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写真タイトル説明登録日
1石投げ場から見た諏訪湖石投げ場から見た諏訪湖石投げ場から見た高木、中央東線、国道20号、諏訪湖の様子。 中央東線は架線がない。国道20号には車はほとんどなく、オートバイと歩行者ばかりである。 *こちらの写真は当時では珍しいカラー写真です。2024-03-31
2中央デパート中央デパート国道20号線大社通り交差点(四ツ角交差点)にある衣料品店「中央デパート」は長年にわたり下諏訪町民に親しまれてきたが、令和6(2024)年3月74年の歴史に幕を下ろした。写真は開店前の店先、入口の看板。 以前は手前茶色い建物は菓子店、白い建物は文房具店、人形店、中央デパートと店が並んでいた。2024-03-26
3舟道舟道山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へと下りる舟道(小路)に沿って半農半漁の村が形成された富部地区(第10区)。現在は旧国道(県道)と鉄道(JR)、国道20号線、により舟道は分断はされているがその面影は現在も残っている。2023-07-09
4永田小路永田小路現在の永田小路の様子。 国道と平行に阿部奈良屋と土田薬局の間を大社通りから、裏参道へ抜けている小路は今でも通ることができます。2023-02-23
5子どもみこし子どもみこし子どもみこがお舟祭りの日に披露。 国道20号、友之町附近での撮影。2023-02-23
6国道142号線の通行止め国道142号線の通行止め令和3(2021)年13日から15日にかけての大雨の影響で、新町上の国道142号線の路面が一部陥没し通行止めとなった。町は道路崖下の約40世帯に避難指示を発令した。陥没地点は来迎寺と慈雲寺の中間で、西側が崖、道路下は大久保沢が流れている。町によると陥没は縦約5m、横約6m、深さ約5mだという。崩落は15日朝から始まったとみられ、町には午前7時50分頃「歩道の一部が陥没している」との通報があったという。同8時30分から通行止めとなり、9時15分位は崖下の新町下と東町下の一部地域約40世帯約80人に避難指示が発令された。このうち20世帯47人は町が用意した町内の宿泊施設に避難し、残りは親戚等の家に避難した。復旧工事は令和4(2022)年の御柱祭の前には完了したいとしている。2021-11-10
7航空写真 四王上空航空写真 四王上空写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。2021-04-18
8和田峠トンネル和田峠トンネル雪の和田峠トンネル。2022-03-10
9旧和田峠トンネル工事関係の建物旧和田峠トンネル工事関係の建物旧和田峠トンネル工事関係のいろいろな建物。2022-03-10
10旧和田峠トンネル工事旧和田峠トンネル工事(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)2020-08-02
11旧和田峠トンネル工事旧和田峠トンネル工事昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。2024-03-17
12和田峠の切通し工事和田峠の切通し工事明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。2023-04-15
13御騎馬御騎馬春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。2022-05-12
14湯田坂湯田坂国道142号辺りから見下ろした湯田坂。 左の大きな建物は旧旅館喜楽。 旧中山道の風情が残る街並み。2020-03-06
15街並み街並み国道142号(R142・湯田坂と衣文坂の交差している付近)から見た「うらかめや」、奥に見えるのが「児湯」。2020-03-06
16中央高速バス中央高速バス朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。2020-03-06
17夜の木の下夜の木の下大社側から新鶴を見る、看板の向うは和田方面へ続く国道142号線。2020-03-06
18大社四つ角風景大社四つ角風景国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。2020-03-06
19新和田トンネル新和田トンネル大型連休で普段静かな峠の国道142号線も車の台数が増えていた。それでもピークの夏場には及ばない。新和田トンネル口。 令和4(2022)4月1日午前0時より無料になった。2020-03-06
20花見新道からの景色花見新道からの景色花見新道(国道142号線)から見た下諏訪町の風景。中央のシルバー屋根は御田町「武藤工業㈱諏訪工場(旧ヤシカ)」その奥が「入一通信工業㈱諏訪工場」2020-03-06
