圃から籾などを運ぶ時。この石の上に重い荷物を乗せ一休みするところから、この名がついたと思われる.こうした「休石」のような石は、下諏訪町以外にも諏訪各地に点在する。
2021-06-03
8
下諏訪町旧艇庫設備
下諏訪町の漕艇場。艇庫設備は近年新しくなったが、それ以前はこの桟橋までボートを運び、水に下ろしていた。
2021-02-23
9
ホトトギス
園芸種のホトトギスも、精妙な花構造で、昆虫がどう花粉を運ぶか要観察。
2020-09-09
10
マムシグサ
これは雌性期(シセイキ)。 仏炎苞(ブツエンホウ)の下部は閉じていて、花粉を運んだ虫たちも閉じ込められる。
2020-09-09
11
御田町商栄会富士講
1「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」関連写真。 1枚目は七合五尺、3枚目は須走登山口での記念写真。。
2022-01-16
12
武運長久祈願
「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」と書かれている。 1928~1932は御田町商業会富士講関連。
2022-01-16
13
運動会
昭和29年、清水町大運動会。
2022-03-13
14
旧和田峠トンネル工事
(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)
2020-08-02
15
和田峠の切通し工事
明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。
2023-04-15
16
片倉製糸の運動会
昭和10年頃の写真で、片倉製糸の運動会と記録されている。写真右下のオルガンに合わせて若い女性(女工)が裸足で集団演技をしている。万国旗の中心に飛行機の模型がつるされ、垂れ幕には「皇国興廃此一戦在女□□子一層奮励努力せよ」(日露戦争の時の日本海海戦時のスローガンをもじっている)と書かれ、戦時色が色濃く出ている。
2022-06-09
17
元綱
山出し祭の綱上げ風景、綱を運ぶ氏子たち。 法被の襟に下諏訪町の文字が見える。
2023-04-06
18
高浜付近
新田中線沿いにあった「サンアイ」・「諏訪湖市場」の看板付近と右手前は高浜運動公園のフェンス。
2020-03-06
19
荷馬車
この写真は和田峠を越えて戦後の買出し風景。荷馬車で荷を運搬、荷車の端に信号が写っている。また、はっぴの襟に高木石工場の文字が読める。
2020-03-06
20
下諏訪町上空
写真中央に町役場、右に総合文化センター・体育館。左はテニスコート・野球場・陸上競技場などが見える。
2020-03-06
21
町営総合運動場
町の総合運動場。
2020-03-06
22
鉄骨警鐘楼
太平洋戦争末期になると、兵器にするため民間の鉄材を供出する運動があり、第一分団の屯所の上に建てられていた火の見やぐらも倒されて供出された。昭和18(1943)年金属供出で取り壊す前の記念写真。
2020-03-06
23
健勝祈願ののぼり
太平洋戦争中に出征軍人の武運長久を祈って幟を屋敷内に建てた。幟は諏訪大社宮司に書いて貰うのが多かった。神朝臣(かみあそん)守矢真幸敬書と見える。
2020-03-06
24
ナンバ
諏訪湖周辺の湿田で昭和初めに、地下足袋、ゴム長靴の出るまで使用された。右が板ナンバ、左が桶ナンバ。泥沼のような水田での作業はいろいろ工夫された農具があった。素足で歩けないので板ナンバや桶ナンバと呼ばれるものも使用した。重い荷物は田舟にのせて運んだ。特に諏訪市の湖岸に多かった。
2020-03-06
25
天然氷の採氷
明治39(1906)年12月下諏訪町に諏訪湖天然氷株式会社が創立。手前が採氷作業、向うの湖岸は積み上げてある氷を農家の若者が山車へ満載して下諏訪駅近くの大氷庫へ運ぶところ。溶けない氷として送出先の氷水屋・病室用に喜ばれたが、大正中ごろまでには人造氷の出現で惜しくも衰退した。
