キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:19件)

写真タイトル説明登録日
1下諏訪町立図書館下諏訪町立図書館令和4年春の図書館。コロナ感染防止のためこども未来バスも利用をお休みしています。 その中でもあすなろ公園の桜は満開です。2022-04-20
2下諏訪上空(西赤砂付近)下諏訪上空(西赤砂付近)赤砂上空から西赤砂(砥川右岸)を撮影していると思われる。写真右上に鷹の橋と砥川が見える。中央(写真右上から左下へ)を走る道の北側(写真上方)には田んぼが広がっているが、現在は一般県道岡谷・下諏訪線が東西に、西大路通りが南北に新しく開設されている。西大路通りは写真のほぼ中央やや上あたり、現在の西赤砂信号まで整備され、地域の景観はずいぶん変化している。なお、十四瀬川が写真左上から道路を横切って右下に流れている。写真では黒っぽく筋のように見えている。また、写真左上や右下にリンゴ園と思われる果樹園らしき景観も確認できる。2021-04-18
3天白の坂道天白の坂道142号線(宮の上バス停近く)よりハイム天白方面(秋葉山から続く斜面)に登る急坂。坂の上には町指定文化財の横穴式の石室をもつ古墳時代末期の古墳、「ジジ穴・ババ穴古墳」がある。2021-04-15
4昔の岡谷昔の岡谷昔の岡谷。バス。2020-03-06
5中央高速バス中央高速バス朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。2020-03-06
6みぞれで人足の途絶えた夜の街みぞれで人足の途絶えた夜の街緑町「おちか」「うな富」の看板が見える。この日、南岸低気圧によるカミ雪で、県下はすわ湖周辺がなぜかみぞれ、春の前触れのカミ風が、ひと月以上も早く訪れたのも異変だった。 二枚目の写真は、旧小松ガラスの近くの「大政」。2020-03-06
7山の手バス山の手バス「廃止される東山田線バス」。赤字続きで廃止の話が持ち出された旧農村回りバス路線のバスと乗客。JR関係及び諏訪自動車の「東山田線」、住民の要望でこの年は運航が続けられたが廃止されることになった。東山田が岡谷市から別れ下諏訪町に合併して2年後昭和35(1960)年から運行が始まった山の手コース。東山田には4か所の停留場があった。写真は農協東山田支所前バス停。2020-03-06
8東餅屋東餅屋和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の記録では中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋跡には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。2020-03-06
9省営バスによる薪炭の搬出省営バスによる薪炭の搬出省営バスで和田嶺方面の薪炭を搬出する状況。その頃は、バストラで客貨輸送をし、和田嶺方面の薪炭を搬出した(下諏訪国鉄自動車営業所前撮影)。荷台の上には薪が、その上に炭俵がつまれている。2020-03-06
10バス開通式当日バス開通式当日昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。2020-03-06
11西高木より諏訪湖を望む西高木より諏訪湖を望む西高木から望む諏訪湖(現諏訪湖博物館辺り)。後ろにスペアータイヤを積んだボンネットバスが2台見える。2020-03-06
12高浜高浜高浜。ここに温泉湧出し、旅館街があった。眺望のよさは諏訪湖周辺随一で、附近に舟遊場・釣り堀・温泉プール、水族館等があった。後ろには懐かしいボンネットバスが停まっている。 看板は「高浜釣堀」。2020-03-06
13千尋池復旧前の家並千尋池復旧前の家並秋宮前の新しい道とバス停。昭和18(1943)年千尋池が復旧。2020-03-06
14花見新道花見新道花見新道の桜並木に「宮の上」(「宮の上」のバス停が天白の急坂の入口にある)の看板の文字が見える。現在とは違い新道北側にも桜並木が続いたり、人家がほとんどない当時の様子がよくわかる。 国道142号線が開通したのは、明治29(1896)年である。2020-03-06
15旧和田トンネル旧和田トンネル昭和8(1933)年1月開通の旧和田トンネル。当時日本一高い場所のトンネルとされていた。長さは260メートル。 これにより同年3月には省営バスが和田峠北線と南線で開通し、続いて同年10月には下諏訪・上和田間が開通した。2020-03-06
16湖浜地区の区画整理工事中湖浜地区の区画整理工事中7枚の写真の合成。昭和42(1967)年10月湖浜地区の区画整理工事中の様子。区画整理前は一面に水田が広がっていた。2020-03-06
17ハイヤーハイヤー大正12(1923)年丸ヨ自動車店浜義雄氏が東京でフォードを一台購入。 浜氏は中央線全線開通後、荒廃した和田峠線の整備に力を入れ、大正13年(1924)に貸切自動車営業を開始し昭和2(1927)年には和田嶺自動車株式会社を創立しバスが三往復運行するようになった。 この他に大正13(1924)年、湯田仲町ハイヤーサクラ自動車商会、大正15(1926)年菅野町に丸S自動車株式会社などが設立された。         2020-03-06
18国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。2020-03-06
19広瀬町町内会ハイキング広瀬町町内会ハイキング広瀬町町内会の八島ハイキングの際の記念写真。写っている人数と手持ちの番号旗から何台かのバスに分乗していったのか.それにしても、子どもたちの多さは今では考えられない。2020-03-06
地図で見る


ログイン トップページへ