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登録リスト(該当:46件)

写真タイトル説明登録日
1ジャスコ下諏訪店の閉店ジャスコ下諏訪店の閉店長年愛されたジャスコ下諏訪店が閉店。写真は閉店セールの模様。閉店当時はすでにイオン2024-03-19
2鳥の巣鳥の巣あすなろ公園(バス近く)の桜の木に鳥の巣がある。 その中の一つは山鳩が通っています。この公園は鳥たちには安全な場所のようだ。2024-02-29
3新型あずさ新型あずさ新型あずさ E257系試運転。 JR東日本中央線 特急電車「あずさ」当時使用されていた183系・189系車両は2001(平成13)年にはすべてこの車両に置き換えられた。2024-01-28
4儀象堂記念腕時計儀象堂記念腕時計下諏訪駅開業100周年記念に作られた「儀象堂記念入場券腕時計」7月から始まった関連行事、「時の科学館・儀象堂」の記念入場券を兼ねた腕時計の絵柄。 ※「諏訪湖時の科学館儀象堂」(下諏訪町)にて11月30日まで写真展示(140枚)・鉄道グッズ(あずさのヘッドマーク・D51番号板・行き先表示板など)の展示販売。Nゲージ・アニメキャラクターなどの鉄道模型。 また、入場にはD51の写真を文字盤に利用した「腕時計フリーパスポート券」(1500円)で期間中、何度でも入場可能。その他、鉄道時計を展示。〔明治時代のウォルサム(米国)から2000(平成12)年復刻のセイコーまでの25点〕時計のフリーパスポート券は通常価格2500円の商品、かなりお値打ちで記念になりそう。2023-12-17
5令和5年の秋宮リンク令和5年の秋宮リンク秋宮リンクに子供たちの声が響く。写真は下諏訪北小学校の一年生のスケート教室の様子。近年は暖冬で毎年利用できないことも多いが、この年は年初の冷え込みがあって、三学期に入りスケート教室ができるようになった。下諏訪南小学校と北小学校の子供たちがスケートを楽しんでいる。昔と違いフィギュアスケート用の靴を履く子供の方が多いが、中にはスピード用の靴で見事に滑走する子供もいるの体制で。わずか一時間弱だが、子供たちの成長は早い。常時4人の体制で管理している。また、親の見守る風景も昔とあまり変わらない。ただ残念なことに氷の状況は長続きせず、この年も「氷上祭」は中止となった。2023-01-21
6下諏訪町立図書館下諏訪町立図書館令和4年春の図書館。コロナ感染防止のためこども未来バスも利用をお休みしています。 その中でもあすなろ公園の桜は満開です。2022-04-20
7レンゲツツジ解体図レンゲツツジ解体図レンゲツツジ(ツツジ科)蓮華躑躅 「蓮華」:大きく鮮やかに、枝先に固まって咲く様が、美しい蓮(はす)を思わせる。 「躑躅」:昔、中国で「羊躑躅」(羊がつつじを食べて、足ずりし、酩酊する)との漢名が日本に伝わる中で、「羊」が取れてしまい、「躑躅(てきちょく)」のみ残った。  ※躑躅①足ぶみすること②ためらうこと③つつじ(広辞苑) 全木、花・葉も有毒、密もしかり。 草原・牧場にレンゲツツジが群生するのは、牛や馬が食べないため、有毒成分は嘔吐・痙攣を起こす。キレンゲツツジ(黄色)、コウレンゲ(濃朱色)、帯紅黄色(カバレンゲ)、ウラジロレンゲツツジ(葉裏が白)2022-03-15
8マルバスミレ解体図マルバスミレ解体図マルバスミレ(スミレ科)丸葉菫 花も葉も丸みがあり、毛のあるものが多い。花は白色丸弁で重なり気味。 従来「ケマルバスミレ」と呼ばれたが、普通毛があるので、「ケ」を取った。2021-11-11
9フユノハナワラビ解体図フユノハナワラビ解体図フユノハナワラビ(ハナヤスリ科)冬の花蕨 夏場は休眠し、秋から地に低く、鳥の羽状の葉が出る。秋から写真のような「胞子葉」を出し、寒くなると、胞子嚢が破れ、胞子を飛ばす。この穂状のものが、陽に当たると黄金色に輝き、花と見立てて「フユノハナワラビ」という。 野辺の草地に生える人里植物で、草丈10~20cmの多年草。 春先、栄養葉だけの個体を教えてもらうが、胞子葉のない段階では・・・ワラビの和名がピンときませんでした。 ここにはあるのは、栄養葉のみです。2021-11-11
