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登録リスト(該当:102件)

写真タイトル説明登録日
1中央デパート中央デパート国道20号線大社通り交差点(四ツ角交差点)にある衣料品店「中央デパート」は長年にわたり下諏訪町民に親しまれてきたが、令和6(2024)年3月74年の歴史に幕を下ろした。写真は開店前の店先、入口の看板。 以前は手前茶色い建物は菓子店、白い建物は文房具店、人形店、中央デパートと店が並んでいた。2024-03-26
2信州ジャスコ下諏訪店信州ジャスコ下諏訪店信州ジャスコ下諏訪店。撮影は昭和50年代。開店直後の頃と思われる。2024-03-19
3大正時代の藤野屋 御田町大正時代の藤野屋 御田町大正時代の御田町 雑貨店 藤野屋 現在のすてっぷカサイ2023-09-10
4御田町御田町御田町の小路、すてっぷカサイ、とんかつの丸一、MIYASAKAなど店が並んでいる。2023-07-05
5まつや呉服店まつや呉服店まつや呉服店は現在はまつや洋品店は下諏訪町矢木東に移転している。まつや呉服店があった場所は平成12(2000)年まで荒井書店が営業していた。 旗や看板等が見え、恵比寿講で多くの人々で賑わっている。2023-01-24
6えびす講売り出しえびす講売り出し御田劇場内で開かれたゑびす講大売り出し。 まつや呉服店による売り出し風景。 反物や洋傘、ブラウスなどが所狭しとと並べられている。御田劇場があった跡地には、諏訪信用金庫御田町支店の建物が建っている。2023-01-24
7床屋さん研修風景床屋さん研修風景御田町「イイジマ理髪店」研修風景。 カメラ(8mmカメラ?)で撮影している男性は先々代の飯島床屋の店主さん。 窓の向こう側に見えるのは「荒井書店」現在は「ちいとこ商店」になっている。2023-02-23
8歩行者天国歩行者天国駅前通り歩行者天国、商店主のチンドンON隊出演。2023-02-26
9下諏訪駅通り下諏訪駅通り畠山菓子店、伊東時計店、ディスコナポリほか店が並ぶ駅前通り。2023-02-26
10駅前通り駅前通り広瀬町の店並み、スナックアトリエ、藤田クリーニング、ヘアーサロン勝野ほか2022-09-14
11町道御田町線の美装化完了町道御田町線の美装化完了下諏訪町が2017年度から5年計画で進めてきた町道御田町線の美装化工事がおおむね完了した令和3年(2021)12月の様子。並行して整備してきた町営友之町駐車場から大社通信号交差点までの北側歩道の石畳化もほぼ完了している。この後、交差点北側の小公園の整備が完了すると街歩き環境が整うことになる。工事は車道と歩道の段差をなくし、統一感ある商店街の景観を整備したもので、国土交通省の「街なみ環境整備事業」を活用した。2022-01-13
12酒屋の店先酒屋の店先田中町の中村酒店の桜町の新宅「現中村□酒店」。 店の軒下にしめ飾りがあるので、の正月の記念写真と思われる。軒下や店先には「味の素」「三ツ矢サイダー」「キリンビール」「キッコーマン」「理研清酒 新進」「電話四六二番」「焼塩小売賣所 焼塩小売賣人 中村□」「塩小売賣所 塩小売賣人 中村□」…などの看板や掛札が並んでいる。2023-02-21
13牛山製缶所牛山製缶所看板に「創業十五週年記念 牛山製罐所」とある。店の奥に丸い缶が山と積まれている様子がわかる。 明治25~26年ころ、増沢寅之助氏がカリンの缶詰工場を操業した。自宅の裏土蔵の屋根下を利用したものだった。 使用している機械、服装等から明治末頃の写真と思われる。2021-12-26
14写真館写真館「ヨルモ ウツシマス」と入り口のガラスに書かれています。写真屋屋さん店頭。2021-12-26
15駅前通りスナップ写真駅前通りスナップ写真下諏訪駅前通りのスナップ写真。田村商店。2023-10-03
