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写真タイトル説明登録日
1製糸工場の面影製糸工場の面影「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。2021-04-21
2製糸場事務所製糸場事務所製糸場の事務所。2020-03-06
3岡谷製糸岡谷製糸岡谷製糸業(御田川製糸場)建物外観。明治16(1883)年岡谷市の小口善重が下の原中村平助製糸の休業のあとへ御田川製糸場を開業、大規模な繰業で「大器械」とも呼ばれ、二階建ての事務所に望楼を載せ村人はホテルとも呼んだとされるものとも推測できる。2020-03-06
4入一通信入一通信入一(いりいち)通信(株)の洋館風の事務所。前進は明治43(1910)年発足の入一組製糸所。そのまた前身は明治34年創業の入○(イリマル)組製糸所。最盛期の大正10(1921)年は1150釜と町内きっての大手工場となり、茨城・静岡と町内に分工場を持っていた。太平洋戦争中製糸技術を生かして通信機用コイル・トランスの生産に転換した。2021-04-01
5六協新社屋六協新社屋スリムなビルが完成、地元建設会社(㈱六協新社屋)の事務所。狭い敷地を生かして建てられた。昭和43(1968)年三協精機の営繕関係の下請け会社として発足した建設土木の会社。2021-04-01
6旧白鶴社の建物旧白鶴社の建物取り壊しが決まった明治9(1876)年創業の製糸組合白鶴社の旧事務所。白鶴社(共同出荷・揚げ返し)は、諏訪製糸の揺籃期(明治初期)から台頭期(同中期)にかけて操業していた二十七の製糸組合の中堅どころだが、諏訪製糸の勃興期(明治後期)に至って、製糸経営が大規模工場へ移行する潮流となり、同業組合の共同揚げ返し所はその使命を終えて淘汰される中で閉鎖となった。その後事務所は他の製糸工場へ移築され、戦後はニットメーカーの事務所として使われてきたが、その事務所も改築されることになり、この年9月28日から取り壊し工事が始まった。2021-04-01
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