10センボンヤリ解体図センボンヤリ解体図センボンヤリ(キク科)千本槍 別名 ムラサキタンポポ。低山の草原・路傍に生える2年草。葉はすべて根生葉。 花に2型あり。 春:舌状花は白色で、下面は紫に染まり、ムラサキタンポポの所以。 秋:閉鎖花で自家受粉する。花茎は大きく伸びて、春にも残り、センボンヤリの所以。2021-11-02
11スミレの仲間スミレの仲間上から ・プリケアナ  北米産でパピリオナケアの仲間。白花の基部は紅紫色で紫条が入り、二色咲きとなる。繫殖力が旺盛で、庭先から逸出したものが野生化して各所で群生を見る。 ・パピリオナケア  北アメリカ原産で、スミレマニアなどの手によって、各地に広まっている。濃い紫色だが、側弁に毛が多く、花弁の基部は白く見える。 ・アカネスミレ  丘陵地~山地の路傍や林緑など向陽地から半陰地に自生する。花は中形の濃紫~紅紫色~紫青~薄色・白色と変異がある。全体的に多毛で、側弁、距、子房にまで毛がある。距は細長く花色にほぼ等しい。 ・タチツボスミレ  全土の海岸線から標高2000m前後までの草地~落葉樹林の向陽地~陰地・乾燥地~半湿地など生息範囲が広い。個体数も多いために花の色・葉の形態などに2022-06-12
12スギナ・ツクシ解体図スギナ・ツクシ解体図ツクシ(土筆・継く子) 胞子茎 ・生きている化石 スギナは仲間のトクサとともに、シダ植物の中でも原始的な一群で、「生きた化石」である。今こそ手のひらサイズだが、古生代石炭紀(3億年前)は高さ30mもある先祖から、今に生きながらえている。 胞子で増えるシダの仲間 ツクシの頭部は、六角形の「胞子嚢」がびっしり詰まり、成熟すると、隙間ができ、そこから1本のツクシで200万個の胞子を飛散させる。胞子は湿った地面で芽を出し、ゼニゴケに似た「雄の前葉体(造精器)と雌の前葉体(造卵器)」に育ち、受精すると「スギナ」に育つ。 ・育つ土壌 田畑など栄養分の多い所ではスギナばかり出てツクシはあまりない。栄養分のない荒地ではツクシが多い。ツクシはスギナの胞子茎で、茎には退化した葉(はかま)2021-11-02
13ショウキラン解体図ショウキラン解体図ショウキラン(ラン科)鐘旭蘭 ラン科ショウキラン属。腐生植物で、光合成を行わず、菌根を形成し、共生。通年地下茎の形で生育し、7~8月の花期に花茎を地上に伸ばす。花茎の高さは10~25cm、鱗片状の葉を持つが、目立たないので、地表から唐突に花序だけ出た姿に見える。 花は美しいピンク色で、1週間程度で黒くしおれる。 分布日本全国、山地の日当たりの悪い場所に生育する。 近縁種にキバナノショウキラン、シナノショウキランがあるが、固体数は少ない。 写真:平成26年6月30日、下諏訪町観音沢。下左は    蕾状態のもの。    和名は花の形を「烏帽子をかぶった鐘旭の姿」に見立てたもの。2021-11-02
14萩倉水車小屋萩倉水車小屋萩倉で製糸業が始められたのは明治11(1878)年のことである。燃料の薪の確保が容易だったことや中央線開通前で、信越線大屋駅から和田峠を越えて運ばれてくる原料繭の入手に便利な立地だったことにあわせ、動力源であった水車を回す豊富な水利があったことが指摘されている。写真は当時の水車を復元したものでバスの待合所にもなっている。後ろの鳥居は米守(よねかみ)神社の入り口である。2022-03-24
15御射山神社御射山神社中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。 写真下は同じ境内にある大元尊社である。2021-12-26
16西大路口交差点バイパス接続工事西大路口交差点バイパス接続工事西大路が国道20号線と交差する場所(国道20号西大路口信号交差点)の工事風景である。当面は混雑緩和と歩行者の安全確保を目的とした交差点改良工事だが、将来の国道20号下諏訪・岡谷バイパスと現国道とを接続するアクセス道路の起点となる計画があり、完成すれば車の流れが大きく変貌するポイントになる場所と思われる。2022-03-19
17アリアケスミレアリアケスミレ信州はスミレ大国。諏訪もしかり。本種は田の畔などの湿地に生え、白い花は美しい。2021-06-06
18ヤマシャクヤクヤマシャクヤク自生は見られなくなったが、白い花弁はすがすがしい。2020-09-09
