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登録リスト(該当:54件)

管理番号写真タイトル説明登録日
2496蒸気機関車C12蒸気機関車C12回送列車を牽いて中央東線「下諏訪駅」を出発する。 入れ替え用のC12が空車の8両の客車を持って走るこの列車は諏訪で最後に見られた列車。 現在この汽車は下諏訪町に保存されている。2023-11-29
2410ノボロギク・サワギク解体図ノボロギク・サワギク解体図ノボロギク&ボロギク(サワギク)キク科 ノボロギク  ヨーロッパ原産の1年草で、明治初期に帰化した。  道端や畑に生え一年中花が咲いている。和名は野に  生えるボロギクという意味で、繁殖力が強い。 サワギク  サワギクは別名ボロギクという。沢筋や林縁など、湿  ったところに咲く多年草。花期6~8月。  葉は深く羽状に裂ける。頭花は舌状花を7~10個付  け、果実の冠毛の様子からボロギクと。 ※史前帰化植物ー有史以前日本に移住した人により、稲  などにまざって運ばれたもの。水田や畑の雑草が多  い。オナモミ・エノコログサ・カヤツリグサ・オヒシ  バ・アキノノゲシなど。 ※旧帰化植物ー大陸との国交が開始された江戸時代中  期。畑などで春開花し、夏までに実になる雑草が多い。 ※新帰2021-11-09
2394スミレの仲間スミレの仲間上から ・プリケアナ  北米産でパピリオナケアの仲間。白花の基部は紅紫色で紫条が入り、二色咲きとなる。繫殖力が旺盛で、庭先から逸出したものが野生化して各所で群生を見る。 ・パピリオナケア  北アメリカ原産で、スミレマニアなどの手によって、各地に広まっている。濃い紫色だが、側弁に毛が多く、花弁の基部は白く見える。 ・アカネスミレ  丘陵地~山地の路傍や林緑など向陽地から半陰地に自生する。花は中形の濃紫~紅紫色~紫青~薄色・白色と変異がある。全体的に多毛で、側弁、距、子房にまで毛がある。距は細長く花色にほぼ等しい。 ・タチツボスミレ  全土の海岸線から標高2000m前後までの草地~落葉樹林の向陽地~陰地・乾燥地~半湿地など生息範囲が広い。個体数も多いために花の色・葉の形態などに2022-06-12
2347彩雲彩雲数多く山行すると、多種多様な自然現象に数多く出会え、その光景に魅入る。2024-02-17
2155ウツギウツギ別名卯(う)の花。山野の茂みに生える落葉低木。 空木とは枝を切ると中に空洞ができている。 ○○ウツギと科をまたいでも多い。 秋にはおわん形の果実が多数ついていつまでも残る。(写真下)。2021-09-16
2081キュウリグサキュウリグサ胡瓜草(キュウリクサ)。 里に生える。 葉や茎を手でもむと、野菜のキュウリの匂いがする。2020-09-09
2041下諏訪上空(西赤砂付近)下諏訪上空(西赤砂付近)赤砂上空から西赤砂(砥川右岸)を撮影していると思われる。写真右上に鷹の橋と砥川が見える。中央(写真右上から左下へ)を走る道の北側(写真上方)には田んぼが広がっているが、現在は一般県道岡谷・下諏訪線が東西に、西大路通りが南北に新しく開設されている。西大路通りは写真のほぼ中央やや上あたり、現在の西赤砂信号まで整備され、地域の景観はずいぶん変化している。なお、十四瀬川が写真左上から道路を横切って右下に流れている。写真では黒っぽく筋のように見えている。また、写真左上や右下にリンゴ園と思われる果樹園らしき景観も確認できる。2021-04-18
2040航空写真 四王上空航空写真 四王上空写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。2021-04-18
2021オオワシオオワシ「オオワシ」タカ科 全長92cm 翼開長220cm オオワシは日本で一番大きなワシ。 平成11年1月4日諏訪湖で保護され49日間の手厚い介護により体力を回復し、同年2月21日放鳥以後19季連続で諏訪湖へ越冬に飛来。冬の風物詩として「グル」の愛称で大勢の方に親しまれた。2021-03-04
2010第三分団第三分団下諏訪町誌警防團第三分團の記念写真。 警防団の名称や「防空部」という文字が戦時中を感じさせる。2022-06-09
1770校歌歌碑校歌歌碑下諏訪小学校歌碑「明けゆく空に」の歌碑が昭和37年度卒業生(424人)によって建てられた。2023-02-26
1719空襲に備えて空襲に備えて昭和20年も4月頃になれば戦況はいよいよ厳しくなり、空襲警報もしばしば発令されるようになり、主婦たちも空襲を想定してバケツリレーで消火訓練をした。学童も授業を中止して帰宅することが多くなってきた。この写真は御田町通りのバケツリレーの様子である。写真右からカネタマル・福助堂・橋本屋・安兵ヱといった店が並んでいた。 女性は防空頭巾にモンペ姿、男性は国民服にゲートルなど当時の服装がよくわかる。2022-06-09
1484下諏訪上空下諏訪上空町屋敷工業団地。町内企業の振興を図るため平成2(1990)年から造成に着手し翌年平成3(1991)年、13区画35227㎡の工業団地が町屋敷に完成した。2020-03-06
1478下諏訪町上空下諏訪町上空写真中央の白く輝く屋根は荻原製作所(昭和42(1967)年に下諏訪町に移転してきた本社工場、平成29(2017)年に伊那市へ移転。その右にはひかり味噌、左上にジャスコ(イオン)、右上には諏訪湖、右下すみに野球場・陸上競技場が見える。2020-03-06
