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登録リスト(該当:38件)

写真タイトル説明登録日
1一本柳神社 大陸天一本柳神社 大陸天赤砂の一本柳神社の境内に大陸天を祀った石碑がある。大陸天は大変長寿の仏で疫病を防ぐ仏でもあるといわれている。明治の初期にコレラが大流行したときに建立されたといわれている。2024-03-19
2敬愛社の御柱2敬愛社の御柱27年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。2023-09-29
3敬愛社の御柱敬愛社の御柱7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。2023-09-29
4継子神3 幟継子神3 幟継子神の年例祭はおよそ春の社日(春分に近い 戊の日)とし 、一門相寄り執行され、大きな幟が飾られる。写真は吉沢家のベランダで虫干しした時の写真で、「奉納継子神社大正15年初冬日 願主」「奉納愛宕神社大正15年初冬日 願主」とある。2023-04-01
5諏訪大社秋宮ライトアップ諏訪大社秋宮ライトアップ令和4(2022)年8月、諏訪大社は5日夜、秋宮のライトアップを始めた。半年の無事に感謝し、残りの平穏を願って参拝する「夏詣(なつもうで)」にちなみ初めて企画したもの。社殿や鳥居などを照らし、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。ライトアップは14日(日)まで午後5時から午後10時まで行った。神職は「諏訪大社で行う夏詣の取り組みは2年目。来年も続けていければ」としている。神社も時代と共に変化している。 2022-09-14
6秋宮境内の電子案内板秋宮境内の電子案内板令和4(2022)年、諏訪大社秋宮境内に電子案内板が登場。時代の流れは神社の案内板も電子パネル化され、神社の由来や境内の案内などがボタン一つで大きな画面に表示されるようになった。パネルの横画面には身長を測るメモリもついていて参拝に合わせて子供の成長を確認できる心くばりも備えている。2022-05-21
7若宮社標若宮社標富部地区(第十区)の高台にある若宮神社の鳥居の横にある若宮様の社標。現在この社標碑は甲州街道沿いに立っている。2021-12-23
8蚕影山神社蚕影山神社富部村(現在の第十区)の若宮神社の境内に一間半(約2.72m)四面の茅葺きの社殿を造り「蚕影山(こかげやま)神社」を祀った。2021-12-23
9新町下の津島社新町下の津島社花見新道の上、真澄神社と並んで津島社が祀られている。牛頭天王は水神として信仰されていたが、やがて素戔嗚尊とされ、災害や疫病を起こすモノノケの祟りを鎮める神として祀るようになり、その祭礼を夏季に行うようになった。2022-03-24
10米守神社米守神社村の鎮守で、初めは「お鍬様(おくわさま)」と言って開拓神として祀っていたという。当時は今の鳥居の所にあったが、周りに人家等が増えたため現在地に移された。嘉永7(1851)年に新しく本殿と拝殿が建立され、この時奥の院として郷林に安置された石の祠には「正徳二年ミたつ四月日」と年号が刻まれている。2022-03-24
11矢木町会館と矢木神社矢木町会館と矢木神社矢木町会館と矢木神社。かつてはこの西の春宮大門通り一帯は矢木の馬場と呼ばれ、金刺氏一族が流鏑馬を競ったところだと伝えられている。武田信玄はその儀式の断絶を惜しみ、再興のために舞童に対して装束を寄進しているという。2022-03-24
12春宮境内の子安社春宮境内の子安社案内板には「子安社 御祭神・高志沼河媛命(コシノヌナカワヒメノミコト) お諏訪さまのお母神である高志沼河媛命をお祀りする。昔からお産の守り神として親しまれ、底の抜けた柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである・」と紹介されている。高志は越で、糸魚川の神様で、かつては翡翠の原産地をおさめていたと伝えられている。このためか大社ではおみくじに従来の御籤とは別に「翡翠みくじ」という名前の御籤が置かれるようになった。神社も少しずつ変化している。2022-03-24
13御射山神社御射山神社中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。 写真下は同じ境内にある大元尊社である。2021-12-26
