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登録リスト(該当:13件)

写真タイトル説明登録日
1七曜星社蔵七曜星社蔵武藤工業(株)から寄贈された中山道沿いの土蔵(木造二階敷地面積16平方メートル)を改修し中山道など街歩き休憩所にしました。蔵は海鼠(なまこ)壁が美しい。 この場所で七曜星社という製糸工場を営んでいたことから七曜星社蔵(しちょうせいしゃぐら)という名前が付いた。2023-07-16
2橋本政屋橋本政屋甲州道中の下諏訪宿と上諏訪宿の間の茶屋として栄えた。表は千本格子で、二階は出梁作りとなっている。諏訪湖を一望でき江戸時代の面影が残る建物。こて絵の力蔵(りきぐら)、高島城より拝領のおひねりの松・石燈など見どころも多い。2021-06-10
3下諏訪町立博物館下諏訪町立博物館昭和26(1951)年12月3日下諏訪町に文化財保存会が出来翌27(1952)年秋宮神饌(しんせん)を借用して神社共有の博物館がた開館した。建物は「諏訪大社宝物陳列場」に併設されていた。 昭和46(1971)年4月1日、高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての博物館が出来た。 平成5(1993)年6月、「諏訪湖博物館・赤彦記念館」として湖岸通りの西高木にオープンした。2024-03-20
4大合理的炊事講習会大合理的炊事講習会垂れ幕に「大合理的炊事講習会」とある。また、背景の額に「青雲館」とあるので、第三区青雲館二階で行われた何らかの講習会の記念写真と思われる。詳細不明。2022-03-09
5保育所の三歳未満児保育風景保育所の三歳未満児保育風景第2保育所の三歳未満児保育風景。8園で預かる園児は680人、うち三歳未満児は2園で16人。保育所はその後統合され現在は3園(みずべ・とがわ・さくら)となった。2020-03-06
6東俣開拓農家東俣開拓農家昭和21(1946)年東俣のけやき平と八島平を営農資金を借り引揚者が開墾することとなる。昭和22年3月東俣開拓組合ができて5戸入植して酪農経営に取り掛かったが、その後食糧事情の好転から離農するものが出て、昭和38(1963)年には残らず離村してしまった。 この写真の二階は蚕室で蚕棚が見え、手前は乳牛舎である。№694参照。2020-03-06
7萩倉分教場萩倉分教場萩倉分教場落成式当日。明治8(1875)年4月下諏訪学校支校が許可となって、お堂を仮校舎として発足。明治19(1886)年3月下諏訪村・長地村組合学校、萩倉派出所となり二階校舎が施工、明治25(1892)年4月分教場と改称。明治44(1911)年分教場改築の願が上堤、翌45(1912)年落成左は教員室と教員住宅、右は教室と体操場。昭和41(1966)年4月廃校となる2020-03-06
8下の原青年会下の原青年会下諏訪町青年会陸上競技大会優勝記念写真、現在も明新館二階に飾ってある。2020-03-06
9伏見屋邸伏見屋邸旧中山道沿いにある「伏見屋邸」は元治元(1864)年に建てられたと推測される。木造二階建ての店舗兼住屋と土蔵が残されています。国の登録有形文化財に登録されていますが、今街歩きを楽しむ観光客の休憩や住民の交流の場となっています。2020-03-06
10千尋館二階大広間千尋館二階大広間200人ほど入れたという千尋館の大広間。大きい結婚式なども行った。2020-03-06
11千尋館千尋館二階鶴の間。2020-03-06
12秋宮周辺航空写真秋宮周辺航空写真勝山写真館(上諏訪)が赤砂飛行場を離陸撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。2020-03-06
13秋宮鳥居前集合写真秋宮鳥居前集合写真徴兵検査合格者の記念写真。 旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれていると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。この写真では手水舎が現在と反対側にある。手水舎は昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。向かって右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。また、鳥居の左側の現在千尋池となっている場所に商家などの建物が見えている。鳥居前千尋館の二階から撮影された写真である。2020-03-06
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