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写真タイトル説明登録日
1綿の湯跡綿の湯跡かつて綿の湯や問屋場があった中山道と甲州道中の合流地を立町の方から撮った写真である。すでに綿の湯もなくなり、駐車場や観光案内板が置かれているが、手前左の「丸や」、右の「ききょうや」はかつての風情を色濃く残している。古い写真と見比べてほしい。2022-03-19
2綿の湯綿の湯大正13(1924)年着任した柳沢警部補から、衛生保安の立場上、三湯(綿の湯・児湯・旦過の湯)とも改築の急務を力説されて、第二区では「綿の湯」をはじめ、三湯の改築に取りかかることになり、まず綿の湯から着手することになった。写真は大正14(1925)年8月、旧中山道沿い突き当たりの立町に建て直された綿の湯である。この時、階下は消防屯所で二階は集会所とし、二階屋上に火の見の望楼をのせた。 綿の湯はこの後、昭和35(1960)年に鉄筋コンクリート建築に改築されている。 綿の湯には伝説が2つ伝わっている。一つは建御名方命(たけみなかたのみこと)の妃である八坂刀売命(やさかとめ)が上社から下社へ住まいを移す際、上社前の温泉の湯を化粧綿に浸み込ませて持参し、下社前に置くとそこから湯が沸き出たというもの。もう一つは、穢れ2020-03-06
3立町温泉洗濯場立町温泉洗濯場湯の町へ登る坂の中間、細道を入った裏町にある「温泉洗濯場」。近くの「初音源湯」から湯を引き、四つの町内にまたがる83戸が組合を作り維持している。年会費1000円、貯湯タンク(上)を設けてあるので蛇口の湯量を調節できた。湯の町でもこのような施設はここだけだった。2020-03-06
4下諏訪温泉の光景下諏訪温泉の光景岡谷製糸勃興期の下諏訪温泉街の情景。明治末期街道(立町)の突き当たりは綿の湯。綿の湯はこれまで前面が外湯で一般に開放され、裏面には銭湯があったが、外湯を第二区消防屯所に改修する。綿の湯の屋根越しに見えるのは「かめやホテル」、その裏手の森は「旧本陣岩波家」の屋敷木である。綿の湯の左手前は「ききょうや」「みなとや」で、左手前には「丸屋」の各旅館があった。写真右下に「諏訪電機株式会社」と思われる看板が見える。諏訪電気株式会社は明治30(1897)年設立で現在の「おいでや」の前に記念碑が建っている。2020-03-06
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