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写真タイトル説明登録日
1チャレステしもすわ開所チャレステしもすわ開所下諏訪商工会議所は、JR下諏訪駅構内にあった売店跡の空き店舗を改修し、創業支援や地域活性化などを目的に活動しようとする個人や団体に貸し出すチャレンジショップを令和4年3月6日に開所した。広さは15平方メートル、料金は1日2000円。当面5月までは特別キャンペーンとして無料で提供する。写真は3月19日で、この日はケーキの販売が行われていた。2022-03-24
2特急あずさ特急あずさJRの下諏訪駅。岡谷方面からの撮影。 あずさ、ス^パーあずさ、SLが駅の構内に停車している様子。2021-12-26
3萩倉水車小屋萩倉水車小屋萩倉で製糸業が始められたのは明治11(1878)年のことである。燃料の薪の確保が容易だったことや中央線開通前で、信越線大屋駅から和田峠を越えて運ばれてくる原料繭の入手に便利な立地だったことにあわせ、動力源であった水車を回す豊富な水利があったことが指摘されている。写真は当時の水車を復元したものでバスの待合所にもなっている。後ろの鳥居は米守(よねかみ)神社の入り口である。2022-03-24
4下諏訪駅と駅前通り下諏訪駅と駅前通り平成30年代の下諏訪駅と駅前通りの様子。№393,394,756,1752など、昔の駅舎や駅前通りの様子と比べてみていただきたい。駅舎は二階建てになり、駅前の看板は簡素になって時間の隔たりを感じることが出きる。2021-06-23
5航空写真 四王上空航空写真 四王上空写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。2021-04-18
6役場分室役場分室下諏訪郵便局は、最初旧本陣岩波方に置かれたが、その後幾度か移転する。 1,明治5(1872)年 本陣岩波方 2,明治25(1892)年 増沢市郎兵ヱ方(旧警察右手前) 3,明治39(1906)年 立町3242(旧警察左手前) 4.大正5(1916)年 大社通5524(小口多郎方隠居所地) 5,昭和25(1950)年 広瀬町(下諏訪駅前通り) 6,昭和57(1982)年に現在の栄町に移転 昭和25年に郵便局は広瀬町へ移転。昭和27(1952)年教育委員会が設置されここで執務を開始、それ以後役場の分室として使用された。写真は役場分室・教育委員会当時のものと思われる。2022-03-19
7下諏訪駅下諏訪駅下諏訪駅上り線ホーム。2022-03-19
8お舟祭りお舟祭り夏の遷座祭、お舟祭り下諏訪町が御頭郷の年。 第一区・第三区の騎馬勢ぞろい。後ろの鳥居は御柱の古材で作ったもの。 下諏訪駅前の広場での記念撮影。 両区のそろった騎馬勢ぞろいの写真は珍しいもの。2021-05-03
9聖火ランナー聖火ランナー国体の聖火リレーがオルゴール通り(駅前通り・広瀬町)を得下諏訪駅に向かって走っている。2021-12-18
10街かど博物館街かど博物館街かど博物館の看板。「街かど博物館」は平成3(1991)年4月1日から町づくりの推進、観光活性化の一環として1号館から3号館までオープンした新しいスタイルの博物館。令和2(2020)年1月現在も6箇所ある。①「駅と祭りの資料館」下諏訪駅、②「懐古もの物語」(二葉屋酒店)、③「花屋茂七」、④「古文書館・民芸館」(中村屋)、⑤「蔵」(原酒店)、⑥「風雅舎」(みなとや旅館)。2020-03-06
11英国代理大使夫妻記念撮影英国代理大使夫妻記念撮影在京中の各国大使がスケートに来湖する。写真は英国代理大使ローザ夫妻が、下諏訪駅前で記念撮影したもの。2020-03-06
12天然氷の採氷天然氷の採氷明治39(1906)年12月下諏訪町に諏訪湖天然氷株式会社が創立。手前が採氷作業、向うの湖岸は積み上げてある氷を農家の若者が山車へ満載して下諏訪駅近くの大氷庫へ運ぶところ。溶けない氷として送出先の氷水屋・病室用に喜ばれたが、大正中ごろまでには人造氷の出現で惜しくも衰退した。2020-03-06
13出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る下諏訪駅の風景。2020-03-06
14下諏訪駅下諏訪駅明治38年11月25日、中央東線が富士見駅から、岡谷駅まで開通する。この時、鉄道開通祝賀式挙行の案内状が、22日鉄道開通式委員総代小口友亀の名で発送され、25日午後1時10分下諏訪停車場構内で、祝賀式が挙行され、終わって有志の園遊会があった。写真前列の中央が、小口友亀氏である。下諏訪駅前での記念撮影。2020-03-06
15郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
16御柱祭御柱祭御柱祭。「オーシャンウイスキー」「たばこ」の看板、バスには「岡谷駅」の文字も見える。後ろ姿の男性の法被に「岡谷」の文字。服装はみな洋装、和服は少し年齢の高い女性が着ている。2020-03-06
17岡谷駅岡谷駅昔の岡谷、岡谷駅。2020-03-06