2020-03-06
26
運送馬車
荷馬車による配水管の運搬。 昭和2年注連掛付近にて写す。
2020-03-06
27
第10区運動会
第10区運動会の様子。体育の日、区民運動会で楽しむ、晴天続きで、この日も汗ばむほどの好天、町内会対抗の二人三脚リレーに声援がわいた。会場は南小学校校庭。
2020-03-06
28
中央高速バス
朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。
2020-03-06
29
諏訪湖清掃
第9回目「諏訪湖クリーン祭り」湖岸の清掃をする人たち。全町一丸式の運動の形をとって進められている。
2020-03-06
30
砥川の清掃
全町一斉「川をきれいにする運動」24年目の作業風景。川へゴミを捨てる風習をなくすため、町の主導で始まった清掃運動。
2020-03-06
31
北小「はだしの生活」
下諏訪北小学校「はだしの生活」。下諏訪北小学校では10年ほど前から「はだしの生活」に取り組み、運動会もはだしで行っていた。
2020-03-06
32
繭の運搬風景
軽トラックで中国産の繭を町内倉庫から岡谷の工場へ運ぶ国用製糸業者。国内の繭生産量は昭和12(1937)年をピークに減少、平成元年当時、中国、北朝鮮などから年間約1,500トン輸入しており、この製糸業者も、10年ほど前から入れ始めた中国繭が、今では主体になっているという。「諏訪湖の町の平成元年」の撮影メモから、緑町の斉藤製支店前の撮影と思われる。
2020-03-06
33
耕運機による代掻き
薫風の中で耕運機による水田の代掻き作業。鳥たちがやってきて、盛んに土中の虫をついばみ、蛙の鳴き声も聞こえてきて、まことに心地よい田園風景である。
2020-03-06
34
耕運機による代掻き
薫風の中で耕運機による水田の代掻き作業。鳥たちがやってきて、盛んに土中の虫をついばみ、蛙の鳴き声も聞こえてきて、まことに心地よい田園風景である。
2020-03-06
35
水月園花見風景
明治35(1902)年に下ノ原の俳人らにより、水月園の開園と水月会が発足した。会の運動の一環として月見堂の建設、句碑が建立された。また桜・楓などが植樹され諏訪地方随一の桜の名所となった。
2020-03-06
36
大喪の礼の日の飲食店
大喪の礼のお店。
2020-03-06
37
製糸工場
倉庫から運ばれてきた繭とそれを選別している様子。
2020-03-06
38
山の手バス
「廃止される東山田線バス」。赤字続きで廃止の話が持ち出された旧農村回りバス路線のバスと乗客。JR関係及び諏訪自動車の「東山田線」、住民の要望でこの年は運航が続けられたが廃止されることになった。東山田が岡谷市から別れ下諏訪町に合併して2年後昭和35(1960)年から運行が始まった山の手コース。東山田には4か所の停留場があった。写真は農協東山田支所前バス停。
2020-03-06
39
御湖鶴モロミ仕込
地酒「御湖鶴」の蔵元。モロミ仕込(最終日)この道40年の杜氏を始め酒造り衆は5人いずれも郡内の農家の人たち。米だけによる本作り戻っている。オンザロックでも飲める超辛口も出している。 御湖鶴酒造は、大正元(1912)年下諏訪町御田町にて創業。 大正7(1918)年10月『下諏訪酒造株式会社』として法人設立。 大正11(1192)年『菱友醸造株式会社』に改称。 平成29(2017)年4月22日付で事業停止、同4月25日付で破産開始決定。平成30(2018)年2月、福島県いわき市の運送会社『磐栄運送』が、『菱友醸造』の土地や設備などを買い取って御湖鶴ブランドを引き継ぎ、同年秋に仕込み開始、12月10日に新酒の販売を開始している。
2020-03-06
40
東俣の木材搬出
東俣の木材搬出。№695・696・698参照。
2020-03-06
41
東俣の木馬と木馬道