16駅前通り駅前通り昭和42(1967)年頃の駅前通り。2022-06-09
17聖火ランナー聖火ランナー国体の聖火リレーがオルゴール通り(駅前通り・広瀬町)を得下諏訪駅に向かって走っている。2021-12-18
18大社通り大社通り大社通り「有賀商店」。手前の小路は「稲荷小路」。道向かいは諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(旧下諏訪町役場の地旧公民館、現在はオルゴール博物館すわのね)2020-03-06
19大社通り大社通り大社通り有賀商店。右隣は第一交通タクシー。2020-03-06
20商店商店旧甲州街道沿いにあった「青柳商店」の改築工事風景。現在は住宅となっている。後ろに見える建物は今はない「ホテル山王閣」。2020-03-06
21専女八幡付近の景色専女八幡付近の景色右手にオルゴール博物館「すわのね}、正面奥に専女(とうめ)の欅。工事しているところは現在駐車場と土産物店(専女八幡)がある。№1528参照2020-03-06
22商店商店秋宮リンク近くにあった(旧)林商店。2020-03-06
23衣文坂衣文坂中央通り(衣紋坂)を坂の上から見下ろす。奥の信号付近が三澤屋書店。写真の左手前(坂の上)は青塚古墳。2020-03-06
24商店商店湯田仲町にある宮坂商店(化粧品店)。右手の道を直進すると旧中山道。2020-03-06
25湯田坂湯田坂湯田坂。道で遊ぶ子どもたち。坂の手前左に「産婆」「山田製靴店」の看板が見える。2020-03-06
26小料理屋小料理屋 御田町にあった料理や「や寿た」(やすだの表記)の建物。昭和24年の町勢要覧(ほがらかお料理やすだの広告)。1970年の商工名鑑飲食店にも店の名が載っている。 場所は衣文坂ジュミー美容室隣、道路を挟んだ御田町寄りにあった。2020-03-06
27野沢商店野沢商店おせち料理の買い物客で賑わう食品スーパー野沢商店の店先。2020-03-06
28川村商店川村商店店の先には正月を目前に注連縄がはられ、店頭には割引の値札も見え、年の瀬の風情が感じられる。川村商店の店先。2020-03-06
29デイバイデイ岡谷店デイバイデイ岡谷店町の西南部、土地区画整理事業で昭和51(1975)年に開通した幹線道路沿いに進出した山梨県竜王町に拠点を置く新手の安売りチェーン店デイバイデイ岡谷店が開店。諏訪圏では2店目、。家電・日用品・スポーツ用品などが売られていた。2020-03-06
30彩美堂彩美堂画材屋さんの新店舗。自家所有のりんご園を転用したので、敷地は1650㎡とたっぷり。曲線と曲面を強調する建築デザインは近年の流行だった。2020-03-06
31彩美堂の新店舗彩美堂の新店舗彩美堂の新店舗と客とオーナーさんご夫妻。自家所有のリンゴ園を転用した画材屋さんの新店舗の中。敷地は1,650平方メートルで、曲線と曲線を強調する建築デザイン。2020-03-06
32小川屋はきもの店小川屋はきもの店小川屋はきもの店。「下駄屋さん」の面影をとどめる履物屋さん、岡谷の履物店で修業し、22歳で独立したという店主(54歳)、「流通革命の中で商売厳しいですよ」とぼやきながらも、安売り逆攻勢でがんばっていた。2020-03-06
33友の町商店街友の町商店街国土20号線沿いの商店街小景。町北部の製糸業時代からの古い商店街で地元客が相手の店。プディックもややおとなしい感じのドレスが並んでいる。洋服の「はらだ」。2020-03-06
34木の下町の民家木の下町の民家木の下町の民家。秋宮側から綿の湯方面を望む。右手に「新鶴本店」の看板が見える。甲州道中はここで江戸から53里11丁、辻を左折れすれば京に向かう中山道、まっすぐ進めば中山道を春宮に向かい、さらに和田峠を越えて和田宿から江戸につながる。江戸時代は下諏訪宿の中心地だった。2020-03-06