14熊野神社石碑熊野神社石碑東山田熊野神社の「お山」の石碑群。2022-03-19
15東山田行屋東山田行屋東山田の熊野神社参道の西側にあり、信仰を同じくする人が集まる修験の場であった。この項では、駒ケ岳、御岳、富士山、浅間山、大山など霊山が信仰されている。行屋の東に滝があって水垢離ができるようになっている。しばらく途絶えていた荒神様のお守りが復活し、正月には講の詩損に配られるようになった。 また行屋の前からは諏訪湖の眺望がすばらしく、さらに目をやると富士山、北岳、間ノ岳の日本の山・標高ベスト3を一度に眺めることができる。2022-03-19
16花田の辻・碑花田の辻・碑蚕神、道祖神、庚申の碑が並ぶ花田の辻。この小路を入ったところに第一次世界大戦の時、青島(チンタオ)攻撃司令官として活躍した神尾光臣(作家有島武郎の養父)出生の家、神尾家があった。 小路奥の林が東山田熊野神社である。2022-03-19
17神明館・神明社神明館・神明社神明館については№1173を参照していただきたい。神明館入り口に祀られている「神明神社」は大正12(1923)年に区民の寄付によって建立し、毎年10月10日を例大祭としている。なお、神社前には道祖神も建てられている。そもそもこの地区は「流れ」と呼ばれた砥川・鋳物師川・福沢川・十四瀬川の洪水常習地帯で、住宅ができたのは明治9(1876)年からで特に明治23(1890)年現国道20号線が開通してから戸数が増えてきた。新しい街だからこそ神明社は大事に守られてきたのだと思われる。2022-03-19
18三区津島神社三区津島神社平成元年の三区青雲館の祭りの様子が紹介されている。ここは昔行屋があった所で、諏訪八十八カ所の第五十四番札所にあたり、青雲閣とよばれていた。明治初期は集会場として使われていたが、明治26(1893)年に青雲館を建て、当時としては大変大きな集会場であった。その青雲館の南横にこの津島神社が祀られている。同じ敷地内には菩薩立像や大威徳天神碑、武井半嶽紀徳碑などが置かれている。2022-03-19
19若宮神社(五官)若宮神社(五官)諏訪大社下社の末社の一つ。祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)との御子、十三神、天照皇大神が合祀されている。鎮座のはっきりした記録はないとされている。明治5(1872)年11月、社格を村社とされた。社殿のすぐ下に鎌倉街道が通っていたと伝えられ、整備が地元の有志によって進められている。 写真上は社殿、写真下は旧甲州海道脇に立つ若宮神社入り口の石標である。2021-06-03
20駒形稲荷駒形稲荷社ヶ丘団地は字駒形と呼ばれる地籍で、古く朝廷へ御用の馬を献上する勅使牧が置かれていたといわれる(萩倉の牧)。駒形は古代馬の形像を崇拝した最も原始的な信仰で、萩倉牧の馬神を祀る神社として創立されたものだろうといわれている。社中学校の北方に「馬飼場」という字名も残っている。2020-03-06
21お稲荷さんお稲荷さん龍の口から中央通りに下る道沿い、桜町にあるお稲荷さん。2020-03-06
22お舟祭りお舟祭りお舟祭。「来八月一日午後一時より執行遷座祭並例祭・官弊大社諏訪神社社務所」の立て看板が見る。2020-03-06
23お舟祭りお舟祭りお舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。このころはまだ参道は石畳であったことがわかる。 「写真が語る下諏訪の百年」117pの写真と同じころの撮影と思われる。2020-03-06
24熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭での東山田長持ち。従来祭りは11月25日であったが、現在は10月の最終日曜日となっている。本祭りには婦人会から甘酒が振るまわれ、長持ちが区内を練り歩いたりして祭りのを盛り上げている。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
25村祭り村祭り熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
26熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭東山田の鎮守様、熊野神社の例大祭。地区では「権現様」と呼ばれることもある。熊野神社本殿は安永8(1779)年村田長左衛門等によってつくられたもので拝殿・社務所・舞屋・本殿があり地形を巧みに利用している。写真は参道附近の風景。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
27旧御射山旧御射山山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。また、旧暦7月27日の正午に、月・日・星の三光(さんこう)を同時に拝することができたといわれ、一説では御射山山中の湿原の池に三光を映したともいわれている。この不思議な現象は諏訪神社下社の七不思議に数えられている。御射山祭は、大勢の人々が参籠(さんろう)する仮屋が穂の出た薄(すすき)で作られたことから、穂屋祭ともいわれ「穂屋野の三光」ともいわれている。2020-03-06
28友之町津島神社宵祭友之町津島神社宵祭江戸時代の友之町の鎮守様で最新は素盞鳴尊(スサノオノミコト)・建御名方命・菅原道真・の三神で青雲館の脇に鎮座している。昔は夏の疫病よけを祈る村祭りだったというが、最近はどこでも子ども主体の祭りになっている。絵燈籠の置かれた道端で焼きそばの味は最高。三区友之町の津島神社宵祭りの風景。2020-03-06
29犬射馬場、上馬場の標石。犬射馬場、上馬場の標石。鎌倉時代、武士は日頃の鍛錬に騎射の武技を重視し、それが遊戯化したり神事化したりしたものが多い。この場所は犬追物などをした所で、このことは「諏訪大明神絵詞」にも記されている。江戸時代に入りこの行事が廃れると、周囲から境界を侵され、神社では享保18(1733)年に検地をして一般人の侵入を防いだ。その後も土地の使用のことで何回か争いがあって明治維新後のころ民間に移ったという。なお、下馬場の町名もあったというが、現在は上馬場(かみばっぱ)のみが残っている。2020-03-06
30諏訪神勅祭創始千二百年祭友之町の光景諏訪神勅祭創始千二百年祭友之町の光景絵葉書。(下諏訪名所)諏訪明神大祭禮、友之町中町の光景。現在の四ツ角より西の現本通り。消印に「下諏訪45.4.28」(明治45年)スタンプに「官弊中社諏訪神社、諏訪神勅祭創始千二百年記念」と「5本足の梶の葉紋」が見える。また写真の外国人は明治38(1905)年湯田新町に宣伝を開始したルーテル教会の婦人宣教師である。2020-03-06
31一本柳神社一本柳神社西赤砂のリンゴ畑に囲まれた一本柳神社。赤砂地区の産土神である。写真撮影当時は、享保年間に作られた「友の町絵図」にも書かれていたといわれる柳の古木が祠の横に残っていた。 現在祠には・諏訪明神・豊受比売大神・津島大神・菅原大神・多賀大神・三峯大神が祭られているほか、境内には・大陸天(だいろくてん)や道祖神、蚕玉社の石碑も祀られている。2020-03-06
32若宮若宮富部若宮下の六地蔵様.2020-03-06
33東講社行屋神座東講社行屋神座東講社行屋修復完成記念の写真。東山田の行屋は熊野神社参道西側にあり進行を同じくする人が集まる修験の場であった。この講では、駒ケ岳・御嶽・富士山・浅間山・大山など霊山が信仰されている。2020-03-06
34官弊中社諏訪神社下社春社官弊中社諏訪神社下社春社絵葉書「(諏訪名勝)官弊中社諏訪神社下社春社」。鳥居の前に燈籠、鳥居の奥にはさわら並木が続いている。鳥居の両側には諏訪の石置き屋根が見える。 諏訪神社が官幣中社になったのは明治29(1896)年で、官幣大社に昇格したのは大正5(1916)年12月12日なので、写真はこの間に撮影されたものである。2020-03-06
35お舟祭りお舟祭り官弊大社諏訪神社下社8月1日 御舟祭。大正15(1936)年、ちょうちんに下諏訪の文字。法被には「本郷」と染め抜かれている。下諏訪町が御頭郷の年のようだ。2020-03-06
36下馬橋とさわら並木下馬橋とさわら並木官幣大社諏訪神社下社春宮下馬橋。昭和9(1934)年室戸台風の被害前のさわら並木。2020-03-06
37皇太子殿下参拝皇太子殿下参拝宮司と共に参拝され説明を聞かれる皇太子殿下。(平成天皇陛下・令和上皇様)2020-03-06
38紀元二千六百年記念紀元二千六百年記念紀元二千六百年記念祭を高木津島神社で開催した時の記念写真。出征兵士の旗が立てられているが、もう1本は諏訪大社秋宮子安社付近へ立てた。2020-03-06
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