1477下諏訪町上空下諏訪町上空写真中央に町役場、右に総合文化センター・体育館。左はテニスコート・野球場・陸上競技場などが見える。2020-03-06
1439町制施行100周年事業町制施行100周年事業町制100周年記念事業のひとつとして、いずみ湖公園と東俣町国有林で記念植樹が行われた。それぞれ「町民自らの手による緑豊かな空間の創造」「森林資源の造成と緑豊かな住みよい郷土づくり」を目的にいずみ湖公園にモミジを1300本・オオヤマザクラ200本を、東俣町有林には将来の御柱用材用としてモミの苗木1000本を植樹。写真はいずみ湖での植樹の様子。2020-03-06
1171大社煎餅大社煎餅師走を迎えた大社門前町。煎餅を売る店を訪れた観光客。旧町役場(すわのね)とお土産物屋(観光案内所)のとんがり屋根が、冬空に好対照を見せていた。2020-03-06
1170星ヶ丘温泉掘削起工星ヶ丘温泉掘削起工町の温泉開発第四号井起工。空中探査で山の手の住宅団地内に掘削地を選定、1300mの深井戸を一億1800万円かけて掘ることになった。これに続き町内の建設会社が、国道和田峠線沿いでボーリングに着手、この年町内で4本の温泉井が掘られた。2020-03-06
1014お舟祭り宵祭りお舟祭り宵祭り諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」宵宮。いつもは静かな湯の町なのだが、この日ばかりは秋宮参道に露店が軒を連ね、諏訪盆地のあちこちから集まって来る若者達が明るい光の中に群れて、乾いた高地の夜の空気を熱くした。お舟祭り宵宮の賑わい。2020-03-06
956路地があそび場路地があそび場小川屋履物店の前で遊ぶ子どもたち、路地空き地などで子どもたちが遊ぶにぎやかな様子。(履物屋の前)2020-03-06
636陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊のモーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。中央の建物が下諏訪学校、その上の森が諏訪大社秋宮、その左斜面前方に続く町並みが中山道で塩尻方面に向かっている。2020-03-06
632陸軍航空隊航空写真下諏訪学校陸軍航空隊航空写真下諏訪学校明治9年11月1日友之町字郷神殿に建築された下諏訪学校の全景、屋根は瓦ぶき硝子障子で三階の望楼の色硝子が夕日に美しく照り輝いた、左の校舎は明治30(1897)年建築の高等科校舎。2020-03-06
576春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から春宮大門の銅鳥居を望む。鳥居の奥に見える屋根は第五倉庫、常夜灯横の建物は事務所。丸三倉庫現下諏訪倉庫(三井)の六号倉庫で昭和44(1969)年諏訪信用金庫下諏訪支店(信金は昭和38(1963)年四ツ角に新築、昭和44(1969)年12月現在の場所に移転した。)丸三倉庫は「倉荷証券」を発行し金融事業も手掛けた。支配人は小口文次郎他に共同倉庫、湖国倉庫(現イングスシナノ、大和電気)をも担当したが両倉庫とも「空券事件」により廃業となった。 改修後の写真№575と比較して見ていただきたい。2020-03-06
568陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。2020-03-06
567陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊水上試験に来諏の際に写す。下諏訪駅を上空から見る。駅周辺にはまだ畑などが見られる。特に駅南側(写真右側)には畑が広がっていて、人家はまだ少ない。2020-03-06
566昭和7年航空写真昭和7年航空写真中央の白い屋根が青年図書館。その向うの黒い建物が霞城館2020-03-06
561陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真航空写真。写真の中心近くに下諏訪学校の三階の望楼が分かる。旧甲州道中、旧中山道、八幡坂などの様子や秋宮鳥居周辺の戦前の建物が密集している様子がよくわかる。2020-03-06
560陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。2020-03-06
543秋宮鳥居前秋宮鳥居前「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。2020-03-06
539承知川扇状地と下諏訪旧市街地承知川扇状地と下諏訪旧市街地右が武居の棚田、中央の森が秋宮でその左手前は旧下諏訪宿場(湯之町)左下へ続く街道が旧加宿と友之町。 写真は複葉機、陸軍航空隊一般航空写真。2020-03-06
377空から見た下諏訪・諏訪湖空から見た下諏訪・諏訪湖航空写真。冬の諏訪盆地。 富士山や八ヶ岳、赤砂先、下諏訪の街並みなどがわかる。2020-03-06
323接合井接合井接合井(斧立付近)水圧及び空気調整施設。2020-03-06