35県道岡谷・下諏訪線県道岡谷・下諏訪線湖に近い新開地の県道。いわゆる「ジャスコ通り」。湖畔の美田地帯が土地計画事業で生まれ変わった。20m幅の県道沿いに大型店が進出し、この地方でも指折りの商店街に成長した。2020-03-06
36和風レストラン和風レストラン当時湖岸通りに開店した和風レストラン元庄屋諏訪店。松本に本拠をもつチェーン店の諏訪進出第一号店。現在は閉店し上諏訪に支店がある。2020-03-06
37大社煎餅大社煎餅師走を迎えた大社門前町。煎餅を売る店を訪れた観光客。旧町役場(すわのね)とお土産物屋(観光案内所)のとんがり屋根が、冬空に好対照を見せていた。2020-03-06
38釜洞商店釜洞商店辻の八百屋さん、正月を迎える準備も整う。御田町通りの角にあるこの店、製糸全盛時代には、わらで焼くおいしい焼き芋で人気を集め、近くに並ぶ大手製糸工場の工女たちの買い物でにぎわったものだという。店の軒先に、新年を迎える七五三(しめ)が飾りつけられている。道の向こう側は本屋さん(三澤屋書店)。№1154参照。2020-03-06
39釜洞商店釜洞商店辻の八百屋さん。御田町通りの角にある店。製糸全盛時代には工女たちの買い物で賑わっていた。№1167参照。2020-03-06
40長岡川魚店長岡川魚店湖魚の店。鯉のうま煮・まる揚げ・丸煮・鮒の甘露煮・唐揚げ・雀焼き・かぶと焼き・とんこの佃煮・ウナギのかば焼き・・・にぎやかな品揃えで町民に親しまれていた。昭和31(1956)年鯉池の経営者が小売店として開店した長岡鯉店。2020-03-06
41郊外パチンコ店郊外パチンコ店湖畔のパチンコ店。この日「新台入れ替え」で大入りだった。この店、この春全面改装し店名も変わった。2020-03-06
42駅前通り風景駅前通り風景駅前通り(現オルゴール通り)。秋の日差しに通りの店の看板もはっきりと見える。正面に紅葉を始めた水月園が見える。2020-03-06
43働くフィリピンの若者たち働くフィリピンの若者たち町内のナイトパブへ働きに来ているフィリピンの人たち。開店前夕涼みしているところへカメラを向けると、こんな風にポーズをとってくれた。。2020-03-06
44駅前通りの青果店駅前通りの青果店店舗を改築した駅前通りの八百屋さん。もとは旧宿場のランプ屋さんだった。田村青果店の新店舗(駅通り)、現在の店主は三代目。2020-03-06
45中央高速バス中央高速バス朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。2020-03-06
46新鶴本店新鶴本店名代「新鶴の塩ようかん」の店。本州のほぼ中央にあって海から遠い諏訪地方は、昔から塩をことのほか大事に扱ってきた。その塩をようかん造りに生かしたところに独自さがある。明治6(1873)年創業で、十勝産の小豆だけを使い、茅野市産の寒天を使って、職人さんが火力の強いナラ薪を燃やして煮詰め、木船に流し込んで練り上げるという、昔ながらの製法にこだわっている。店は秋宮の脇、旧下諏訪宿の面影を残す一角にある。江戸末の画人天龍道人が住んでいたという案内板がこのすぐ横にある。2020-03-06
47湖林書房湖林書房駅前通りの本屋さん。町の南部に大型店・平安堂が進出し、本屋さんも競争が激しくなった。その後本離れなどもあってこの湖林書房も平安堂も閉店してしまった。2020-03-06
48弁当屋弁当屋ほっかほっか亭(弁当屋)の店頭。町の南部、20m道路沿いに開店したテイクアウトの弁当屋。昼時になると車で買いにやってくる客が店頭に並ぶほどだった。売れ筋は幕の内弁当と焼き肉弁当(400円)スポーツ弁当(500円)。当時町内にはこの系列店が2軒・すし弁当店2軒・コンビニエンスストアーでも弁当を扱っていて「お弁当商売」ますます盛んになっていた。2020-03-06
49田村商店田村商店駅通り田村商店。季節の野菜や果物が並んでいる。2020-03-06
