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登録リスト(該当:9件)

写真タイトル説明登録日
1笠原製糸工場笠原製糸工場(屋号 山二)笠原製糸工場表彰式。 経営者の名前を下諏訪町誌から探すと、笠原亀蔵の経営する製糸場が明治23(1890)年に開業している。2020-09-05
2神の湯開業神の湯開業大正11(1922)年9月砥川筋から少し入った山の手に、鉱泉神の湯が開業した。写真は上の湯遠景、源泉は毒沢から湧出する強酸性で鉄分とミョウバンを多く含む橙色の湯。「毒沢鉱泉」は飲用もでき、胃腸病や皮膚病、切り傷や貧血等に良いとされている。近くに信玄の各氏金山の跡といわれる場所もあり、武田信玄の隠し湯としてもPRしている。2022-06-09
3岡谷製糸岡谷製糸岡谷製糸業(御田川製糸場)建物外観。明治16(1883)年岡谷市の小口善重が下の原中村平助製糸の休業のあとへ御田川製糸場を開業、大規模な繰業で「大器械」とも呼ばれ、二階建ての事務所に望楼を載せ村人はホテルとも呼んだとされるものとも推測できる。2020-03-06
4湖畔の湯一周年湖畔の湯一周年開業一周年をを迎えた温泉公衆浴場「湖畔の湯」。83歳の農業者が、町が開発した配湯から引湯して開業した。岡谷など町外からの入浴者も多く、時には長距離トラックが止っている。当時入浴料は大人150円・小人60円入浴料の安さに観光客が驚いていた。ちなみに令和2年の料金は大人280円、子供130円となっている。2020-03-06
5更科そば店更科そば店湯田仲町(ムラグチ酒店のあった場所)にあった更科そば店。 御大典記念の写真で開業五周年大売り出しとある。 当時更科そば店。当時下諏訪町で最も繁盛した。 ラーメン店(当時は「シナそば」店)の栄軒はこれより遅れて開業、店主が北信州栄村の出身だったことから蕎麦屋を予定していたが、更科そば店の繁盛を見てラーメン屋にしたという。 町内ではそばと言えば更科と言われていた。2020-03-06
6相楽祭相楽祭赤報隊浪士のお祭「相楽祭」。後方の煙突は、昭和6(1931)年開業の昭栄製糸のもの。向かって左側に元町長の高木十吉氏の顔が見える。右に石仏があるが、現在青雲館にある。相楽祭は明治3(1870)年に有志の喜捨百余両で相楽総三らが処刑された地(相楽塚・魁塚)に慰霊の碑をたて式典をしたことがはじまりである。その後友之町有志の運営で祭りを続け一時途切れたこともあったが復活させ、現在は相楽会が主催し毎年4月の第一日曜日に開かれている。2020-03-06
7国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。2020-03-06
8駅前通り舗装工事駅前通り舗装工事舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。昭和13(1938)年から25(1950)年まであり、その後は観光看板に変わった。作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。2021-05-03
9下諏訪駅下諏訪駅下諏訪駅は明治38(1905)年11月25日開業。 昭和25(1950)年3月に駅舎改築され、写真はその当時の駅舎である。2020-03-06
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