19下諏訪上空(西赤砂付近)下諏訪上空(西赤砂付近)赤砂上空から西赤砂(砥川右岸)を撮影していると思われる。写真右上に鷹の橋と砥川が見える。中央(写真右上から左下へ)を走る道の北側(写真上方)には田んぼが広がっているが、現在は一般県道岡谷・下諏訪線が東西に、西大路通りが南北に新しく開設されている。西大路通りは写真のほぼ中央やや上あたり、現在の西赤砂信号まで整備され、地域の景観はずいぶん変化している。なお、十四瀬川が写真左上から道路を横切って右下に流れている。写真では黒っぽく筋のように見えている。また、写真左上や右下にリンゴ園と思われる果樹園らしき景観も確認できる。2021-04-18
20お舟祭りお舟祭り夏の遷座祭(お舟祭り)、下諏訪駅前の広場で騎馬行列が勢ぞろいしての記念撮影。第一区・第三区の騎馬が一緒に写っているのは珍しい。後ろに見える駅前の大鳥居は明神型の鳥居で、昭和25年に御柱の古材を使って建て替えられたもの。この鳥居は昭和31年ネオン塔に取り替えられた。「広瀬町誌」には昭和33年の写真と記載されているが、民聲新聞等を調査した結果、33年にはすでにネオン塔になっていることが判明した。2021-05-03
21秋宮境内秋宮境内秋宮境内での撮影。 後方に菊花展を行っている様子が見える。 大注連縄ははすした後か(色が灰色がかっている)。2021-12-18
22天白の坂道天白の坂道142号線(宮の上バス停近く)よりハイム天白方面(秋葉山から続く斜面)に登る急坂。坂の上には町指定文化財の横穴式の石室をもつ古墳時代末期の古墳、「ジジ穴・ババ穴古墳」がある。2021-04-15
23御柱祭御柱祭御柱祭。「オーシャンウイスキー」「たばこ」の看板、バスには「岡谷駅」の文字も見える。後ろ姿の男性の法被に「岡谷」の文字。服装はみな洋装、和服は少し年齢の高い女性が着ている。2020-03-06
24昔の岡谷昔の岡谷昔の岡谷。バス。2020-03-06
25中央高速バス中央高速バス朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。2020-03-06
26奉射会の矢渡し奉射会の矢渡し8月26日からの御射山社祭を前に町弓道場で行われた御射山奉射会の矢渡し。63歳の弓士(5段)が小笠原流の礼法を見せた。御射山社祭は諏訪大社の最も大事な祭りの一つ。鎌倉時代には奥霧ケ峰で行われたこの祭りに集まってきた諸国の武家が、祭りの余興に小笠懸、草鹿(くさじし)などの弓術を演じ、優れた射手にはすすきの穂を添えた征矢が与えられたという故実から、この奉射会がはじめられた。奉納会はこの年67回目を数えた。2020-03-06
27下諏訪倉庫下諏訪倉庫大きな蚕庫から時代の流れで倉庫業に転進、倉庫の一部は蚕庫の遺品として博物館となっていたが取り壊されて、現在はスパーマーケット(西友)となった下諏訪倉庫。2020-03-06
28みぞれで人足の途絶えた夜の街みぞれで人足の途絶えた夜の街緑町「おちか」「うな富」の看板が見える。この日、南岸低気圧によるカミ雪で、県下はすわ湖周辺がなぜかみぞれ、春の前触れのカミ風が、ひと月以上も早く訪れたのも異変だった。 二枚目の写真は、旧小松ガラスの近くの「大政」。2020-03-06
29山の手バス山の手バス「廃止される東山田線バス」。赤字続きで廃止の話が持ち出された旧農村回りバス路線のバスと乗客。JR関係及び諏訪自動車の「東山田線」、住民の要望でこの年は運航が続けられたが廃止されることになった。東山田が岡谷市から別れ下諏訪町に合併して2年後昭和35(1960)年から運行が始まった山の手コース。東山田には4か所の停留場があった。写真は農協東山田支所前バス停。2020-03-06
30下請け工場で働く主婦下請け工場で働く主婦諏訪の精密工業を支える二次加工専門の下請工場春元精機製作所で働く主婦たち、皆さん結婚前は時計やカメラ工場で働いていた人たちばかりなので腕は確か、一人ひとりが徹底した品質管理をしているという。伝票にはソニー・オリンパスなどのスタンプが見られる。2021-04-01
31東餅屋東餅屋和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の記録では中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋跡には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。2020-03-06
