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登録リスト(該当:14件)

管理番号写真タイトル説明登録日
2565社東町付近社東町付近社東町付近の砥川の様子 砥川の水面(川の流れ)が住宅地より高い(天井川)ということがよくわかる。2024-02-15
2500D51蒸気機関車D51蒸気機関車撮影者の自宅からの撮影。 社東町は現在は住宅が立ち並び以前ほどの見通しはなく、絵にはならないが一度はどうしても撮りたかった一枚。2023-12-19
2005消防分団員消防分団員法被には「下諏訪町警防団(第一・第二・第三・第六…)」「長地村警防団」「東山田警防団」「東町警防団」などが見え、白丁奉仕の人々や柴舟が見えるので、お舟祭りの時の写真と思われる。その他不明。 ちなみに、「警防団」の名称は昭和14(1939)年1月25日から昭和22(1947)年7月に警防団が廃止され消防団が設置されるまで使われている。また、東山田と東町が下諏訪町に編入したのは昭和33(1958)年7月のことである。2020-09-08
1970国税調査記念国税調査記念「昭和十五年度 国勢調査記念」秋宮神楽殿前での記念写真。この年、下諏訪町の世帯数3,651、人口17,619人(男7,670人、女9,949人)であった。参考までにこの時点ではまだ東山田・東町とは合併していない。2020-09-05
1707長持ちコンクール特賞記念写真長持ちコンクール特賞記念写真「特賞 御柱祭協賛長持ちコンクール 南進日々新聞社」記念写真。法被から東町連の皆さんと思われる。2022-06-08
1173旧社東町公民館旧社東町公民館旧下諏訪製糸共同病院の本館を昭和2(1927)年12月に買収移転した地区公民館(神明館)。現在の社東町付近は、砥川と十四瀬川に挟まれ、特に砥川と福沢川の合流地はたびたび洪水に見舞われてきたので、古くは「流れ」がそこの通り名であったという。明治以後徐々に人が住みはじめ、旧中山道の北に新道が通ったり、河川改修工事などが進み、人家が増加した。昭和33(1988)年に岡谷市から下諏訪町に合併して第八区となった。2020-03-06
1039盆踊り盆踊り町内会の盆踊り始まる。慈雲寺の駐車場を借りて、13日夜まで楽しんだ。町内会単位の盆踊りは、この町だけ。(東町中1組)2020-03-06
984製材工場製材工場製材所の作業風景。原木の6割が輸入材で、岡谷市の沖電線の輸出製品を入れる箱材(米国産カラマツ)を作っている東町上の山田製材所。2020-03-06
754中村竜雄氏旧居中村竜雄氏旧居この地方に多くみられる白壁にヌキを見せる造りの旧家。明治中期建築のこの家では明治期に絹織物業が営まれ、太平洋戦争後はメリヤス業の先駆けとなった。モーラー編みが創業された。当主が首都圏移住でこの年の春、所有者が替わった。2021-04-04
752竹村製作所の作業風景竹村製作所の作業風景自動車の心臓部の部品仕上げをを受け持つ家内工業。竹村製作所の作業風景。あらゆる車種のオイルリングを製造していた。親子三人と外注の内緒k8人で月産100万本のフル操業。もとは時計ケース加工から転進した。2020-03-06
705公選戸長公選戸長明治12(1879)年6月、長野県が16郡となり戸長が公選され、副戸長が筆生(ひっせい)となり、下諏訪村では12月初の公選戸長に山田政之丞(下原東町)が当選する。写真№557参照。2020-03-06
557山田政之丞宅再建山田政之丞宅再建山田正倫(政之丞)宅再建。山田(1835-1903)氏は下の原東町の元名主。明治12(1879)年6月、長野県が16郡となり戸長が公選され副戸長が筆生(ひっせい)となり、この時郡区町村編成法が施工、下諏訪村初の公選戸長に当選した。山田政之丞氏については№705参照。2020-03-06
531東山田下諏訪へ合併東山田下諏訪へ合併昭和32(1957)年3月25日長地村は岡谷市に合併後、昭和33(1958)年6月1日東山田・東町を下諏訪町に編入するという境界線変更に関し住民投票を行った。 その際の住民運動の模様。 昭和33(1958)年7月1日東山田と東町が岡谷市から分市して下諏訪町にに合併。 当時の東山田街道上の岡谷市側から分市賛成の張幕。2021-04-06
88野球大会優勝記念写真野球大会優勝記念写真東町、野球大会優勝の記念写真2020-03-06
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