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写真タイトル説明登録日
1方言館方言館下諏訪駅前オルゴール通り下諏訪商栄会が、地域の人などのふれあの休憩所として開設した「方言館 およりなんしょ」懐かしい言葉に会えるなど、好評の、広瀬町、方言館がテレビ出演した時の様子。2023-02-26
2広瀬町誌の編集会議中広瀬町誌の編集会議中方言館にて町誌の編集会議の様子。 皆さん真剣な顔。2023-02-26
3歩行者天国歩行者天国広瀬町歩行者天国2023-02-26
4歩行者天国歩行者天国広瀬町、お舟祭り宵祭りの夜の歩行者天国風景。 こちらでは切り花を売っていた。2023-02-26
5歩行者天国歩行者天国広瀬町歩行者天国2023-02-26
6歩行者天国歩行者天国広瀬町の歩行者天国。 大森接骨院の駐車場で行われたウナギのつかみ取り風景。2023-02-26
7駅前通り駅前通り広瀬町の店並み、スナックアトリエ、藤田クリーニング、ヘアーサロン勝野ほか2022-09-14
8歩行者天国歩行者天国広瀬町の歩行者天国の様子。2023-02-26
9歩行者天国歩行者天国広瀬町歩行者天国のセレモニー風景。 写真中央に高木町長の姿も見える。2022-08-09
10下諏訪駅と駅前通り下諏訪駅と駅前通り令和2年頃の下諏訪駅と駅前通りの様子。昔の駅舎や駅前通りの様子と比べてみていただきたい。駅舎は二階建てになり、駅前の看板は簡素になって時間の隔たりを感じることが出きる。2021-06-23
11役場分室役場分室下諏訪郵便局は、最初旧本陣岩波方に置かれたが、その後幾度か移転する。 1,明治5(1872)年 本陣岩波方 2,明治25(1892)年 増沢市郎兵ヱ方(旧警察右手前) 3,明治39(1906)年 立町3242(旧警察左手前) 4.大正5(1916)年 大社通5524(小口多郎方隠居所地) 5,昭和25(1950)年 広瀬町(下諏訪駅前通り) 6,昭和57(1982)年に現在の栄町に移転 昭和25年に郵便局は広瀬町へ移転。昭和27(1952)年教育委員会が設置されここで執務を開始、それ以後役場の分室として使用された。写真は役場分室・教育委員会当時のものと思われる。2022-03-19
12広瀬町綱打ち広瀬町綱打ち友之町本通りと広瀬町の綱打ち記念写真。2021-12-26
13お舟祭りお舟祭り夏の遷座祭(お舟祭り)、下諏訪駅前の広場で騎馬行列が勢ぞろいしての記念撮影。第一区・第三区の騎馬が一緒に写っているのは珍しい。後ろに見える駅前の大鳥居は明神型の鳥居で、昭和25年に御柱の古材を使って建て替えられたもの。この鳥居は昭和31年ネオン塔に取り替えられた。「広瀬町誌」には昭和33年の写真と記載されているが、民聲新聞等を調査した結果、33年にはすでにネオン塔になっていることが判明した。2021-05-03
14友之町・広瀬町綱打ち 友之町・広瀬町綱打ち 「昭和卅一丙申年 御柱祭」友之町・広瀬町綱打ち集合写真。2022-05-08
15四王綱打ち四王綱打ち綱打ち作業。 特別に栽培された「関取」という名の草丈の長い稲わらを使い秋一の女綱と小宮の曳綱を3日に渡り、伝統の稲わらから綯(なう)綱打ちを行います。2022-06-08
16聖火ランナー聖火ランナー国体の聖火リレーがオルゴール通り(駅前通り・広瀬町)を得下諏訪駅に向かって走っている。2021-12-18
17郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
18郵便局の窓口郵便局の窓口郵便局の窓口。郵便局が広瀬町(現日本電産サンキョー付近)から現在地の栄町へ昭和57(1982)年に移転。この10年後民営化し、平成24(2012)年には日本郵便株式会社になった。2020-03-06
19世界最大のオルゴールメーカー世界最大のオルゴールメーカー三協精機(現日本電産サンキョー)は終戦後桜町に工場建設し始まったが、昭和23(1849)年からオルゴールに着目し、輸出用を中心に量産を始めた。昭和32(1957)年に広瀬町にあった昭栄製糸工場跡に工場を移転し、オルゴールの大量生生産で世界最大のオルゴールメーカーに成長した。写真は三協精機の工場のオルゴールの検査の風景。 二枚目の写真はオルゴールの組み立て自動機。2021-04-01
20広瀬町町少年団広瀬町町少年団広瀬町少年団の団旗完成記念写真。 昭和12(1937)年7月7日に支那事変が勃発。 この時、町内の組長や在郷軍人等の要望により結成、小学1年から高等科2年の男子全員が毎週日曜日の朝6時に新道(三国座通り)へ集合、駆け足で諏訪大社秋宮へ必勝祈願し、その後帰町して町内道路と駅庭の清掃を実施した。そろいの帽子と腕章に少年たちの真摯(しんし)な眼(まなざし)が並ぶ。2021-04-15
21広瀬町町民遠足広瀬町町民遠足ざっと数えて100人。 子ども達の多さに驚きです。2020-03-06
22駅前通り舗装工事駅前通り舗装工事舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。2021-05-03
23広瀬町町内会ハイキング広瀬町町内会ハイキング広瀬町町内会の八島ハイキングの際の記念写真。写っている人数と手持ちの番号旗から何台かのバスに分乗していったのか.それにしても、子どもたちの多さは今では考えられない。2020-03-06
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