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登録リスト(該当:19件)

写真タイトル説明登録日
1広瀬町綱打ち広瀬町綱打ち友之町本通りと広瀬町の綱打ち記念写真。2021-12-26
2友之町・広瀬町綱打ち 友之町・広瀬町綱打ち 「昭和卅一丙申年 御柱祭」友之町・広瀬町綱打ち集合写真。2022-05-08
3記念写真記念写真男子生徒のみで撮影。足元には雪が見える、生徒は学生服姿・長靴・雪下駄・靴など様々。詳細不詳。徽章は梶の葉に「中」とある。2022-05-12
4御騎馬御騎馬春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。2022-05-12
5第三区騎馬勢揃い第三区騎馬勢揃い無形文化財第三区騎馬勢揃い。2022-05-08
6三区騎馬三区騎馬大正三(1914)年三区騎馬。 騎馬の後ろの街並みは「有平」日用品・雑貨・馬具の文字 その奥の店は古着・銘茶・印紙の文字。2022-05-03
7神風車社青年会神風車社青年会長持ち・花笠の勢揃い、はっぴに「神風車社青年会」の文字が見える2022-05-12
8御騎馬御騎馬東山田法泉寺にて御騎馬行列勢揃い。 江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺にて撮影。 1630の写真は、「東山田今昔」(16p)に掲載されており、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。2022-05-03
9騎馬行列騎馬行列江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺寺にて撮影。 この写真は「東山田今昔」(16p)には、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。2022-05-03
10綱打ち綱打ち「諏訪大社御柱祭秋一御柱元綱」四王区綱打ち。 昭和25(1950)年以降、同地区は秋宮一の女綱づくりを担当しているが、近年は稲作農家が減少し、稲刈りにコンバインが導入されたため、稲わらの確保が困難になっていた。そこで安定してわらを確保するため。平成21、09(2009)年に同会を発足。御柱祭のたびにわらを供給している。同会によると、既製のわら縄ではなく、稲わらを使って綱を打つのは同地区だけだという。背丈の高い「関取」という品種で、刈り取った稲は、十分に天日干しした後に脱穀し、わらは田んぼ横のハウスで保管。同地区綱打ち委員会の手に委ねるという。2022-05-12
11記念写真記念写真国民服の男性の集合写真。2021-12-26
12成人式成人式第19回下諏訪町成人式 昭和42(1967)年度、第19回成人式。男子成人の集合写真。会場等不明。2021-12-18
13成人式成人式戦後の成人式、中央に黒田町長。 諏訪大社秋宮幣拝殿前にて、女性成人の集合写真。年代等詳細は今後調査する。2021-12-18
14集合写真集合写真後ろに見える建物は繭蔵。 はっぴの男性の衿には「片倉製糸紡績株式会社」の文字。 写真に写る人たちは片倉の職員と思われる。2021-12-21
15集合写真集合写真集合写真。後ろに鳥居が見える。女性が多く映っている。写真の中央には高木十三氏が背広姿で写っている。 詳細不明。2021-12-26
16図書館利用者の集合写真図書館利用者の集合写真戦前の下諏訪町青年会図書館。昭和3(1928)年に下諏訪青年会が山王台に建てた、昭和11(1936)年4月、片倉公園造成のため山王台から下中のバックネットの裏に移設された。2020-03-06
17勤労奉仕集合写真勤労奉仕集合写真富部青年団神風社(しんぷうしゃ)秋の勤労奉仕、脱穀作業後の集合写真。2020-03-06
18下諏訪町警防団下諏訪町警防団下諏訪町警防団の集合写真、昭和14(1939)年1月警防団令により消防組を改組して下諏訪町警防団(昭和22(1947)年まで)が設置された。団長の高木十吉はこの後町長となるが昭和19(1944)年4月11日御柱祭山出祭において不慮の事故で殉職した。中央には警察官の姿も見える。2020-03-06
19秋宮鳥居前集合写真秋宮鳥居前集合写真徴兵検査合格者の記念写真。旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれていると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。この写真では手水舎が現在と反対側にある。手水舎は昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。また、鳥居の左側の現在千尋池となっている場所にはまだ商家などの建物が見えている。鳥居前にあった千尋館二階から撮影された写真である。2020-03-06
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