キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:52件)

写真タイトル説明登録日
1御射山神社御射山神社中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。 写真下は同じ境内にある大元尊社である。2021-12-26
2三区津島神社三区津島神社平成元年の三区青雲館の祭りの様子が紹介されている。ここは昔行屋があった所で、諏訪八十八カ所の第五十四番札所にあたり、青雲閣とよばれていた。明治初期は集会場として使われていたが、明治26(1893)年に青雲館を建て、当時としては大変大きな集会場であった。その青雲館の南横にこの津島神社が祀られている。同じ敷地内には菩薩立像や大威徳天神碑、武井半嶽紀徳碑などが置かれている。2022-03-19
3お祭りと子どもお祭りと子ども祭りの記念写真、大人は着物姿の正装、 子どもたちは祭り支度で長持ちの杖を持っている。 御田町劇場前での撮影。2022-06-12
4お舟祭りお舟祭り遷座祭の柴舟が下馬橋横を移動中。2021-10-28
5お舟祭りお舟祭りお舟祭り柴舟曳行の風景。2022-01-06
6お舟祭りお舟祭り夏の遷座祭(お舟祭り)、下諏訪駅前の広場で騎馬行列が勢ぞろいしての記念撮影。第一区・第三区の騎馬が一緒に写っているのは珍しい。後ろに見える駅前の大鳥居は明神型の鳥居で、昭和25年に御柱の古材を使って建て替えられたもの。この鳥居は昭和31年ネオン塔に取り替えられた。「広瀬町誌」には昭和33年の写真と記載されているが、民聲新聞等を調査した結果、33年にはすでにネオン塔になっていることが判明した。2021-05-03
7第三区騎馬勢揃い第三区騎馬勢揃い無形文化財第三区騎馬勢揃い。2022-05-08
8お舟祭りお舟祭り遷座祭の柴舟が春宮の鳥居を出て秋宮に向かう様子。柴舟に下原・大社の神紋がついたちょうちんが飾られている。氏子の服装が現在の揃った姿とはだいぶ違う。2021-11-03
9秋宮境内の犬射馬場石碑秋宮境内の犬射馬場石碑「當社之犬射馬場(とうしゃのいぬいばば)」と刻まれている。 犬射馬場石柱が下社秋宮境内の秋宮一の柱の脇にもある。犬射馬場とは大祝の居館(神殿:ごうどの)につづく錬武の場であり、「諏訪大明神絵詞」にもお舟祭りの後に馬場で犬追物をして祭りが終わったことが記されている。馬場(ばっば)の名称としてその名残を留めその四囲にも石柱が残されている。2020-03-06
10峰見薬師堂峰見薬師堂東山田地区には峰見薬師堂(増沢マキ・宮坂マキ)と西浦(裏)薬師堂(山田マキ)があり、マキによる講のお堂で春秋の彼岸に講中が集まり念仏講を唱え祭りをしている。写真は西裏薬師堂である。西裏薬師堂は茅葺き高床式の厨子内に江戸時代と思われる朔像の医王薬師如来両脇土が立ち、他に弘法様2体、絵馬「め」は眼病の救済に崇められた。山田マキの墓地内にある。2020-03-06
11遷座の列遷座の列鉾(ほこ)を持って遷座の列を作る白丁奉仕の皆さん。2月1日と8月1日の年2回の奉仕。鉾の列の後ろに奏楽の列が続く。諏訪大社春宮を出発した直後の様子。2021-04-15
12遷座祭遷座祭遷座の列を先導する白丁奉仕の氏子の皆さん。その後ろに赤く塗られた鳥居が飾られた御正台(みしょうだい)がつづく。御正台は大御正台と小御正台があります。さらにその後ろに錦をかけられた御霊代(みたましろ)を遷した神輿が続きます。2020-03-06
13遷座祭遷座祭春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りの巫女行列、稚児行列の様子。2020-03-06
14時代行列時代行列春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。「金刺盛澄時代行列」8月1日にあわせて行われたイベントで現在は行われていない。2020-03-06
15お舟祭りお舟祭り大正から昭和初期のお舟祭の柴舟と胴棒が見える。 大人も子どもも着物を着て祭りに来ている。 右手の建物は青雲館。2020-03-06
16お舟祭りお舟祭りお舟祭。そろいの格子柄の長持ち衣装を着た人々。長持ちの箱には下社の神文(カジノ葉)をあしらったもの(下社のカジノ葉は根の部分が5つ)見える。2020-03-06
17お舟祭りお舟祭りお舟祭、長持ちに「一宮御用 小口」の文字。そろいの法被はみな丈が長い。2020-03-06
18お舟祭りお舟祭りお舟祭の風景。右手の建物に旗がたち長持ちや和服姿の人が見える。2020-03-06
19お舟祭りお舟祭りお舟祭。春宮下馬橋より少し下がったあたりを曳いている。(写真)左上に下馬橋の屋根が見える。曳き綱の先の細い綱が氏子の人々の間から見える。当時の人々の服装がよくわかる。2020-03-06
