キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:12件)

写真タイトル説明登録日
1萩倉公会所(旧萩倉学校跡)萩倉公会所(旧萩倉学校跡)明治8(1875)年「萩倉学校」として設立し、「萩倉派出所」「萩倉教場」「萩倉分校」と校名変更がなされたが、生徒数の減少によって、昭和41(1966)年に廃校となったその後萩倉青少年ホームとして使われていたが、現在は萩倉公会所に改築されている。2022-03-24
2矢木町会館と矢木神社矢木町会館と矢木神社矢木町会館と矢木神社。かつてはこの西の春宮大門通り一帯は矢木の馬場と呼ばれ、金刺氏一族が流鏑馬を競ったところだと伝えられている。武田信玄はその儀式の断絶を惜しみ、再興のために舞童に対して装束を寄進しているという。2022-03-24
3三区津島神社三区津島神社平成元年の三区青雲館の祭りの様子が紹介されている。ここは昔行屋があった所で、諏訪八十八カ所の第五十四番札所にあたり、青雲閣とよばれていた。明治初期は集会場として使われていたが、明治26(1893)年に青雲館を建て、当時としては大変大きな集会場であった。その青雲館の南横にこの津島神社が祀られている。同じ敷地内には菩薩立像や大威徳天神碑、武井半嶽紀徳碑などが置かれている。2022-03-19
4萩倉分教場(萩倉分校)萩倉分教場(萩倉分校)明治8(1875)年に開校した萩倉文教場(分校)は本校へ統合し教育効果を高めるため、昭和41(1966)年4月2日、92年の長い歴史を閉じました。ここは小学4年までの児童約700人が子らまで学びました。紫綬褒章を受けたメンデル遺伝学の権威篠遠喜人氏はこの分校の出身。 廃校後は青年ホームとなり青年活動の拠点となった。また、農繁期には季節保育園や民謡の練習小中学校の行事等多くの人々が利用した。現在この場所には萩倉公会所が建てられている。2022-04-12
5武居公会所武居公会所完成した武居公会所。武居には集会場がなく役員の家を使用してきたが、明治40年代に薬師堂を建て増しし、薬師堂兼集会場になっていたものをこの年に建て替えて武居公会所となった。薬師堂はもともと外御霊戸社脇から天保12(1841)年に茅葺2間で現在地に移されていたもので、享保元(1716)年以前のものと言われている本尊薬師如来が安置されている。あわせて脇持仏の日光・月光菩薩・十二神将・百万遍の数珠などが保存されている。2020-03-06
6公民館での葬儀公民館での葬儀公民館(第一区明新館)での葬儀。当時は寺での葬儀が一般的だが、区の公会所を利用した葬儀も多くなってきていた。この葬儀の導師は浄土真宗大谷派の僧。2020-03-06
7確定申告相談風景確定申告相談風景「確定申告申請受付町屋敷公会所へ出前」。町役場が5キロ離れた山間地区の町屋敷公会所で確定申告相談所を開設。お百姓さんや家内工業者らが利用していた。2021-04-15
8旧第1保育園旧第1保育園旧第1保育園。大正15(1926)年下諏訪保育園設立、当時は県下でも保育施設の草分けであった。現在は四区公会所として使用されている。 この保育園は、大正時代下諏訪が国用製糸全盛期に、それに従事する母親のために下諏訪町幼児保育会が誕生、町内有志による資金によって園舎が建設されたという。2020-03-06
9金桃の碑と小井川校生徒の延命地蔵金桃の碑と小井川校生徒の延命地蔵写真左の碑には「名月や虫のひげふる草の上、紫金桃」とある。この右手にあるのは、大正11(1922)年6月22日小井川小学校生徒が水泳中に遭難したため、昭和9(1934)年にその霊を慰めるために建てられた延命地蔵。尚、紫金桃(小口正衛、二代村長、3代町長)の碑は現在赤砂公会所の前に移された。2020-03-06
10第1保育園第1保育園旧下諏訪第1保育園。現第4区公会所。2020-03-06
11野球大会優勝記念写真野球大会優勝記念写真東町、野球大会優勝の記念写真2020-03-06
12星ヶ丘公会所落成記念写真星ヶ丘公会所落成記念写真新築された星ヶ丘公会所と下諏訪町長青木健一氏、区関係者による落成記念写真。背後にはまだ畑が見える。星ヶ丘団地の造成は昭和39(1964)年。2020-03-06
地図で見る


ログイン トップページへ