50自転車店自転車店自転車を修理する老店主。2020-03-06
51中央通りの風景中央通りの風景中央通り、手前には旧西友があった。通りには多くの看板(スナック「灯」・「丸美生肉店」・「洋服のクロサワ」など)が見える。2020-03-06
52梅雨明けの街梅雨明けの街梅雨明けの街、高地の光がまぶしい。平年比では一日遅いが前年より12日早い梅雨明け。2020-03-06
53不二家不二家創業昭和4(1929)年老舗菓子店。店の看板「不二屋」の文字は中村不折の筆、包装紙は棟方志功の版画という優雅な和菓子店。寒気の厳しいこの地方の風土食品「氷餅」の感触を生かした「初霜」や塩釜の中に故郷の味噌の香を生かした「郷秋」などなつかしい味があった。平成の終りに閉店となってしまった不二家菓子店。2020-03-06
54伊藤時計店伊藤時計店駅前通りの小さな時計店。店主(当時は73歳)は太平洋戦争中、兵役で病を得て諏訪赤十字病院で療養生活を送ったさい、森山汀川の指導を受けたアララギ派の歌人。昨年歌集を出版した。伊東時計店の店内と伊東憬氏。2020-03-06
55つがるの袋かけつがるの袋かけ夏至。中型店の進出が目立つ20m道路沿いのりんご園で早生種のつがるの袋かけに精を出す主婦。この町のりんご栽培面積は昭和38(1963)年の35.4ha(昭和39年の837tが最高)をピーク(収量は昭和39年の837トンが最多)に、都市化の波に洗われて減少の一途をたどり、昭和52(1977)年には15ヘクタール(収量294トン)となった。その後わずかに増えたものの横ばい状態で、昭和62(1987)年は20ヘクタール(460トン)となっている。さらに平成18(2006)年には10ヘクタール(202トン)とさらに減少している。2020-03-06
56中古車センター中古車センター新開店の中古車センター、清水モーター(株)営業所。平塚市に本社を持つ業者で、土地区画整備地の幹線道路沿線へ進出した。「東京価格」がセールスポイント。当時町内中古車販売業者は6社であった。2020-03-06
57路地があそび場路地があそび場小川屋履物店の前で遊ぶ子どもたち、路地空き地などで子どもたちが遊ぶにぎやかな様子。(履物屋の前)2020-03-06
58洋菓子チェーン店開店洋菓子チェーン店開店20m道路沿線(通称・ジャスコ通り)には店舗の進出が続いた。山梨県に本社を持つ工場直売方式の洋菓子チェーン店「シャトレーゼ」がこの日開店。この道沿いにはジャスコの開店以来目覚ましく発展しており、町の中心が南部へ移動しつつあった。2020-03-06
59消費税実施日のジャスコ消費税実施日のジャスコ消費税実施日の「消費税3%かかります」の張り紙が貼られたジャスコ(現在はイオン)店内、また物品税廃止で「値下げ」のポスターも貼られていた。2020-03-06
60消費税前日の風景消費税前日の風景消費税前日の生活用品のまとめ買いで賑わうディスカウントショップ(スズキヤ薬品下諏訪店)の店内。2020-03-06
61新規開店コンビニエンスストア新規開店コンビニエンスストア新築三階建てアパートの一階にオープンした新系列のコンビニエンスストアー「マイショップ」。この時の町内のコンビニエンスストアは「セブンイレブン」3店「Kマート」1店だった。このショップは現在クリーニング店になっている。2020-03-06
62大喪の礼の日の飲食店大喪の礼の日の飲食店大喪の礼のお店。2020-03-06
63大喪の礼の日の飲食店大喪の礼の日の飲食店昭和天皇の大喪の礼、弔旗をかかげて料理店「うな富」この日飲食店の大半が休業したため夜の街はひっそりしていた。2020-03-06
64肉屋店頭肉屋店頭丸美肉店の店先、自動ドアのガラス扉に今は使われていない懐かしい下諏訪シールのステッカーが貼られている。2020-03-06