20お舟祭りお舟祭りお舟祭。「来八月一日午後一時より執行遷座祭並例祭・官弊大社諏訪神社社務所」の立て看板が見る。2020-03-06
21お舟祭りお舟祭りお舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。このころはまだ参道は石畳であったことがわかる。 「写真が語る下諏訪の百年」117pの写真と同じころの撮影と思われる。2020-03-06
22お舟祭りお舟祭り8月1日の遷座祭、長持の列がねり歩く、お舟祭。民家の屋根は鉄平石をふいたり、石置き屋根が多い。2020-03-06
23お舟祭りお舟祭り平成元年、お舟祭りの民謡流し。2020-03-06
24お舟祭りお舟祭り平成元年、お舟祭りの時代行列の一風景。2020-03-06
25宵祭り宵祭り7月31日、諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」の宵祭りの露店風景。いつもは静かな湯の街なのだが、この日は秋宮参道に露店が軒を連ね、各地から集まった若者たちでにぎわっていた。2020-03-06
26熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭での東山田長持ち。従来祭りは11月25日であったが、現在は10月の最終日曜日となっている。本祭りには婦人会から甘酒が振るまわれ、長持ちが区内を練り歩いたりして祭りのを盛り上げている。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
27村祭り村祭り熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
28熊野神社の例大祭熊野神社の例大祭東山田の鎮守様、熊野神社の例大祭。地区では「権現様」と呼ばれることもある。熊野神社本殿は安永8(1779)年村田長左衛門等によってつくられたもので拝殿・社務所・舞屋・本殿があり地形を巧みに利用している。写真は参道附近の風景。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。2020-03-06
29旧御射山旧御射山奥霧ケ峰、八島ヶ原湿原近くにある旧御射山社、鎌倉時代には高原で御射山神事のニエを得るための御狩が行われ、社前で小笠懸け、草鹿とよぶ弓術の技が競われた。祭りに参加した武士たちが、穂屋を建てて籠もった土壇が三方の丘に残っている。平成元年現在の旧(もと)御射山の土壇の様子。2020-03-06
30御射山祭御射山祭御射山祭、御射山のお山参り(夕祭)。穂屋に籠もって物忌みしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、子を負ってのお山参りも夜行われた。今でも夜参りを守る人がいる。この年も夜9時頃まで訪れる人がいた。№1050.1051参照。2020-03-06
31御射山祭御射山祭御射山参り。 数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。 八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。 このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。 写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。 現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。2020-03-06
32秋宮に着いた柴舟秋宮に着いた柴舟この年の御頭郷は岡谷、秋宮境内へ引き入れられた柴舟。この後柴舟は神楽殿を3周した後神事相撲などの奉納をし翁媼の人形のおたき上げを内御玉戸社(うちみたまどしゃ)で行い祭りは終了する。柴舟に飾られた柴を悪疫退散のお守りや縁起物として多くの人が持ち帰る風習も残る。2020-03-06
33お舟祭りの柴舟お舟祭りの柴舟諏訪大社下社の祭神の御霊代(みたましろ)は春宮と秋宮の社を2月1日と8月1日に遷座する。春(2月1日)は秋宮から春宮へ、秋(8月1日)は春宮から秋宮に遷座する。春はひっそりと静かに、夏は神霊遷座の行列の他に青芝を取り付けた巨大な柴舟に翁(おきな)媼(おうな)の神像を会い向かいに飾り曳行する。神霊奉遷の厳粛な行事と柴舟の曳行の行事が別に行われるため、祭りの中心がお舟の曳行になり、8月の遷座祭をお舟祭りとよんでいる。(四つ角付近の柴舟)2020-03-06
