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登録リスト(該当:10件)

写真タイトル説明登録日
1徳本上人の名号塔(浪人塚)徳本上人の名号塔(浪人塚)下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つ。幕末の動乱期、尊王攘夷の熱意に燃えた武田耕雲斎(こうううんさい)率いる水戸の天狗党浪人隊が、尊攘の心情を京都にいる一橋慶喜に訴えるため上洛の途についた。中山道の要所でもある下諏訪宿は藩主忠誠が幕閣入りしていたこともあり激戦の場となり被害も大きかった。この戦いを和田合戦・砥沢口合戦・樋橋戦争と呼ぶ。戦いの後、千草山のふもとに亡くなった浪士を改葬し塚を作ったこれが浪人塚で当時は戦死塚といった。2022-03-19
2ドイツスズラン解体図ドイツスズラン解体図ドイツスズラン(ユリ科)独逸鈴蘭 スズランは別名「君影草」、多くのファンもいる。高原に生える多年草。葉は2枚で、花は葉のかげに隠れて咲く、白色で香りが高い。葯・花粉;鮮黄色。 自生のスズランとそっくりの種類がドイツスズランで、よく植栽される。スズランと対比すると、花は直径に比べ高さが低く、葯も花粉も淡緑色で、葉が厚めでやや色が濃い。どちらも有毒で、家畜は食べないので、牧場でも取り残され、繁殖している。2021-10-26
3イブキジャコウソウ解体図イブキジャコウソウ解体図イブキジャコウソウ(シソ科)伊吹麝香草 山地から高山まで、よく目にする多年草で、木本。 地面にぴったり張り付いて、一斉に咲くとピンクのカーペットのようです。漢名(中国の和名に相当する)で「百(ひゃく)里香(りこう)」と言い、その香りが遠くまで達する意で、さわやかな芳香は楽しめます。 香りを楽しめるものを列挙。 木本:クロモジ・アブラチャン・ダンコウバイ    カツラ・ホオノキ・コブシ・サンショウ    ハリエンジュ・コクサギ・クサギ・クリ    ヒイラギ・ウメ・モモ・ボケ・ロウバイ    ノイバラ・ハマナス・シラタマノキ    ミズメ(ヨグソミネバリ)・シキミ    ハクモクレン・ライラック・ミツマタ    ジンチョウゲ・キンモクセイ・オオヤマレンゲ    ブッドレア・スイカズラ 2021-10-29
4空襲に備えて空襲に備えて昭和20年も4月頃になれば戦況はいよいよ厳しくなり、空襲警報もしばしば発令されるようになり、主婦たちも空襲を想定してバケツリレーで消火訓練をした。学童も授業を中止して帰宅することが多くなってきた。この写真は御田町通りのバケツリレーの様子である。写真右からカネタマル・福助堂・橋本屋・安兵ヱといった店が並んでいた。 女性は防空頭巾にモンペ姿、男性は国民服にゲートルなど当時の服装がよくわかる。2022-06-09
5キヨメ漁キヨメ漁氷下のキヨメ漁。刺し網の一種。地上のくもの糸やカスミ網のように水中に帯状に屏風のように立て横に長く張っておき、回遊してくる魚を網に絡ませたり、さしたりしてとる。網目の大きさによって捕る魚が異なるが、写真のキヨメの網目は1.5~4cm内外である。高さ50cm~1m、長さ12、3mの網を何枚か継ぎ足して張り、わかさぎ・はや・ひがい・もろ・あかうおを捕る。同じ網でも網目の粗いものは「タケタカ」といって鯉・大ぶな・なまずなどをねらった。2021-04-04
6信濃蚕業の倉庫取り壊し信濃蚕業の倉庫取り壊しこの倉庫は大正の初めころ製糸会社の繭倉として建てられ、これを移築し蚕種会社が蚕種生産用に使ってきた。黄土色の土壁五層の堂々たる構えは、かつてのシルク王国の繁栄を忍ばせる記念碑的な建物のひとつといってよいものだった。信濃蚕業(イングスシナノ)の木造五層の蚕種倉庫取り壊し。これが地上から消えて、製糸王国はさらに遥かなものになった。2021-04-01
7羽目板の家羽目板の家ドイツ羽目板の家2020-03-06
8明治9年下諏訪集落図絵明治9年下諏訪集落図絵明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。2020-03-06
9慈雲寺庭園慈雲寺庭園慈雲寺の庭園は「中村勝五郎日記」によると天保8(1837)年に築庭されたものという。その後、何度か改修、拡張がされ現在の姿となっている。水月公園山稜を借景とし、園池を中心とした多数の庭石が組まれ閑静な景観をみせている。町内に残る見事な庭園のひとつといってよい。庭園改修記念の写真。2020-03-06
10年神様 吉沢和己氏宅年神様 吉沢和己氏宅松飾りとともにお棚を作った。上座敷の床の間の前上に長さ6尺巾1尺厚さ5分ほどの新しい板(お棚板)の両端を新しい縄で天井からつるし、つった縄の前方両方に松の枝を結わえつけ、その間に注連縄(しめなわ)を張り歳神様といって正月行事の棚飾りとした。現在ではお棚を飾る家はほとんど見られなくなった。2020-03-06
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