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写真タイトル説明登録日
1空襲に備えて空襲に備えて昭和20年も4月頃になれば戦況はいよいよ厳しくなり、空襲警報もしばしば発令されるようになり、主婦たちも空襲を想定してバケツリレーで消火訓練をした。学童も授業を中止して帰宅することが多くなってきた。この写真は御田町通りのバケツリレーの様子である。写真右からカネタマル・福助堂・橋本屋・安兵ヱといった店が並んでいた。 女性は防空頭巾にモンペ姿、男性は国民服にゲートルなど当時の服装がよくわかる。2022-06-09
2釜洞商店釜洞商店辻の八百屋さん、正月を迎える準備も整う。御田町通りの角にあるこの店、製糸全盛時代には、わらで焼くおいしい焼き芋で人気を集め、近くに並ぶ大手製糸工場の工女たちの買い物でにぎわったものだという。店の軒先に、新年を迎える七五三(しめ)が飾りつけられている。道の向こう側は本屋さん(三澤屋書店)。№1154参照。2020-03-06
3釜洞商店釜洞商店辻の八百屋さん。御田町通りの角にある店。製糸全盛時代には工女たちの買い物で賑わっていた。№1167参照。2020-03-06
4出勤風景出勤風景平年とほぼ同じ時期の梅雨入りの朝の出勤風景(入一通信前)。2020-03-06
5寒の雨寒の雨厳寒の雨は酷寒の地諏訪地方では珍しく、この日の最低気温は0.5度(平年比7.7度高)、最高気温は6.5度(同3.6度高)だった。御田町の風景写真左が居酒屋「甚八」右手には福田屋菓子店。2020-03-06
6製糸時代のメインストリート、今は御田町通り製糸時代のメインストリート、今は御田町通り戦前はこの通りに片倉、入一など大手製糸工場が並び、月二回の定休日には通りにあふれるほどの工女たちで賑わったものという。工女たちを集めた御田町劇場はもうない。戦後も片倉跡が「ヤシカカメラ」の工場になって、従業員の往来で活気を見せていたが、同工場が岡谷へ去ってから、(現在は「武藤工業(株)諏訪工場」に代わって)静かな商店街にな様変わりしている。2020-03-06
7道路粉塵掃除道路粉塵掃除スパイクタイヤの粉塵清掃。街がかすむほどのひどい粉塵に耐えかねて、商店街が町の補助金を受けて集塵機を購入、掃除につとめている。このころスパイクタイヤの使用禁止を求める声が年ごとに強くなっていた。 やがてスパイクタイヤが使用禁止になり、スタッドレスタイヤが普及して今では全く見かけななくなった風景である。2020-03-06
8丸屋呉服店丸屋呉服店御田町にあった丸屋(まるや)呉服店、現在は共益金物になっている。 「連合大売出し御田町商業会」ののぼり旗も見え当時の御田町の賑わいが感じられる。 店の右端には「名実共ニ日本一福助足袋」の丸い看板も見える。 御田町通りは明治44(1921)年に新たに開かれた通りある。2021-05-03
9御田町商店会御田町商店会御田町通りのお祭の飾りつけ準備記念写真。 旧菱友付近。2020-03-06
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