34お舟祭り時代行列お舟祭り時代行列下社8月の遷座祭には神霊遷座の行列や柴舟の曳行の他に御騎馬行列・長持行列(下社大祝金刺盛澄を下諏訪町長、諏訪ゆかりの名将を町小中高の校長先生などが参加し騎馬姿で町を練り歩いた)・花笠踊り・時代行列などで盛り上がり多くの人で埋め尽くされる。 このイベントは現在は行われていない。2020-03-06
35お舟祭り時代行列お舟祭り時代行列この年からミス下諏訪の万寿姫・絹姫(山吹姫の時もあった)など祭りの盛り上げに一役かった。2020-03-06
36お舟祭り宵祭りお舟祭り宵祭り諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」宵宮。いつもは静かな湯の町なのだが、この日ばかりは秋宮参道に露店が軒を連ね、諏訪盆地のあちこちから集まって来る若者達が明るい光の中に群れて、乾いた高地の夜の空気を熱くした。お舟祭り宵宮の賑わい。2020-03-06
37下の原の幟立て下の原の幟立て「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。2020-03-06
38友之町津島神社宵祭友之町津島神社宵祭江戸時代の友之町の鎮守様で最新は素盞鳴尊(スサノオノミコト)・建御名方命・菅原道真・の三神で青雲館の脇に鎮座している。昔は夏の疫病よけを祈る村祭りだったというが、最近はどこでも子ども主体の祭りになっている。絵燈籠の置かれた道端で焼きそばの味は最高。三区友之町の津島神社宵祭りの風景。2020-03-06
39修験道の初午祭修験道の初午祭修験道の初午(はつうま)大祭の様子。 江戸時代後期に入ると村々に講が生まれ、行屋が造られ行者(山伏)が活躍したという。その名残を伝えるのが宝光院敬愛社で宝暦4(1754)年に白鷺山に湯殿三山講として開講したのが始まりという。安永7(1778)年に羽黒山から宝光院の院号を受けている。明治に入っていろいろな弾圧、土地の没収に遭ったが活動は続き、大正8(1919)年には真言宗醍醐寺派の指導で敬愛者として結成し、翌年には現在地に道場を立てた。 初午が最大の祭りで護摩を焚いて家内安全などを祈る。2021-04-22
40騎馬奉納騎馬奉納お舟まつり。 特別騎馬奉納記念。昭和12(1937)年。2020-03-06
41騎馬行列騎馬行列昭和13(1938)年の騎馬行列。2020-03-06
42御騎馬御騎馬騎馬行列が勢揃い、お舟まつり。昭和12(1937)年。2020-03-06
43お舟祭りお舟祭り官弊大社諏訪神社下社8月1日 御舟祭。大正15(1936)年、ちょうちんに下諏訪の文字。法被には「本郷」と染め抜かれている。下諏訪町が御頭郷の年のようだ。2020-03-06
44祭り祭りお祭風景、長持が見える。2020-03-06
45長持勢揃い長持勢揃い春宮に勢揃いした下の原長持連。2020-03-06
46長持勢揃い長持勢揃い春宮に勢揃いした下の原長持連。2020-03-06
47御騎馬奉納御騎馬奉納明新館下に勢揃いした下の原の奉納騎馬。 騎馬には出陣騎馬(殿様騎馬)と凱旋騎馬(過労騎馬)があり、それぞれ掛け声のかけかたや所作に違いがある。2021-04-01
48春宮葺合祭下の原長持連春宮葺合祭下の原長持連大正15(1926)年5月6日。春宮葺合祭(ふきあいさい)が御柱祭りに先立って行われた時の下の原長持連の記念写真。 ちなみに、葺合祭は式年遷宮の年に宝殿遷座祭の前日に新宝殿の竣工式として行われる。下社の場合、春・秋両社の四宝殿の内一棟を造改築し、一棟の屋根葺合を行う。改築後は立柱式(当年の3月中旬以降)、葺合棟は葺合祭を行う。2020-03-06
49賽の神賽の神賽(さい)の神。道祖神祭の一環として御幣棹(ゴヘイトウ)を建てた。場所は下馬橋前。先端には松を飾り、横木に色々な細工物を飾った。飾りをくじ引きで分けるのが楽しみだった。明治6(1873)年まで行っていたものを昭和6(1931)年に区の有志が復活再現した時の写真。2020-03-06
50長持記念写真長持記念写真長持ち勢ぞろいの記念写真。春宮神楽殿前。2020-03-06
51お舟祭りお舟祭り昭和初期の明新館前、この大幟(「吉日大正十五年五月再調 下原」と書かれている)は交通上支障になると昭和30(1955)年以降は立てられていない。2020-03-06
52相楽祭相楽祭赤報隊浪士のお祭「相楽祭」。 後方の煙突は、昭和6(1931)年開業の昭栄製糸のもの。向かって左側に元町長の高木十吉氏の顔が見える。 右に石仏があるが、現在青雲館にある。相楽祭は明治3(1870)年に有志の喜捨百余両で相楽総三らが処刑された地(相楽塚・魁塚)に慰霊の碑をたて式典をしたことがはじまりである。その後友之町有志の運営で祭りを続け一時途切れたこともあったが復活させ、現在は相楽会が主催し毎年4月の第一日曜日に開かれている。2020-03-06
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