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登録リスト(該当:6件)

写真タイトル説明登録日
1小料理屋小料理屋 御田町にあった料理や「や寿た」(やすだの表記)の建物。昭和24年の町勢要覧(ほがらかお料理やすだの広告)。1970年の商工名鑑飲食店にも店の名が載っている2020-03-06
2大喪の礼の日の飲食店大喪の礼の日の飲食店大喪の礼のお店。2020-03-06
3大喪の礼の日の飲食店大喪の礼の日の飲食店昭和天皇の大喪の礼、弔旗をかかげて料理店「うな富」この日飲食店の」大半が休業したため夜の街はひっそりしていた。2020-03-06
4夜の街夜の街平沢町の飲食店。小口ビル内の鳥将・ほおずき・なみなどの店の看板が見える。2020-03-06
5大喪の礼の日の飲食店大喪の礼の日の飲食店昭和天皇の大喪の礼の日の飲食店。弔旗をかかげて休業した料理店「うな富」。この日飲食店の」大半が休業したため、夜の街はひっそりしていた。2020-03-06
6萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2021-04-21
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