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写真タイトル説明登録日
1継子神7 地図継子神7 地図本地図は参考文献にあげてある「継子神と矢木の里」を出典とする。同文献の記述によると「今から三百二十年ほど前(延宝元年)の下ノ原集落図には、奥城と思われる位置に「ママコガミノ木」と記されている 。それから二百年たった明治八年の集落図にもその大木が図指され 、「 御維新につき村にて伐る 」とある。「 下の原誌」にはこれを三両三分で売却したとあるから 、よほどの大木であったことがわかる 。この一連の記録から 、この頃まだ奥城をしのばせる森もあって 、塚守のように 大木がたっていた景を考えるのが自然のようである。」2023-04-01
2継子神6 社日祭当番帳 継子神6 社日祭当番帳 継子神を祭る吉澤巻で保管している社日祭当番帳。大正4年から今に引き継がれている。2023-04-01
3継子神5 掛け軸継子神5 掛け軸継子神を祭っている吉澤巻に伝わる掛け軸2023-04-01
4継子神4 神紋梶の旗継子神4 神紋梶の旗年例祭では織とともに神前に掲げられる「神紋梶」の御旗一流。これは諏訪大社から下賜されたもので、きわめて異例のことである。ゆえあって民間祭祀となっているが、この一事は 、継子祭祀の本源がいかに至尊のものであるかをうかがわせるに十分だろう 。2023-04-01
5継子神3 幟継子神3 幟継子神の年例祭はおよそ春の社日(春分に近い 戊の日)とし 、一門相寄り執行され、大きな幟が飾られる。写真は吉沢家のベランダで虫干しした時の写真で、「奉納継子神社大正15年初冬日 願主」「奉納愛宕神社大正15年初冬日 願主」とある。2023-04-01
6継子神2継子神2継子神祠は、かつては奥城( 古墳)跡といわれる地にあり、原氏一族によって塚守されていたという。いつしか祭祀が途絶え 、その後、有縁の吉沢巻一統によって復興された 。神座は100メートル西に遷され、継子神祠として奉斎されている。「諏訪大神の信仰」宮坂喜十によれば、矢木崎の八杵命(やきねのみこと)の俗名が継子神であるという。(継子神1を参照)2023-04-01
7継子神1継子神1継子神祠は、かつては奥城( 古墳)跡といわれる地にあり、原氏一族によって塚守されていたという。いつしか祭祀が途絶え 、その後、有縁の吉沢巻一統によって復興された 。神座は100メートル西に遷され、継子神祠として奉斎されている。「諏訪大神の信仰」宮坂喜十によれば、矢木崎の八杵命(やきねのみこと)の俗名が継子神であるという。2023-04-01
8ママコノシリヌグイ解体図ママコノシリヌグイ解体図ママコノシリヌグイ(タデ科)継子の尻拭い ママコノシリヌグイ:野原・水辺に多い1年草。葉はほぼ3角形。花弁はなく、ピンクの萼5裂、雄しべ8、雌しべ1。 アキノウナギツカミ:水辺に多い1年草。葉は丸く細長い。2021-11-11
9ママコノシリヌグイママコノシリヌグイ野山にあちこち群生している。 和名は「継子(ママコ)いじめ」。逆さ刺が継子いじめに使われたという意味。 写真2枚目は刺の写真、この刺h半端なく大変痛い。 写真3・4枚目は花でピンク色で美しい、「アキノウナギツカミ」も同様に刺が痛い。他のつる植物の仲間同様にその刺で他の植物にからんで上に伸びてゆく。2021-05-25
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