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石造弥勒菩薩座像
土田墓地入口に「弥勒(みろく)、春芳(しゅんほう)、天正二年甲戌(きのえいぬ)十月二十八日」と刻まれた古い石仏がある。春芳は戦国時代武田氏の経済を支えた富豪といわれている。武田勝頼(かつより)の命を受けて神宮寺千手堂・三重の塔の再建にあたった春芳は、この弥勒像を刻んで工事の無事完成を祈願したといわれるが、茶くみ婆さんの伝説も伝えられている。 千手堂の普請(ふしん)の間中、毎日普請場に姿を見せ、工人(こうじん)たちに湯茶を振る舞ってその労を労う親切な老婆がいて、感謝をされていたというが、その老婆は普請が済むとぱったり姿を見せなくなったという。人々は、あの老婆は弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身ではなかったかとうわさをして、そのお姿を石に刻んで感謝を込めてまつったのだという。
2023-12-03
2
萩倉薬師
信濃三薬師(辰野の七蔵薬師・長谷の戸倉薬師・萩倉薬師)の一つ。由緒ははっきりしないが、一説には東山田小田野に萩倉薬師跡と伝えられる地名があるところから、ここから移転したのではないかと推定されている。明治30(1903)年に焼失したため、明治36(1903)年に再建されている。堂は堅牢、彫刻も優れているという。
2022-03-24
3
来迎寺
知恩院を本山とする浄土宗寺院で引接山聖聚院来迎寺という。寺の由緒によれば天文10(1541)年草創という。 来迎寺は明治40(1907)年10月7日の火災で本堂、庫裡を失ったので、翌年東筑摩洗馬村の廃寺を移して庫裡として、昭和11(1936)年本堂を再建(棟梁立石初三郎)、同32(1957)年鐘楼、梵鐘をつくる。同寺の鉄焼(かなやき)地蔵尊とお堂は町の文化財に指定されている。 山門左手前の道路は明治29(1957)年に開さくされた中山道の新道(お花見新道・国道)である。
2020-03-06
4
忠魂碑
明治44(1911)年3月10日八幡社裏手に総司令官大山巌筆の忠魂碑が建立されたが、社務所拡張で八幡社南に移され終戦で一時撤去させ戦後の昭和29(1954)年に再建。40(1965)年宝生橋の左袂に移される。
2020-03-06
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