21下諏訪駅前の風景下諏訪駅前の風景平成元(1989)年のJR下諏訪駅前風景。平成2(1990)年駅前の通りに「オルゴール通り」の名が付いた。№393と比較して見ていただきたい。 下諏訪町の商店街の中心は、かつては旧宿場町から坂下の国道20号線沿線へと移ったが、町南部に新商業地区が形成されるにい従い、北部の商業地区の中心はこの駅前に移りつつあった。しかしモータリゼーションが進み、現在はこの駅前も活気ある賑やかさから置いて行かれることになっている。2020-03-06
22伏見屋商店伏見屋商店伏見屋商店。現在は店じまいしてしまったが、矢木東の国道20号線添いで多種の雑貨を商っていた伏見屋の店先である。店員の法被に「カネジョウ伏見屋店」の文字が染め抜かれている。看板には「伏見屋商店」とともに、「畳表・かや・荒物・□□・足袋・雑貨」などと書かれている。2020-03-06
23赤渋山林道の橋梁施工赤渋山林道の橋梁施工昭和6(1931)年1月21日、失業者救済のため砥沢林道開削の件が上提された。国道142号線桶橋分岐砥沢山内、車道3000m巾3.7mである。写真裏には「赤渋山林道橋梁竣工記念(昭和11・7・8写)」と記録されているが、写された風景は雪景色である。撮影年月日は不明としておく。なお砥沢橋は昭和30(1955)年の完成である。2020-03-06
24和田峠黒曜石採掘の跡和田峠黒曜石採掘の跡和田峠トンネル西口200m手前国道沿いの黒曜石採掘場。昭和23(1948)年頃の吉沢太七郎の旧抗を清水明氏が写す。工業用材としては昭和31(1956)年小野田セメント㈱がホシガトウ及び東餅屋で断熱材として、また昭和45(1970)年からフヨーライト㈱が和田トンネル西方で採掘して本社に搬出している。2020-03-06
25和田峠開削和田峠開削大正12(1923)年7月下諏訪では浜義雄氏が、諏訪電の協力を得てフォードを買い入れ、その年はじめて自動車で和田嶺を越えた。明治28(1895)年8月和田峠(明治10(1877)年10月の開削の峠)の頂上を掘り下げて新道(国道142号線)をつくった。写真下に「和田嶺頂上堀割ノ景」の文字。2023-04-15
26陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。2020-03-06
27陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。2020-03-06
28立体交差工事竣工立体交差工事竣工昭和30(1955)年10月に着工した 西浜の国道と鉄道の立体交差竣工。同32(1957)年5月20日開通式。完成した新道路の橋は高浜橋と命名された。2020-03-06
29石投げ場石投げ場石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が変化し運動公園ができ湖岸道路もある。№425と比較するとその変化がよくわかる。2020-03-06
30石投げ場より石投げ場より石投げ場から諏訪湖を望む。こののち埋め立てが行われ景色は一変する。国道と並行して中央東線を蒸気機関車が走る。№426と比較するとその変化がよくわかる。2020-03-06
31高浜の信号高浜の信号国道20号から湖岸道路へ行く高浜の信号付近。2020-03-06
32石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が大きく変化した。運動公園ができ湖岸道路もできている。 №409の写真と比較すると変化がよくわかる。2020-03-06
33石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から望む諏訪湖。湖岸が国道付近にある。2020-03-06
34花見新道花見新道花見新道の桜並木に「宮の上」(「宮の上」のバス停が天白の急坂の入口にある)の看板の文字が見える。現在とは違い新道北側にも桜並木が続いたり、人家がほとんどない当時の様子がよくわかる。 国道142号線が開通したのは、明治29(1896)年である。2020-03-06
35山王台を望む山王台を望む久保海道、国道20号付近の承知川。写真左上に山王閣(現在は無い)が見える。2020-03-06
36山王台を望む山王台を望む大正15(1926)年、久保海道付近、国道20号付近の承知川。写真左側の建物の奥は土田遺跡(土田墓地付近)。2020-03-06
37下諏訪町遠望下諏訪町遠望富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。2020-03-06
38佐寿中商会佐寿中商会友之町(羽田医院の国道向かい側)にあった佐寿中商会下諏訪営業所。 自転車を販売していた。正面の看板とは別に左側に「ラヂオ(ラジオ)」店内には「ナショナル」の看板も見え、電気製品も扱っていたようだ。2020-03-06
39千尋池千尋池改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。2020-03-06
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