18出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る。壇上には出征兵士、手前には多くの少年少女が整然と並んで見送る様子も見える。2020-03-06
19出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る。下諏訪駅ホームの様子。2020-03-06
20駅前通り風景駅前通り風景駅通り(現オルゴール通り)。あkの日差しに通りの店の看板もはっきりと見える。正面に紅葉を始めた水月園が見える。2020-03-06
21駅前通りの青果店駅前通りの青果店店舗を改築した駅前通りの八百屋さん。もとは旧宿場のランプ屋さんだった。田村青果店の新店舗(駅通り)、現在の店主は三代目。2020-03-06
22朝の通勤通学朝の通勤通学乗用車の普及で、電車利用の通勤者はひところよりだいぶ減り、駅前の混雑もそれほどではなくなった。JR下諏訪駅前、朝の通勤通学の風景。2020-03-06
23中央高速バス中央高速バス朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。2020-03-06
24湖林書房湖林書房駅前通りの本屋さん。町の南部に大型店・平安堂が進出し、本屋さんも競争が激しくなった。その後本離れなどもあってこの湖林書房も平安堂も閉店してしまった。2020-03-06
25田村商店田村商店駅通り田村商店。季節の野菜や果物が並んでいる。2020-03-06
26「かまきり」自転車「かまきり」自転車この形のハンドルの自転車(通称かまきり)が高校生を中心に大流行。遊び心が受け入れられたらしい。下諏訪駅横の駐輪場の高校生と「かまきり」自転車。2020-03-06
27伊藤時計店伊藤時計店駅前通りの小さな時計店。店主(当時は73歳)は太平洋戦争中、兵役で病を得て諏訪赤十字病院で療養生活を送ったさい、森山汀川の指導を受けたアララギ派の歌人。昨年歌集を出版した。伊東時計店の店内と伊東憬氏。2020-03-06
28信濃蚕業信濃蚕業下諏訪駅東にあった信濃蚕業、現在は(株)イングスシナノに社名が変わった。2021-04-01
29下諏訪駅下諏訪駅この電車は国鉄が設計・製造した近郊形直流電車115系、色は湘南色(オレンジとグリーン)。席は青いボックス席。電車に乗り込む乗客2020-03-06
30JR下諏訪駅JR下諏訪駅 JR下諏訪駅改札口前で見かけた、いまはなつかしい「タッツケ」姿の老女。  八ヶ岳山麓に広がる高地「山浦地方」では紺色もすがすがし「タッツケ」が老人たちの日常着と生きているが、町ではほとんど見かけなくなった。  風呂敷包みも珍しくなった。2020-03-06
31下諏訪駅前の風景下諏訪駅前の風景平成元(1989)年のJR下諏訪駅前風景。平成2(1990)年駅前の通りに「オルゴール通り」の名が付いた。№393と比較して見ていただきたい。 下諏訪町の商店街の中心は、かつては旧宿場町から坂下の国道20号線沿線へと移ったが、町南部に新商業地区が形成されるにい従い、北部の商業地区の中心はこの駅前に移りつつあった。しかしモータリゼーションが進み、現在はこの駅前も活気ある賑やかさから置いて行かれることになっている。2020-03-06
32承知川の旧発電所承知川の旧発電所承知川の旧発電所。小口製糸所。この発電所(出力60キロ)は製糸工場の私設発電所の建物。大正17(1918)年岡谷から下諏訪駅前へ進出した山十組山八製糸工場が承知川水源へ設け。水利権をめぐり農業者と紛争が起きたという話も伝えられている。 1枚目の写真は表からの撮影。2020-03-06
33砥川砥川鷹野橋下から砥川上流を望む。橋の東側(写真右側)たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。当時は砥川が天井川になっている様子がよくわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。2020-03-06
34表彰旗授与表彰旗授与昭和36(1961)年3月3日消防庁表彰旗が下諏訪駅に到着。駅頭にて団員及び町民に対して堀内忠夫団長が挨拶。2020-03-06
35バス開通式当日バス開通式当日昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。2020-03-06
36水月園より諏訪湖を望む水月園より諏訪湖を望む萩倉合名会社を中心に水月園より下諏訪町を望む。萩倉合名会社(現小口克郎氏宅上)萩倉の製糸創業は明治11(1888)年篠藤・小河原氏等が機械製糸を繰業し中山道による物流(鉄道未施工),豊富な森林資源、用水の便などにより発展した。しかし明治30年代の石炭の利用、明治35(1902)年の篠ノ井線の開通、明治38(1906)年中央東線が岡谷駅まで開通、森林資源の枯渇等により立地条件が逆転し明治38(1905)年春宮下へ移転し萩倉での製糸は終止符を打った。2020-03-06
37陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。2020-03-06
38陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊水上試験に来諏の際に写す。下諏訪駅を上空から見る。駅周辺にはまだ畑などが見られる。特に駅南側(写真右側)には畑が広がっていて、人家はまだ少ない。2020-03-06
39中央東線開通下諏訪駅前記念撮影中央東線開通下諏訪駅前記念撮影明治38(1905)年11月25日中央東線が富士見駅から岡谷駅まで開通する。このとき鉄道開通祝賀式挙行の案内状が22日鉄道開通式委員総代小口友亀(写真前列中央)の名で発送、25日午後1時10分下諏訪停車場講内で、祝賀式が挙行された。写真は下諏訪駅前にて撮影。2020-03-06
40下諏訪町明細全図下諏訪町明細全図「官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図」当時の下諏訪市街地図。  明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。  御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。2020-03-06
41陸軍航空隊一般航空写真陸軍航空隊一般航空写真複葉機からの航空写真。下諏訪駅と下諏訪学校や秋宮の森、青塚などが見える。2020-03-06
42駅前通駅前通下諏訪駅前の風景。№393と比較して見ていただきたい。2020-03-06
43駅前通駅前通下諏訪駅頭に観光協会が宮大工の手により、諏訪神社の古い御柱で鳥居を建てる。鳥居は昭和13(1938)年から昭和25(1950)年までありその後は観光看板に変わった。左手前から菅野旅館・山十組・山八製糸の倉庫、右側は米本旅館。№394と比較して見ていただきたい。2020-03-06
44第一区両社詣り第一区両社詣り出征軍人の健康祈願のため区の主催で区民がたびたび諏訪大社の上下両社に歩いてお詣りした。写真は上社石段での記念撮影。 前列中央の男性が「日本第一軍神」の旗を持っている。 両社参りとは豊作を祈り六月一日に行われていた。 戦争中はこの日に限らず諏訪上下社に参拝した。 上社へは上諏訪の駅から歩いて参拝した。2022-03-15
45出征軍人を駅で送る出征軍人を駅で送る終戦近くなると、にぎやかな見送りは禁止となった。2020-03-06
46出征軍人を駅で送る出征軍人を駅で送る下諏訪駅で出征兵士を送る風景。日の丸の旗や出征兵士の名前を書いた幟旗がたくさん見える。終戦近くなると、にぎやかな見送りは禁止となった。2020-03-06
47下諏訪町遠望下諏訪町遠望富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。2020-03-06
48ネオン灯完成記念写真ネオン灯完成記念写真駅前通り(現在はオルゴール通り)田村青果店前に「ネオン灯が完成したが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風で倒壊した。「駅前通り」のネオンの下に町内の旅館の名前が揚げられている2020-03-06
49広瀬町町少年団広瀬町町少年団広瀬町少年団の団旗完成記念写真。昭和12(1937)年7月7日に支那事変が勃発。この時、町内の組長や在郷軍人等の要望により結成、小学1年から高等科2年の男子全員が毎週日曜日の朝6時に新道(三国座通り)へ集合、駆け足で諏訪大社秋宮へ必勝祈願し、その後帰町して町内道路と駅庭の清掃を実施した。そろいの帽子と腕章に少年たちの真摯(しんし)な眼(まなざし)が並ぶ。2021-04-15
50国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。2020-03-06
51商工会館
落成記念写真商工会館 落成記念写真駅前にあった商工会館落成記念写真。下諏訪町が活気のあった時代を支えていた人たちが多い。青年は落成記念に仮装行列を組み盛り上げた。建物は現在の日本電産サンキョーの入口の位置にあった。2020-03-06
52三国座落成記念写真三国座落成記念写真駅前から四ツ角方面の振興を目的に友之町の本通り・大社通り・菅野町・駅通りの商工業者が映画館「三国座」を建設した際の関係者の記念写真。昭和29(1954)年9月1日にオープンし、「ローマの休日」を上映した。諏訪の都座の系統で当時珍しかった洋画も上映した。昭和47(1972)年9月25日閉鎖された。館名は一般より募集した。(撮影日は下諏訪町誌参考)2020-03-06
53駅前通り舗装工事駅前通り舗装工事舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。昭和13(1938)年から25(1950)年まであり、その後は観光看板に変わった。作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の駅口に移った。2021-05-03
54下諏訪駅下諏訪駅下諏訪駅は明治38(1905)年11月25日開業した。昭和25(1950)年3月に駅舎改築され、写真はその当時の駅舎である。2020-03-06
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