65小僧寿し店頭風景小僧寿し店頭風景(旧)西友近くの小僧寿し店頭風景。下諏訪町にも出店、店舗が広がったが現在下諏訪店は閉店した。2020-03-06
66夜の街夜の街平沢町の飲食店。小口ビル内の鳥将・ほおずき・なみなどの店の看板が見える。2020-03-06
67車のショールーム車のショールームトヨタカローラ南信のショールーム、写真は「100万台達成祈念車発表会」の店頭。「1500SEスーパーリミッテト」の値段は14.7万円。2020-03-06
68寒の雨寒の雨厳寒の雨は酷寒の地諏訪地方では珍しく、この日の最低気温は0.5度(平年比7.7度高)、最高気温は6.5度(同3.6度高)だった。御田町の風景写真左が居酒屋「甚八」右手には福田屋菓子店。2020-03-06
69レコードレンタル店レコードレンタル店湖畔町花岡家具店の道向かいにあったレコードレンタルショップ「友&愛」この年大手書店「平安堂」に押されて、この月をもって閉店となった。2023-04-20
70金融機関が完全週休2日制に金融機関が完全週休2日制に写真の日は金曜日、明日から金融機関が完全週休2日制に。各金融機関では土曜日にも稼働するCD(現金自動支払機)やATM(現金自動預払機)を増やすなどして対応。写真は休日を前にした八十二銀行下諏訪支店の営業風景。2020-03-06
71相互銀行から普通銀行になった長野銀行相互銀行から普通銀行になった長野銀行この日の前日全校で51の相互銀行が普通銀行になった。この長野銀行は3億7千万円かけて社章・制服・通帳などを一新した。写真は当時の町支店の全スタッフ。2020-03-06
72製糸時代のメインストリート、今は御田町通り製糸時代のメインストリート、今は御田町通り戦前はこの通りに片倉、入一など大手製糸工場が並び、月二回の定休日には通りにあふれるほどの工女たちで賑わったものという。工女たちを集めた御田町劇場はもうない。戦後も片倉跡が「ヤシカカメラ」の工場になって、従業員の往来で活気を見せていたが、同工場が岡谷へ去ってから、(現在は「武藤工業(株)諏訪工場」に代わって)静かな商店街にな様変わりしている。2020-03-06
73新規開店コンビニエンスストア新規開店コンビニエンスストア新築三階建てアパートの一階にオープンした新系列のコンビニエンスストアー「マイショップ」。この時の町内のコンビニエンスストアは「セブンイレブン」3店「Kマート」1店だった。このショップは現在クリーニング店になっている。2020-03-06
74道路粉塵掃除道路粉塵掃除スパイクタイヤの粉塵清掃。街がかすむほどのひどい粉塵に耐えかねて、商店街が町の補助金を受けて集塵機を購入、掃除につとめている。このころスパイクタイヤの使用禁止を求める声が年ごとに強くなっていた。 やがてスパイクタイヤが使用禁止になり、スタッドレスタイヤが普及して今では全く見かけななくなった風景である。2020-03-06
75大喪の礼の日の飲食店大喪の礼の日の飲食店昭和天皇の大喪の礼の日の飲食店。弔旗をかかげて休業した料理店「うな富」。この日飲食店の」大半が休業したため、夜の街はひっそりしていた。2020-03-06
76車のショールーム車のショールームトヨタカローラ南信のショールーム、写真はカローラの「100万台達成祈念車発表会」の店頭。ちなみに「1500SEスーパーリミッテト」の値段は140.7万円。 令和2(2020)年11月に店名が新しくなっている。2020-03-06
77今井美理容店今井美理容店前年11月3年ぶりに値上げした。 料金は大人調髪3000円・パーマ6000円・中学生調髪2500円・小学生2000円。2020-03-06
78栄電社の店内栄電社の店内赤砂にあった栄電社(後のエイデン)の店内。名古屋が本拠地のこの店は中央道に乗って諏訪へ進出したが平成20年代末に閉店した。2020-03-06