32省営バスによる薪炭の搬出省営バスによる薪炭の搬出省営バスで和田嶺方面の薪炭を搬出する状況。その頃は、バストラで客貨輸送をし、和田嶺方面の薪炭を搬出した(下諏訪国鉄自動車営業所前撮影)。荷台の上には薪が、その上に炭俵がつまれている。2020-03-06
33バス開通式当日バス開通式当日昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。2020-03-06
34博物館博物館昭和46(1971)年4月1日高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての下諏訪町立博物館が開館。諏訪湖の漁具、先史時代から現代までの歴史資料が展示、二号館にはスケート及び民具を展示していた。2020-03-06
35西高木より諏訪湖を望む西高木より諏訪湖を望む西高木から望む諏訪湖(現諏訪湖博物館辺り)。後ろにスペアータイヤを積んだボンネットバスが2台見える。2020-03-06
36諏訪湖畔諏訪湖畔諏訪湖畔。現在の諏訪湖博物館付近の風景。2020-03-06
37高浜高浜高浜。ここに温泉湧出し、旅館街があった。眺望のよさは諏訪湖周辺随一で、附近に舟遊場・釣り堀・温泉プール、水族館等があった。後ろには懐かしいボンネットバスが停まっている。 看板は「高浜釣堀」。2020-03-06
38千尋池復旧前の家並千尋池復旧前の家並秋宮前の新しい道とバス停。昭和18(1943)年千尋池が復旧。2020-03-06
39花見新道花見新道花見新道の桜並木に「宮の上」(「宮の上」のバス停が天白の急坂の入口にある)の看板の文字が見える。現在とは違い新道北側にも桜並木が続いたり、人家がほとんどない当時の様子がよくわかる。 国道142号線が開通したのは、明治29(1896)年である。2020-03-06
40旧和田トンネル旧和田トンネル昭和8(1933)年1月開通の旧和田トンネル。当時日本一高い場所のトンネルとされていた。長さは260メートル。 これにより同年3月には省営バスが和田峠北線と南線で開通し、続いて同年10月には下諏訪・上和田間が開通した。2020-03-06
41湖浜地区の区画整理工事中湖浜地区の区画整理工事中7枚の写真の合成。昭和42(1967)年10月湖浜地区の区画整理工事中の様子。区画整理前は一面に水田が広がっていた。2020-03-06
42石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木-上諏訪を望む。 2020-03-06
43ハイヤーハイヤー大正12(1923)年丸ヨ自動車店浜義雄氏が東京でフォードを一台購入。 浜氏は中央線全線開通後、荒廃した和田峠線の整備に力を入れ、大正13年(1924)に貸切自動車営業を開始し昭和2(1927)年には和田嶺自動車株式会社を創立しバスが三往復運行するようになった。 この他に大正13(1924)年、湯田仲町ハイヤーサクラ自動車商会、大正15(1926)年菅野町に丸S自動車株式会社などが設立された。         2020-03-06
44国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。2020-03-06
45広瀬町町内会ハイキング広瀬町町内会ハイキング広瀬町町内会の八島ハイキングの際の記念写真。写っている人数と手持ちの番号旗から何台かのバスに分乗していったのか.それにしても、子どもたちの多さは今では考えられない。2020-03-06
46石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木・上諏訪方面へ諏訪湖を望む。富部から高木(殿村遺跡)は「うばのふところ」と言われ一日中陽が当たる暖かいところで、桜は石投げ場が1番、慈雲寺が2番に咲くといわれていた。走行するボンネットバスは、丸Sバス。諏訪湖の対岸に遠く片倉館が見える。当時の絵葉書(高浜湾の勝景)である。2020-03-06
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