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登録リスト(該当:8件)
≪
1
≫
管理番号
写真
タイトル
説明
登録日
2357
コブシ・万治の石仏
コブシの花は春を告げる。砥川のほとりのコブシの花越しに万治の石仏を望む。
2021-10-15
1525
久保秋葉大権現
撮影の日付と「犬射馬場石柱」と説明がある写真であるが、サトーニットの裏にある久保秋葉大権現の周りの石碑群にあるではないかと思われる。(男根に模した石柱に道祖神と刻まれたものがある)
2020-03-06
1103
弥勒菩薩石像
富部弥勒菩薩石像。片膝を立て、右手を見てその膝頭にのせて、手の平を右頬にあてて思考にふける姿の仏像。お釈迦様入寂後、56億7000万年後に示現するといわれる未来の仏様だとか。庶民の極楽往生の願いが込められているのか、表情は穏やかである。
2020-03-06
1092
土田墓地の六地蔵
土田墓地の六地蔵。お彼岸の墓参りの前に六地蔵に線香を手向ける人たち。この墓地には鷹や葡萄の画人天竜道人が眠っている。またこの墓地の北側の甲州道中側には石仏(弥勒菩薩像)がある。
2020-03-06
795
春のあわ雪の中の万治佛
春のあわ雪の中の万治の石佛、諏訪出身の新田次郎がイースター島の石人結び付けた伝奇小説を書いたり、岡本太郎が惚れ込んだりと話題を集め観光名所となっている。
2020-03-06
558
万治の石仏 下の原念仏講
浮島横の万治(まんじ)の石仏。この写真は大正15(1926)年に河西政常氏により撮影されたもの。地元の人々は「あみだ様」「みたらしの石仏」と呼んで信心を続けてきた。下の原念仏講では長く万治石仏前で念仏の行事を行ってきた。 伝説では高島藩三代藩主忠晴候が春宮に石の鳥居を寄進しようとしたとき、石工がノミを入れると石から血が出たと伝えられ、のち石に阿弥陀如来と刻んで供養したという話も伝えられる。 石仏の側面に「万治三年」の年号や、「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれていること、万治3(1660)年から70年後の諏訪藩主手元絵図には石仏ではなく「えぼし岩」と書かれていることなどから、木喰行者弾誓(たんせい)一派の信者が残したものではないかとする見方もある。 石仏としては首と胴がちぐはぐであったり、胸に袈裟と
2020-03-06
218
子どもの川遊び
浮島の周りの砥川。カジカなどの小魚が沢山いた頃のもの。川を石でせき止めてプールをつくって泳ぎ、体が冷えるとあみだ様(万治の石仏)の背中に張り付いて温めた人もいたという。
2020-03-06
50
相楽祭
赤報隊浪士のお祭「相楽祭」。 後方の煙突は、昭和6(1931)年開業の昭栄製糸のもの。向かって左側に元町長の高木十吉氏の顔が見える。 右に石仏があるが、現在青雲館にある。相楽祭は明治3(1870)年に有志の喜捨百余両で相楽総三らが処刑された地(相楽塚・魁塚)に慰霊の碑をたて式典をしたことがはじまりである。その後友之町有志の運営で祭りを続け一時途切れたこともあったが復活させ、現在は相楽会が主催し毎年4月の第一日曜日に開かれている。
2020-03-06
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1
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