79東寿司東寿司今も変わらぬ店頭の東寿司看板。2020-03-06
80ジャスコ店内風景ジャスコ店内風景この冬は超暖冬。大寒というのにこの日も雨。町内の大型スーパー「ジャスコ」では冬物バーゲンが加速していた。「ジャスコ」は「イオン」になり平成30(2018)年8月末に建て替えのため一時閉店した。2020-03-06
81旧西友旧西友旧西友店頭風景。現在は大門通り(諏訪倉庫跡地)へ移転したがこの時は、中央通りの建物の中にあった「西友」の店舗。2020-03-06
82下諏訪駅前の風景下諏訪駅前の風景平成元(1989)年のJR下諏訪駅前風景。平成2(1990)年駅前の通りに「オルゴール通り」の名が付いた。№393と比較して見ていただきたい。 下諏訪町の商店街の中心は、かつては旧宿場町から坂下の国道20号線沿線へと移ったが、町南部に新商業地区が形成されるにい従い、北部の商業地区の中心はこの駅前に移りつつあった。しかしモータリゼーションが進み、現在はこの駅前も活気ある賑やかさから置いて行かれることになっている。2020-03-06
83ガスタンクの見える風景ガスタンクの見える風景球形ガスタンクのある風景。 右側は役場の駐車場で、その向かいの写真左下は、現在は「ハルピンラーメン」や町役場職員駐車場になっている。2020-03-06
84伏見屋商店伏見屋商店伏見屋商店。現在は店じまいしてしまったが、矢木東の国道20号線添いで多種の雑貨を商っていた伏見屋の店先である。店員の法被に「カネジョウ伏見屋店」の文字が染め抜かれている。看板には「伏見屋商店」とともに、「畳表・かや・荒物・□□・足袋・雑貨」などと書かれている。2020-03-06
85道路拡幅中之四ツ角道路拡幅中之四ツ角下諏訪町大社通り四つ角西の友の町本通りで道路拡張工事の始まった頃。足場のあるのが改装中の中央デパート、右角は八十二銀行と信用金庫支店(信金はその後春宮大門先へ移る)不二屋の向うにパチンコ屋(タマキ)の看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。2020-03-06
86秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥には合名会社三井組製糸の第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。2020-03-06
87奈良屋呉服店奈良屋呉服店明治前から大正まで続いた下諏訪の老舗、増沢市郎兵衛の奈良屋呉服店。屋号を染め抜いた店頭の、日よけのれんが当時の特徴。(明治年末の撮影)写真下に「信陽諏訪下諏訪友五(之)町奈良屋呉服店」とある。 なお明治25(1892)年7月には、友之町増沢市郎兵衛(奈良屋呉服店)が局長となり、同家の上隣りの別宅へ(石柱が見えている)郵便局が旧本陣岩波家より移り、翌26(1893)年に電信局が併設されていた。2020-03-06
88千尋館千尋館諏訪大社下社秋宮、右手前は千尋池、その奥には手水舎が見える。正面は千尋館で現在は土産物店「専女八幡」となっている。2020-03-06
89下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。手前下に信金御田町支店、JUSCOの赤い看板や下諏訪南小学校も見える。また諏訪湖の対岸に上川の橋も見える。2020-03-06
90伏見屋邸伏見屋邸旧中山道沿いにある「伏見屋邸」は元治元(1864)年に建てられたと推測される。木造二階建ての店舗兼住屋と土蔵が残されています。国の登録有形文化財に登録されていますが、今街歩きを楽しむ観光客の休憩や住民の交流の場となっています。2020-03-06
91出征兵士と家族写真出征兵士と家族写真出征兵士(「まつや」番頭)と「まつや」家族の記念写真。 御田町にあった「丸七まつや」(立町に移転マツヤ洋品店に)後に荒井書店に現在は他の店になっている。2020-03-06