観音沢の木材搬出の様子。林嘉平・河西直人氏等5名が東俣料林から払い下げをうけ、モミ・サワラ・雑木などを木馬道(キンマミチ)を木馬(キンマ)で引き出し、主に深川の材木屋に搬出した。町内でも30~40軒家が建ち、嘉平方の土蔵もこの時のモミ材で建築。諏訪電気会社もこの材で建てた。 №696.697・698参照。
2020-03-06
42
合宿風景
大学・高校の夏季合宿学生が温泉町の宿舎を出て運動場へ向かうところ。夏季合宿練習のため東京の高校・大学生の来町するものは戦前からあって、小学校の施設を利用していた。町が本格的に請け入れるようになったのは、戦後昭和27(1952)年ころからのこと。昭和39(1964)年には一万人を越え、14軒の旅館に合宿していた。
2020-03-06
43
下諏訪小学校奉安殿
運動場南はじに奉安殿を竣工する。竣工式は大正13(1924)年8月。昭和21(1946)年1月に御真影を地方事務所に奉還し奉安殿も姿を消した。
2020-03-06
44
省営バスによる薪炭の搬出
省営バスで和田嶺方面の薪炭を搬出する状況。その頃は、バストラで客貨輸送をし、和田嶺方面の薪炭を搬出した(下諏訪国鉄自動車営業所前撮影)。荷台の上には薪が、その上に炭俵がつまれている。
2020-03-06
45
バス開通式当日
昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。
2020-03-06
46
春宮大門先大鳥居建立
この写真には「明治25(1892)年春宮大門先に建てる銅(からかね)鳥居を塩尻峠経由で到着させるとこ」と裏書あり。春宮大門先へ銅鳥居が建つ(明治25(189)2年)。大鳥居建設落札者河西準之助、河西寅吉と鋳造者小島大二郎(上田市)の三氏が礼服乗馬で指揮して、その部品を荷馬車で和田峠越えが困難なために保福寺峠を迂回して松本・塩尻峠経由で運んだという。
2020-03-06
47
大門先の石燈籠
旧中山道に面した春宮大門先の石燈籠(常夜燈)。 文政12(1829)年に作られ台座から6mの高さがある。高遠系の流れをくむ横川村(現岡谷市)の石工山田金右ェ門の子平蔵(和哉)の作といわれる。 発起人は上諏訪及び大阪の人でたくさんの寄進の人名のほか、石運びの手伝いとして湯之町・友之町・下ノ原・久保・武居・富部・東山田・萩倉新田・樋橋新田の村々名が刻まれている。 石材は高尾山から運び総工費五十両を要したという。 写真下のきなこ石の唐獅子は金左エ門作(現在はない)。
2021-04-22
48
東山田下諏訪へ合併
昭和32(1957)年3月25日長地村は岡谷市に合併後、昭和33(1958)年6月1日東山田・東町を下諏訪町に編入するという境界線変更に関し住民投票を行った。 その際の住民運動の模様。 昭和33(1958)年7月1日東山田と東町が岡谷市から分市して下諏訪町にに合併。 当時の東山田街道上の岡谷市側から分市賛成の張幕。
2021-04-06
49
献米運動
敗戦色濃い中、どこでも食糧不足が日増しに深刻化したが、下諏訪町では軍需産業に働く人のために「献米運動」を起こした。「奉公供米運動」と呼び、町民から一握りずつ米をもらった。100俵が集まり、秋宮社頭で先勝を祈った。 手水舎が現在と逆の位置にある。手水舎は昭和28(1953)年に鳥居の左側に移されている。
2020-03-06
50
石投げ場
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が変化し運動公園ができ湖岸道路もある。№425と比較するとその変化がよくわかる。
2020-03-06
51
下諏訪球場
町営球場。バックネット後方に諏訪ガスのガスタンク(現在は無い)が見える。
2020-03-06
52
下諏訪町営総合運動場
町営球場。下諏訪町は昭和24(1949)年、旧鐘紡敷地(中央車両株式会社所有)を買収し、公園並びに総合運動場敷地として計画。野球場は同年8月竣工した。ちなみに陸上競技場は昭和35(1960)年に完成している。