296航空写真 区画整理中の武居航空写真 区画整理中の武居上空から見た武居。左手に下諏訪向陽高校グラウンドが見える。2020-03-06
295航空写真 区画整理前の武居航空写真 区画整理前の武居上空から見た武居。左手に下諏訪向陽高校グラウンドがわずかに見える。2020-03-06
294航空写真 区画整理中の武居航空写真 区画整理中の武居上空から見た武居。左端に下諏訪向陽高校のグラウンドが見える。2020-03-06
293航空写真 赤砂崎航空写真 赤砂崎上空から見た赤砂崎。赤砂崎から下諏訪町を望む。2020-03-06
292航空写真 第一区航空写真 第一区昭和57年10月。第一区全景。2020-03-06
291航空写真 南小学校航空写真 南小学校下諏訪南小学校、新校舎・旧木造校舎、旧講堂・旧小体育館。2020-03-06
290航空写真 水月霊園航空写真 水月霊園上空から見た水月園付近。紫雲閣、浄水場も見える2020-03-06
289航空写真 関屋 富部航空写真 関屋 富部上空から見た、富部(下諏訪町第10区)。上の方に関屋団地が見える。2020-03-06
288航空写真 花田上空航空写真 花田上空上空から見た東山田(下諏訪町第7区)左に三協精機社宅(現日本電産サンキョー)、下諏訪町第5保育所(現とがわ保育園)の赤い屋根が見える。2020-03-06
287航空写真 秋宮周辺航空写真 秋宮周辺下社秋宮の森、今はない山王閣の建物が見える。画面左下には青塚が見えている。2020-03-06
286航空写真 大門通上空航空写真 大門通上空上空から見た下諏訪町。大門上空、大門通りの左はじに下馬橋が見える。2020-03-06
285航空写真 町庁舎周辺航空写真 町庁舎周辺上空から見た町庁舎・町営球場。手前の川は砥川。建設途中の下諏訪体育館。旧田中線の道路は清水橋ができておらず砥川で止まっている。2020-03-06
284航空写真  赤砂崎付近航空写真  赤砂崎付近空から見た諏訪湖。赤砂崎、漕艇場を望む。2020-03-06
283航空写真 砥川河口付近 航空写真 砥川河口付近 空から見た諏訪湖。赤砂崎、漕艇場を望む。2020-03-06
282航空写真 漕艇場付近航空写真 漕艇場付近空から見た諏訪湖。漕艇場。2020-03-06
281航空写真 下諏訪町市街地航空写真 下諏訪町市街地空から見た下諏訪町と諏訪湖。写真右下に漕艇場が見える。昭和52(1977)年当時は西大路通りがまだできていないのと同様諏訪湖の湖周道路も未完成である。2020-03-06
280航空写真 下諏訪町市街地航空写真 下諏訪町市街地写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。2020-03-06
214宅地化する前の湖浜地区宅地化する前の湖浜地区上空から見た下諏訪南小学校。旧木造校舎、旧講堂、旧小体育館、50Mプールも見える。校舎から諏訪湖畔までは水田が広がっている。2020-03-06
179小田野段丘と砥川新扇状地小田野段丘と砥川新扇状地 機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。 右が春宮の森、さわら並木は昭和9年の室戸台風でほとんどが倒れ今は見られない。左上が小田野段丘で昭和37年社が丘住宅団地ができた。その下が東山田の集落。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多い。2020-03-06
67尾掛松(杉の木神社)尾掛松(杉の木神社)絵葉書になった「尾掛松」。古代の「松之木湛(たたえ)」神事の地と伝えられている。「湛」とは「たたり」のことで、尾掛松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものである。「杉の木様」とも呼ばれていた。 樹種はヒノキ科ビャクシンで、住民はもとより甲州道中を旅する人も参拝したという。 また諏訪湖上で漁をする人の目印の巨木でもあったが、枯れ死していたので、平成16(2004)年1月に安全上の配慮から伐採され幹だけが残る。 この尾掛松には諏訪明神様が出雲出へ掛けた時、竜神が頭だけ出したので、他の神様が尾はどこにあるのか聞いたところ、「尾は(大和)諏訪湖のそばの高い木(高木)に掛けてある」と答えたことから、それが大和・高木の地名の起源と伝えられている。なお地名の語源には諸説あります。現在は「杉の木神社」2020-03-06
20秋宮周辺航空写真秋宮周辺航空写真勝山写真館(上諏訪)が赤砂飛行場を離陸撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。2020-03-06
13ダイヤ豆腐周辺の航空写真ダイヤ豆腐周辺の航空写真当時景気が良かったダイヤ豆腐による航空写真。ダイヤ豆腐は線路横の煙突の立っている建物、現下諏訪南小学校前を通る田中線は砥川で止まっている。田中線の右端に小学校の校舎が見え、砥川の手前には昭和24(1979)年から整備されてきた総合運動所が見える。現在のジャスコ通りにあたる道沿いには昭和28(1953)年栄町から移転ひかり味噌が見える。線路下には、桑畑とりんご畑が広がっていた。2020-03-06
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