92更科そば店更科そば店湯田仲町(ムラグチ酒店のあった場所)にあった更科そば店。 御大典記念の写真で開業五周年大売り出しとある。 当時更科そば店。当時下諏訪町で最も繁盛した。 ラーメン店(当時は「シナそば」店)の栄軒はこれより遅れて開業、店主が北信州栄村の出身だったことから蕎麦屋を予定していたが、更科そば店の繁盛を見てラーメン屋にしたという。 町内ではそばと言えば更科と言われていた。2020-03-06
93丸屋呉服店丸屋呉服店御田町にあった丸屋(まるや)呉服店、現在は共益金物になっている。 「連合大売出し御田町商業会」ののぼり旗も見え当時の御田町の賑わいが感じられる。 店の右端には「名実共ニ日本一福助足袋」の丸い看板も見える。 御田町通りは明治44(1921)年に新たに開かれた通りある。2021-05-03
94佐寿中商会佐寿中商会友之町(羽田医院の国道向かい側)にあった佐寿中商会下諏訪営業所。 自転車を販売していた。正面の看板とは別に左側に「ラヂオ(ラジオ)」店内には「ナショナル」の看板も見え、電気製品も扱っていたようだ。2020-03-06
95釜洞商店釜洞商店御田町の釜洞(かまほら)商店とその家族、奉公人。 隣は近藤理髪店と思われる。 店先のスイカに20銭25銭28銭の値が直接書いてある。シマウリ(つけうり)、ゴボウ、ナス、トウモロコシ、カボチャ、キュウリ、ピーマン、長イモ、などの野菜、ブドウ、ナシ、モモ、リンゴなどの果物の間にはさまって、大量のバナナも売られている。2020-03-06
96ネオン灯完成記念写真ネオン灯完成記念写真駅前通り(現在はオルゴール通り)田村青果店前に「ネオン灯が完成したが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風で倒壊した。「駅前通り」のネオンの下に町内の旅館の名前が揚げられている。2020-03-06
97御田町商店会御田町商店会御田町通りのお祭の飾りつけ準備記念写真。 旧菱友付近。2020-03-06
98新鶴新鶴新鶴の店先(看板が見える)左奥先には本陣. 隣は髪結い(絵つき)の看板が見える。2020-03-06
99ハイヤーハイヤー大正12(1923)年丸ヨ自動車店浜義雄氏が東京でフォードを一台購入。 浜氏は中央線全線開通後、荒廃した和田峠線の整備に力を入れ、大正13年(1924)に貸切自動車営業を開始し昭和2(1927)年には和田嶺自動車株式会社を創立しバスが三往復運行するようになった。 この他に大正13(1924)年、湯田仲町ハイヤーサクラ自動車商会、大正15(1926)年菅野町に丸S自動車株式会社などが設立された。         2020-03-06
100御田劇場御田劇場「御田劇場」は入一製糸場(現入一通信工業)が社員の慰安と御田町商店街の発展策として、大正2(1913)年完成した。前進座の公演を見るために行列を作る人たちが写っている。上諏訪の清水町にあった旧高島座を一万円で買収、移築した。その後、昭和32(1957)年9月ヤシカに売却、ヤシカ会館となり、現在は諏訪信用金庫御田町支店と駐車場となっている。2020-03-06
101出征家族写真撮影関係者出征家族写真撮影関係者戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。2020-03-06
102お花見風景お花見風景御田町商店主の皆さんのお花見。当時(昭和15年頃)は芸達も多く、仮装(御田町の店主)してお花見を楽しんだ。のんきな父さんの姿も見られる。左側に見えるのは、山車である。慈雲寺下の花見新道で撮影。子どもの多くは着物姿である。2020-03-06
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