2020-03-06
53
高浜運動公園
高浜運動公園マレット場(左側)付近。手前は現在「高浜健康温泉センターゆたん歩」となっている。
2020-03-06
54
石投げ場から諏訪湖を望む
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が大きく変化した。運動公園ができ湖岸道路もできている。 №409の写真と比較すると変化がよくわかる。
2020-03-06
55
和田峠トンネル
和田トンネルが完成した。昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足運動の結果、鉄道省の路線調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル開通、昭和8(1933)年1月に完成した。全線開通祝賀式は昭和8(1933)年10月3日。
2020-03-06
56
航空写真 下諏訪町市街地
写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。
2020-03-06
57
米屋の初荷(下馬本屋)
下諏訪製糸勃興期の初荷風景。下の原下馬橋(太鼓橋)左袂の下馬本屋精米所から製糸工場に白米の初荷の様子を撮影した写真。運送会社がおかめの飾りを持って来て飾つけ、酒を飲んで初荷を祝った。
2020-03-06
58
奉安殿
下諏訪小学校(現中学)運動場の南端に奉安殿施工する。生徒たちは登校の際、最敬礼をして通過した。昭和21(1946)年1月御真影を地方事務所に奉環し奉安殿も姿を消した。
2020-03-06
59
完成した曳き綱
御柱綱打ちは山車を立て並べ車輪に結んだ玉縄によりをかけて作業した。後ろに青年会が作った出征軍人の武運長久を祈った横断幕が見える。
2020-03-06
60
町主催戦死者葬儀(合同葬儀)
たれ幕には「陸軍輜重兵上等兵…」「陸軍砲兵上等兵…」「陸軍工兵伍長…」などの文字が読み取れる。「輜重兵(しちょうへい)」とは軍需品の補給や陸上運送に当たった兵のこと。町主催で行われた戦死者葬儀(4名の合同葬儀)、会場は現在の南小学校講堂。
2020-03-06
61
下諏訪小学校南校雨天体操場建設
下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)内での関係者の記念写真。平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。
2020-03-06
62
下諏訪小学校南校雨天体操場建設
下諏訪小学校南校(現南小)雨天体操場(講堂)の外観を背景に関係者の記念写真 平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。「下諏訪小学校南校雨天体操場落成記念 昭和6年10月28日」。 南校は大正13(1924)年低学年収容の校舎として開設されていた。
2020-03-06
63
出征兵士と家族写真
出征兵士と家族の記念写真、菅野町の武川運送。
2020-03-06
64
高浜プール開場式
昭和5(1930)年に林嘉平氏(高浜温泉旅館)により完成した高浜プールは50m・4レーンであった。あわせて子ども用コースも付設されていた。その後、昭和22(1947)年に設備一切を町が県水指下諏訪支所から期間中受けて運営していた(7・8月の2ヶ月間)。写真は、開場式の写真で、戦前と思われる。
2020-03-06
65
テニスコート
総合運動場内のテニスコート。
2020-03-06
66
陸上競技場
昭和36(1961)年完成の陸上競技場開きの看板(11月5日に式)、背後に関係者の姿が見える。
2020-03-06
67
総合運動場
