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登録リスト(該当:13件)

写真タイトル説明登録日
1旧釜口水門旧釜口水門撤去工事の準備の始まった旧釜口水門。天竜川の始点であるこの水門「昭和7(1932)年に大洪水対策と疲弊農村救済策として着工、同11(1936)年3月完成した。幅7m・高さ3mの制水門7門・舟航路付き、総工費34万円だった」(信毎)。毎秒600トン放流可能な新水門の完成で役目を終えた。写真右端は平水路、左端は舟航路(閘門式)。№1125参照。2020-03-06
2舟道舟道富部地区に残っていた舟道と漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1133参照。2020-03-06
3漁業者の家漁業者の家富部地区、漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1174参照。2021-04-01
4旧釜口水門旧釜口水門撤去工事の準備の始まった旧釜口水門。天竜川の始点であるこの水門「昭和7(1932)年に大洪水対策と疲弊農村救済策として着工、同11(1936)年3月完成した。幅7m・高さ3mの制水門7門・舟航路付き、総工費34万円だった」(信毎)。毎秒600トン放流可能な新水門の完成で役目を終えた№1307参照。2020-03-06
5ワカサギの舟釣りワカサギの舟釣り砥川河口のわかさぎ釣り。湖の水温が下がるとわかさぎ釣りのポイントが岸から沖へ移る。10月中旬から最盛期に入り、季節風の吹き出す11月頃まで賑わっていた。2020-03-06
6最後の専業漁師最後の専業漁師諏訪湖最後の専業漁師藤森さん、赤砂崎、砥川のほとりに住み、漁業一筋に生きてきた69歳(平成元年現在)、湖が自然破壊でだめになり仲間たちは漁業に見切りをつけ転職していった。「埋め立てで湧くように殖えた湖がだめになったという。漁協の稚魚放流をしているが水草帯がつぶされ水生昆虫など魚のえさも少なくなり、水揚げの70%を占めるワカサギも生育が悪い」という。漁は週3日しか許されていない。№1068参照。2021-04-01
7十四瀬川河口十四瀬川河口岡谷市との境、十四瀬川の河口。マコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していた。橋の先に見える舟たまりの横には大正11(1922)年6月に平野村(現岡谷)の小学生が諏訪湖で遭難した霊を慰めるために建てられた延命地蔵が祀られている。2021-04-01
8湖の至宝、美しい丸太舟湖の至宝、美しい丸太舟湖の至宝、丸太舟。(丸木舟のことを諏訪では丸太舟と呼ぶ。)古代からの「くり舟」の面影を伝える諏訪湖独特の漁舟。「天然のからまつの大木を二つ割りにして、内側をくりぬいたものを船側(ホテ)とし、真中で接いだからまつ板三枚並べの計六枚はぎの船底(シキ)を、特殊な船釘で縫い合わせた造り。ホテが重くて安定性があり、シキのそりに加えてシキに樋型(ヤエン)があるので操縦しやすく、高波にも波負けしない。天候が急変することが多い諏訪湖で、夜間の出漁も多い漁師たちは、ほとんどの者がこの丸太舟を使ってきた。」と諏訪湖の漁具研究家・小林茂樹さんは書いている。湖の至宝ともいえる丸木舟だが、この船を造れる舟大工はもういない。からまつの巨材が得られなくなってからは、ホテの上端へ、ワノセ(上乗せ)と称する板2021-04-15
9渡舟場渡舟場絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖渡舟場」2021-04-06
10諏訪湖諏訪湖絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖畔鶴遊館前湖上」。護岸工事がなされていない諏訪湖畔。現湖岸通り付近の桟橋。2020-03-06
11漁船漁船絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖上衣ヶ崎の漁船」。諏訪八景にある「衣崎帰帆」の風景がしのばれる絵葉書である。2021-04-06
12諏訪湖の観光ボートとアオコ諏訪湖の観光ボートとアオコ湖面にはアオコばかりでなくゴミも漂う。2020-03-06
13諏訪湖畔の観光ボート諏訪湖畔の観光ボート「すわこえん」と書かれた観光ボート。 湖面がアオコでどろんとして見える。2021-12-26
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