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登録リスト(該当:36件)

写真タイトル説明登録日
1萩倉水車小屋萩倉水車小屋萩倉で製糸業が始められたのは明治11(1878)年のことである。燃料の薪の確保が容易だったことや中央線開通前で、信越線大屋駅から和田峠を越えて運ばれてくる原料繭の入手に便利な立地だったことにあわせ、動力源であった水車を回す豊富な水利があったことが指摘されている。写真は当時の水車を復元したものでバスの待合所にもなっている。後ろの鳥居は米守(よねかみ)神社の入り口である。2022-03-24
2神明館・神明社神明館・神明社神明館については№1173を参照していただきたい。神明館入り口に祀られている「神明神社」は大正12(1923)年に区民の寄付によって建立し、毎年10月10日を例大祭としている。なお、神社前には道祖神も建てられている。そもそもこの地区は「流れ」と呼ばれた砥川・鋳物師川・福沢川・十四瀬川の洪水常習地帯で、住宅ができたのは明治9(1876)年からで特に明治23(1890)年現国道20号線が開通してから戸数が増えてきた。新しい街だからこそ神明社は大事に守られてきたのだと思われる。2022-03-19
3一本柳神社一本柳神社赤砂地区の産土神・一本柳神社。№663の写真と比較していただきたい。リンゴの木に囲まれて神社がある風景はあまり変わらないが、湖畔道路開通の記念碑は土手の上から一本柳神社の片隅に移されている。№658,660の写真には碑が砥川の土手の上、新しく開削された湖畔道路の横に建てられているのがわかる。この神社境内は、赤砂地区の人々により公園化され、ホタルの里や果樹の里として整備されている。2021-08-03
4ガラス乾板写真ガラス乾板写真横町古田耕平氏蔵の写真。古田耕平氏は明治25(1892)年頃、中央線開通を期して横町辺りの図面を残している。その家のとなり家がガラスの写真屋として矢崎喜代太氏が明治10(1877)年頃から営業していたと思われる。2022-03-27
5旧和田峠トンネル工事旧和田峠トンネル工事(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)2020-08-02
6湖岸道路開通湖岸道路開通昭和63(1988)年に開通した湖岸通り線竣工開通式。2020-03-06
7下諏訪駅下諏訪駅明治38年11月25日、中央東線が富士見駅から、岡谷駅まで開通する。この時、鉄道開通祝賀式挙行の案内状が、22日鉄道開通式委員総代小口友亀の名で発送され、25日午後1時10分下諏訪停車場構内で、祝賀式が挙行され、終わって有志の園遊会があった。写真前列の中央が、小口友亀氏である。下諏訪駅前での記念撮影。2020-03-06
8デイバイデイ岡谷店デイバイデイ岡谷店町の西南部、土地区画整理事業で昭和51(1975)年に開通した幹線道路沿いに進出した山梨県竜王町に拠点を置く新手の安売りチェーン店デイバイデイ岡谷店が開店。諏訪圏では2店目、。家電・日用品・スポーツ用品などが売られていた。2020-03-06
9屋敷神屋敷神甲州街道中高木村にあった政屋(橋本屋)の屋敷神。明治18(1885)年上諏訪新道(国道20号)の開通までは料理も出し営業していた甲州道中の道中茶屋として栄えていたが廃業。一時ユースホステルにもなっていた。2020-03-06
10萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2022-06-12
11萩倉林道開通式萩倉林道開通式萩倉林道開通式。延長3970m、足掛け8年かけて完成した。総事業費3億1100万、円道幅は平均4m下諏訪町水月公園上と萩倉を結ぶ新設林道。写真は萩倉から峠に入る林道の入り口に建てられた記念碑の前。2020-03-06
12赤砂西大路交差点赤砂西大路交差点昭和55(1980)年に開通した西大路通りと昭和49(1974)年に完成した新田中線が交差する場所。御柱祭りの車の迂回路としての役ばかりだけではなく日常の交通量も大変多くなってきている。冬季降雪時は時折登りきれず難渋する車がある。2020-03-06
13砥川砥川鷹野橋下から砥川上流を望む。橋の東側(写真右側)たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。当時は砥川が天井川になっている様子がよくわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。2020-03-06
14省営バスによる薪炭の搬出省営バスによる薪炭の搬出省営バスで和田嶺方面の薪炭を搬出する状況。その頃は、バストラで客貨輸送をし、和田嶺方面の薪炭を搬出した(下諏訪国鉄自動車営業所前撮影)。荷台の上には薪が、その上に炭俵がつまれている。2020-03-06
15バス開通式当日バス開通式当日昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。2020-03-06
16水月園より諏訪湖を望む水月園より諏訪湖を望む萩倉合名会社を中心に水月園より下諏訪町を望む。萩倉合名会社(現小口克郎氏宅上)萩倉の製糸創業は明治11(1888)年篠藤・小河原氏等が機械製糸を繰業し中山道による物流(鉄道未施工),豊富な森林資源、用水の便などにより発展した。しかし明治30年代の石炭の利用、明治35(1902)年の篠ノ井線の開通、明治38(1906)年中央東線が岡谷駅まで開通、森林資源の枯渇等により立地条件が逆転し明治38(1905)年春宮下へ移転し萩倉での製糸は終止符を打った。2020-03-06
17中央東線開通下諏訪駅前記念撮影中央東線開通下諏訪駅前記念撮影明治38(1905)年11月25日中央東線が富士見駅から岡谷駅まで開通する。このとき鉄道開通祝賀式挙行の案内状が22日鉄道開通式委員総代小口友亀(写真前列中央)の名で発送、25日午後1時10分下諏訪停車場講内で、祝賀式が挙行された。写真は下諏訪駅前にて撮影。2020-03-06
18立体交差工事竣工立体交差工事竣工昭和30(1955)年10月に着工した 西浜の国道と鉄道の立体交差竣工。同32(1957)年5月20日開通式。完成した新道路の橋は高浜橋と命名された。2020-03-06
19宝生橋宝生橋甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。2020-03-06
20花見新道花見新道花見新道の桜並木に「宮の上」(「宮の上」のバス停が天白の急坂の入口にある)の看板の文字が見える。現在とは違い新道北側にも桜並木が続いたり、人家がほとんどない当時の様子がよくわかる。 国道142号線が開通したのは、明治29(1896)年である。2020-03-06
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