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登録リスト(該当:7件)

写真タイトル説明登録日
1東山田行屋東山田行屋東山田の熊野神社参道の西側にあり、信仰を同じくする人が集まる修験の場であった。この項では、駒ケ岳、御岳、富士山、浅間山、大山など霊山が信仰されている。行屋の東に滝があって水垢離ができるようになっている。しばらく途絶えていた荒神様のお守りが復活し、正月には講の詩損に配られるようになった。 また行屋の前からは諏訪湖の眺望がすばらしく、さらに目をやると富士山、北岳、間ノ岳の日本の山・標高ベスト3を一度に眺めることができる。2022-03-19
2三区津島神社三区津島神社平成元年の三区青雲館の祭りの様子が紹介されている。ここは昔行屋があった所で、諏訪八十八カ所の第五十四番札所にあたり、青雲閣とよばれていた。明治初期は集会場として使われていたが、明治26(1893)年に青雲館を建て、当時としては大変大きな集会場であった。その青雲館の南横にこの津島神社が祀られている。同じ敷地内には菩薩立像や大威徳天神碑、武井半嶽紀徳碑などが置かれている。2022-03-19
3村祭り村祭り熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
4修験道の初午祭修験道の初午祭修験道の初午(はつうま)大祭の様子。 江戸時代後期に入ると村々に講が生まれ、行屋が造られ行者(山伏)が活躍したという。その名残を伝えるのが宝光院敬愛社で宝暦4(1754)年に白鷺山に湯殿三山講として開講したのが始まりという。安永7(1778)年に羽黒山から宝光院の院号を受けている。明治に入っていろいろな弾圧、土地の没収に遭ったが活動は続き、大正8(1919)年には真言宗醍醐寺派の指導で敬愛者として結成し、翌年には現在地に道場を立てた。 初午が最大の祭りで護摩を焚いて家内安全などを祈る。2021-04-22
5明新館明新館古くは行屋(お堂)があったところで、明治10(1877)年に学校建築の費用に充てるため御堂と土地を民間に売ったが、明治24(1891)年にお堂を取り壊して集会所を建て、「明新館」と名付けた。 下諏訪町最初の集会所。その後何回か改修を重ねてきたが老朽化により昭和41(1966)年現在の建物に改築されている。 写真は改築直前の昭和40(1965)年の明新館。 下原中村勝五郎の日記(日嘉恵雑書帳)に「明治24年200円にて明新館建てる」とある。玄関と平石屋根は明治32(1899)年の改修。行屋にあった十王像(町文化財)は現在同館に保存されている。2020-03-06
6東講社行屋神座東講社行屋神座東講社行屋修復完成記念の写真。東山田の行屋は熊野神社参道西側にあり進行を同じくする人が集まる修験の場であった。この講では、駒ケ岳・御嶽・富士山・浅間山・大山など霊山が信仰されている。2020-03-06
7東講社行屋修復完成記念東講社行屋修復完成記念東講社(あずまこう)行屋修復完成記念の写真。茅葺屋根にトタンがかけられた。東講は東山田の旧家で組織していた。駒ケ岳大権現をまつり行屋を持ち不動の滝・御(お)山と呼ばれる霊場もあり、かつては行者の修行も盛んに行われた。古くは雨ごいの霊場にもなっていた。2020-03-06
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