ガスタンクの上から撮影した総合運動場全景。球場では大会が開催されていて、多くの観客が観戦している。当時庭球コートは6面、バレーボールコートは3面がとれたという。陸上競技場はまだできていない。2枚組み写真。町営総合運動場の完成は昭和24(1949)年8月。陸上競技場完成は昭和36(1961)年11月5日である。 ちなみにこの敷地は中央車輌株式会社所有地(旧鐘紡敷地)の整理にあたって町が買収したものである。
2020-03-06
68
黒田町長就任記念写真
役場旧庁舎前。黒田新一郎町長と議員。第26代下諏訪町長、黒田新一郎氏は昭和33(1958)年から昭和45(1970)年まで3期12年間町長を務める。在任中、温泉開発、明るい町づくり運動推進、陸上競技場完成、社ヶ丘団地造成、星ヶ丘団地造成、八島高原の保全、町誌づくり、新庁舎建設等に尽力した。
2020-03-06
69
製糸の町岡谷の鉄索
塩尻峠を越えて岡谷まで西条炭を運んだ索道。塩尻まで汽車で運ばれ、それを岡谷の製糸工場へ運ぶためにリフトを使い塩嶺峠を越えた西条炭は、東筑摩郡会田村・本城村等で産出するものだった。岡谷は明治22(1889)年が最初で、輸送は馬・車便だったが、明治36(1903)年、篠ノ井線が塩尻まで開通したのに伴い塩尻から岡谷市間下に鉄索を架設し、明治37(1904)年運転を開始した。しかし、明治42(1909)年に中央線の全面開通により常磐炭等が移入され、西条炭は役割を激減した。
2020-03-06
70
ハイヤー
大正12(1923)年丸ヨ自動車店浜義雄氏が東京でフォードを一台購入。浜氏は中央線全線開通後、荒廃した和田峠線の整備に力を入れ、大正13年(1924)に貸切自動車営業を開始し昭和2(1927)年には和田嶺自動車株式会社を創立しバスが三往復運行するようになった。この他に大正13(1924)年、湯田仲町ハイヤーサクラ自動車商会、大正15(1926)年菅野町に丸S自動車株式会社などが設立された。
2020-03-06
71
相楽祭
赤報隊浪士のお祭「相楽祭」。後方の煙突は、昭和6(1931)年開業の昭栄製糸のもの。向かって左側に元町長の高木十吉氏の顔が見える。右に石仏があるが、現在青雲館にある。相楽祭は明治3(1870)年に有志の喜捨百余両で相楽総三らが処刑された地(相楽塚・魁塚)に慰霊の碑をたて式典をしたことがはじまりである。その後友之町有志の運営で祭りを続け一時途切れたこともあったが復活させ、現在は相楽会が主催し毎年4月の第一日曜日に開かれている。
2020-03-06
72
ダイヤ豆腐周辺の航空写真
当時景気が良かったダイヤ豆腐による航空写真。ダイヤ豆腐は線路横の煙突の立っている建物、現下諏訪南小学校前を通る田中線は砥川で止まっている。田中線の右端に小学校の校舎が見え、砥川の手前には昭和24(1979)年から整備されてきた総合運動所が見える。現在のジャスコ通りにあたる道沿いには昭和28(1953)年栄町から移転ひかり味噌が見える。線路下には、桑畑とりんご畑が広がっていた。
2020-03-06
≪
1
≫
運搬(4)
総合運動場(4)
スポーツ(4)
下諏訪小学校(4)
ガスタンク(3)
国道(3)
下諏訪南小学校(3)
町営球場(3)
和田峠(3)
野球場(3)
記念写真(3)
作業風景(3)
運動会(3)
代搔き(2)
しろかき(2)
湖岸道路(2)
木材運搬(2)
諏訪湖(2)
運動場(2)
グラウンド(2)
水田(2)
雨天運動場(2)
乗用耕運機(2)
講堂(2)
山車(2)
新道(2)
袋(2)
繭(2)
艇庫(2)
漕艇場(2)
航空写真(2)
東俣(2)
観音沢(2)
荷馬車(2)
製糸(2)
春宮大門(2)
東俣料材(2)
荷車(2)
和田嶺(2)
省営バス(2)
木馬(2)
公園(2)
御田町商業会(2)
皇紀二千六百年(2)
富士講(2)
テニスコート(2)
戦勝祈願(2)
役場(2)
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