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写真タイトル説明登録日
1祢宜太夫邸焼失祢宜太夫邸焼失明け方、借家人の失火から住居部分を全焼した。この家には武田晴信(信玄)安堵状など「祢宜太夫家文書」が伝えられていたが文書類は焼失。焼け残った祢宜太夫屋敷の土蔵。こちらは焼失後の写真。2020-03-06
2禰宜太夫家禰宜太夫家諏訪大社下社五官の一つ、禰宜太夫家の荒れ果てた屋敷。この年8月21日失火のため消失。下社五官とは大祝・禰宜太夫・擬祝・副祝をいう。2020-03-06
3土蔵土蔵桃井屋敷と消失前の土蔵。8月21日に焼失。「すわ湖の町の平成元年」80pには焼失した写真が掲載されている。 №1047参照。2020-03-06
4犬射馬場、上馬場の標石。犬射馬場、上馬場の標石。諏訪大社の神官は上代末から中世までは武士であった。そのため練武の場を設けて武技を練り、神事にも取り入れられていた。犬射馬場は神殿の西続きにあり、現在も上馬場(かみばっぱ)の名を残している。享保18(1733)年検地をし、四隅に標石(武居入りから出土している「六方石」が使われている)が立てられた。東西約152m南北約73m周囲約450m。(下諏訪町の文化財には455m、下諏訪町の歴史には488mなどの記述も見える) 「下諏訪町の文化財」には、東北隅の標石は「享保十八癸巳年三月改、明和六己巳八月廿五日御宮奉行氏子方立会改候所、享保年中検地之節(境)目石書付。当社馬場依是南江。依是西江。」 北西隅の標石は「享保十八癸巳年三月改、従是東江八十三間二尺。当社之馬場従是南江四拾間二尺。」 東南隅の標石は「当社之馬場従是北江三2020-03-06
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